第四十四回
第四十四回:封鎖の村、消えないインクの誓い
「……あの医女、どこかで見たことがあると思ったら。かつて水刺間で包丁を握っていた女ではないか」
后(王妃)の脳裏に、数年前の記憶が蘇る。その微かな動揺を、クミョンは見逃さなかった。彼女はすぐさまヨリを呼び出し、闇の合議を開く。
「……あの女を、二度と王宮の土を踏ませぬ場所へ追いやれ」
ヨリは蛇のような笑みを浮かべ、内医院内でソリを孤立させる卑劣な策を講じた。仲間の信頼を奪われ、和を乱したという濡れ衣を着せられたソリ。その罰として命じられたのは、都の近郊で発生した凄惨な疫病地帯への派遣だった。
「……行きます。私が救わねばならぬ命が、そこにあるのなら」
ソリは、白い布で口を覆い、荒れ果てた村へと足を踏み入れた。同行するのは、彼女を監視し、機を見て葬り去ろうとする内医正ユンス。そして、特使補佐として派遣されたミン・ジョンホだった。
ジョンホは、馬上でソリを見つめ、無言で頷いた。
(……ソリ、君を独りにはさせない。この地を、新しい歴史の出発点にしよう)
村に入った一行を待っていたのは、地獄絵図だった。原因不明の高熱にうなされる民。薬材の管理を任されたソリだが、ユンスの指示は支離滅裂で、現場は混乱を極めていた。
患者が爆発的に増え、ついに朝廷から「封鎖令」が下される。村の出口は兵士によって固められ、生きて出ることは許されない「棄てられた地」と化した。
「……薬が足りない! 記録も追いつかない!」
医官たちが墨を磨る暇もなく絶望する中、ソリは懐から王から下賜されたボールペンを取り出した。さらさらと、震える手で紙に書き殴る。
『三月十二日、発症者五十名。共通点は……食事か、あるいは水か』
墨が滲むことも、筆先が割れることもない。死の臭いが立ち込める過酷な環境下で、そのペンだけが正確な時間を、症状を、刻一刻と変化する病の正体を記録し続けた。
「……この『消えないインク』が、必ず真実を都へ届けてくれる。……それまで、私は死なない」
封鎖された闇の中で、ソリが握る黄金のペン先が、一筋の希望として鈍く光を放っていた。




