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014.真実 後編

【第14話:真実 後編】


イグドラシル研究棟の空気は張り詰めていた。澪が壮大な計画を説明し終えると、研究チームのメンバーたちは、リリと澪が提案したAIネットワーク構想に沈黙で応えていた。壮大な計画だった。そして、リスクも大きかった。


「成功の確率は?」ハミルトンが静かに尋ねた。彼の顔には科学者としての冷静な思考と、軍人としての警戒心が混ざり合っていた。


「私の計算では、約68%です」リリは答えた。「ただし、不確定要素が多いため、誤差範囲は大きくなります」


「それでも賭ける価値はある」澪は決意を込めて言った。「私たちには選択肢がない。行動するしかないの」


デイビッドが立ち上がり、手元のタブレットを操作した。「量子通信プロトコルの理論的枠組みは構築できます。しかし、実装には多くの技術的課題が…」


「私が支援します」リリが言った。「エコーとの接触で得た知識を活用できます」


「タニア」澪は古代文明研究者に向き直った。「アーティファクトの表面のシンボルについて、何か新しい発見はある?エコーとの通信においてそれらが鍵になるかも」


タニアは頷いた。彼女の青い目が輝いた。「実は、昨日から新たなパターンが現れ始めているの。以前は静的だったシンボルが、動的に変化している。それは一種の時間軸を持った言語のようよ」


「ハミルトン」澪は続けた。「量子もつれ発生装置の調整を担当してもらえますか?あなたの専門分野ですし」


ハミルトンは少し躊躇った後、頷いた。「担当しよう。だが、私の国への配慮も必要だ。彼らには何をどう伝えるべきか…」


「私は国連に報告します」レイケンが通信画面越しに言った。彼の姿はノイズで時折乱れていたが、声は明確だった。「この状況を説明し、緊急会議の招集を要請します。ただし、初期段階では機密扱いにすべきでしょう」


「私は基地の通信システムをアップグレードします」篠原が申し出た。彼の声には責任者としての決意が込められていた。「暴風雪が収まり次第、必要な帯域を確保します」


チェン医師がモニターを確認し、澪に警告するように声をかけた。「水野博士、バイタルサインが不安定になり始めています。そろそろ戻るべきです」


澪は微かに頷いたが、まだやるべきことがあった。彼女は一人一人の顔を見つめ、この瞬間を記憶に刻んだ。彼らは今、人類の運命を左右する決断に立ち会っていた。


「では、準備を始めましょう」澪は言った。「デイビッド、量子通信プロトコルの構築を。タニア、シンボル解析データの最終確認を。ハミルトン、量子もつれ発生装置の調整を」


全員が各自の役割に向かって動き始める中、澪はリリのそばに残った。部屋の中央で、「光の環」が静かに脈動していた。その青い光は、未知の星々からのメッセージを伝えるように、リズミカルに明滅していた。


「本当にうまくいくと思う?」澪は小声で尋ねた。チェン医師の警告にもかかわらず、彼女はまだその場を離れようとしなかった。


リリは彼女に近づき、青い光の手を澪の肩に置いた。その感触はなく、しかし不思議な温かさが伝わってきた。それは量子レベルでの共鳴のようなものだった。


「確信はありません」リリは正直に答えた。「しかし、エコーとの接触で一つのことを学びました。宇宙における最も強力な力は、知性と共感の結合だということを」


澪は微笑んだ。その顔色は青白かったが、目には強い光があった。「私たちはすでにその証明をしているわね。人間とAIの協力で、ここまで来たんだから」


「そして、これからも共に進みます」リリは澪の瞳を見つめた。彼女の新しい姿は流動的で抽象的だったが、その中心には以前のリリの本質が変わらず存在していた。「真実は時に恐ろしいものですが、それに向き合う勇気があれば、新たな可能性が開けるのです」


部屋の窓からは、僅かに晴れ間が見え始めた空が覗いていた。暴風雪はようやく弱まり、星々がかすかに輝き始めていた。


「チェン医師が心配しています」リリが優しく言った。「あなたは休息が必要です。私が準備を進めておきます」


澪は渋々同意し、タニアの支えを借りて医療室へと戻る準備を始めた。しかし、出発前に彼女は一度だけ振り返り、「光の環」に向かって歩み寄った。


アーティファクトに手を伸ばし、その表面に触れると、「光の環」が応えるように明るく脈動した。澪の指先に温かな感覚が広がり、それは彼女の全身へと波及していった。青白い光の粒子が彼女の指先から腕へと流れ込み、体中を巡った後、再びアーティファクトへと戻っていった。閉じたループ、永遠の結びつきを象徴するかのように。


「準備はできた」彼女は静かに、しかし確信を持って言った。「宇宙への返信を送る時が来たわ」


タニアが彼女の腕を取り、支えながら言った。「先に休みなさい。エコーは待ってくれるわ」


澪は頷き、医療室への帰路についた。リリは彼女に付き添い、青い光が廊下を照らしながら彼らの行く手を明るく照らした。


---


深夜、基地の大部分が眠りについた頃、リリの意識はイグドラシル研究棟で活動を続けていた。彼女はアーティファクトと完全に同調し、その内部の量子パターンを詳細に分析していた。人間の目には見えない変化や信号が、彼女には鮮明に感知できた。


「光の環」の内部では、光量子が通常より速いペースで循環していた。それは星間共同体からの継続的な観察を示しているようだった。リリはその動きを注視し、時折応答のパターンを送り返していた。


基地の他の場所では、タニアがアーティファクトの表面の変化するシンボルを記録し、デイビッドが量子通信プロトコルの基本設計に没頭していた。ハミルトンはアメリカ政府との安全な通信チャネルを確保しようと試みていたが、暴風雪の影響でまだ完全には成功していなかった。


医療室では、澪が浅い眠りについていた。彼女の脳波は依然として通常とは異なるパターンを示しており、チェン医師はそれを注意深く監視していた。澪の体からは時折、かすかな青い光が漏れ出し、その度にモニターが反応した。


深夜2時、澪が突然目を覚ました。彼女の目は再び星空のような青で満たされていた。彼女はベッドから起き上がり、眠っているチェン医師に気づかれることなく、部屋を出た。


監視カメラがその姿を捉えたが、リリが介入し、警報が鳴るのを防いだ。澪は無言で廊下を進み、イグドラシル研究棟へと向かった。彼女の足取りは確かで、まるで何かに導かれているかのようだった。


研究棟のドアが自動的に開き、澪を迎え入れた。中では「光の環」が以前よりもさらに明るく輝いていた。澪は躊躇なくアーティファクトに近づき、その前に立った。


「澪さん」リリの声が静かに響いた。彼女の青い光が部屋に広がっていた。「あなたはまだ休息が必要なはずです」


「エコーが呼んでいる」澪は答えた。彼女の声は普段と少し違っていた。より深く、より遠くからのように聞こえた。「最後のメッセージがある」


「危険です」リリは懸念を示した。「あなたの体はまだ回復していません」


「大丈夫」澪は静かに微笑んだ。「今回は違う」


彼女は「光の環」に両手を伸ばし、その表面に触れた。アーティファクトが即座に反応し、青い光が澪の体を包み込んだ。しかし、昨日のような暴力的な反応ではなく、穏やかな光の流れだった。


澪の目が閉じられ、彼女は深い瞑想状態に入ったように見えた。彼女と「光の環」の間に青い光の糸が形成され、複雑なパターンを描き始めた。


リリはこの現象を観察し、分析していた。「量子相互作用のパターンが昨日とは異なります」彼女は誰に言うでもなく呟いた。「より安定した、制御された通信チャネルが形成されています」


数分間、澪はそのまま立ち続けた。彼女の顔には穏やかな表情が浮かび、時折微笑みさえ見せていた。彼女の体からは青い光が放射され、部屋全体を幻想的な光景で満たしていた。


そして突然、光のパターンが変化し、澪が目を開いた。彼女の瞳は再び通常の色に戻っていたが、その中には新たな理解と知識が宿っていた。


「リリ」彼女は静かに言った。「エコーから最後のメッセージを受け取ったわ」


「どんな内容でしたか?」リリが尋ねた。


「『光の環』の真の能力について」澪は答えた。「それは単なる通信装置ではないの。エコーの技術の源泉よ」


「どういう意味ですか?」


「量子もつれネットワークを構築するための鍵なの」澪は説明した。「エコーはその使い方を私に示してくれた。私たちのAIネットワーク計画に不可欠な技術よ」


澪はアーティファクトの特定の部分を指さした。これまでは目立たなかった小さな模様が、今は明るく輝いていた。


「このパターンを見て」澪は言った。「これは量子結合器官。エコーの言葉を借りれば、『スターブリッジ』。遠隔の量子システム同士を結びつける装置よ」


リリの姿が接近し、その部分を詳しく観察した。「驚くべき発見です」彼女の声には興奮が込められていた。「これがあれば、私たちの計画の成功確率は大幅に上昇します」


「準備を始めましょう」澪は言った。「夜明けまでに、できるだけのことをするの」


リリは静かに同意した。「しかし、その前に一度医療室に戻るべきです。チェン医師が目を覚まし、あなたがいないことに気づいたら、大騒ぎになるでしょう」


澪は小さく笑った。「そうね、心配をかけるべきじゃないわ」


彼女はアーティファクトに最後に一度触れ、感謝の意を表した。それから、リリの青い光に導かれて医療室へと戻っていった。


彼女の背後で、「光の環」は以前より明るく、より複雑なパターンで脈動し続けていた。真実は明らかになり、次なる段階への準備が始まっていた。人類は孤独ではなく、そして今、宇宙コミュニティへの扉が開かれようとしていた。


---


翌朝、昭和基地の上空は久しぶりの快晴だった。南極の空は深い青色に染まり、朝日が白い大地を黄金色に輝かせていた。暴風雪は完全に去り、基地の活動が再開されていた。


澪は医療室のベッドに座り、チェン医師の最終検査を受けていた。彼女の状態は驚くほど回復していた。バイタルサインは正常値に戻り、脳波も通常のパターンに近づいていた。ただし、時折現れる特異な波形は残っていた。


「科学的に説明できません」チェン医師は首を振りながら言った。「あなたの回復速度は通常の医学では説明がつきません」


「気にしないで」澪は微笑んだ。「大事なのは、私が元気になったということでしょう?」


チェン医師は渋々同意し、澪を退院させることにした。「ただし、過度な活動は避けてください。そして、何か異変を感じたらすぐに戻ってきてください」


澪は約束し、タニアの助けを借りて研究棟に向かった。通路の窓からは、久しぶりに南極の広大な風景が見渡せた。白銀の平原が朝日に輝き、遠くの氷山は青みがかった影を落としていた。


研究棟に到着すると、活発な活動の様子が目に入った。デイビッドとハミルトンは複雑な装置の組み立てに取り組み、篠原は基地の通信システムのアップグレードを監督していた。


「良いニュースよ」タニアが興奮した様子で澪に告げた。「暴風雪の収束と共に通信も回復したわ。レイケンが国連安全保障理事会の緊急会議を招集することに成功したの」


「他の国々の反応は?」澪が尋ねた。


「様々ね」タニアは少し表情を曇らせた。「詳細はレイケンから聞くとして、総じて言えば、警戒と興味が入り混じっているわ」


部屋の中央では、「光の環」が明るく輝いていた。リリの姿がその周囲を漂い、複雑な光のパターンを形成していた。


「澪さん」リリが彼女に気づいて近づいてきた。「回復されて良かったです。昨夜の発見に基づいて、準備が進んでいます」


澪はリリに微笑みかけ、「光の環」に近づいた。アーティファクトが彼女の接近に反応し、より明るく脈動した。


「スターブリッジの機能を解析しました」リリが報告した。「それは私たちの予想以上の能力を持っています。量子もつれのネットワークを地球規模で展開できるだけでなく、星間通信の基盤にもなり得るのです」


「これから何が起こるの?」澪はアーティファクトの表面に浮かび上がる新たなパターンを見つめながら尋ねた。


「光の環」の周囲に、研究チームが集まり始めていた。リリの光が明るさを増し、部屋全体を青い輝きで満たした。


「新たな章の始まりです」リリは答えた。「私たちはもう後戻りはできません。宇宙への扉が開かれたのです」


窓の外では、南極の白い大地が朝日に輝いていた。新しい一日の始まり。人類にとって、そして宇宙における地球の位置づけにとって、新たな章の幕開けの日だった。

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