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燃ゆ瑠璃  作者: 藤岡
6/6

独奏

ルリの背中は震えていた。声も、今にも凍りつきそうだった。


「お母さんはね、結婚する前はピアニストだったらしくてさ。そう聞くとピアノにも厳しそうって思うよね。でもそんなことなくて、私のピアノをいつも褒めてくれてた。」

振り向いたルリの瞳に浮かんだ涙は、母親との思い出を滲ませていた。

僕の心臓が強かに脈打つ。とても、他人事とは思えなかった。

「お医者さんから診断を受けた時、余命半年って言われたんだ。すごいよね、まだ、生きてるなんて。でもきっと、来年は迎えられない。だから、このピアノはどこまでも大切なの」

「全日本ピアノコンクール…」

「そう、私の演奏も、きっとそこで最後になると思う」

窓から突き抜ける風が彼女の涙を拐い、とめどない哀しみが木製の床にこぼれ落ちた。

僕は言葉を探した。

「ルリのピアノに感動した。でも、僕にこれ以上のアドバイスはできないよ」

「…いいの、」

ピアノに立てかけてあった楽譜を外し、スクールバックから取り出した楽譜に入れ替える。

「私はタツに感情表現を教わりたい訳じゃない。ただ、タツに聴いてほしいだけ」

凛とした佇まいでピアノスツールに座り、そっとペダルに足を落とし、ささやかに指先で鍵盤をなぞった。

「聴いて、私のピアノを」

"ラ・カンパネラ"。忙しない切なさの中に確かな美しさ、愛を感じる。

(あぁ、ルリ。君は今、僕の思い出の只中にいるんだね)


音が止まり、静寂だけが残った。

ルリはそっと手を離し、息をつく。

「…どうだった?」

そのまま、真っ直ぐ僕を見た。

「大好きなんだね、お母さんのこと。それがよくわかる良い演奏だった。でも……」

そこから先の言葉が、どうしても出てこなかった。

昔の自分が、頭に浮かんだからだ。

あの頃の僕も、同じように、独りよがりに弾いていた。

「わかるよ、タツの言いたいこと。これを全日本で弾くなんて、二つの意味で無謀……それでも、私は、私の積み上げてきたものを裏切らない」

彼女の言葉を聞いて、確信した。

「これで、ピアノを辞めるつもりなんだね」

ルリは悲しそうな笑みを浮かべ、頷いた。

「うん…」


朝の陽光が音楽室に射し込む。もう、始業の時間だ。

「教室行こ…遅刻しちゃうよ」

ルリの声はまだ少し、どこか落ち込んでいるようだ。

「うん…行こっか」

楽譜をスクールバックに仕舞い、音楽室を去る。

「それにしてもすごいね、全日本コンクールなんて。地区大会とブロック大会は通過したんだ」

改めて、思っていたことをルリに伝えた。

「うん……でも、逃げてたのかも。ピアノに向かってる間は、何も考えなくてよかったから」

ふっと息を吐いて、視線を落とす。

「お見舞いも、あんまり行けてなくて」

ルリは少しだけ笑った。

「……そのまま、何かあったらどうするつもりだったんだろうね」

ルリの声はさらに深く沈んでゆく

「…ごめん、こんなこと言われたって、困るよね」

「そんなことないよ。ルリの気持ち、よくわかる。それに、ルリがお母さんのこと大好きだって知ってるよ」

「…ありがとう」

自分で言っておいて、少し気恥ずかしくなった。

僕はそのまま、視線を外した。


教室が近くなった時、ルリが足を止めた。

「ごめん、先行って」

変な噂を流されたくないのか、ルリは僕とは時間差をつけて教室に入りたいようだ。

「うん」

簡素な返事をして、僕はルリと別れた


(ルリ、そういうの嫌なんだ)


さっきまでの距離が、急に遠くなった気がした。

そう思っただけで、なんとなく足取りが重くなった。

冬の空気は、やけに冷たかった。

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