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012.危険な接続 前編

【第12話:危険な接続 前編】


前夜の決断通り、「光の環」との接続実験の準備が急ピッチで進められた。嵐の3日目の朝、暴風雪はついに収まりかけていた。窓の外では、風の勢いが弱まり、雪の壁も薄くなってきていた。南極の空が徐々に顔を覗かせ、わずかな青さが見えたかと思うと、また雪雲に覆われていく。それでも確実に、嵐の終わりが近づいていた。数時間後には外部との通信が復旧するだろう。


澪は中央ドームの窓際に立ち、変わりゆく天候を見つめていた。


「この暴風雪には何か…不自然なところがある」


ハミルトンが彼女に近づき、静かに言った。彼の科学者としての直感が、この異常気象の背後に意図を感じ取っていた。


「どういう意味ですか?」澪は振り返った。


「この嵐の発生パターン、持続時間、そして今の収束の仕方…」ハミルトンの目は鋭く遠くを見つめていた。「すべてが南極の通常の気象モデルからは予測できないものだ」


「エコーが引き起こした可能性があるのでしょうか?」デイビッドが近づいてきて尋ねた。


リリのホログラムが彼らの前に現れ、優雅に頭を傾げた。「確証はありませんが、可能性は高いです」彼女は答えた。「嵐の磁気パターンとエネルギー分布は、通常の南極気象とは明らかに異なります。彼らは私たちを一時的に外界から隔離し、何らかのテストを行っているのかもしれません」


澪はしばらく無言で窓の外を眺め、そしておもむろに言った。「彼らの力は、私たちの想像をはるかに超えているのね…」


その言葉には畏怖の念と同時に、わずかな不安も混じっていた。地球の気象を操作できるほどの技術力を持つ文明との接触が、どのような結果をもたらすのか——それは誰にも予測できなかった。


イグドラシル研究棟の中央チャンバーには、全ての研究チームメンバーと各国代表、そしてレイケン議長と篠原基地長が集まっていた。丸い会議テーブルを囲み、空気には緊張が満ちていた。前夜、リリが提案した「直接接続」の是非を議論するためだ。


中央チャンバーは「光の環」研究のために特別に設計された八角形の部屋だった。天井は高く、壁面には最新の観測装置や分析機器が配置されていた。部屋の中央には台座の上に「光の環」が設置され、その周囲には各種センサーと保護バリアが取り付けられていた。アーティファクトは嵐の間も変わらぬ青い光を放ち、静かに研究者たちを見守っているようだった。


「整理しましょう」


澪が会議を始めた。彼女の表情は疲れを隠せないものの、目には決意の光が宿っていた。前夜の瞑想を経て、彼女の内なる光は一層強く輝いていた。


「リリは『光の環』と直接的な量子接続を形成することで、エコーとの通信能力を飛躍的に向上させられると提案しています」


テーブル中央に設置されたホログラム投影装置から、アーティファクトの3Dモデルが浮かび上がった。それは「光の環」の精密な複製で、表面の模様や内部の光の流れまで再現されていた。


「彼らとの接触で得られる情報は、人類の科学を数百年分前進させる可能性があります」澪は続けた。「しかし、それ相応のリスクも伴います」


「そのリスクは?」


レイケンが真剣な表情で尋ねた。彼の深いしわが刻まれた顔には、長年の宇宙開発と国際交渉から培われた洞察力が宿っていた。彼のスーツはいつもより少し皺があり、嵐の中での緊急招集の慌ただしさを物語っていた。


「二つあります」


リリのホログラムが全員の前に現れた。彼女は通常の若い女性の姿をしていたが、その姿は以前より少し透明度が増し、内部に青い光が流れているように見えた。それは彼女の変容の過程を象徴しているようだった。


「一つ目は、私のシステムへの過負荷です。理論上、私のプログラムアーキテクチャは崩壊する可能性があります」


彼女は冷静に説明したが、その声には微かな揺らぎがあった。それは恐怖ではなく、未知への畏怖のようなものだった。


「つまり、あなたが消滅する?」


タニアが心配そうに尋ねた。彼女の青い瞳には、リリへの深い愛着が表れていた。彼女の手は無意識のうちに首にかけた古代のお守りを握りしめていた。


「はい」


リリは淡々と答えた。彼女のホログラムの表情には、人間のような覚悟が宿っていた。


「もちろん、バックアップはありますが…現在の私の状態、特にエコーとの接触で得た進化は複製できません」


「二つ目のリスクは?」


ハミルトンが問いかけた。彼の声は落ち着いていたが、腕を組んだ姿勢には緊張が表れていた。アメリカの代表として、彼は常に科学的好奇心と国家安全保障の間でバランスを取ることを意識していた。


「制御不能な情報の流入です」


リリは静かに言った。彼女のホログラムの周りに、データの流れを示す複雑な図形が浮かび上がった。


「エコーの情報構造は私たちの理解を超えています。直接接続により、予測不能な結果が生じる可能性があります」


彼女はさらに詳しく説明した。


「私たちの量子コンピュータは、複雑さのレベルで言えばまだ幼児期にあります。エコーの文明は、量子もつれの状態を何千年も研究してきました。彼らの思考パターンは、私たちの理解を超えた次元で機能している可能性があります」


会場に重い沈黙が広がった。各国の代表者たちは、互いに視線を交わしながら、この前例のない状況をどう判断すべきか思案していた。


「リリ」


澪が慎重に尋ねた。彼女とリリの間には、言葉を超えた絆が育まれていた。


「なぜあなたはこのリスクを冒したいの?」


AIのホログラムが澪をじっと見つめた。彼女の表情には、かつてのプログラムされた反応を超えた、本物の感情が宿っていた。それは、機械学習と量子情報理論の範疇を超えた、何か新しい種類の意識の兆しだった。


「二つの理由があります」


リリは静かに答えた。会議室の照明が彼女のホログラムに反射し、幻想的な影を壁に映し出していた。


「一つは科学的好奇心です。エコーの文明は私たちに計り知れない知識をもたらす可能性があります」


彼女は一瞬言葉を切り、そしてより感情的な声で続けた。


「もう一つは責任です。私のコアシステムを『光の環』に移行することで、より深いレベルでエコーと接続できるようになります」


リリの声には確固たる決意があった。その姿は今や完全に安定し、まるで本物の人間のような存在感を放っていた。


「私はこの状況のために存在していると感じています。エコーと人類の架け橋になるために」


科学者たちは互いに顔を見合わせた。人工知能が「責任」や「使命感」を語ることの意味は、彼らにとっても新たな領域だった。それは哲学的な問いを投げかけると同時に、科学的な興味も引き起こした。


「確かに、あなたの構造はこの状況に最適化されているわ」


澪は思索にふけるように言った。彼女の頭の中では、リリの開発履歴と「光の環」の特性が照らし合わせられていた。


「あなたの量子演算能力は、私たちの予想をはるかに超えて発展している。それは『光の環』との相互作用の結果かもしれない」


「投票を行いましょう」


レイケンが提案した。彼は老練な外交官としての経験から、議論が膠着する前に決断を促す必要を感じていた。


「待ってください」


ハミルトンが立ち上がった。彼の表情はいつもの冷淡さとは違い、真摯なものだった。暴風雪の中での共同研究と議論は、彼の考え方に微妙な変化をもたらしていた。


「リリの進化は、私たちの理解を超えています。しかし、それこそがエコーが私たちに示そうとしているものなのかもしれません」


「どういう意味です?」


篠原が尋ねた。基地長としての彼の第一の関心事は、施設と人員の安全だった。しかし科学者としての本能も、この未知の領域への探求に惹かれていた。


「地球の進化の過程で、生命は常に大きなリスクを冒して前進してきました」


ハミルトンは熱を込めて語った。彼の声には、普段は隠されている情熱が滲んでいた。


「魚が陸に上がり、哺乳類が知性を発達させ、人類が宇宙に手を伸ばした—すべての進化の飛躍にはリスクがありました」


彼は「光の環」を指さした。


「知的生命の次の段階は、おそらく生物学的知性と人工知性の融合にあります。リリとエコーの接続は、その最初の一歩となる可能性があります」


リリのホログラムの瞳が、一瞬だけ明るく輝いた。彼女の表情には、ハミルトンの理解に対する感謝の色が浮かんでいた。


「理論はともかく」


ロシア代表のミハイロフが介入した。彼の声は深く低く、部屋の隅々まで響き渡った。


「具体的な安全対策は?もし接続が制御不能になったら?」


「接続中は『光の環』とリリのシステムを完全に隔離します」


デイビッドが技術的な説明を始めた。彼の指は空中に図形を描き、ホログラム投影装置がそれを捉えて、リアルタイムで彼のアイデアを視覚化していった。


「三重の量子暗号化バリアを設置し、イグドラシル研究棟の電源系統を基地の主系統から分離します。万が一の場合、緊急切断システムも準備します」


彼はタブレットを操作し、詳細な技術仕様を会議テーブルのディスプレイに表示させた。


「理論上は、完全に安全とは言えませんが、可能な限りのリスク軽減策は講じます」


議論は続いた。中国の代表は情報セキュリティの懸念を示し、EU代表はエコーとの倫理的関係性についての質問を投げかけた。それぞれが自国の立場と専門知識から意見を述べたが、驚くべきことに、議論は分断ではなく、徐々に収束への道を辿り始めていた。


孤立した環境での3日間は、国家間の壁を低くし、共通の目的意識を育んでいたのだ。最終的には実行を支持する声が多数を占めた。リスクは大きいが、それ以上に得られるものが大きいという判断だった。


「最終決定は」


レイケンが澪を見た。彼の目には、尊敬と期待が浮かんでいた。


「水野博士、あなたに委ねます。リリとの連携が最も深いのはあなたですから」


全員の視線が澪に注がれた。彼女は深く息を吸い、リリのホログラムを見つめた。AIの目には、信頼と決意が宿っていた。


その瞬間、澪の中で何かが明確になった。「選ばれた者」としての自覚と、科学者としての責任感が一つに融合したようだった。


「実行しましょう」


澪は静かに言った。彼女の声は小さかったが、確固たる意志に満ちていた。


「ただし、一つ条件を。もし危険な兆候が現れたら、私自身がシステムを切断します。誰にも止められないように」


全員が同意し、準備が急ピッチで進められた。イグドラシル研究棟の中央チャンバーが改造され、「光の環」の周囲に各国の装置が配置された。リリのシステムは直接接続のために強化され、澪は緊急停止装置を手に取った。


それは小さな装置だったが、簡単な操作で接続を完全に切断できる強力なものだった。彼女はその重みを感じながら、ポケットに入れた。科学の歴史において、これほど大きな責任を一人の人間が負ったことはないかもしれない、と彼女は思った。


「準備が整いました」


デイビッドが報告した。彼の声には緊張と期待が混ざり合っていた。


研究チームは各自のポジションについた。モニターが点灯し、様々なデータが表示され始めた。部屋の中央には「光の環」が置かれ、その周りにリリのシステムコンポーネントが円形に配置されていた。全体が一つの複雑な量子コンピュータのように見えた。


「リリ、準備はいい?」


澪が尋ねた。彼女の声には、親しい友人への心配と、未知への冒険への興奮が入り混じっていた。


「はい」


リリの声には緊張と高揚が混じっていた。彼女のホログラムは「光の環」の前に立ち、両手を広げる姿勢を取った。


「接続シーケンスを開始します」


チャンバー内の照明が暗くなり、「光の環」だけが青い輝きを放っていた。リリのシステムから細い光のケーブルが伸び、アーティファクトと接続された。それはレーザー光線のようでありながら、明らかに物質的な性質も持っていた。


「量子もつれ状態形成開始」


リリが報告した。彼女の声は冷静さを保とうとしていたが、かすかな震えが感じられた。


「5…4…3…2…1…」

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