第10話 耳かきとメイドの膝枕
俺は慌てて湯呑みを机の上に置いた。落とす前に置けたのはナイスだった。口の中にお茶を含んでいなかったのも良かった。入ってたら確実に噴き出していた。
いやしかし、買いたいかなんて。つまりそれは、大人的ご奉仕って事なんじゃなかろうか。
興味はある。めちゃくちゃある。けど俺まだそんな経験ないし。金ないし。もしそれが原因でシルベスターのような可愛い子と仲悪くなったりしたら嫌だし。金ないし。
「それは、その、大変魅力的だけど、ほら、まだ俺学生だし。その、大事にし」
「日本語を間違えたわ。あたしと契約したい? ほら、今の主とは期間限定でのお試し契約だもの。アンタが契約金を出してくれるというのなら、あたしはアンタの家へ行く事も出来るわ」
「そっっっか!」
つまり俺の勘違い! 恥ずかしさも相まって、頬に熱が募る。
しかし契約の話自体は悪い話じゃないような気がする。俺は咳払いをして、頬の熱を和らげる。
「シルベスターの仕事内容はネルと全く同じなんだよな?」
「そうね」
「シルベスターの、メイドの作るご飯にありつけるという事だよな」
「契約だもの。希望があれば菓子でも作るわよ」
「希望があれば……ネルみたいにあーんして食わせてくれるとか」
「あの変態、アンタにもそんな事してる訳?」
「いや俺にじゃなくて愛媛にだし、俺がネルにされても嬉しくはないけど。相手がシルベスターのようなメイドであるならやぶさかではない」
シルベスターは少し考えて、人差し指を立てた。
「食わせてやるくらいなら構わない。けど、卑猥な事は勿論ダメ。服の上からマッサージするとか、耳かき程度なら可」
それは卑猥な事じゃないのか?!
「すっごい魅力的だけどさ、金出すってなると躊躇いが」
シルベスターはいつの間にか、耳かきの棒を手にしていた。
「じゃあ試す? 耳かきくらいなら今やってあげる。三千円出しなさい」
「うっ、高校生でも手の届くお値段……待って。耳かきの体勢って」
「ん」
少し照れた顔をしながら、シルベスターは自身の太ももをポンポンと叩く。
俺は屈した。気づいたら財布を開き、千円札三枚を差し出していた。
「でもさ、シルベスターおじさんと契約してるでしょ。会社的に大丈夫?」
「大丈夫よ。お試しキャンペーンの仮契約中だもの。他の人にも営業をかけていいっていう、何故かあたし達特殊クラスだけ特別ルールが出されてるわ」
それほど契約が取れないと思われているのだろう。
「じゃ、じゃあ……失礼します」
俺は柔らかい太ももに頭を乗せた。ヤバい、おかしくなりそう。何か別の事でも考えるか。シルベスターが使ってるの、おじさんの家の耳かき棒かな。知り合いとはいえ、勝手につかって良いんだろうか。終わったらよく拭いてもらおう。
耳の中に何かが入って来る違和感が、余計な事を考えさせる暇を与えなくさせた。耳の中を固い棒の先端でなぞられる。中を見るためか耳を引っ張られるが、すごく痛い訳でもない。むしろ心地よさを感じている。そしてやっぱり柔らかな太ももが気になる。
「はい終わり」
棒を入れられていた感覚が消える。もう終わりか。長かったような、短かったような。
何やら影が近づいてきたかと思えば、俺の右頬にシルベスターの髪の毛先が触れた。
シルベスターは俺の右耳に唇を寄せて。
ふっ、と息を吹きかけた。
「ひぇっ!?」
思わず変な声を出しながら飛び起きてしまった。棒が入ってたら危ない所だった。吹き込まれた息の感触が今でもリアルで、思わず右耳を押さえる。
シルベスターは何とも思って無いのか、再び太ももを叩いている。
「急に起き上がるんじゃないわよ。危ないじゃない。ほら、反対の耳も貸しなさいよ」
「はっ、反対の耳も!?」
「当たり前でしょ。これじゃあ千五百円ほどの働きにしかならないもの。お金貰ったからには最後までするわよ」
「ひぇえ」
偉そうではあるけど、ちゃんと真面目だ!
その後躊躇いを見せた俺だが、シルベスターの手で無理やり寝かされた。
***
人んちで何してんだよって感じ。いや耳かきなんだけど、いかがわしい事一切なかったけど。気分的にはいかがわしい事をした気分だ。山本おじさん、なんかごめん。
「マッサージもする?」
「おね……い、いや。それはまた今度にする」
もっといかがわしい事を考えてしまった。
「そう。やりたくなったら言いなさいよ。お金さえくれれば、いつでもやってあげる」
「シルベスター、それ他の人には言うなよ」
「何でよ。契約のために営業をかけるのは当然の事でしょ。そりゃ人は選ぶけど。ネルリヤンやこの間の石村とかいうじーさんみたいな人相手には嫌よ」
何でと言われても、なんかエロいからとは言えない。
しかし、ネルや石村のじーさんは嫌でも俺は嫌じゃないのか。それは、ちょっと、いや、大分嬉しい。でも恥ずかしくて正直には言えないから、俺は嘘ではない本音を伝える。
「俺が契約を検討してるからだよ」
「あら、やっぱりあたしの方が良いって事ね?」
そういう事にしておこう。
「あぁ。ネルに耳かきしてもらっても嬉しくも何ともない」
「ならあんなのと契約するのは止めなさい。お試しキャンペーンが終わったら、速攻追い出すのよ」
「そうしたいけど、それじゃネルが納得しないと思う。だから……残りの期間でアイツが納得するようなダメな所を探して、勿論金も貯めて、堂々とシルベスターと契約する!」
ネルに勝ちたいシルベスターと、メイドと契約したい俺の需要と供給が一致した瞬間だった。俺とシルベスターはハイタッチをして別れた。
***
家に帰った俺は台所に立つネルの元へ、買ってきた豚肉を持って行く。
「ただいまー」
「おひゃえりなひゃいませ」
ネルは俺に背を向け、食器を洗っている。ネルの顔を覗き込むと、スプーンを咥えていた。
一切躊躇う事なく、俺はネルの口に入ったスプーンを引き抜いた。歯で咥えていたのか、痛がっているが知った事か。
「いっ……何するんですか和歌様! 歯が抜けてしまう所でしたよ」
「そんな事よりだ、何だこれは」
「姫様のスプーンですが。それが何か?」
「何かじゃない!」
首を傾げるネル。何で分からないんだろうか。
「こーゆーのはダメなんだよ。手を握る以上の範囲内だ。何でこうなった」
「こうなった経緯ですか? それはですね、先ほど姫様におやつにプリンを出しまして。綺麗に完食されましたので、洗うためにこちらに運んで、そしてこう」
俺の持っているスプーンを奪ったネルは、躊躇いなく自分の口に入れる。俺は躊躇なく殴った。コイツ、思っていた以上にヤバい奴だな。
「お言葉ですが和歌様、食器というものは一度使用したら洗うのが常識ですよ」
「そんな事は知ってるよ。じゃあ何だ、お前はただ洗っていただけとか言うのか」
「はい」
「お前に聞いた俺が馬鹿だった」
ネルは真面目な表情で言った。コイツが真面目な顔をすると普通にイケメンになるので、拍車をかけてムカつく。
「確かに食器は普通洗剤で洗うモノです。ですが姫様の使用した食器をすぐに洗剤で洗うなど、実にもったいない行為ですよ。まさしく、金をドブに捨てるってもんです」
「お前は何を言ってるんだ?」
帰って来るまでの幸せな時間は、嵐の前の静けさってやつだったんだろうか。




