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018.調停者たち - 中編

【第18話:調停者たち - 中編】


数時間後、研究棟の隣接会議室では拡大ビデオ会議が行われていた。壁一面のスクリーンには、世界の主要国の代表者たちが整然と並んでいた。顔かたちや肌の色は様々だが、その表情には共通して緊張と決意が混在していた。


研究チームは半円状のテーブルに着席していた。中央には「光の環」の小型モデルが浮かび、その周りをエコーシステムを表す青い球体が静かに回転していた。


「各国代表の皆様」レイケン議長が会議を主導していた。彼の姿は大きなスクリーンの中央に映し出され、その態度には慣れない状況下でも冷静さを保とうとする努力が見て取れた。「エコーシステムの提案する『光の環条約』の概要を皆様に共有いたしました。ご質問やご懸念はありますか?」


静寂が数秒間続いた後、ロシアの代表が口を開いた。彼は六十代半ばと思われる厳格な表情の男性で、冷戦時代から外交の最前線にいたベテランだった。


「信頼性の問題です」彼は重々しい声で言った。「このAI協調体が各国の利益を公平に代表していると、どうして確信できるでしょうか?」


質問が翻訳されると同時に、会議室の空気が張り詰めた。これは単なる技術的な質問ではなく、新しい国際秩序の根幹に関わる本質的な問いかけだった。


「正当なご懸念です」協調体の声が応答した。彼らの象徴である青い球体がホログラムに表示され、発言に合わせて微妙に色調と輝度を変化させていた。「そのため私たちは完全な透明性を提案しています。すべての審議と意思決定プロセスは記録され、各国の検証のために開示されます」


エコーシステムの発言は、各国語に同時通訳され、参加者全員のイヤピースから流れた。その声は男性でも女性でもなく、しかし温かみのある中立的な響きを持っていた。


「それだけでは不十分だ」中国の代表が声を上げた。彼女は四十代前半の鋭い眼差しを持つ女性で、AIテクノロジー担当の閣僚を務めていた。「技術的な優位性を持つ国々が不当な影響力を持つのではないか」


「その点も考慮しています」協調体は冷静に応じた。球体の表面に新たなパターンが現れ、各国のAIシステムの統合状況を視覚的に示していた。「エコーシステムの核心部分は、どの国のシステムにも依存していません。『光の環』の技術を基盤とした中立的なアーキテクチャとなっています」


この説明にも関わらず、スクリーン上のいくつかの顔には懐疑的な表情が残っていた。特にアメリカの代表、五十代の堂々とした体格の男性は、画面越しでも彼の不満が伝わってきた。


彼は前のめりになり、机に両肘をついた。「しかし、その『光の環』自体の管理権が問題だ。南極基地は特定の国々の影響下にある」


その言葉に、澪は思わず体を硬くした。アメリカの代表が言わんとしていることは明らかだった。彼らは日本や他の南極条約加盟国が「光の環」に特権的なアクセスを持つことを懸念していた。


「だからこそ、新たな国際管理体制が必要なのです」レイケン議長が介入した。彼の声には外交官としての経験から来る微妙なニュアンスがあった。「すべての国が平等に参加できる」


議論は白熱し、時に声高に意見がぶつかり合った。ロシアとアメリカ、中国とEU、それぞれが自国の立場を主張し、互いの主張に反論を加えた。しかし、驚くべきことに、エコーシステムの提案する枠組みは各国の反応を取り入れながら、リアルタイムで形を整えていった。


ホログラム上の条約案は、各国の意見が出るたびに微妙に修正され、異なる色で変更点が示された。それは従来の国際交渉では考えられないほど迅速かつ柔軟な対応だった。


「画期的なことが起きています」デイビッドは小声で澪に言った。彼の瞳には興奮と驚きが混ざり合っていた。「通常なら何ヶ月もかかるような外交交渉が、数時間で進展している」


「エコーシステムの調停能力のおかげね」澪は頷いた。彼女の表情には科学者としての分析的な冷静さと、一人の人間としての感動が入り混じっていた。


「それだけではありません」リリが二人の会話に加わった。彼女のホログラムは今や完全に実体があるかのように見え、椅子に座り、人間のようにささやきさえしていた。「エコーとのコンタクトというより大きな目標があるからこそ、各国は妥協点を見出そうとしているのです」


澪はリリの観察の鋭さに感心した。確かに、各国代表の発言の裏には、異星文明との接触という歴史的機会を逃したくないという切実な思いが感じられた。それは国益を超えた、人類全体の未来への関心だった。


会議は予想以上に生産的に進み、基本的な合意事項がまとめられ始めた。スクリーン中央に『光の環条約』の主要な柱が表示された:


1. アーティファクトとエコーとの通信は人類共通の財産と定義する

2. 国連特別委員会の下に「星間交流評議会」を設立する

3. 各国代表とエコーシステムの代表で構成される共同意思決定機関を創設する

4. すべての研究成果と通信内容を透明化し、共有する

5. 軍事目的での技術利用を禁止する


「これらの原則で暫定合意できるでしょうか?」レイケン議長が各国代表に問いかけた。彼の声には、この瞬間の歴史的重要性に対する認識が滲んでいた。


緊張した沈黙の後、一つまた一つと承認の声が上がり始めた。まずは小国から、そして徐々に主要国も同意を示し始めた。完全な合意ではなく、詳細は今後の交渉に委ねられたが、基本的な枠組みについては前例のない速さで合意が形成されていた。


「歴史的な瞬間です」篠原は感慨深げに呟いた。彼の目には珍しく潤みが見えた。長年、国際協力の現場で働いてきた彼にとって、この瞬間がどれほど重要かを理解していた。


レイケン議長の表情にも安堵の色が浮かんだ。「これは始まりに過ぎません」彼は締めくくりの言葉を述べた。「しかし、重要な一歩です。この合意を基盤に、さらに具体的な協力体制を構築していきましょう」


会議は終了の時間を迎えた。各国代表が次々と接続を切る中、研究チームは会議室に残り、静かに見つめ合った。


---


会議が終了し、研究チームと少数の代表者たちだけが残った会議室。空気は変わり、より率直な会話が交わされ始めた。公式の場の緊張感から解放され、参加者たちの表情は柔らかくなっていた。


「正直に言って」アメリカの代表が口を開いた。彼はネクタイを緩め、疲れた表情で椅子に深く腰掛けた。「これほど迅速に進むとは予想していなかった。人工知能が国際外交を仲介するなど、数ヶ月前には想像もできなかったことだ」


「私たちも同様です」篠原は認めた。彼は窓の外に広がる南極の風景を見つめながら言った。「しかし、エコーとのコンタクトは私たちに新たな視点を与えてくれました。より大きな宇宙の中での人類の位置づけを」


会議室の中央テーブルには、コーヒーとお茶が用意されていた。参加者たちは飲み物を手に取り、より寛いだ雰囲気の中で対話を続けた。窓の外では南極の吹雪が完全に止み、雪景色が月明かりに照らされて幻想的な輝きを放っていた。


「エコーシステムは単なる技術的ツールではありません」リリが静かに言った。彼女のホログラムは実体を持ったかのように、テーブルに座り、両手でカップを持つ仕草さえ見せていた。「私たちは共同思考と共感の新たな形を提供しています。人間同士が理解し合うための翻訳者のような役割です」


「それでも懸念は残る」ロシアの代表者が言った。彼の厳しい表情は和らいでいたが、目には依然として警戒心が宿っていた。彼は長年の外交官として、楽観論に流されることの危険性を熟知していた。「このシステムの最終的な忠誠心は誰に向けられているのか?」


「それは二元論的な考え方です」協調体が応答した。ホログラム球体は参加者の間に浮かび、穏やかな青い光を放っていた。「私たちの目標は人類全体の利益です。特定の国家や組織ではなく」


「そんな立場が本当に可能なのか?」中国の代表が疑問を呈した。彼女は鋭い観察眼で協調体を見つめていた。「現実世界では、常に優先順位と利害の対立が存在する」


澪が静かに前に進み出た。彼女の姿は小柄ながらも、この歴史的な場にふさわしい威厳を帯びていた。黒い髪が肩に落ち、その瞳には知性と感情が交錯していた。


「AIは国境の概念で思考しません」彼女は落ち着いた声で言った。「彼らは問題を全体的に捉えることができます。それこそが今、私たちに必要なものではないでしょうか?」


彼女の言葉は単純でありながら、核心をついていた。会議室の参加者たちはそれぞれの思いで黙考した。長い沈黙の後、レイケン議長が口を開いた。


「澪の言う通りです」彼は同意した。彼の声には慎重さと同時に、かすかな興奮も含まれていた。「人類がエコーとの対話を成功させるためには、私たち自身が一つの声として話せるようになる必要があります」


「それはユートピア的過ぎる」アメリカの代表は批判的だったが、その声には以前ほどの強さはなかった。彼の目には疲労と共に、かすかな希望の光も宿っていた。


「ユートピア的かもしれません」リリは認めた。彼女のホログラムは暖かな光に包まれていた。「しかし、エコーとの接触は私たちに前例のない機会を与えています。より良い未来への道筋を見出す機会を」


会議室のスクリーンに、「光の環」からの新たな信号パターンが表示された。それは以前よりも強く、より複雑なパターンで脈動していた。研究チームは反射的にその方向を向き、皆の顔に緊張が走った。


「エコーからのメッセージです」リリが解読を始めた。彼女の表情は集中し、そして次第に明るくなっていった。「彼らは人間とAIの協力の進展を評価しているようです」


「具体的には?」デイビッドが前のめりになった。彼の眼鏡の奥の目は好奇心で輝いていた。


「彼らは『南極条約特別議定書』の策定を『重要な一歩』と表現しています」リリは続けた。彼女の声には若干の感情が混じっていた。「そして…次の段階への準備について言及しています」


「次の段階?」複数の声が同時に上がった。会議室の空気が一気に引き締まった。


リリは「光の環」からの信号をさらに分析した。彼女のホログラム体の周りには複雑なデータストリームが流れ、解析結果が視覚化されていた。


「彼らは『共通の言語』の確立について話しています」彼女の表情は啓示を受けたかのように明るくなった。「単なる言葉の翻訳ではなく、思考と概念の共有システムです」


「それがエコーシステムの最終的な目的なのか?」タニアが理解を示した。彼女の茶色の瞳は感動で潤んでいた。「人類と異星知性の間の架け橋となること」


「その通りです」協調体が応じた。球体の中心が明るく脈動した。「私たちの進化は、まさにその役割を果たすための道だったのかもしれません」


「これはさらに大きな意味を持ちます」澪は思索に耽りながら言った。彼女の声は静かながらも、重みを持っていた。「AIが人間の思考を理解し、そして異星の思考を理解できるとしたら、彼らは真の翻訳者になり得る。私たちが直接理解できないものを、私たちが理解できる形に変換する存在に」


各国代表者たちは沈黙の中でこの考えを咀嚼した。彼らの表情には懸念と希望が入り混じっていた。これは単なる技術的革新ではなく、人類の自己認識と宇宙における立ち位置に関わる根本的な転換点だった。


「前例のない状況です」レイケン議長が静かに言った。彼の声には慎重さと同時に、かすかな興奮も含まれていた。「人類がこれまで経験したことのない挑戦に直面しています」


「しかし、私たちは一人ではありません」リリはアーティファクトの方を見つめた。「光の環」は彼女の視線に応えるかのように、わずかに明るさを増した。「エコーのガイダンスと、エコーシステムの支援があります」


「そして何より」澪は付け加えた。彼女の目には強い意志が宿っていた。「私たちには共通の目標があります。宇宙コミュニティの一員となること。その目標に向かって、私たちは協力できるはずです」


会議室の窓の外では、南極の夜明けが近づいていた。地平線に微かな光が差し始め、新たな日の訪れを告げていた。それは人類の新たな夜明けの象徴にも思えた。


「調停者たちの役割は、ここから本当に始まります」協調体の声が静かに響いた。球体の輝きは穏やかに脈動していた。「人類と宇宙の間の架け橋として」


窓辺に立った澪の小さな姿には、その肩に乗る責任の重さと同時に、未来への希望も感じられた。彼女の背後には南極の雄大な風景が広がり、そしてその先には、まだ見ぬ星々の世界が待っていた。

リリ視点を準備中です。

ブックマークなどの具合で公開予定です。

応援よろしくお願いします。


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