第9話 緑茶とハーフの二人きり
放課後、帰る前にいつもの商店街にある肉屋で豚肉を買った。ネルから買って来いと電話が来たせいだ。アイツご主人に買い物をさせるってどういう事だ。
それでも秘伝のタレを作ったから豚丼にしようとか言われたら買わざるを得ない。正直朝昼しっかりネルの作ったご飯を食べた上にシルベスターの煮物まで食べたから、そこまで腹は減ってないんだけど。秘伝のタレがどんなもんだかは気になっちゃうよね。少しでいいから食ってみたい。
それに急いで帰らないと、愛媛に危害が及ぶ。
「さて、後は帰るっ」
振り返った先に居たシルベスターの顔を見て、俺は思わず動揺してしまった。シルベスターはまた俺のネクタイを掴んだ。
「何よ、下僕の分際で。生意気ね」
「いや。何でも……」
俺の顔は少し赤くなる。
シルベスターは全然気にしてないっぽいな。俺の事何とも思って無いんだろうか。それはそれでなんか悔しい。
「下僕はまだ何か買う物あるのかしら?」
「えっ。いや、ネルのアホが買い忘れたのを買うだけだったから」
「やっぱりアイツはアホの屑ね。じゃあ待ってなさい。おじさん、合い挽肉三百グラム」
肉屋のおじさんが良い返事をしていた。
俺は待ってろと言われたので待っている。と言うより、ネクタイを掴まれたままなので逃げる事が出来ない。シルベスターは右手で肉を受け取り、左手では和歌を掴んだままだった。
「どうも」
彼女はおじさんに一言だけ言って、歩き始めた。無論、俺のネクタイを掴んだままだ。ヤバい、普通に苦しい!
「シルベスター、それは苦しいから。シャレにならないから!」
「生意気な事を言ったアンタが悪いのよ」
「あーうん。俺が悪かったので良いから。お願いします離して下さい」
シルベスターに離され、俺は軽く咳き込んだ。息を整えた俺に、シルベスターは自身が持っていた買い物袋を渡してくる。
「罪人には罰が必要よね」
「あぁ、持って欲しいのね」
「違うわ。あたしの荷物をアンタに持たせてやってるのよ。感謝しなさい」
「はいはい」
また首を絞められかけては困るので、俺は大人しく荷物を受け取った。意外と重みがあった事に驚く。
「シルベスターも買う物これで終わり?」
「そうよ。だからアンタは持つ事だけを考えなさい」
「分かったよ。それにしても……一応シルベスターは仕事してるんだね」
「一応って何よ。ちゃんとしてるでしょう」
「人に罰とか言って持たせてる時点で」
「うるさいわね。下僕は黙って主人の言う事を聞けば良いのよ」
俺達は商店街を抜け、静かな住宅街へ繋がる道へと入って行く。人通りは少ないので、実質二人きりって感じ。
「……あのね、アンタが悪いのよ」
ポツリと、小さな声が聞こえて来た。横目で見ると、シルベスターが俯きながら歩いている。
「俺は何故急に怒られてるんだ?」
「だってアンタが……言うから」
「言うって……あぁ」
色気がどうのこうのの話の事だろう。さては家に帰って後悔したやつだな? 何だよ。ちゃんと意識してたんじゃん。しかもこの感じ、今の今まで我慢してたやつだな? 人前では言いたくないやつだな? かわいいじゃん。
まぁ俺的にはラッキーだったので全然気にしなくていい。顔が赤くなるのは許して欲しいけど。
「えーとね、俺的には女の子相手に色気があるって言うのは恥ずかしいというか。でもシルベスターに魅力がないとかいう話ではなくて、俺の中でシルベスターは可愛い子ではあるから」
「……もう良いわ。黙りなさい」
シルベスターの頬は赤いままだ。これは、もしかしてだけど。
「……照れてる?」
「うるさいわね!」
怒るシルベスターも可愛らしいが、このままでは気まずいので。俺は無理やり話題を変えた。
「そう言えばさ、ネルの奴が俺の妹に手を出すんだけどさ」
「そ、そう。相変わらず変態な奴ね」
良かった、シルベスターも話に乗ってくれた。
「今うちの親旅行で居ないからさ、俺が父親代わりにならなきゃって思ってさ」
「日本のアレね。うちの娘は渡さんって奴」
「そんな感じ。家事は出来る奴なんだけどなぁ」
「それ以外は最低な奴なんでしょう」
「そうなんだよ」
やっぱりシルベスター、良い奴だな。俺の事も良い奴と判断してくれれば良いんだけど。
そんな話をしてる間に、俺の家の前まで来た。かわいいメイドと話すのが楽し過ぎたせいかな。いつもより早く家に着いた気がする。
山本おじさんの家もすぐ隣。シルベスターは手を出し、俺から荷物を受け取ろうとしていた。
「ご苦労だったわね。もう良いわ」
「大丈夫? 玄関の前まで持って行こうか? 山本のおじさんの家なら気心知れてるし、中まで持ってっても許してくれると思うよ」
「平気よ、あたしそんなにか弱くないもの。今日は竹刀を持ってないからって、心配しなくていいわ」
「竹刀を持ってないからって心配してるんじゃないよ?」
確かに強そうではあるけど、華奢だしなぁ。昨日もネルを殴ろうとしておじさんに止められていたくらいだ。すごく力が強いって感じでもないと思う。
見た目だけなら、ただメイドの服を着た女の子でしかない。
というか、そうでなくとも。
「いいよ、これ重いし。持ってってあげる」
「あら。気の利く下僕だ事。妹は良いの?」
「まぁネルと一緒なのは心配だけど、だからと言って女の子一人で帰すのも男としてダメだろうしねぇ。例え五分先でも一分先でも」
「そう。ならば持たせてやっても良いわ」
シルベスターは笑って俺の隣を歩く。本当は家に荷物置いて来ても良いんだけど、ネルに見られたらめんどくさそうだし。このまま行っちゃおう。
「そうだ、煮物美味しかった。ありがと」
「あら、もう食べたの?」
「うん。タッパー洗って返す」
「いいわよ。アンタの家に置いておくと変態に捨てられそうだし。後で寄越しなさい」
確かにネルなら捨てそうだな。おじさんの家のタッパーだって言っても「あのゴミが触れたものなら皆ゴミですよ」とか言って処分しそう。
「じゃあ、お言葉に甘えて。ちなみにシルベスター、中華も作れる?」
「あたしに作れないものなんてないわ。小籠包から杏仁豆腐まで、何でもござれよ」
「いいなぁ、おじさん達そんなんいっつも作ってもらえるのか」
「主は和食が好みだから、いっつもではないわよ」
隣なので、あっという間におじさんの家の前へたどり着く。シルベスターは鍵を開けて家へ入った。
「おじさん達は? お店?」
「そう。だから畏まらなくていいわ。上がりなさい。荷物を置いたら、褒美に茶を入れてやってもいいわ」
そう言って一人で台所へと向かうシルベスターは気づいてないっぽいけど、それってつまり、今は二人きりという事だと思うんだがな。
「じゃあ……ちょっとだけ失礼します」
だが欲望には勝てない。メイドのお茶飲みたい。俺は山本おじさんの家へお邪魔する。
***
畳が敷かれた居間に低めのテーブル。紫色の座布団は、おじいちゃんの家感がすごい。
座布団の上に座った俺の前へ、シルベスターはお盆に急須と湯呑を乗せて運んでくる。洋風の見た目とはミスマッチだが、気分としては悪くない。
「緑茶でいいわね?」
「構わないけど、緑茶なんだ。シルベスターのイメージ的に紅茶かなって」
「まぁ見た目は外国人っぽいって言われるけど、あたし日本人の血も入ってるんだから。日本文化も嫌いじゃないわ。勿論紅茶も好きだけど」
「えっ、シルベスターってハーフなの?」
てっきり普通に外国人だと思ってたんだけどな。
シルベスターは机の上に湯呑みを置き、急須でお茶を入れてくれる。温かな湯気が俺の顔を撫でた。
「そうよ。ジェルルアの血が濃いから見えないってよく言われるけど、あたしは日本人とジェルルア人のハーフ」
「ちょっと待って。どことのハーフだって?」
「ジェルルア」
「また知らん人種名が出てきたな」
「そうね。ジェルルア国は小さな島国だし、地図でもよく省かれるから。普通は知らないでしょうね」
「国名だったか。どこにあるの」
「オーストラリアの横」
「あぁ良かった。まだ信じられる」
実はちょっと前に、ネルにも同じ質問をした事がある。
アイツには「ウハゴバゲ出身です。ポーランドの上空あたりにあります」と言われた事がある。確実に嘘だと思う。
そんなネルの曖昧な回答と比べたら、シルベスターの答えには安心してしまった。
「もしかしてアンタ今、あたしとネルリヤンを比較した? だとしたら、それは間違いだわ。あれとあたしを比較した所で、あたしの方が上。あたしの方が正しい。あたしの方が立派である事に変わりないの」
「シルベスターは本当にネルの事嫌いだね」
「当然でしょ。アンタは好きなの?」
「いや全然」
「正常者だわ」
やっぱりシルベスター良い奴だな。まともな感性、信頼出来る。
「ほら、冷めないうちに飲みなさい」
「あぁうん。いただきます」
俺は湯呑みを手に取り、少し息を吹きかけてから飲む。うわ、すごい。今まで飲んで来た緑茶と全然違う。
「えっ、うまい。普通の緑茶じゃないの?」
「普通の緑茶よ。ただし、分量をしっかり測って急須から入れたから、本格的な味になってるはず。うちの主もお気に入りで、毎日食後に要求されるわ」
「はー、いいなー。毎日飲めたら最高だったろうなぁ。やっぱりシルベスターと契約しときゃあ良かった」
あまりの羨ましさに、俺は思わずため息を吐いた。
シルベスターは俺の隣に座った。この子距離感近くない? 日本人の血が入ってるって言ったけど、こういう所は外国人のノリかなぁ。
こっちの気持ちなど一切考えずに、彼女は俺の顔を覗き込んでくる。まつ毛が長い。かわいい。
「アンタ、そんなにあたしが良かったの?」
「そりゃあ勿論。あの変態と比べたら絶対シルベスターの方がいいよ」
「じゃあ……あたしの事、買いたい?」




