第二十九回
第二十九回:新・最高尚宮の孤影、母の残り香
「……これより、ハン尚宮を水刺間の最高尚宮と任ずる」
王の御声が響き渡り、金一封と、権威の象徴である「鍵」が授けられた。長年、チェ一族が独占してきたその座に、ついに「実力と真心」が座った瞬間だった。ハン尚宮は深々と頭を下げたが、その背中にかかる重圧は、これまで経験したことのないほど重く、冷たかった。
「おめでとうございます、最高尚宮様……!」
ソリが瞳を潤ませ、精一杯の笑顔で駆け寄る。だが、周囲を囲む女官たちの視線は、決して祝福だけではなかった。チェ尚宮を支持してきた者たちの、凍りつくような沈黙。そして、その中心で、幽霊のように静かに立ち尽くすチェ尚宮とクミョン。
「……ハン尚宮。いえ、最高尚宮様」
チェ尚宮が口を開いた。その声は、感情を完全に削ぎ落とした、平坦で鋭い刃のようだった。
「勝負の結果は受け入れましょう。ですが、忘れないで。この宮廷の『伝統』を壊す者が、どのような最期を遂げるのか……。私たちは、ただ見守らせていただきますわ」
パシッ――扇を閉じる音が、不吉な宣告のように響く。
その夜、最高尚宮の居室に入ったハン尚宮は、一人で卓を整えていた。
「……ミョンイ。ついに、ここまで来たわよ」
彼女は懐から、古びた手香炉を取り出した。それはかつて、親友ミョンイと交わした友情の証。その時、部屋の掃除を手伝いに来たソリが、卓の上の「ある物」に目を留めた。
「……最高尚宮様、そのお香の焚き方……」
ソリの指が、ピクリと止まる。
「それは、母様が教えてくれた『百合の根を隠し味にした練り香』ではありませんか?」
ハン尚宮の肩が、激しく震えた。
「……なぜ、あなたがそれを知っているの? これは、私と、死んだ親友だけが知る特別な……」
二人の視線が空中で激突する。疑念が確信へ、記憶が血肉へと変わる瞬間が、すぐそこまで迫っていた。
だが、その感動を打ち消すように、外からドタバタと騒がしい足音が響く。
「大変です! 倉庫の食材が、すべて……すべて消えています!」
チェ一族の、卑劣な「初仕事」が始まった。




