婚約者が知らない女と結婚したと聞いたのですが……
婚約者が見知らぬ貴族令嬢と結婚した。
そんな知らせが実家から届いたのは、私が隣国へ留学していたときのことだった。
慌てて帰国して両親に真意を問いただす。すると、こんな答えが返ってきた。
「遺憾なことにお前との婚約は一方的に解消されてしまったんだ、カーティア」
「書類に不備があったとか、カーティアが留学先で浮気をしたとかケチをつけられてねえ……」
「書類は完璧だったはずよ! それに私、浮気なんかしてない!」
懸命に反論したけれど、両親は気の毒そうな顔をするばかり。どうやら彼らも先方には何度も「冗談はよしてくれ」と言ったらしい。それにも関わらず、こんなことになってしまったのだ。
「そういえば、隣国では何か楽しいことはあった?」
「お前は昔からとても頭がよかったからね。今回の留学でその知性にさらに磨きがかかったのなら嬉しいよ」
もうどうにもならないと諦めているようで、二人は必死で話題を逸らそうとしていた。
でも、私はそんな簡単には割り切れない。
「誰か! 紙とペンを持ってきてちょうだい! 抗議の手紙を書くわ! このままにはしておけないもの!」
****
「カーティア、次の会談は二時からだよ! 準備はできてる?」
先輩からの呼びかけに私は「はーい」と答えた。大量の書類を抱えて執務室を出る。外では、先輩が忙しなく懐中時計を覗き込んでいた。
「あの国の人たちは時間にうるさいからね。ちょっとでも遅れたら友好関係にヒビが……」
「あの、先輩」
ブツブツと呟く先輩に、私はためらいがちに声をかける。
「首に巻いていらっしゃる緑のスカーフ、とっても素敵ですけど今回はやめたほうがいいんじゃないでしょうか。あの国では緑は敵意を表す色だって言われてますし……」
「ああ! そうだったわね!」
先輩は雷に打たれたような顔になった。慌ててスカーフを首から外す。
「うっかりしていたわ! さすがカーティア! 300カ国語を話せる秀才って言われてるだけあるわ! 他国の文化についてもばっちり理解しているのね!」
「いえ、そんな……」
もう、先輩ったら300カ国語だなんて! 見くびっていただいては困る。私が話せるのは312カ国語だ。
私が無理やり婚約を解消されてから一年がたっていた。
その間、何度も婚約者に手紙を出したがとうとう返事は来なかった。そのうちに私はすっかりキレてしまった。あんな奴とはもう関わり合いになりたくない。元婚約者に見切りをつけた私は勤めを開始。そうして、この外務局の職員となったのだ。
ここでの仕事はなかなかに面白かった。留学先で培った人脈も活かせるし、外交の場に立っていると自分も国のために貢献していると思うことができる。浮気性の男と結婚して冴えない人妻になるよりよっぽどよかったといえるだろう。
「お疲れ様です!」
先輩が緑のスカーフを外してくれたお陰か会談も上手くいき、その後もいくつかの業務をこなして、本日の仕事は無事に終了した。帰りの挨拶を交わして、執務室をあとにする。
「カーティア」
廊下に出た途端に声をかけられた。心臓が飛び出そうになる。第一王子のサムエル様だ。
「サムエル様、どうしました? どこかの国の大使から無茶振りでもされましたか?」
「違うよ。僕ってそんなに情けなく見える?」
サムエル様は苦笑いした。
「そろそろカーティアの仕事が終わる頃かなと思ってさ。このあと時間、あるかな? もしよかったら一緒に食事でもしない?」
サムエル様と食事!? 行きたい!
即答しそうになったけど、逸る気持ちを抑えて返事をした。
「よろしいのですか? 夕食の際は同じテーブルに着くのが王族の習わしだといいますのに……。決まりを破れば、両陛下がご気分を害されるのでは?」
「実は、もう父上と母上の許可は取ってあるんだ」
サムエル様は照れながら言った。
「君と食事したいと言ったら、二つ返事で了承してくれたよ。外務局の秀才の噂は二人とも知っているからね。そんな人と僕が仲良くしていることが嬉しいみたいだ」
「なんだか恐れ多いです」
表面上は恐縮しつつも、内心では浮かれていた。サムエル様と食事! サムエル様と食事!
サムエル様と私がお近づきになったのは半年前のこと。我が国が主催する国際交流会で、サムエル様が言葉の通じない外国の王族に話しかけられて弱り切っていたときに、私が助け船を出したのがきっかけだった。
――すごく助かったよ! 通訳が急病で医務室へ運ばれて困ってたんだ! 君って本当に頭がいいんだね!
屈託のない笑みを浮かべながら才能を褒めてくれるサムエル様に、私はあっという間に恋に落ちてしまった。我ながらチョロいかしら? でも、知性は私が最も尊ぶものだもの。それを認めてくれる相手を好きになるのは自然な流れでしょう?
それに、サムエル様は常にキラキラしたオーラをまとっている美男子だ。好意を抱かないほうが無理というものである。
それ以来、私はサムエル様専属の通訳を務めるようになった。新人が任されるには異例の大役だが、サムエル様が周囲の反対を押し切ってしまったのだ。
私はその期待に上手に応えられていると思う。今まで一度も大きな失敗をしたことがないから。私が「秀才」などと呼ばれているのは、そのお陰もあるのかもしれない。
小躍りしながら外務局を出て王宮に入城し、サムエル様と同じテーブルに座る。メニューは魚料理だ。もしかしてわざわざ私の好物を用意してくれたのかしら?
「今はどこの言葉を勉強してるの?」
サーモンのフライを切り分けながらサムエル様が尋ねる。私は「古代語をいくつか」と回答した。
「古い言葉は面白いんですよ。文字情報は残っていても、発音が分からないでしょう? だから現存する言語を参考に、どんな音を当てはめるか推測していくんですけど、その手探り感がたまらなくて……」
意気揚々と話したところで、少々専門的過ぎただろうかと反省する。だが、サムエル様は楽しそうにふんふんと頷きながら聞いてくれていた。
「失われた言葉まで話せるなんてすごいね。君がいたらタイムスリップしても平気そうだ」
「ふふふ、タイムスリップですか」
「うちの国は外交に力を入れているからね。あらゆる国の言葉や文化に通じている君は本当に頼もしい戦力だよ。これからも僕を支えてくれるよね?」
はい、もちろん。
そう言おうとして言葉が出てこなくなる。
だってサムエル様の瞳、なんだか熱っぽく輝いていたから。
も、もしかしてさっきのってプロポーズじゃないわよね……!?
全身からどっと汗が噴き出してきた。まさか、そんなことあっていいの!?
どうしよう!? どうしよう!? そうだったら嬉しすぎる! ……けど、勘違いして浮かれているのなら、死ぬほど恥ずかしいわ!
私は軽いパニックを起こしていた。ああ、もう! 落ち着きなさい! 冷静になるのよ!
ここは絶対に答えを間違えてはいけない場面だ。乏しいこれまでの恋愛経験から、サムエル様の真意を計らなければ。
――俺との結婚は留学を終えてからにしたい? お前、それ以上頭でっかちになってどうするんだ。
嫌な記憶が蘇ってきて、高揚していた気分が一気にしぼんでしまった。もしょもしょした声で、「はあ……」と頼りない返事をする。
「やれるだけはやりますけど……。上手くいくでしょうかねえ……」
「……どうしたの、急に」
あからさまにしょげ返ってしまった私を見て、サムエル様が不審そうな顔になる。
「昔婚約していた人のことを思い出して……」
もじもじと返した。過去の恥をさらすのはいくらサムエル様が相手とはいえ、少々抵抗がある。
「第一王子を支えるのは、知識だけでは不十分じゃないでしょうか。どうせ傍に置いておくなら、もっと魅力のある人のほうが……」
「知恵があるのは素晴らしい魅力じゃないか!」
サムエル様は目を見開いた。
「カーティアの元婚約者はそうは思わなかったってこと? 彼、見る目がなかったんだね。そのせいでこうして僕にカーティアを取られてしまって……」
「……やっぱりさっきのプロポーズだったんですか?」
「……あっ」
サムエル様はしまったとでも言いたげに口元に手を当てた。
「その、プロポーズっていうか何ていうか……。……気が早いよね、まだ婚約もしていないのに! いや、これじゃあまるで、君が僕と婚約してくれる前提になってるけど……」
サムエル様は目に見えてオロオロする。ふと、半年前の国際交流会を思い出した。うっかり和んだ私は少し笑ってしまう。
「ちょっと順番がおかしくなったけどさ……」
そんな私を見ているうちに、サムエル様も落ち着いてきたらしい。居住まいを正した。
「僕との婚約、真剣に考えてくれたら嬉しいな。君が相手なら僕の両親も歓迎するよ」
サムエル様の真面目な表情に胸が高鳴る。この人は本当に私のことが好きなんだ。
でも、すぐには返事ができそうにない。やっとのことで言えたのは、「少し考えさせてください」という時間稼ぎの回答だけだった。
****
ああ、どうしたらいいのかしら?
サムエル様との食事会から一カ月がたっても、私はまだ答えを出せずにいた。
本音を言えば、憧れていた第一王子との婚約など、願ったり叶ったりの話である。
けれど、元婚約者との破局が心に引っかかったまま離れてくれない。あんなに簡単に捨てられるなんて思ってもいなかった。二度と婚約に失敗したくないという気持ちのせいで、私は身動きが取れなくなっていたのだ。
転機が起きたのは、それからさらに一週間ほどが経過したあとのことだった。
勤めを終えた私は外務局を出る。お隣にある警察局の前を通りかかると、庭で雑談する事務員たちの声が聞こえてきた。
「今出ていった人、見た? 今月に入ってもう三回もここへ来ているのよ」
「貴族だと思って結婚した女性が実は詐欺師で、全財産をふんだくられたとか……」
「その女詐欺師は今も行方不明なんでしょう? 怖いわねえ」
なんとまあ気の毒な人もいたものだ。同情を覚え、私は噂の的になっている人物に哀れみの眼差しを向ける。
そうしてみて面食らった。私の元婚約者ではないか。
「カーティア……?」
向こうも私に気づき、息が止まりそうなほど驚いている。
「なんでここに……」
言いかけたものの、私が巻いている「外務局」と書かれた腕章を見てすぐに事情を察したらしい。「働きに出ているとは頭でっかちらしいことだな」と呟く。
「……じゃあ、さようなら」
気まずくなってそそくさと元婚約者の横を通り過ぎようとする。だが、彼は「待てよ」と私の前に立ち塞がった。
「なあカーティア、ここで会ったのも何かの縁だ。辻馬車の代金を貸してくれないか?」
……はい?
何を言われたのか分からず、呆けてしまった。
「俺な、悪い女に騙されたんだよ。かわいそうだろう? だからさ、辻馬車の代金と今日の宿代と飯代を出してくれないか?」
いやいや、増えてる増えてる。
何、この人? 昔婚約していた相手にお金の無心をしないといけないくらい懐事情が厳しいの? プライドとかないわけ?
「ちょっと、お兄さん。いつまでも門の前に突っ立ってたら邪魔ですよ」
警備員が迷惑そうに私の元婚約者を警棒の先で突いた。
「こんなところで張り込んでいても、あの詐欺師は見つかりませんって。……あっ、カーティア様じゃないですか!」
警備員は私に気づき、目を輝かせた。
「今日はもう上がりですか? お疲れ様です! お兄さん、この人すごいんですよ。312カ国語を話せるんですって! おまけに第一王子の専属通訳! 頭いいんですよ!」
情報が古いなあ。今の私が話せるのは319カ国語だ。
とはいえ、元婚約者はそんな細かい数字には興味がないらしい。「第一王子の専属通訳?」と聞き返した。
「つまりそれは……儲けてるってことか?」
「そりゃあもう、がっぽがっぽですよ!」
警備員が訳知り顔で返す。……まあ、間違ってはいないけどね。
「カーティア! どうしてそういう大事なことをもっと早く言わないんだ!」
元婚約者はほっとしたような顔になった。
「全財産を失った俺を助けるために仕事をしていたのか。いいぞ、もっとやれ。夫を支えてこその妻だからな」
「……どういうこと?」
「俺ともう一度婚約したくて金を稼いでいたんだろう? いいとも。婚約なんかすっ飛ばして、すぐに結婚しよう」
「ちょ、ちょっと待って」
何、あなたに都合がよすぎるその展開は!?
「私が働いているのはあなたの生活を立て直すためじゃないわよ。勘違いしないで!」
「……何を言っているんだ」
元婚約者は唖然としていた。その反応、こっちがそっくりそのままお返ししたいくらいだ。
「俺に捨てられて、あんなに嘆いていたじゃないか。復縁を願う手紙を何通も寄越してきて……。大事なのは知識を得ることではなく夫を見つけること。俺を失ってようやくそう気づいたんだろう?」
……ヤバイ。この人本物のバカかもしれない。
何もかもがズレている。私が彼に送った手紙は、要約するなら「事情を説明してほしい」という内容のものだった。それなのに、彼は書かれていることをねじ曲げて解釈してしまったんだ。これだから読解力のない人は困る。
私は一体何を悩んでいたのだろう。こんなバカに捨てられたことを引きずって、私を本気で大事にしてくれる人との婚約話を受け入れられずにいたなんて。
私の心は決まった。にこやかな顔を元婚約者に向ける。
「あなたなんて嫌いよ」
バカ向けに分かりやすい言葉を使ったつもりだったのだが、どうだろうか。……あ、理解できてるみたい。口を開けたまま固まっちゃったから。
「私ね、第一王子のサムエル様と婚約するの。だから元さやには収まらないわ」
しまった! 「元さや」なんて難しい言葉、バカには分からないかも! 急いで、「つまり、あなたとは婚約しないってこと」と言い足した。
バカと話すのは疲れる。次は頭が悪い人向けの言語を学ぼうかしら? これで私も320カ国語マスターね!
「じゃあ、私はサムエル様のところへ行くから!」
元婚約者を放って、新しい婚約者の元へ駆け出す。携えていくのは、一カ月前の申し出に対する返事だ。後ろから、警備員が「お幸せに!」と言う声が聞こえてきた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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