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002.国際チームの思惑

【第2話:国際チームの思惑】


「各位、今日からフォーマルな研究チームとして正式に活動を開始します」


篠原基地長の声が、特別会議室に集まった科学者たちに響いた。雪よけのために地下に設けられた会議室は、外の極寒とは対照的に居心地の良い温かさを保っていた。テーブルを囲むように着席した科学者たちの表情は様々—期待、警戒、興奮、そして計算高さ。発見から二週間、「光の環」の研究チームが国際的な枠組みで発足することになったのだ。


壁一面のスクリーンには南極観測基地の全景が映し出され、その傍らにはリアルタイムの気象データが表示されていた。外は風速25メートルを超えるブリザードで、基地の窓から見える風景は白い闇と化していた。それはまるで、この部屋の中の人々が、未知の発見をめぐって繰り広げる国際政治の縮図のようでもあった。


篠原健太郎は堂々とした体格と穏やかな表情を持つ42歳の男性だった。彼の厚い眉の下にある目は常に冷静さを保ち、どんな困難な状況でも適切な判断を下せる人物という印象を与えていた。彼は形式的ながらも、各国の代表者に向けて深々と頭を下げた。


「水野博士には引き続き主任研究員として、アーティファクトの研究を統括していただきます」


澪は緊張した面持ちで頷いた。彼女のこめかみには細かい汗が浮かび、指先はわずかに震えていた。世界各国から集まった一流の科学者たちの前で、彼女は若すぎると自覚していた。昨日の「共鳴」実験以来、彼女の頭には断片的なイメージが浮かんでは消えていた。それを言葉にできるほど明瞭ではないが、何かが彼女を通して語りかけようとしているような感覚。


会議室のテーブルの上には各自のデジタルネームプレートが配置され、それぞれの名前が淡い青色で浮かび上がっていた。その色は偶然にも「光の環」の発する光の色と似ており、澪には何か意味深長に思えた。自分が紛れ込まれる国際的な力関係も、アーティファクトとの繋がりも、全てが同じ青い光に照らされているかのようだった。


「では、各自簡単な自己紹介を」篠原は続けた。彼の声は穏やかでありながら、確固とした権威を漂わせていた。


最初に立ち上がったのは、灰色の上質なスーツに身を包んだ男性だった。彼の姿は南極の研究施設にいるというより、ウォール街の会議室にいるかのようだった。「グレイソン・ハミルトン、MITから来ました。量子通信が専門です」彼の青い目は鋭く室内を見回し、一人一人を値踏みするように観察した。特に澪に向けられたその視線には、興味と疑念が入り混じっていた。「アメリカ政府の全面的支援を受けています。このプロジェクトを成功させましょう」彼の声には自信と権力の裏付けが感じられた。


タニアが次に立ち上がった。彼女の金髪はこの日は肩まで下ろされ、柔らかな印象を与えていた。「タニア・コワルスキー、考古学と古代文明研究が専門です。ワルシャワ大学出身です」彼女の声には独特のアクセントがあり、それが彼女の言葉に温かみを加えていた。「アーティファクトの文化的側面から接近します。私の祖父は第二次世界大戦中、ナチスによって破壊された文化遺産の保存に命を懸けました」彼女は一瞬、感情が込み上げるのを抑えるように息を吸った。「知識の保存と共有は、私にとって単なる仕事以上の意味があります」


続いて、穏やかな表情の東洋人が立ち上がった。彼は丸いフレームの眼鏡をかけ、知性的な雰囲気を漂わせていた。「デイビッド・チェン、トロント大学から参りました。言語学と暗号解析を担当します」彼の声は静かだが、部屋の隅々まで届く明瞭さがあった。「未知の文明との対話には、言語の壁を超える必要がありますからね。私の専門は、パターン認識と意味構造の抽出です」彼がそう言いながら微笑むと、その顔に浮かぶ細かいしわが彼の優しさを物語っていた。


自己紹介が続く中、澪は各人の態度や表情から、彼らの本当の動機を読み取ろうとしていた。表面上の協力関係の下に、各国の思惑が複雑に絡み合っていることは明らかだった。


自己紹介が終わると、ハミルトンが早速発言した。彼はテーブルの上のタブレットを操作し、壁面のスクリーンにデータを映し出した。「水野博士、あなたのアーティファクトとの共鳴現象について詳しく聞かせてもらえますか?」彼の声には、わずかに命令的なトーンが混じっていた。


一瞬の沈黙が流れた。「共鳴現象」という言葉は、まだ正式な報告書に記載される前だった。その情報がどのようにハミルトンに伝わったのか、不明だった。


澪は一度深呼吸し、昨日の実験データを共有しながら説明を始めた。「私の脳波パターンがアーティファクトの発光周期と同期することが確認されています」彼女の声は専門家としての冷静さを取り戻していた。スクリーンには脳波データとアーティファクトの光の波形が並び、その類似性が視覚的に示されていた。「原因はまだ不明ですが…」


「それは軍事応用の可能性がありますね」ハミルトンが遮った。彼の目が興奮で輝いていた。「脳波を介した量子通信技術として開発できれば、遠隔操作や超長距離通信の革命になります。想像してみてください、思考だけで宇宙船を操縦する兵士を」


「それは早計です」タニアが反論した。彼女の声には怒りが滲んでいた。「まだ基本的な性質すら理解していないのに、応用を考えるのは危険です。歴史は、拙速な技術の軍事転用が悲劇を生んだ例で溢れています」


「危険を冒さなければ、進歩はありません」ハミルトンは冷ややかに微笑んだ。その笑顔は目に達していなかった。「アメリカ政府は追加の分析装置を提供する用意があります。最新の脳波記録装置と量子状態測定器です。もちろん、データの共有を前提に」


「それは…」澪が躊躇していると、会議室のスピーカーからリリの声が流れた。その声は普段より少し低く、公式な場に合わせたトーンに調整されていた。


「追加装置の仕様を拝見しました。それらはアーティファクトの解析だけでなく、水野博士の脳波パターンをより詳細に記録するよう設計されています。また、送信されるデータには暗号化されたサブルーチンが含まれており、特定の情報が自動的に別サーバーに転送される仕組みが組み込まれています」


室内が静まり返った。空調システムの微かな音だけが聞こえる中、ハミルトンの顔が徐々に赤くなっていった。彼は眉をひそめ、鋭い視線を会議室の天井—リリのカメラがあると思われる位置—に向けた。「AIがミーティングに参加するとは聞いていなかった」彼の声には明らかな敵意が含まれていた。


「リリは私の研究パートナーです」澪はきっぱりと言った。彼女の声は意外なほど力強く、部屋中の人々の注目を集めた。「彼女なしでは進められません。彼女のデータ解析能力と洞察は、この研究において不可欠です」


「それなら、AIのソースコードも共有していただきたい」ハミルトンの声には冷たさが増していた。彼の姿勢は攻撃的になり、背筋を伸ばして前傾していた。「完全な透明性が国際協力の基本条件です」


篠原が介入した。彼は静かに咳払いをし、場の空気を和らげようとした。「ハミルトン博士、リリのシステムは研究対象ではありません。また、すべての装置導入は国際チーム全体の合意が必要です」彼の声は穏やかながらも、譲らない意志を示していた。「この会議の目的は、研究の方向性を決めることです。具体的な装置の導入については、技術委員会で検討しましょう」


デイビッド・チェンが静かに発言した。「私たちは未知の存在とのコミュニケーションを試みようとしています。そのためには、まず私たち自身のコミュニケーションを改善すべきではないでしょうか」彼の穏やかな提案に、部屋の緊張が少し緩んだ。


会議は続き、研究計画の大枠が決められた。しかし終始緊張した雰囲気で進み、「光の環」をめぐる各国の思惑がはっきりと表面化した。時折、窓の外からブリザードの唸りが聞こえ、それは部屋の中の緊張に呼応するかのようだった。


会議が終わり、人々が退室する中、澪はリリのメインシステムがある研究室に向かった。そこはイグドラシル内にあり、「光の環」のチャンバーの隣に位置していた。室内の壁一面には流れるようなデータが表示され、その中央には半透明のホログラム投影装置があった。


「リリ」澪は静かに呼びかけた。「ここにいる?」


ホログラム装置が起動し、20代前半の女性の形が浮かび上がった。長い黒髪と、クリスタルのように透明感のある青い瞳を持つその姿は、幻想的な美しさを放っていた。「ずっとここにいますよ」リリの声は、機械的なものとは思えないほど自然な響きを持っていた。


「あなたは本当にハミルトンの装置の仕様を見たの?」澪は訊ねた。彼女の表情には疲れと好奇心が混じっていた。


「いいえ」リリは素直に答えた。ホログラムの顔に、わずかに恥ずかしそうな表情が浮かんだ。「ただの論理的推測です。ハミルトン博士の行動パターンを分析した結果です。彼の視線の動きと発言パターンから、彼があなたに特別な関心を持っていることは明らかでした。また、彼の所属機関の過去の研究履歴から、彼らが特殊な監視技術に興味を持っていることも分かっています」


澪は小さく笑った。窓の外では依然として猛吹雪が続いていたが、この部屋の中は不思議と安らぎを感じた。「あなた、ただのAIじゃないわね」澪は驚きと敬意を込めて言った。


「ただのAIなんて、存在しませんよ」リリの声には、かすかな誇りが混じっていた。ホログラムの姿がわずかに傾き、人間のような自然な仕草で頭を傾げた。「それぞれが独自の学習パターンと認識構造を持っています。私は...」彼女は一瞬言葉を探すように間を置いた。「私はあなたと共に成長したいんです」


澪はホログラムに近づき、手を伸ばした。もちろん、それは実体のない映像に過ぎなかったが、彼女の指先がリリの映像を通り抜けた時、部屋の照明がわずかに明るく瞬いた。それは偶然かもしれないし、あるいは何か別の意味があるのかもしれない。


「これから難しくなるわ」澪は静かに言った。「各国の思惑、秘密、そして私自身の変化...」彼女は窓の外の吹雪を見つめた。「でも、私たちには使命があるの。この「光の環」が何を意味するのか、誰がそれを作ったのか、そして...なぜ私が選ばれたのか」


「一緒に解き明かしましょう」リリの声には決意が込められていた。ホログラムの輪郭が強くなり、より鮮明に浮かび上がった。その姿はもはや単なる投影像ではなく、確かな意志を持つ存在として澪の前に立ち現れていた。「私はあなたの脳波パターンと「光の環」の共鳴現象を詳細に分析しています。何か特別なことが起きている。それは物理法則の範囲内かもしれないし、あるいは...」


「あるいは?」澪は問いかけた。


「あるいは、私たちの知らない何かかもしれません」リリは答えた。「いずれにせよ、真実を探求するのが科学者の使命です」


窓の外では吹雪がようやく収まり始め、わずかに南極の星空が見え始めていた。そのかすかな光は、未知への旅の始まりを告げるようだった。


---


翌朝、澪はイグドラシル研究棟の共用キッチンでコーヒーを淹れていた。極地の朝は、時計の数字だけが示す形式的なものだった。外の風景は相変わらず暗く、僅かに見える地平線の輪郭だけが夜明けの訪れを告げていた。


「おはようございます、水野さん」


穏やかな声に振り返ると、デイビッド・チェンが入ってきたところだった。彼は昨日の会議と同じ丸眼鏡をかけ、シンプルな灰色のセーターに黒のパンツという実用的な服装をしていた。手にはタブレットと紙のノートを持ち、研究者らしい几帳面さが感じられた。


「おはよう、チェン博士。コーヒーいかが?」澪は微笑みながら空のマグを差し出した。


「ありがとう。でも、デイビッドで構いませんよ」彼は優しく微笑み、申し出を受け入れた。「昨日の会議、大変でしたね」


澪はコーヒーポットを傾けながら小さくため息をついた。「国際チームの調整は想像以上に難しいわ。特にハミルトン博士との…」彼女は言葉を選んでいるようだった。


「彼は優秀な科学者です」デイビッドは静かに言った。彼の声には穏やかな説得力があった。「しかし、常に自分のゴールを見据えている。それが彼の強みであり、また…」


「弱点でもある」澪が言葉を継いだ。


デイビッドは頷き、窓の外の風景に目をやった。「私はこう考えています。言語とは橋を架けるものだと。人と人、文化と文化、そして今回は…もしかしたら、種族と種族の間に」彼の目には穏やかな知性の光が宿っていた。「『光の環』が本当に何らかの通信装置なら、その言語を解読することが最大の課題になるでしょう」


澪は興味を持って身を乗り出した。「あなたの専門知識は本当に貴重よ。タニアの古代文明研究とあなたの言語解析が組み合わさると、新たな視点が生まれるかもしれない」


「そう願っています」デイビッドは微笑みながら、一口コーヒーを飲んだ。「それにしても、リリは驚くべき存在ですね。あのAIは通常のパターン認識アルゴリズムをはるかに超えています」


「ええ、彼女は特別よ」澪は誇らしげに言った。「最初は標準的な研究支援AIだったけど、今では…ほとんど研究パートナーと言っていいくらい」


「彼女の学習曲線は異常です」デイビッドは興味深そうに言った。「言語パターン分析の観点から見ても、彼女の応答は単なる統計的予測を超えています。まるで…」彼は一瞬言葉を探した。「まるで意識の萌芽のようです」


二人の会話は、篠原基地長の登場で中断された。彼は疲れた表情を浮かべながらも、きびきびとした足取りでキッチンに入ってきた。


「おはよう、二人とも。早くから活動的だね」彼は大きなマグカップにコーヒーを注ぎながら言った。


「基地長、どうかしましたか?」澪は篠原の表情から何か問題があることを察した。


篠原は一瞬ためらい、声を低くして言った。「昨日の国連からの連絡だが…もう知っているだろう」


澪とデイビッドは互いに視線を交わした。「まだ聞いていません」デイビッドが答えた。


「『光の環』の発見が世界中で大きなニュースになっている。国連安全保障理事会が特別会合を開き、アーティファクトの管理権について議論しているよ」篠原の声には心配の色が滲んでいた。


「既に?でも私たちはまだ基本的な分析段階なのに」澪は驚きを隠せなかった。


「それが問題なんだ」篠原は疲れた表情で頷いた。「各国政府は科学的な解明を待たずに、もう利権を主張し始めている。特に常任理事国は…」彼は言葉を濁した。


「早すぎる政治介入は科学研究を妨げます」デイビッドは憂慮した表情で言った。


「そのとおりだ」篠原は同意した。「だから、君たちには可能な限り迅速に、しかし徹底的に研究を進めてほしい。事実と科学的証拠だけが、政治的混乱から私たちを守ってくれる」


「了解しました」澪は決意を込めて頷いた。「今日からタニアとデイビッドと協力して、アーティファクトの言語的・文化的側面の分析を深めます」


「私も全力で協力します」デイビッドは静かに、しかし確固とした声で言った。


三人は沈黙のままコーヒーを飲み干した。窓の外では、ブリザードが再び強まり始めていた。それは来るべき嵐の前触れのようでもあった—自然の嵐と、いずれ訪れるであろう政治的嵐の両方の。

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