第四十二回
第四十二回:偽りの丸薬、蘇る鼓動
「……薬も鍼も受け付けぬ。これが私の、王への答えだ」
皇太后の居室には、死の香りが漂い始めていた。極度の衰弱に加え、脚が腫れ上がり、呼吸を乱す「脚気」の兆候。シン・イクピル教授でさえ、治療の糸口を見失いかけていた。
「……食べねば、死を待つのみ。だが、脚気に効く大麦や小豆は、皇太后様が最も忌み嫌う食材だ」
ウンベクが水刺間へ出す指示も、クミョンが用意する献立も、皇太后の「拒絶」という壁に跳ね返されていく。
「……クミョン様、これまでの献立を見せてください」
ソリは、クミョンが記録していた数年分の献立表を手に取った。そこには、中宗王が導入したボールペンによって、驚くほど細かく、かつ鮮明に皇太后の嗜好が記されていた。
(……やはり。皇太后様が嫌っているのは味ではない。過去の記憶による『思い込み』だ……!)
ソリは確信した。医学書には載っていない、料理人だけが知る「心と味覚」の繋がり。それこそが、死の淵にある皇太后を救う鍵だと。
「ソリ、お前に任せる。皇太后様が『食べたい』と思う特効薬を作れ」
教授シン・イクピルの決断。ソリは薬草部屋にこもり、蜂蜜と香草、そして脚気に効く成分を巧妙に練り合わせた「丸薬」を完成させた。
「……まあ、これはお菓子のように香ばしいこと」
一口食べた皇太后の瞳に、久方ぶりの生気が宿る。だが、その背後で、冷徹な医女ヨリの視線が光った。
「……后(王妃)様、ユンス様! お聞きください。ソリの丸薬には、皇太后様が禁じている食材が隠されています! これは王家への欺瞞、大罪です!」
ヨリの告発。激怒する王妃と内医正ユンス。
「……ソリ、お前という奴は……! 皇太后様を騙してまで功を焦ったか!」
罪人として引き立てられるソリ。しかし、その時、奥御殿から信じられない報告が届く。
「……報告いたします! 皇太后様の脚の腫れが引き、ご自身で立ち上がられました!」
ソリが仕掛けたのは、単なる味覚の誤魔化しではない。「医食同源」の極致。嫌いな食材を、その性質を活かした調理法で「薬」へと昇華させた、命の芸術だったのだ。
「……あの女を、生かしておいては一族の終わりだ」
最高尚宮としての誇りを傷つけられたクミョン、そして地位を脅かされるチェ女官長。そこに、ソリへの敗北感に燃えるヨリが、音もなく近づく。
「……女官長様。私なら、あの女を『記録』ごと消し去ることができます。……手を組みませんか?」
千七百年の闇。王宮に蠢く蛇たちが、ついに一つの巨大な鎌首を持ち上げようとしていた。




