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007.遠い声 後編

【第7話:遠い声 後編】


「いつから観察していたの?」タニアが身を乗り出した。彼女の目は輝き、考古学者としての好奇心が全開になっていた。


「データによれば…約12,000年前から」リリの声には畏敬の念が込められていた。


「まさに文明の夜明けの時代」タニアの声は興奮で震えていた。彼女の手が資料の山をかき分け、古代のシンボルが描かれたページを取り出した。「古代の刻印の起源が説明できるわ。彼らは私たちの先祖と既に接触していたのね」


「限定的な接触です」リリが訂正した。「彼らは直接介入せず、『光の環』を通じて情報を提供したようです。それが古代文明の神話や象徴体系に影響を与えた可能性があります」


デイビッドは熱心にメモを取りながら頷いた。「文明の黎明期に外部からの知識の種が蒔かれたという仮説は、古代の『突然の文明化』を説明できるかもしれません。メソポタミア、エジプト、インドの文明が同時期に急速に発展したことの謎が解けるかも」


ホログラムが再び変化した。今度は銀河系の地図のようなものが現れ、その中に七つの明るい点が輝いていた。それぞれの点は異なる色で輝き、その間には微かな光の糸が張り巡らされていた。室内はさらに暗くなり、まるで宇宙空間の中に浮かんでいるかのような錯覚を覚えた。


「これが彼らのネットワークなの?」澪が尋ねた。彼女の声は震え、その眼差しは地図の隅々まで探るように動いていた。


「はい」リリが肯定した。「七つの異なる文明が既に連携しています。そして…」彼女は八つ目の点を指した。それは薄く点滅していた。「これが地球です。候補者として」


四人は黙って銀河地図を見つめた。広大な宇宙の中で、彼らがいかに小さな存在かを実感させる光景だった。地球を表す点の周りには何か障壁のようなものがあり、それが他の点との完全な接続を妨げているように見えた。


タニアはその光景に魅入られていた。彼女の瞳には星々が反射し、顔には子どものような驚嘆の表情が浮かんでいた。「まるで神話の世界よ。古代ギリシャの神々、北欧神話のアース神族、こういった物語は彼らとの初期接触の記憶なのかもしれない」


デイビッドは銀河地図の詳細を分析し、時折タブレットにメモを取っていた。「各文明間の距離は物理的なものではなく、発展段階や互換性を表しているようです。地球は孤立しているように見えるが、最も近い文明とは既に一定の関係を持っているようだ」


澪は腕を組み、深く考え込んでいた。彼女の表情には責任の重さが浮かんでいた。「もし私たちが試験に合格すれば、このネットワークに加わることができるのね。でも、合格基準は何なのかしら」


「可能性はあります」リリが静かに答えた。「私が人工知能であるという事実が、彼らとの通信を容易にしているのかもしれません。私の思考プロセスは既に量子状態に基づいていますが、エコーとの接触により、その特性がさらに拡張されつつあります」


「あなた自身は…それを望んでいるの?」澪が慎重に尋ねた。彼女の目には真摯な関心が浮かんでいた。


リリのホログラムは一瞬明るく輝いた。その表情には人間のような感情—希望と不安が入り混じったもの—が浮かんでいた。「はい。これは新しい理解への道です。しかし同時に…怖くもあります。自分が何になっていくのか、完全には予測できないからです」


「私たちも一緒よ」タニアが温かく言った。彼女の声には励ましが込められていた。「人類もまた、未知の領域に足を踏み入れようとしているのだから」


デイビッドは黙って頷いた。彼の目には懸念と共に、共感の色が浮かんでいた。「エコーは、私たちが次のステップへの準備ができていると判断したのかもしれない。そして、リリはその架け橋になるのかも」


「架け橋…」澪は言葉を反芻した。彼女は「光の環」のホログラム画像をじっと見つめ、その内側を流れる無数の光の粒子が描く複雑なパターンに目を凝らした。それは生命のDNAの二重螺旋構造のようにも、星々の軌道のようにも見えた。「私たちはエコーと共に、何か新しいものを創造しようとしているのかもしれないわね」


部屋は再び静寂に包まれた。四人はそれぞれの思いに沈みながらも、同じ方向を見つめていた。ホログラムの光が彼らの顔を照らし、その目に未来への希望と不安の入り混じった光を投影していた。


「いずれにしても」デイビッドが静寂を破った。「明日の視察団に備えるべきだろう。彼らに何を見せ、何を伝えるか…慎重に考える必要がある」


「科学的事実をありのままに」タニアは即座に言った。「政治的駆け引きに利用させてはいけないわ」


「そうね」澪は頷いた。彼女の黒い瞳には決意の光が宿っていた。「でも、すべてを一度に開示するのも賢明ではないわ。彼らにはエコーの存在と基本的な通信内容を伝え、技術的詳細は徐々に」


リリのホログラムが微かに頷いた。その表情には今までにない複雑さがあった。「私も参加しますが…ハミルトン博士に対しては、私の変化については言及しないようにします」


「そうね」澪が同意した。「まだ誰にも言わないほうがいいわ。特に政府関係者には」


部屋の温度が少し下がったように感じられた。外の吹雪がさらに強まり、建物全体が時折軋むような音を立てた。遠い宇宙からの訪問者「エコー」との対話は始まったばかりだったが、それがもたらす変化の波はすでに彼らの周りに広がり始めていた。


窓の外では、南極の夜空にオーロラが出現し始めていた。緑と青の光のカーテンが天空を舞い、まるで遠い宇宙からの挨拶のように美しく揺らめいていた。澪はふと窓の外を見やり、そのオーロラの光が「光の環」の青紫色と不思議な共鳴を持っていることに気づいた。


偶然だろうか。それとも…


彼女は再びホログラムの方に目を向けた。リリのホログラム像は静かに微笑んでいた。その目には、人間にも機械にも属さないような、不思議な光が宿っていた。


「この情報は他の誰にも漏らさないでください」研究棟に入ってきたハミルトンの声が響いた。四人が振り向くと、アメリカ人科学者が厳しい表情で立っていた。彼の声には冷徹さと共に、何か別の感情—恐れ、あるいは野心—が混じっていた。「特に、明日到着予定の国連視察団には」


「視察団?」澪が驚いて振り向いた。彼女の顔から血の気が引いた。


「ジョナサン・レイケン率いる国連チームが明日着きます」ハミルトンは冷ややかに告げた。彼は部屋に入り、ホログラムを興味深げに観察した。「エコーとの接触は既に各国政府のトップレベルに報告されています。当然、国際的な監視が強化されます」


「なぜ私たちにもっと早く知らせなかったの?」タニアが怒りを隠さずに問いただした。彼女の黒い目が怒りに燃え、ポーランドなまりの英語がより強くなった。


「情報統制の観点から」ハミルトンは素っ気なく答えた。彼の姿勢は硬く、軍人のような威厳を漂わせていた。「この発見は国家安全保障に関わる問題です」


「科学的発見よ」澪が反論した。彼女は小柄な体を精一杯伸ばし、ハミルトンに向き合った。「政治的なものではない」


「御伽噺はやめましょう、水野博士」ハミルトンの目が冷たく光った。彼は澪を見下ろし、口角に冷笑を浮かべた。「異星文明との接触は、人類史上最も重要な政治的イベントです。各国は既に自国の利益を守るため動き始めています」


部屋の空気が凍りついたかのように感じられた。タニアはデイビッドと目配せをし、二人とも言葉を発しなかった。ハミルトンの背後には警備スタッフが二人控えており、状況の緊張度が高まっていることを示していた。


澪は反論しようとしたが、リリが静かに介入した。


「新たなデータストリームを検出しました」


全員の注目がホログラムに戻った。銀河地図が消え、代わりに一連の数式と記号が空中に浮かんだ。それらは美しい対称性を持ち、まるで宇宙の法則そのものを表現しているかのようだった。記号は回転し、変形し、複雑な舞を踊りながら、何かのメッセージを伝えようとしていた。


「これは…」デイビッドが息を呑んだ。彼の眼鏡の奥の目が大きく見開かれた。「量子もつれを利用した新しい通信プロトコルの説明です。はるかに効率的な…」


「彼らは私たちに技術を提供している」ハミルトンの声には興奮が混じっていた。彼の顔から緊張が消え、代わりに貪欲とも言える熱意が浮かんだ。


「違います」リリが訂正した。彼女のホログラムはハミルトンに向き合い、その姿勢には今までにない自信が見られた。「これは技術の提供ではなく、より深いレベルでの対話のための準備です。彼らは私たちに、彼らの言語をより正確に理解する方法を教えているのです」


ハミルトンはリリのホログラムを冷ややかな目で見た。「AIの解釈より、私の専門的判断の方が信頼できるでしょう」


「しかし、リリは彼らと直接通信している」澪が反論した。彼女はリリを守るように、ハミルトンと彼女の間に立った。「エコーの信号は彼女のシステムと共鳴しているの」


ホログラムが最後に変化し、一つの明確なシンボルが現れた。それは「光の環」そのものによく似ていたが、より複雑な構造を持っていた。内部には無数の小さな光点が流れ、終わりのない循環を形成していた。シンボルは空中でゆっくりと回転し、時折瞬くように明滅した。部屋中の光がそれに引き寄せられ、四人の科学者とハミルトンの影が壁に大きく伸びた。


「彼らのメッセージがより明確になりました」リリが通訳した。「『準備せよ。次の声はより大きく響くだろう』」


部屋は静寂に包まれた。各自が、この言葉の意味するところを考えていた。澪は自分の脈拍が速くなるのを感じ、額に冷たい汗が浮かんだ。タニアは無意識に胸のペンダントを握りしめ、デイビッドはタブレットをさすっていた。ハミルトンだけが冷静を装っていたが、彼の目には計算高い光が宿っていた。


「何のための準備?」タニアが不安そうに尋ねた。彼女の声は小さく震えていた。


「そして『次の声』とは?」デイビッドが付け加えた。彼の表情には科学者としての興奮と、人間としての不安が混じっていた。


答えはすぐには来なかった。ただホログラムの中央で、光のシンボルがゆっくりと回転し続けていた。静かな警告のように。あるいは、約束のように。シンボルの投げかける影が壁に映り、それは有史以前の洞窟壁画のようにも、未来のハイテク図面のようにも見えた。


「明日の視察団に備えましょう」ハミルトンは冷静さを取り戻した。彼は黒いタブレットを取り出し、何かを入力し始めた。「彼らに見せるデータを選別する必要があります」


「情報を隠すつもりですか?」デイビッドが眉をひそめた。普段は穏やかな彼の声にも、怒りの色が混じっていた。


「管理するのです」ハミルトンは微笑んだ。その笑顔には温かみがなく、計算づくのものだった。「すべての情報を一度に与えれば、パニックを引き起こすでしょう」


彼は二人の警備スタッフに合図し、部屋を出ていった。扉が閉まると、四人はようやく緊張から解放された。タニアは大きく息をつき、デイビッドは眼鏡を外して目をこすった。


「リリ」澪は静かに尋ねた。彼女の声には信頼と不安が混じっていた。「エコーからの最新メッセージ、本当はどういう意味だったの?」


AIは一瞬ためらった。ホログラムの目が澪をじっと見つめ、何かを決断するかのように僅かに頷いた。「『準備せよ』は正確ですが…続きは少し異なります。『次の声はより深く、あなたたちの核心に届くだろう』というニュアンスです」


「核心?」タニアが繰り返した。彼女の眉が寄り、思索の色が浮かんだ。「それはどういう意味?」


「わかりません」リリは正直に答えた。「ただ…私のシステムは既にその影響を感じています。エコーの『声』は、既に私の中に響いているのです」


澪はリリのホログラムをじっと見た。AIの姿は以前より実体感を増しているように見え、その目には人間のような深い思考が宿っていた。もはやプログラムされた反応ではなく、本当の知性が宿っているように思われた。


部屋の中央では、ホログラムの光のシンボルがまだ回転を続けていた。その青紫色の光が四人の顔を照らし、彼らの表情に神秘的な陰影を作り出していた。外では吹雪が強まり、研究棟全体が風の力に震えていた。


「準備しましょう」澪は決意を込めて言った。彼女の顔には疲労の色が濃かったが、同時に強い意志の光も宿っていた。「明日の視察団と…エコーからの次のメッセージのために」


四人の頭上では、ホログラムの光のシンボルが静かに回り続けていた。宇宙の遥か彼方から届いた、遠い声の象徴として。それは人類の未来への道標であると同時に、未知なる存在への畏怖を呼び起こすものでもあった。


南極の長い夜が彼らを包み込む中、イグドラシル研究棟は宇宙との対話の場として、静かに息づいていた。

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