絵画との出会い 蓮華草(れんげそう)
僕は殴られた。私が何をやらかしたのかは覚えていないが、僕は殴られた。夜僕はどなられ、殴られとにかく怖かった。今これを書いている私も震えている。僕の殴ら得れた箇所は顔だ、字になりそうな程の強さで殴られた。僕は怖かった。腕を両手で握られて思いっきりひねられた。痛かった。僕は怖かった。僕は私は夜が好きだ。どんなに嫌な日も絶望しても夜が来れば一日が終わらる。寝ている間は何も考えずに済む。だから夜が好きだ。夜遅くまで怒鳴られた。たくさん泣いた。僕は部屋の布団でたくさん泣きながら寝た。
朝がきた。空は晴れ、蝉は鳴き、花が咲く、ああ今日が始まると、また絶望の一日が始まるのだとそんな何の変哲もない僕の普通の朝だ。当時は風邪が流行ってたからマスクをして登校した。僕は目が悪いから、メガネをしていた。マスクをしてメガネだ視界が悪かった、なんとなく前を向く気に離れず下を向いて歩いた。そうするとほぼほぼ前が見えない。電柱に頭をぶつけた。下には紫色の花が一輪咲いていた。涙が出た。僕はもしこの世に神なる存在がいるというならば「なんて最高な世界を創ってくれたんだ、もう最高だと」そう言ってやり、泣きながら祈りたくなるような気分だった。学校についてからは頭が痛かった。これはぶつけたのではなく、偏頭痛だった。保健室で休ませてもらった。7月だったが熱く熱中症での体調不良がたくさんいたらしい。保健室のベットは埋まっていた。僕は保健室の机に突っ伏した。この保健室でも花の切り花があった。朝に見た紫色の花が咲いていた。そのうち僕はマスクを邪魔に感じた。保健室の先生は僕の顔を見た。少し驚いた顔をしていたと思う。どうやら僕の顔には痣ができていたらしい。どうしたのかと聞かれた。最初は何でもないと答えた。何度も聞かれた。時間を置かれたり、他の先生に聞かれたりした。安心してもいいと守ると言ってくれた、殴られたなら、それはおかしい、どんなことがあろうとも殴て良いことはないと先生は言ってくれた。最初は話してもよいのかと迷ったが僕は話した、自分が何かしらやらかしたこと、殴られたこと、過去には追い出されたこと食事を抜かれたこと。ものを投げられたことその他諸々。
泣く気はなかった、しかし過去のことを話すに連れ涙が出た。最初は目がうるみ、気づいたら号泣していた。幾らか胸が楽になった。当時の精神状況は今考えると危なかったのかもしれない。もしここで思いを吐き出さなかったら、どこかで自殺をしていたかもしれない。先生には感謝の念に耐えない。話は戻り、先生は児相に連絡を入れると言った。最初児相とは何なのかわからなかった。どうやら児童相談所のことらしい、僕は大事にはしたくなかった。僕に原因があるからと、保護がどんなものかもわからないし、今後どうなるのかもわからず怖かった。学校の対応としては有無を言わさず即児相に連絡しても問題はなかったと思う。しかし先生は児相は安全だということ、暴力はどんな理由があってもやってはいけないこと、そして躾や教育のラインを大きく超えていること。児相に行っても、児相の判断にもよるが家に帰れる可能性があることを話してくれ僕を説得してくれた。学校の出席も出欠停止の措置になることも教えてくれた。確か説得は昼前に始まり、夜18時近くまで、僕が納得するまで説得してくれた。僕は納得し先生は児相に連絡を入れた。児相の職員さんが来るまでいろいろな先生が僕を心配してくれた、友達と祖父母にに連絡できないことだけが心残りだっった。
2時間ほどで児相の職員さんは来てくれた。タクシーに乗った。どこに向かっているのかもわからなかった。地名は教えてくれたが、自分の行ったことのない場所であることしかわからなかった。とにかく不安だった。しばらくタクシーの窓から見える景色を眺めていた。いくら夏といえども外は暗かった。大きな病院についた。確か市営の病院だったと思う。普通の出入り口はしまっていいて、緊急外来の出入り口から病院に入った。殴られた箇所と、ひねられた腕に異常はなかった。普段見る病院の診察室ではなく医療ドラマで見るような救急車で人が運び込まれるような場所で病院の先生に診られた。またタクシーに乗った。今度はタクシーに乗る時間はあまり長くなかった。タクシーは大きな建物の前で止まった、どうやら僕はここで保護されるらしい。学校に迎えに来た人は僕の担当ではなく職員さんは担当を呼びに行った。21時を過ぎ廊下も暗かった。不安が少しばかり大きくなった。一階に子供を保護する施設があるらしいが、時間も時間なので保護されている子供は寝ており。一緒に今から寝るわけにはいかなかった。そんなこんなで二階の8畳くらいの畳の部屋に案内された。お腹が空いていた。そのことを担当の職員さんに伝えると近くでなにかをかってきてきてくれた。食べたいものはあるかと聞かれボロネーゼが食べたいと答えた。なんだかんだで夕飯を食べたのは22時近くだったと思う。トイレの場所を教えてもらって、布団を敷いてもらい寝ることになった。今後の不安を抱えたままではあったが、どこか安心して床に就いた。布団に入ってからしばらくたった思う。
ピヨピヨピーヨと鳥のさえずりが聞こえた。おかしいこの部屋にいるのは自分だけのはずだ、恐怖は不思議となかった。僕は部屋を見回した。さっきまではなかったはずの何かがへやの端にあった。そこから鳥の声も聞こえる。布団から出て音がなっている方に向かった。音源は縦長の長方形の絵画だった。壁にかけられているのではなく端に立てて置かれていた。絵画は神秘的だった。絵画の中には大正時代の使用人の格好をした女性が縁側に腰をかけ、お茶を胸のあたりで両手で持ち斜め上を見ていた。鳥の姿は見えないが、女性の診ている方向から鳥の声が聞こえるような気がした。きれいな女性だった。年齢は20代前半くらいで表情はどこか物悲しくしかし優しさがにじみ出ているような表情をしていた。髪には花を挿していた、紫色の花だ、今日だけでもう何度も見る紫色の花だ。花の名前は確かそう蓮華草
気が向いたら清書します。