絵画に出会うまでの記憶。
自分の一番古い記憶はかなりパンチが効いていると思う。幼稚園に入る前の話だ。子供というのはどこか痒いところがあったら掻いてしまう。親にダメだと言われてもだ。ましてや幼稚園や保育園に入る前ならなおさらだろう。あまりにも小さい頃の記憶なので曖昧だが、自分も目が痒くて眼を掻いてしまった。この行為は良いか悪いかで言えば悪いことだと想う。親が近くにいれば注意するのは道理だろう。私もただ普通に注意されたなら記憶に残ることはないだろう。しかし私のこの過去の行為をしっかり覚えている。なぜか、親の叱り方があまりにも上記を逸しているからだ、人によってはそんなことないと想うかも知れないが自分ははっきりいかれていると思う。父は幼児であった私に眼を掻いていることに対し怒り狂い、体を床に押し付け動けないようにした。とても力が強かった。私は恐怖に震えた。母が父を止めようとしてくれようとしていたと思う。しかし父はその制止を振り切り、自分を床に押し付けながら、近くにあった瞬間接着剤を取った。そうして、[もう二度と眼を開けられないようにしてやろうか]と叫んだ。本当に怖かった。私は泣き叫んだ。今でもたまに思い出し震えることがある。どんなお化け屋敷より、ホラー映画よりも怖かった。比べ物にもならない。ともかくも私はそんな家に生まれた。自分が成長するにつれ親の暴力もひどくなった。しかし私の悪かったところがないかといったらそれは違った。隠れてお菓子を食べたり、宿題を忘れたり、本当に良くないが友達のものを借りパクしてしまったり自分色々やってしまった。後々わかったことだが自分は障害があった。ADHDの注意欠陥が強かった。病院で診断された。しかしやってはいけないことであったし、罪は罪だ。反省しなければならない。もしかしたらこれを描いてるのも自分のしてしまったことの懺悔をしたいのかも知れない。
私が何かやらかす度に父は怒り狂った。ものを投げる。なぐる蹴る。腕をおもいっきりひねる。怒鳴る。永遠と正座させられる。またなぐる。食事を抜かれる。家から追い出される。死にたくなった。どこかに逃げたくなった。床下の収納入れに何時間も閉じ込められたこともあった。どれもこれも沢山泣いた。閉じ込められたり外に追い出された時は誰かが連れ去りに来るとか、なんとか散々お脅された記憶がある。たまに祖父母が家に来たり祖父母の家に行ったりした。そんなときは父も怒鳴ったり暴力を振るわなかった。父は外面がいいのだ。祖父母が近くにいるときは安心した。ずっと一緒にいてほしかった記憶がある。自分は伝記を良く読んだ。他の誰かに慣れるような気がした。自分が自分ではないような、嫌なことも考えずに済んだ。だから本を読むのが好きだった。(実際は伝記の漫画)
母は父を止めようとしてはいてくれたが止めようとすればするほど父は怒った。自分を否定されたような気がして嫌だったのだろう。今考えると父は本当に幼稚な人間なのだと思う。自分の思い通り出ないと嫌だ。自分ができてなくても自分のことは棚に上げて人を怒った。悪いことは悪いことだと、自分は関係ない、悪いから悪いんだけど、俺はその悪いことをやめさせるためなら人を子供をなぐってもいいんだとそんな人間であった。全て間違っているとは言わない、お金を稼いでくれたりと感謝するところはある、しかし散々殴られ蹴られ、怒鳴られ、脅されたことは忘れられない。忘れることはできない。まあ先程も書いたが、自分に何か非があってそれをあり得ないほど詰められるという形だから、自分も悪いところがある。幼稚園や小学中学の先生も自分の相手をするのはめんどくさく、ダルかっだろう。良く手を出さなかったなと思う。忘れ物や同級生とのトラブルも何度か起こしてしまった。親も糞だが、自分と言う人間も糞だと思う。ともかくも中学の2年までそんな時を過ごした。そう中学2年まで、
気が向いたら清書します。