召喚された聖女がおっさんだった件。~聖女召喚された事故調の野良犬は奇跡を科学で解体します(※BL要素あり)~
「やったぞ! 聖女召喚が成功したぞ!!」
「聖女様、ようこそおいで下さいました、どうか我々を、……ぇ?」
歓喜の声が戸惑いに代わるまでそうはかからなかった。
それもその筈である。召喚用魔法陣の中心で呆然とした顔で座っているのは、――おっさんだった。
くたびれた白衣、おしゃれさの欠片もない黒縁眼鏡。寝ぐせだらけの髪に三日は剃っていないであろう無精ひげ。
まごう事なくおっさんである。
「ま、まさか、失敗したのか!?」
「いえ、魔導計測器によりますと、間違いなく彼女、いえ、彼は聖女としての資質を有しています」
王族らしき美貌の青年に詰められたローブの男が慌てて被り振る様子に、おっさん、こと火野清貴はずり落ちかけていた眼鏡をかけなおす。
「では、このおっさ、いや、この御方が間違いなく聖女様だと?」
「はい、その、数値上は間違いなく聖女様です」
その場にいた全員の視線が困惑しながらも清貴に集まる。
清貴はコキリっと首の骨を鳴らすと、気だるげにそっと手をあげた。
「あ~……、素人質問で恐縮ですが、資質としての数値に性別が左右されるか否かについて、今まで疑問視された事はなかったと言うことでしょうか?」
「は?」
「え?」
戸惑って間抜けに口をあけた王族とローブの男に、清貴はコキリっともう一度首を鳴らした。
火野清貴、42歳。地球物理学を専門とする大学教授である彼は、意外にも現状を正しく理解していた。
これはいわゆる『異世界召喚系』の中の『聖女召喚もの』に分類される事象なのだろう。
なぜ清貴がそんな事を知っているかといえば、知識欲モンスターのかなしき性質によるものだ。知らないものは取り敢えずなんでも喰い漁る。目についた活字は新聞から電車の中のつり革広告にいたるまで取り敢えず読んでしまうのだ。
当然のこと、SNSで何度も表示される漫画広告も目に入る。その中で幾度か見かけたパターンであると清貴は速やかに分析した。
分析したが、……自分が聖女だという部分は、清貴の頭をもってしても「ちょっと意味が分からないですね」だった。
完全に宇宙猫案件である。
「と、とりあえず、聖女様、こちらの御召し物をどうぞ」
「着替えなくちゃダメ?」
取り敢えず聞いてみたが駄目なんだろうなとも思う。
ここ数日、研究室で寝泊りをしていた清貴の服はお世辞にも清潔感があるとは言い難く、白衣はあちこちに染みがついている。
しかし受け取った衣装はどう見ても『聖女様』をイメージしたものだった。
現世でいうシスターっぽい服である。それもちょっと萌え要素入りの。
「……これって誰が用意したのか分からないけどかなり小柄な子を想定してるよね。その割にやたら胸部はゆとりがある。普通、召喚した相手の体格が未知数な場合は大き目の衣装を用意すべきところを、小柄で巨乳の女の子しか想定していなかったとか、聖女に夢見過ぎな童貞かな?」
「ぐはッ!!」
吐血でもしそうな擬音を吐いて倒れたのは妙に見目のいい神官の青年だった。
これがゲームなら『攻略対象』とやらの一人だろうが、いい年こいたおじさんからすれば青臭すぎるガキだった。
「取り敢えずおじさんがこれ着ると犯罪になりそうだから君の衣装を貸してくれる?」
「な、なぜ、そのような無体を!?」
「いや、驚くところじゃないでしょ。君の聖女様理想像が童貞過ぎた結果なんだから責任とってこっちを着なさいな」
「……仕方ない、アレス、聖女様にお前の衣装をお渡しして、お前は用意した衣装を着ろ」
王族らしき青年の無慈悲な発言に神官アレスは分かりやすいほどに絶望した。
「っく、仕方ありません。これもまた神の試練、……」
別に神様はそんな試練与えてはいないだろうと思ったが、あえて口には出さなかった。
かくして神官衣装を身に着けた清貴は、改めて聖女召喚に関しての説明を受ける運びとなった。
「……はぁん、つまり話をまとめると、とある湖で定期的に発生する瘴気をクリスタルに封印するために聖女召喚を行っている、と」
宇宙猫案件ではない。現場猫案件だったことが判明する。
「その通りです、聖女様。突然のことに戸惑っているとは存じ上げますが、是非ご協力を頂きたく……!」
王族の青年はなぜかおじさんの手をぎゅっと握って顔面偏差値の高さをむやみやたらに振りまいてくる。
神官アレスはシスター衣装で恥ずかしそうにくねくねしており、それ以外の者たちは表情が完全に死んでいた。
清貴は情報を整理し終えると、「なるほど」と大きく頷いた。
「それじゃあ、現状把握から始めよう。
周辺地域の等高線入り地図、直近十年の気候ログ、それから……あぁ、人的被害だけでなく、家畜の全滅地点をプロットした分布図も用意してくれ。農作物の枯死状況もだ。
各部門の専門家は後回しでいい。僕が今すぐ話したいのは、現場責任者と第一発見者、それから遺体を検分した奴の生の声だ」
てきぱきと話をはじめる清貴に、皆が唖然とした顔になる。
清貴は構うことなく急かすように手を叩いた。
「急げ、災害は待ってくれないぞ! まずはタイムラインの組み立てを優先する」
火野清貴。
一見冴えないおじさんであるこの男は、別名「事故調の野良犬」の異名を持つ、災害現場のプロファイラーであった。
事故調、こと、事故調査委員会とは。
複数の要因が絡み合って発生した大規模事故、大規模災害を調査し、原因の究明、再発防止策を検討する機関である。
委員会では初動調査のスピードを重視し、調査が必要と思われる案件が発生するとただちに調査員を派遣する。
清貴は、特定のインシデントにおいて、国家から調査権限を委嘱される外部スペシャリストであった。
たとえば雪崩を原因とした複数車両による玉突き事故が発生した場合、なぜ雪崩が防雪柵を乗り越えたのか、車両の損傷から雪崩発生当時の状況を推測する、などが役割となる。
つまり清貴にとって、定期的に瘴気を発生させる湖は、『恒久的な対策がなされていない、放置された重大インシデント』であった。
「聖女様、こちらが現地の出来る限り詳細な地図になります。聖女様の言う等高線入りの地図、というのはございませんでした」
「分かった。それじゃあ現地に詳しい人間から聞き取りを実施する」
王宮の一室、通常、予算の取り決めなどの話し合いに使われる会議室は、すっかり清貴のブリーフィングルームになっていた。
テーブルには所せましと様々な資料が積み上げられ、慌ただしく人の出入りがある。
「聖女様、ここ十年の気候ログに関しまして、王宮内での資料はございませんでした。ですが、現地付近の教会の神父が毎日かかさずにつけている天候記録があると申し出てまいりました」
分厚い記録帳を何冊も抱えてやってきたのは神官のアレスだ。
なぜか未だに「これも神の試練」と悲痛な顔で語りながら、シスター衣装を身に着けている。そこそこに体格がいいものだから、全身ぱつぱつだし、スカートの裾からは逞しい生足がお目見えしている。
清貴は「きっと神官もストレスが多いのだろう」と見て見ぬふりを決め込んでいた。
「それじゃあ、記録をもとにしたヒストグラムを作成してくれ。特に、噴出時期と気温の相関が見たいから、可能なら散布図も頼む。
それと、早朝に霧が出ていたか、風が止まっていたかの記録も拾い出しておいてくれ。空気の停滞を確認したい」
清貴は一度言葉を切って思案する。
「神父なら日記に私見を書いてるはずだ。『湖の魚が浮いた』とか『鳥の鳴き声がしなくなった』とか、些細な違和感をすべて書き出せ。井戸水の水位や温度の変化、あるいは濁りについての記述がないかチェックしてくれ。地熱の影響を絞り込みたい」
「分かりました」
王宮の貴族たちは清貴のやり方に懐疑的であったが、真っ先にその有用性に気付いたのは魔術師たちだった。
彼らは未だ自分たちが解明出来ていない事象を分かりやすく噛み下いて説明する清貴にいともあっさり傾倒した。
魔術師たちもまた知識欲モンスターであり、彼らにとって新しい知識の匂いは極上のスイーツだったのだ。
お陰で清貴は、知識欲旺盛な魔術師たちにすっかり懐かれ、テーブルの周囲には彼らが持ち込んだちょっとした休憩用のお茶やお茶菓子が溢れている。
なによりも助かったのは、彼らが進んで清貴の研究を手伝いたいと名乗りを上げたことだった。
実際には名乗りをあげたどころの騒ぎでなく、国中の魔術師という魔術師が押しかけてきた。
その中から選りすぐった魔術師たち、……本来ならば、魔塔で教鞭をとるような魔術師が手足となって働いてくれているのだから、これほど頼もしいことはない。
「やぁ、僕の小鳥! そろそろ休憩にしないかい!?」
バァンっとドアを開け、紅茶セットを片手に入ってきたのは王族の青年、第一王子のナサニエルだった。
相変わらず顔面偏差値を無駄使いしながら、きらきら笑顔を振りまいて何度も尋ねてくるナサニエルは、清貴にとって目下、一番の難題だった。
「お茶は助かるよ。そこに置いておいてくれ。君は回れ右して帰って欲しい」
「つれないじゃないか、僕の小鳥! 少し休んで僕と一緒に愛を囀るのは如何かな。君の愛らしい眉間に皺が寄ってるのは見てられないんだ」
「僕の顔に皺がよってるのは加齢のためか、君が邪魔をしにきて鬱陶しいと思っているかのどちらかだよ」
清貴はいかにも煩わしい様子で溜息を吐くが、ナサニエルからしてみれば十分に注意をはらうべき存在だ。
胸元を寛げた神官服から覗く鎖骨のラインは意外なほど鋭く、不摂生な生活が生んだ痩身は、王宮の華やかな男たちとは違う、枯れた男の危うさを醸しだしている。
計算尺を操る指先はいかにも男らしく節くれ立っていたが、爪先は清潔に整えられていた。
その長い指が、時折眼鏡のブリッジを押し上げる仕草を盗み見ている者の多い事と言ったら。
「相変わらず僕の小鳥は手厳しいな。……そうそう、僕の小鳥が喜びそうなお土産も持ってきたんだよ。はい、これがパチュミアン湖で歴代の聖女がクリスタル化させた瘴気だ。これがあれば、……」
「助かる」
清貴はナサニエルの手から問答無用でクリスタルをぶんどった。
清貴にとってこの王子の厄介なところは、ただの阿呆ではないところだ。
必要な事をわきまえいる。
聖女に対して懐疑的な貴族を抑えるために、あえてブリーフィングルームから距離を取りつつ、必要があればやってくる。そうして何故か、「王子は聖女を口説くもの」だという強すぎる義務感を持っている。
最後がひたすらに余計だった。
「なるほど、これが聖女のクリスタルか。予想通り、内部温度はかなり冷たい。魔法で無理やり結晶格子の形を保たせているが、内部の応力は安定してるとは言い難いな。……こいつが、湖の上に浮かんでるんだって?」
「ああ、その通りだよ、僕の小鳥。この城と同じくらいの巨大なクリスタルが湖面の上で輝いていてね。その美しさから遠方からわざわざ訪れる観光客もいるほどだ」
「……なんつった? この城と同じサイズだって?」
「そうだよ小鳥、この城と同じくらいのサイズのクリスタルだ」
ナサニエルはにっこりと笑う。ただ瞳の奥は怜悧な色が宿っていた。彼は本能的に危険性を察知しているのだろう。
清貴はつい先ほど魔術師によって書きあげられたヒストグラムに視線を走らせる。
「年々の気温上昇はクリスタルがレンズの役目を果たして圧縮された太陽光が湖面を温めているせいだな。水温が上がればガスの融解度は減少する。こら、思ったより不味い状況だぞ」
壁一面に貼りだされた様々なグラフ、届けられたクリスタル。
「パチュミアン湖は切り立った断崖に囲まれたカルデラ湖、周辺地域は年間を通しての気温差が少なく温暖な気候。
風は周囲の断崖によって防がれ、湖面はさざ波すらほとんどたたず、”鏡面のように美しい”とも言われている」
清貴は書きだされた事象を一つ一つ読み上げていく。
「瘴気の噴出はかつては50年周期だったが、昨今では徐々に周期が早まってきている。
10年前、聖女召喚に失敗し、瘴気が放出されたさいには周辺区域の村々が家畜を含め全滅、ただし、湖より高地に寝泊りをしていた羊飼いは生き残った。
被害者は睡眠中に突然死したものが大半。肌の一部に熱傷のような痕跡が見られた者も存在する」
それらが導き出した答えに清貴は唸るような声を漏らす。
自然科学、あるいは地質学を齧ったことのあるものならば誰でも知っている有名な事象。
定期的に瘴気を吐き出す湖は、ニオス湖のインシデントと酷似していた。
「あー、これよりパチュミアン湖における重大インシデントの発生原因と現状の危険性について解説する」
円形会議場はかつてないほどの緊張感に満ちていた。
壁際にはすし詰め状態で聴講者が立ち並び、今日という日は貴族派の者たちもずらりと雁首を揃えている。
円形会議場は中央に向かって徐々に低くなっており、今日はその中央に魔導工房で作られた巨大な強化ガラス管が置かれていた。
清貴はガラス管の傍らに立っており、その手にはクリスタルを持っている。
「このクリスタルは、パチュミアン湖の瘴気を聖女の力によってクリスタル化したものです。
これを使って、現在のパチュミアン湖がどのようになっているかを実演する。
なお、この実演は危険が伴うため、見学者の皆さまに置かれましては間違っても上段から移動しないようにして頂きたい」
清貴は会議場の面々を見渡したあとに、クリスタルをガラス管の底に投入した。
「これより、ガラス管の中に高濃度の魔力抽出液を抽入する。
水ではなく、魔力抽出液を使用するのはパチュミアン湖の”水圧”を再現するためだ。
このガラス管サイズでは、水底と同じだけの水による重量は再現できない。そのため、水よりも重い魔力抽出液を使用する」
複数人の魔術師たちによって運ばれてきた魔力抽出液がゆっくりとガラス管に注がれていく。
「さて、この状態でクリスタルを元の状態、……瘴気に戻すとどうなるか……」
清貴の言葉に会議場は緊張に包まれた。すぐにでも逃げ出せるよう身構えている者も多数いる。
清貴は”聖女の力”、――事象の固定化を解除する。
そう、清貴がさまざまな文献を読み解いて知り得た聖女特有の能力とは、魔法によって性質を変化させた物体を”固定”するというものだった。
つまり、大地を豊かにする豊穣の祈りは、育成魔法をかけその状態を”固定”するもの。万病を治す奇跡の祈りは、回復魔法をかけた状態で”固定”し、つまり永続的にリジェネ効果を付与することで、病を治し続けるというものだったのだ。
瘴気のクリスタル化は、現代風に言うならばガスをドライアイス化した状態で”固定”しているものだった。
「……ご覧の通り、噴き出した瘴気はまず魔力抽出液に混ざりこんでいきます。
しかし、それが一定量を超えると、……混ざり切らなくなった瘴気がガラス管の底に沈殿する。
例えるならば、そう、……紅茶に砂糖をどんどん加えていくと、途中から混ざり切らなくなり、カップのそこにざらざらと溜まっていく、それと同じ状態です」
なるほど、と貴族たちも納得した様子で頷いた。
「その状態のまま、カップに砂糖を注ぎつづけたらどうなるか。
砂糖ならば、沈殿していくだけですみますが、瘴気はもともとは気体です。
気体は水の重さによって圧し潰され、ある程度までは圧縮された状態を保ちますが、これは安定してるとは言い難い。
ちょっとした振動、あるいは何も起こらずとも”どこかの時点で必ずバランスが崩壊”する。
そうして、水底に溜まった瘴気が一気に溢れ出す」
瘴気が十分に溜まった頃合いを見計らい、清貴はガラス管を拳で叩いた。
ほんの僅かな振動。だがその瞬間、水底に溜まった瘴気が揺らぎ、その一部が浮き上がってボコリっと爆ぜる。
ヒィっと方々で悲鳴があがった。
「落ち着いて下さい。この量の瘴気であれば危険はありません。しかし念のため、下段には降りないようにしてください。
瘴気は空気より重いため足元に溜まっていきます。
高地で寝泊りをしていた羊飼いが無事だった理由がそれです」
清貴がぐるりっと会議場を見回してから、再び口を開いた。
「これが、パチュミアン湖で繰り返されている悲劇の正体です」
会議場はしばし騒然となった。
顔を見合わせ早口でまくし立てる者もいれば、思考を整理しようと沈黙している者もいる。
最初に手をあげたのは有力貴族の男だった。
「原理は理解できました。ですが、それが何だと言うのでしょうか。今まで通り聖女様のお力で瘴気をクリスタルに変えてしまえば、なんの問題もないのでは?」
「大ありです」
清貴は即座に切って返した。
「まず、実質的な問題点についてお話しましょう。
現在まで大量の瘴気が聖女の力によってクリスタル化され、それはパチュミアン湖の水面に浮かんでいます。
そのサイズはこの城と同じくらいの大きさまで巨大化しているとか。
ここ数年、パチュミアン湖の周辺の気温が上昇し続けているのはご存じですか?」
問いを投げると、多くの者たちが頷いた。
「それは、巨大なクリスタルが太陽光を集めるレンズの働きをしており、それによって湖の温度があがっているからです。
この状況が続けばどうなるか。
湖の温度が上昇すれば、瘴気が溶け込むことの出来る許容量が減少します。
さらに、瘴気を硬化させたクリスタル自体も融解する可能性が出てきます。
もしあれほど巨大なクリスタルが崩壊し、湖に落下した場合、……瘴気はパチュミアン湖周辺だけでなくこの国全体を覆い尽くすことになるでしょう」
ひっと誰かが息を飲む音が聞こえた。
王都で暮らす者たちはパチュミアン湖の危険性を理解しつつ、自分たちにまで被害が及ぶとは想像していなかったに違いない。
「ですので”瘴気をクリスタル化する”という手法は将来的に、より大きな危機を招くことになりかねない」
貴族たちは怯えた顔で囁きあい、魔術師や学者たちは低く呻きながら頷いた。
「第二に、聖女召喚という外部の存在に頼るしかないというシステムの脆弱性です。
十年ほど前には召喚の儀式が失敗し、瘴気が溢れ出したこともあると聞いています。このような方法は解決策とは言い難い。
国家が主体となって恒久的に管理可能な方法を模索することこそ、真の解決策と言えるでしょう」
「聖女様の仰りたいことは理解できました。しかして、その恒久的な管理方法とはどういったものでしょうか?」
即座に反応を示したのは財務大臣で、さすがは金の匂いに嗅覚が鋭いようだった。
「もっとも簡単な方法は、物理的なガス抜きです。湖の底へ管を刺して瘴気を常時抜き続ける。
この方法を用いれば瘴気が人体に危険を及ぼす濃度になる前に放出することが可能です。
ただし、湖底まで届く長さと強度を兼ね備えた”管”をどのように調達するかは、今後の重大課題となります」
すぐに解決法がないと聞けば、あちこちで落胆の溜息が漏れる。
そんな中で手をあげたのは騎士団長を務めるいかにも無骨な男だった。
「聖女様のお役にたてるかは分かりませんが、……一つ思い当たることがございます。
数年前に、ココラド山に巣食う火竜の退治に向かった時のことでございました。見事、火竜を退治せしめたのは良いものの、その帰路にて山道が崩壊し、騎士団の一部が洞窟に転落してしまったのです。
内部には防具も溶かしてしまうような危険な瘴気がたまっており、それを排出しなければ後にも先にも進めないという有様。
しかし同行した学者の機転によって、退治した火竜の”腸”を使って瘴気を抜くことに成功したのでございます」
「なるほど!」
清貴は興奮して身を乗り出したが、別の学者が首を振った。
「しかし、火竜の腸はせいぜい20メートルほどしかありません。湖の底まではとうてい足るものではないでしょう。
繋ぎあわせれば長さを確保することは出来ますが、経年劣化の可能性は否めません」
「……火竜、……火竜の退治と言ったね。つまり火竜とやらは人や家畜を襲う、肉食性という認識で間違いないかい?」
「はい、その通りですが……」
「ふむふむ、なるほど。それじゃあ、草食性の竜というのも存在するのかな? 火竜と同じくらいの大きさの」
「それならば、王国北部にグランガラムという草食性のドラゴンが存在する。サイズも一般的な火竜の3倍以上だ」
即座に答えたのはナサニエル王子だった。
清貴は思わず手を叩く。
「素晴らしい! 草食の動物の腸は肉食動物よりも5倍~10倍以上の長さがある。消化中の発酵ガスを排出させるために筋肉層があつく伸縮性も高いんだ。これ以上ないほど、相応しい!」
「では!」と立ち上がったのは先ほどの騎士団長だ。「我ら白鳳騎士団がすぐにでもグランガラムを狩ってご覧にいれましょう!」
「グランガラムの討伐費用と、聖女召喚にかかる費用とでは、前者の方が安上りにすみますな」と財務大臣も頷いた。
「それじゃあ僕は一足先に現地へ向かって瘴気溜りの正確な位置を計測する。調査に強力してくれる者はいるか?」
清貴の声に、会議場にいた魔術師と学者はこぞって同行を申し出た。
パチュミアン湖周辺はお祭り騒ぎになっていた。
清貴を中心とした魔術師や学者の一団に加えて、グランガラムを運搬してきた騎士団たち。湖に管を設置するための技術者たちだけでも相当な人数になっていたが、それに加えて清貴の噂を聞きつけた周辺各国の知識人がどこからともなく沸いてきたのだ。
人が集まるとどうなるか。
さらに人が集まるのである。
事情はよく分からないが何かあるらしいという物見遊山の貴族たちが集まってくれば、それを目当ての行商人もやってくる。
かくしてパチュミアン湖周辺は多くの人々でごったがえし、大変な騒ぎになっていた。
「一歩間違えたら大惨事だってのに、呑気なもんだ」
高地に設営した野営地から、清貴は呆れた顔でごった返す人々を見つめていた。
眼鏡ごしの視線は剣呑というよりは諦観で、さしたる感情の色はない。
ガス抜き作業の準備は着々と進んでいる。魔術師たちの技術と、清貴の知識によって湖底を探るソナーを作成した。これにより、管の挿入地点を確定し、アンカーをつけて投下する準備が進行中だ。
草食龍グランガラムの腸は脅威の400メートルに達しており、ガスの排気口も湖周辺の村々から離れた安全な地域まで延長できることも分かっている。サイフォンの原理でガスを吸い上げるために管を真空にする手段も、風魔法によって成立することが確認済だ。
「やぁ、僕の小鳥。こんな所にいたんだね」
背後から聞こえる声は振り返るまでもなくナサニエルだ。
ナサニエルは清貴の傍らまでやってくるとパチュミアン湖を見下ろした。
「まさかパチュミアン湖の瘴気が恒久的に解決できるなんて思ってもみなかったよ。すべて君のお陰だ」
「現場じゃそうやって気を抜いた時が一番危ない。喜ぶにはまだ早いぞ」
清貴が静かに返すと、ナサニエルは肩をすくめて眉尻を落とす。
「君の献身には心から感謝しているんだ。王子としてだけでなく、一人の人間として貴方を尊敬している」
「確かに、無辜の民を救うのは僕の使命だ。だが僕が協力したもっとも大きな理由は、今後いっさい聖女召喚などという愚行が繰り返されないためだ。
ナサニエル王子、あなたはそうやって聖女に気を遣い、癒す事を公務と心得ているようだ。実際、かつての聖女たちもその気遣いによって癒された者もいるだろう。
だが、残された者たちのことを想像した事はあるかい?」
清貴は振り返るとまっすぐにナサニエルへ視線を投げた。
平均的な東洋人である清貴はナサニエルに比べ小柄であったし、武人でもなければ体格も決していいとは言い難い。
だが、清貴の瞳は、……事故調として現場を渡り歩いてきた男の目は、歴戦の将にも劣らぬ鋭さだった。
厚いレンズ越しの双眸は、王族の男を臆することなく見つめている。その黒い瞳に宿るのは知識という名の深淵だ。
「僕はね、様々な事故の現場を訪れた。残された者というのは悲惨なんだよ。彼らはその後の人生に”後悔”の二文字を刻み込まれる事になる。
何か出来ることがあったのではないか。何か予兆を見逃したのではないか。
なにか、なにか、なにか……、永遠にその問いを繰り返す。そして、その問いかけに答えてくれる者は二度と戻って来ないんだ。
とくに、犠牲者が発見されない場合はなおさらだ。残された者は”希望”の名を借りた”絶望”とともに生き続ける。もしかして生きているんじゃないか、という予感は時として死よりも重い」
「それは、……」
絶句するナサニエルに清貴は微かに笑う。
「ただ、僕が君の立場であったならば、例え残された家族の苦難を知っていたとしても、聖女を召喚するという選択をせざるを得ないだろう事も理解する。僕自身は天涯孤独の身の上だ、個人として恨んでる訳じゃない」
ナサニエルが言葉を返せずに俯いていると、ふいに野営地が慌ただしくなり、伝令の兵が走ってきた。
「申し上げます! パチュミアン湖の住民たちが瘴気抜き作業を妨害すべく暴動を起こしております!」
「なんだって?」
ナサニエルが問い返すと、伝令兵は緊張した面持ちで背筋を伸ばす。
「住民たちは、今後少しずつクリスタルを解体する予定であると聞いて混乱しております。湖周辺の村々にとって、クリスタル目当ての観光客は重要な資源になっていました。クリスタルが失われる事によって自分たちの生活が脅かされると、そう思っているのです」
「ああ、……ったく、人の本質ってのはどこに行っても変わらんもんだなぁ」
溜息を吐いて歩き出そうとする清貴を、ナサニエルが手で制した。
「僕の小鳥、……いえ、清貴。あなたは現場の指揮を続けて下さい。国民の矢面に立つのは僕の仕事です。
僕は貴方の代わりにはなれない。ですが、貴方がしなくても良いことを引き受けることは出来ます」
ナサニエルの言葉は、静かで、しかし確かに王族の覚悟としての重みがあった。
そうしてナサニエルは迷いもなく歩み出す。
後ろ姿を見送りながら、清貴はその言葉に密かに感動を覚えていた。
現場でも似たような事はたびたびあった。恒久的な対応と観光資源や住民の意思とか噛み合わないことは起こり得る。だが進んで矢面に立つ人物など滅多にいない。面倒な問題は盥回しにされ、それが現地の調査員にまで降りかかってくることも多々あった。
あまりにも単純な話だが、研究者という立場にある清貴にとって”煩わしい事は引き受けるからお前は研究に専念しろ”と言う上司は、喉から手が出るほど欲したものだ。
「ふむ、これは、……参ったな、ここの鳥かごは案外と居心地がいいらしい」
清貴は無精ひげの顎を撫でながらにんまりと笑う。
勿論、小鳥でいる気は微塵もないが、居心地の良い巣は大歓迎だ。
ここにはいない神官のアレスも、聖女が神聖力以外を用いて事象の解決を目指すことに反対した教会に対して、緩衝材として熱心に立ち回ってくれている。
「さてそれじゃあ、存分に羽を伸ばしてお仕事をさせて貰うかね!」
ぱんっと手を叩く清貴は、ここへ来て初めて満面の笑みだった。
かくしてパチュミアン湖のガス管設置作戦が決行される。
「各員、最終チェック。これよりグランガラム一号管の沈設を開始する。全系統、ステータス報告!」
魔導通信機片手に清貴の鋭い声が飛ばせば、すぐに応答がかえってくる。
「第一魔導部隊、通信良好。各中継地点の同期、完了しています!」
「アンカー部隊、準備完了! 聖女様の合図で一斉投下いたします!」
「よし。沈設開始! アンカー、リリース!!」
パチュミアン湖上に設置された仮設基地から、湖底に向けてアンカーが投下される。
湖畔に集まった群衆は、息を飲んでその様子を見つめていた。
「アンカー投下確認! ラインへの注水開始。現在、深度40、60……内部の空気を完全にパージしろ! 浮力を殺せ!」
「第三注水班、水魔法による強制充填開始! 一号管、満水になります!」
「第五監視塔より報告! 一号管のたわみ無し。潮流による流されも許容範囲内です!」
「深度150……180……まもなく湖底。目標の『瘴気溜まり』直上です」
計測用魔動機を持った学者が慎重に数値を読み上げる。
一歩間違えれば大惨事が起こりうる。湖底の瘴気を不用意にかき混ぜれば、いつ爆発が起こるか分からない。
清貴はじんわりと汗が浮かぶのを感じながらも、極力感情を押し殺す。
「慎重にいけ……。ラスト10メートル。三、二、一……接地!」
「接地確認! センサー反応あり、管の先端が目標地点に到達しました!」
野営地に集まった学者や魔術師たちの間から安堵の息が漏れる。
だが本番はここからだった。清貴は通信機を握りしめる。
「管接続解除! フロート、切り離せ! 次、風魔法部隊、管内の排水準備!」
「風魔法部隊、スタンバイ! 管のアウトレットに真空圧を発生させます!」
「カウント開始。五、四、三、二、一……バキューム・オン!」
「フルドライブ! 管内の水を一気に引き抜きます!」
ドォンと爆音が響き、管の先端から大量の水が噴き出した。
管の終着点は湖から離れた地点にあるものの、一気に立ち上る水柱と振動は野営地でも十分に確認できる。
「排水完了!……インジケーター反応! 管内の圧力が急上昇、気化反応が始まっています! 自律吸引まであと一息!」
「……来い……、来い、頼む、来てくれ――ッ!!」
清貴は拳を握りしめる。
わずかな沈黙。
――暫時、管の先端から白い水蒸気が轟音とともに噴き出した。
野営地でどっと歓声が湧き上がる。
「噴出を確認! フロー安定! サイフォン成立しました! 瘴気抜き、成功です!!」
肩を叩き、抱き合って喜び合う学者や魔術師を見つめながら、清貴は大きく息を吐き出しずるずると椅子に沈み込んだ。
圧し掛かってくる疲労感は、だが今までにないほどに心地よい。
「ああ、悪くない、悪くねぇな」
清貴は汗ばんだ拳を握りしめる。その目には新たなる決意が宿っていた。
パチュミアン湖の惨劇を退けたその日は、歴史に刻まれる最初の一歩となった。
数ヶ月後、設立された『大陸事故調査委員会』の初会合において、清貴は壇上に立っていた。
かつてのくたびれた白衣ではなく、ナサニエルが特注させた濃紺の正装を身に纏っている。眼鏡の奥の鋭い瞳はそのままに、無精ひげは整えられ、こびりついていた目の下の隈も今は薄くなっている。
「……以上が、周辺諸国との共有を提案する、次なる安全基準だ」
清貴が書類を置くと、会場を埋め尽くした各国の大使や学者たちから、嵐のような喝采が巻き起こった。
その背後、一歩引いた位置には第一王子ナサニエルと、未だに「これも神の試練」と呟きながら、シスター衣装を纏ったアレスが控えている。
聖女の「奇跡」が、科学という「知恵」へと昇華された瞬間。
その活動は国境を超え、未曾有の災害から人々を救う、強固な平穏の礎となっていく。
おっさん聖女・火野清貴。
彼がもたらした真の奇跡は、湖の底から毒を抜いたことではない。
絶望を「分析」し、明日への「対策」へと変える勇気を、この世界に根付かせたこと。
それこそが正に、彼が成し遂げた最大の、そして最も華々しき偉業であった。




