第二回
**第二回:偽りの赤身、横領された血の匂い**
ペチャ、ヌチャ……――王妃の快気祝いとして大殿から下賜された、最高級の韓牛。水刺間の厨房でその肉塊を捌こうとしたソリの手が、ピタリ、と止まった。
本来ならば、包丁を入れた瞬間に脂が弾け、サクッと小気味よい音が響くはずだった。だが、目の前の肉は泥を捏ねるように包丁にまとわりつき、重苦しい音を立てている。
ジロリ――ソリは、瑞々しい紅色を装った肉の断面を凝視した。
一見すれば上等な刺しが入っているように見える。だが、その脂の白さはどこか不自然に浮き、肉の芯からは冷たい鉄の臭いだけが漂っていた。
ペロリ――ソリは肉の端を切り取り、迷わず舌の上に乗せた。
……チリリ、ベチャ。広がるのは、牛特有の芳醇な旨味ではない。喉を焼くような雑味と、無理やり塗り込まれた古い血の生臭さ。ソリはそれを、ペッ、と吐き捨てた。
(……これは牛ではない。老いた馬の肉を、牛の血と泥炭の煙で燻し、強引に『王の肉』に見せかけた偽造品だ)
宮廷の最高級食材が、安物の馬肉にすり替えられている。その差額――横領された金は、一体誰の懐へ消えたのか。ソリの脳裏に、試験会場でフンッ、と嘲笑ったムジンの歪んだ口元が浮かんだ。
ドカドカッ、ガシャン――厨房の重い扉を蹴破るようにして、ジェハが踏み込んできた。腰に下げられた義禁府の刀が、ジャラリ、と不穏な音を立てる。
「ソリ! 王妃様へ出す膳はまだか。外では典膳司の役人たちが、イライラと急かしているぞ」
ソリは答えず、偽りの肉をジェハの鼻先に突きつけた。
「……お役人様。この肉が放つ『強欲の味』、あなたには分かりますか?」
ジェハはクンクン、と鼻を鳴らしたが、困ったように頭をボリボリと掻いた。
「俺の舌を試すなと言っただろう。……だが、お前がそんなジロリとした目で見る時は、決まってろくなことが起きん」
ソリは無言で、調理場にある「泥炭」の欠片を指先で弄んだ。カチッ、パチパチ……。
「……この肉には、宮廷の蔵にしかないはずの泥炭の香りが染み付いています。つまり、横領は市場ではなく、この宮廷の内部――典膳司の奥底で行われているということです」
ジェハの目が、カッ、と鋭く見開かれた。捜査官としての直感が、その「巨悪の構図」を即座に察知する。
「……奴ら、王妃様の快気祝いまで私腹を肥やす種にしたか。……よし、肉蔵を洗う。案内しろ」
二人は夜の宮廷を、ヒタヒタと影のように進んだ。たどり着いた典膳司の裏蔵からは、グツグツ、ボコボコ……と不気味な煮炊きの音が漏れ聞こえてくる。
スゥーッ、クン――「……間違いない。ここで本物の牛肉を煮込み、脂を抜いてから外部へ運び出している。代わりに馬肉を詰め込み、見た目だけを整えているのです」
バシッ、ドカン!――ジェハが蔵の鍵を破壊し、中に飛び込んだ。そこには、慌てふためき、ガタガタと震えながら帳簿を隠そうとする役人たちの姿があった。
「……義禁府だ! その汚い手をドケッ!」
ジェハが役人を捻り上げている傍らで、ソリは山積みにされた本物の牛肉を、静かに見つめた。その中に、ムジンの刻印が押された新しい厨房の設計図が、ポツン、と置かれていた。
翌朝。
ソリはあえて、あの「偽物の肉」を極限まで美味そうに調理し、ムジンの前へと運んだ。
ハグッ、モグモグ……――「……フン、昨晩の騒ぎは聞いたが、味は確かだな。やはり肉は脂の乗りがすべてだ」
ムジンが満足げに喉をゴクリ、と鳴らした瞬間、ソリは冷ややかに言い放った。
「……その肉のギトギトとした脂の音。横領という罪の味がして、さぞかし美味でしょう? ……あぁ、今頃、典膳司の役人たちがあなたの名を『スラスラ』と白状している頃ですよ」
ゲホッ、オエッ!――ムジンが激しく咽せ、喉をカハッ、カハッ、と鳴らしながら崩れ落ちる。
ソリはその姿を背に、スタスタと立ち去りながら、心の中で父に告げた。
(……父様。奴らの喉を焼く『真実の味』、二皿目も美味しく仕上がりました)




