スィッチはふたたび…
ノベとユキノは、停学処分あけにイガラシから三年前の事件の真相をきいた。
「アレ」はどうやら近郊にある心霊スポット「廃病院」由来の怨霊であるらしいことがわかる。
ノベはお見舞いにいったコタツから「廃病院」のサイトを見せられる。そこには「アレ」の出自と思われる投稿が載っていた。
さらにユキノが転校していたことも同時に知らされる――
最終回です。
コタツの見舞いの帰り道にユキノにチャットした。
《転校したんだって? 今日、コタツにきいてビックリした》
返事はすぐきた。
《黙っててゴメン。だって、いえば絶対なんかいわれると思ったから》
《家の都合ならオレがなにかいうわけがない。でも、みずくさいじゃないか。ひと言くらいいってくれてもいいだろ?》
《家の都合じゃないよ。ちょっと私的に居づらい立場になっちゃったから、停学中に転校先を探してたの》
なるほど、と思った。よく考えてみれば、ノベも停学処分になったけれど、ユキノとは微妙に立場がちがう。ユキノたちは率先して立入禁止の場所に立ち入った当事者で、ノベは巻き込まれた側と見られてもおかしくない。
しかも、コタツは重傷でユウキに至っては亡くなってしまった。霊感がある、と自慢していたユキノだけが助かってしまったという後ろめたさはあるだろう。そのうえ、彼女はクラスで浮いている存在だとコタツはいっていた。居づらくなるのはよくわかる、とノベは納得するしかなかった。
《どこに転校したの?》
《ひみつ!》
《なんでだ! 教えてくれたっていいじゃないか!》
《今度、会ったときに教えてあげる》
どうやら、まだ会ってくれるようなので彼は安心した。
ユキノには、今日コタツから見せてもらった「廃病院」に関するサイトを教えてやった。今度会ったときに彼女の考察がたっぷりきけることだろう。いずれにしろ、彼女が元気そうなのがわかっただけよかったと思った。
*
翌日、ノベは登校したらいきなり職員室に呼び出された。
担任のイガラシから「昨日、コタツのところにいったそうだな?」ときかれた。昨日の今日のことなのに、なんで知っているのか不思議だった。コタツがイガラシにいったとしか思えないのだが、そうだとしても職員室に呼び出されるほどのことか?と思った。
「いきましたけど、それがなにか?」
「夕べ、コタツが病院の三階の窓から飛び降りた」
「ええっ… 」
ノベは、あまりに想定外のことを告げられたので、それ以上の反応のしようがなかった。
「そ、それでコタツは?」
「大丈夫だ。また同じところを骨折したみたいだがな」
「なんで、また…」と慌てるノベに、イガラシはいうのだ。
「それをみんながききたがってる。いま、校長室に刑事がきている。オマエに話をききたいそうだ」
「ボクに、ですか? なんでボクに… 」
「飛び降りるまえに面会にきていたのがオマエだったらしい」
どうやら、コタツはノベが帰った直後に飛び降りたようなのだ。どういうことなのか、わからなかった。もうすぐ退院できそうだと喜んでいたコタツの顔を思い浮かべた。
話がききたいなんていわれても、ノベにはさっぱり心当たりがない。
ノベはイガラシにつき添われて校長室にいくと、そこに例のワケ知り顔の刑事がいた。
「キミは無事でよかった」などと、意味深なことをいうのだ。
コタツは病室のある三階のトイレの窓から身を乗り出しているところを病院のスタッフに発見されて取り押さえられたが、間に合わず落ちたらしい。幸い致命的なケガではなかったのだが、皮肉なことに人間は反射的におなじ態勢をとるらしく、せっかく外れたギブスをもう一度しなければならなくなったという。
それから刑事は昨日の面会の様子をこと細かに何度もきいた。ほんの昨日のことだ、何度きかれても忘れるはずがない。ノベはおなじことを繰り返しこたえるだけだった。
刑事はやっと納得したように質問をやめたが、最後にスマホを取り出して見せてくれた。それはコタツの病室のベッドの上に残されていたという。コタツのものだ。
「彼はトイレにいくまえに、どうやらこの画像を見ていたようなんですよ」
それをノベたちの目のまえで再生して見せた。
なんだか、うす暗い画面だった。階段を昇っていく二人の生徒が映っている。ノベとコタツだった。急にパッと明るくなったと思ったら、すぐに明度が落ちて点滅をし始めた。一番上からユウキが顔を出すと、壁をいじりながらなにかいうのだ。音量が小さすぎてなにをいっているのかわからないが、ノベにはわかった。
「ここにスィッチがあったよ」といったはずだ。
そうだ。この動画は旧校舎の屋上に昇っていくところをユキノが撮ったものだ。
レンズは階段を上がって屋上に出ると、ひとしきりあたりをなめてから事件現場の繕われたフェンスを捉える場面で激しくノイズが入って終わっていた。
「この後ろ姿はキミだね?」
刑事はノベを指さす。
「そうです。ボクのまえにいるのがコタツで、一番上にいたのが亡くなったユウキです」
「と、いうことは去年の事件のときの画像?」
ノベは頷いた。
「これを撮っているのは?」
「もう一人の女のコ、ユキノです」
「そのコは、いまいますか?」と刑事はイガラシの方を振り返った。
「ユキノは、もうこの学校の生徒じゃないんです。転校したんですよ」
「どちらに?」
刑事は妙にせっかちだった。
「ユキノがどうかしたんですか?」
「いや、いちおう確認のためなんですけど」とはっきりしない。
「?」
ノベやイガラシ、校長は刑事の顔を覗き込むようにした。気になるではないか。特にノベはユキノのことなので、どんなことでも知りたかった。
「コタツの飛び降りにユキノがなにか関係しているんですか?」
「いやね…」と刑事はしかたなさそうに話しだした。
「この動画はチャットのアプリ経由でコタツクンのスマホに送られたものなんですが、その発信者がユキノクンなんですよ」
そういって、チャットの画面を見せた。たしかにユキノから送られてきている。
「ユキノがコタツにこれを送ったからって、飛び降りる理由にはならないでしょ?」
イガラシが意見をしたが、校長はメモを刑事に渡した。どうやらユキノの転校先を書いたものらしい。刑事はイガラシを遮るようにして「ちょっと失礼」と室外に出ていった。
よく見れば、最初にチャットを始めたのはコタツだったようだ。
《さっきノベが見舞いに来てくれたんで、ユキノが転校したことを話した。べつにいいだろ?》という文面だった。
それに対してユキノが返信をしている。
《ノベクンからチャットしてきた。なんで言ってくれなかったんだって。わけを話したら納得したみたいだった》
そしてコタツ。
《オマエら、つきあってるの?》
《ひみつ!》
まちがいなくユキノだ、とノベは思った。
《ひみつ》とこたえている時点で《イエス》といっているようなものではないか。頭の回転が速そうでいて、だれよりもバカっぽい。それとも暗に肯定していることを気づかせたかったのか。こういうところが彼女のエキセントリックな性格をあらわしている、と。
その後、少し時間が経って、今度はユキノからチャットをしている。
《忘れてたけど、こんなの見つけちゃった。これ見て》
そして、動画を送りつけているのだ。
「この動画を見たあとにコタツはトイレの窓から飛び降りようとしたのか… 」
イガラシは腕を組んだうえで、利き手で顎を掻くようにした。
「ちょっと、もう一度見せてみろ」と動画を再生させた。
イガラシは二回、三回と繰り返し見たあとに「この最後のノイズが気になるけど」と、そこで一時停止させた。
「ちょうど屋上に出たら、ユキノは頭痛がしてきたっていったんで、このタイミングでアレが現れたんじゃないですか」
ノベは当時のことを思い出して推測をいった。
「なるほど。それで電波が乱れたと」
イガラシが納得したように何度も頷いていたら、一緒に見ていた校長までが口をはさんできた。
「心霊は電子機器に干渉してくるらしいからね」
「ああ、そうなんですか」と気のない返事をするイガラシ。
「この間、動画配信サイトでいってたよ」
ノンキに雑談しだしたが、校長は意外にこういうのが好きなのかもしれなかった。そんなことをよそに、イガラシはまた頭から動画を見る。
しばらくしてスマホを耳に当てたまま、刑事が戻ってきていうのだ。
「ユキノクンは夕べから行方がわからないみたいです。学校にも家にもいない」
「ええ?」
「キミは彼女がいきそうなところに心当たりはないか?」
そんなことをきかれても、ノベはまだそこまで彼女のことに詳しいわけではなかった。彼がわかるのは、せいぜいふたりで遊びにいった遊園地くらいのものだ。独りで、そんなところにいるわけがないのはあきらかだ。
そのときノベはあることを思い出した。
「刑事さん、コタツはなにかいってませんでしたか?」
「彼は例によって、なにも憶えていない。気がついたら、またギブスをしていたという具合だ。ユキノクンからの画像も見た記憶がないそうだ」
「実は…」と、ノベはコタツからきいたアレのいわくが記されたサイトのことをユキノに教えたといった。
「山の上の廃病院? 昔、精神病院だった?」
刑事は、またスマホを携えて廊下に出ていった。
すると、イガラシはノベにきいてくるのだ。
「山の上の廃病院って、例の?」
ノベは頷いた。
「三年まえの事件のきっかけになったところです」
「あそこって精神病院だったの?」
「先生、知らなかったんですか?」
ノベは逆にきき返した。
イガラシは「そうだったんですか?」と校長の方を見たが、彼は「自分も初めてきいた」という素振りで首をかしげた。
投稿者の祖父が中学生のころの話だ。まちがいなく昭和の時代だろう。イガラシも校長も知らなくて無理はない。まして地元の出身でなければ、なおさらだ。
地元の者ですら知らないのに、あそこが精神病院だったことを知っているとは、さすが警察だと思わざるをえない。
「すると、アレはそこの患者かなんかの怨霊?」
ノベはイガラシに、コタツに教えてもらった心霊スポットを紹介したサイトを見せた。
「これが、たぶんアレが現れるようになった経緯だと思いますよ」
イガラシと校長は小さなノベのケータイ画面に顔を寄せて読みだした。ふたりが読み終わるまで、ノベはまんじりともせずに手持無沙汰でソファに座っていた。
やがて、それに気づいたイガラシがいうのだ。
「オマエ、なにやってんだ?」
「は…?」
「は、じゃないだろ。もう授業が始まってるんだ。教室へ戻れ」そういって校長室の掛時計を指さす。
――呼び出したのはアンタでしょ? そうなら、そうと早くいってくれ。
結局、コタツの件がどうなったのだか、わからないままノベは追い出された。
廊下に出ると、そこに刑事がスマホでなにやら話をしていた。小声で、もぞもぞと喋っている。きかれてはまずい重要な話なのかもしれないが、きき耳を立てようにも出てきたノベに気づいて睨むので早々に立ち去るしかなかった。
しかし教室に戻っても気になって、授業などには一切身が入らなかった。
――コタツはどうして、窓から飛び降りたのか。どうして、そのことを憶えていないのか。まるでアレにとり憑かれたときとおなじじゃないか。
ユキノが送ってきた動画がトリガーになったみたいだが、もしそうならば、どんな仕掛けになっているのだろうか… と考えた。
ノベは、さっき見たあの動画のことを反芻してみた。
なんのことはない。あの日、屋上に上がるために階段を昇っていっただけのことだ。収穫がないコタツたちのために、ユキノはせめてウワサになっている場所の雰囲気を撮ろうとした。立入禁止の場所の画像だから、オバケ屋敷カフェの売りにはなったかもしれない。まるで三年まえの犠牲者たちがやったこととおなじだった。
あとでそこにアレが現れることにはなるが、あの時点ではそんなことを予想もしていなかったはずだ。
――まてよ…
ノベはあることに気づいた。
さっき見た動画が、おなじあの場所にいた自分になんの影響も及ぼさずに、コタツにだけ変化が現れたとしたら、彼やユキノにはまだとり憑いたままではないのか、と。
動画には、たしかに屋上出口の扉上にある蛍光灯の点滅が映っていたのだ。
――それが「ニッパ」を呼び出すトリガーになっていたとしたらエライことだ! あの動画を送ってきたのはユキノだ。送った本人が見ていないはずがない。
彼はユキノにチャットを送ろうとスマホを取り出そうとした―― 無いのだ。
――しまった!
あの投稿を読ませるためにスマホをイガラシに渡したままだったことに気づいた。
ノベは慌てて席を立ち、教室から飛び出した。もうチャットどころではなかった。彼の気持ちは急いて、一刻もはやくユキノを見つけなければ、と思っていたのだ。
あまりに突然のことだったので、彼を止める者はだれもいなかった。
ノベはユキノの家にいったことがないし、転校した学校も知らない。だが、行先に心当たりがあった。ノベの直感が当たっていれば、ユキノは「廃病院」にいっている。おそらくノベが教えたサイトを見たにきまっている。
校門を走り出て「廃病院」に向かった。
あそこにいくには住宅街をぬけて長い急な下り坂を駆け降り、国道を渡って、また長い急な上り坂を駆けあがらないとならない。サッカー部の合宿じゃないんだから、などと思っていたが、まさかそれをしなければいけない状況に追い込まれるとは考えてもみなかった。
ノベは息が切れるまで走った。ただひたすら間に合ってくれと念じていた。あるいは自分の直感がアテにならないことを証明してくれとさえ。
走りながら、ふと疑問がわいた。
刑事は、コタツが動画を見たことすら憶えていないといっていた。
――コタツは正気に戻ったあとにも動画を見たのだろうか? もし、とり憑かれたままなら、ふたたび飛び降りようとするのではないのか?
――まあ、あの身体では窓辺はおろか、ベッドから降りることすらできないだろう。ただ正気ではいられないはずだ。「ニッパ」の怨霊は、ときには効果を発揮しないことがあるのか?
そうであってくれ、とノベは祈った。
だが実際、ユキノの行方はわかっていない。あの動画の蛍光灯の点滅を見たことで、スィッチが入ったということは容易に想像できる。
あの合図とともに、「まっすぐにすすめ。障害物を乗り越えて、どこまでもすすめ」という指令が発動される。そして、とり憑いた「ニッパ」は、その指令を遂行し続けている。だれかが止めるまで、彼の最後の記憶をくり返すのだ。
住宅街のはずれにある、かつて中学校だった市民センターの脇までくると、まっすぐな長い下り坂の終点に交差点が見えた。突きあたりが国道だ。その向こう側の様子が、ここからでもわかった。
崖の擁壁にブルーシートが張られている。工事でもしているのか、と一瞬思った。高所作業車のほかにパトカーが何台か停まっていた。
――いや、事故………?
下の歩道には、黄色いテープの内外で青い作業着にキャップを被った人が何人も動き回っていた。背中には《POLICE》という字が読める。警察官が交通整理をしているのも見てとれた。
もし、ユキノがあそこの屋上から身を投げていたら、万にひとつも助かる可能性はない。それが屋上でないとしても、山のてっぺんに建っているのだから国道側に飛び降りれば関係がない。かりに助かっても無傷というわけにはいくまい。致命的な大ケガをするだろう。一生つきまとうような、とり返しのつかないケガを。
そう考えると、いま自分が見ている光景の意味を察することができた。
――遅かった… なんてことだ…
ノベは、その場で崩れ落ちるようにしゃがみこんだ。
*
あとでわかったことだ。ノベは事件の顛末をイガラシからきいたのだが、イガラシはワケ知り刑事からきいた事実を彼なりに噛み砕いて、全体像を想像したうえでノベに話したのだと思えた。さらに、これにはノベ自身の考察も含まれる。
どうやらユキノは病院のかつて中庭だったところのフェンスを一部断ち切って、そこから落ちたらしいということだった。遺留品として、彼女のスマホとともに家から持ち出したと思えるニッパが擁壁に引っかかっているのを発見された。フェンスのまえには供花や水のペットボトルが置かれていたそうだ。
あの朝、そう、ノベが校長室に呼ばれた日だ。あのワケ知り刑事が事情聴取にきたのは、実はコタツの件ではなかったのだ。
コタツが病院の窓から飛び降りようとしていた、ちょうどおなじころ、国道を通りかかった人が女性の遺体を発見して通報していた。頭から墜落していたため、遺体の頭部は損傷が激しいうえに身元のわかるものがなにもなかったらしい。
そこへコタツの事件。おなじ時間に似たような飛び降りが二件続けば、ワケ知り刑事でなくとも関連づけたくなる。
コタツは助かったが、その記憶がまったく無い。警察は現場の状況を分析するしかなかった。そんななかで、コタツが飛び降りるまえにスマホを見ていたらしいことがわかるのだ。そして、その日にはノベが面会にいっていたことも知る。
これだけ役者がそろえば、あとはユキノしかいない。ただ、遺体がユキノであるという確証が警察にはなかったと思える。そこでノベに事情聴取にきたのだ。
ノベの証言をもとにユキノの行方を追ってみたが、案の定、彼女の足どりはつかめなかった。ただ、最後に教えた「廃病院」の投稿のことから、点と点が繋がったのだろう。
家族は警察から連絡があるまで、娘がいないことを気にも留めていなかった。ユキノは、あのエキセントリックな性格のせいで夜出かけたり、友だちのところに泊まることが珍しくなかったという。そこで初めて家出人の届け出をするのだ。
ユキノは、どうやらノベが教えた「廃病院」の投稿を読んで、なにを思いついたのか、そこにいったらしい。家を出る間際、「ウチにニッパはないの?」と母親にきいていたという。
あとで発見された彼女のスマホの記録から、おそらく道々コタツからチャットが入ったのだろう。自分がいま、どこに向かっているのかをいわないところがユキノらしい。
立入禁止の敷地内には、そのつもりならどこからでも入れる。まわりが住宅街なので、大勢で心霊スポットめぐりなどにこようものなら目立って通報されてしまうが、女のコが独りで侵入しようとしているなどとだれも思わない。
警察の見解では「廃病院」サイトを見たユキノが、転校のきっかけとなった事故を踏まえたうえで、何十年まえの事件の犠牲者にシンパシーを感じて身を投げたのかもしれないし、あるいは単なる事故だったかもしれないが、いずれにしろ自分でフェンスを断ち切っていることから自殺とみられると発表された。
警察としては「ニッパ」の怨霊の仕業だったなどといえない常識的な立場がある。そんなものがあったとしても、いまとなっては証明できない。
ユキノは「ニッパ」を供養しようとしたのではないか。そして、持参したニッパでフェンスを断ち切ることによって、「ニッパ」を〝意識制御〟から開放できると考えたのかもしれない。
コタツからのチャットに返信している過程で、旧校舎の屋上に上がる様子の画像を発見したのだろう。どんなタイミングだったのかわからないが、それを見たことでふたりにとり憑いていた「ニッパ」のスィッチが《ON》になった。
本当のことはだれにもわからないが、ノベはそう見ていた。
*
風に乗って桜の花びらが、ちらほらと舞っている。やっと長い冬が終わりを告げたようだった。思えば去年の十一月から半年以上が経っているのだ。まるで、いろんなことが凝縮された波乱万丈の半年だった。
学校祭の準備の夜にユキノと出会い、そして「ニッパ」事件をはさんで、彼女との楽しかった日々、やがて彼女の転校を機にノベの運は急降下した。それどころか、彼と出会ったことでユキノを不幸に貶めたような気がしていた。
あのあとは最悪の気分だった。ノベはいい。彼自身の気分がどうであろうと、まだ生きているのだ。この先、どんな明るい未来が拓けるかもしれないという希望も持てる。
だが、ユキノやユウキはちがう。彼らはもうこの世にいない。ことさらユキノに関しては、ノベが興味本位で「廃病院」の投稿のことなど教えなければ、あんな惨い最期を遂げなくてもすんだかもしれない。
ノベはそんな後ろめたさに苛まれて、ひと月は引きこもりになっていた。すっかり快復したコタツが、クラスがちがうにも拘わらず「気にするな」と励まし続けてくれたお蔭で、この春には無事に三年生になれた。
コタツにはいくら感謝しても足りないくらいだが、それをいうと彼は「オレだってユウキのことを気に病んでる。そもそも、この事件を起こしたのはオレたちだから、巻き込んだオマエに対する償いの気持ちだ」という。
「ユキノだって、きっとそうだ。なんで彼女がそんなことをしなければいけないんだと思うかもしれないが、アレをなんとかしたいと思っていたんじゃないかな。霊感がある自分の使命だと思いこんでいたんだよ。ノベが廃病院のことを教えなければ、遅かれ早かれオレが教えてた」
そうやって、どこまでも遡ればノベたちは所詮そういう運命だったのだ、で落ち着いてしまうのだろう。しかし、どうごまかしてもユキノのことだけは悔いても悔いきれなかった。
もう陽ざしは初夏のものとなろうとしているここ数日、ノベはせっせと長い急坂を登っていた。山頂の「廃病院」の立入禁止のフェンスまえに、花を供えるのが日課のようになっていた。これがユキノに対するノベの、せめてもの懺悔のつもりだった。
できれば怨霊となって、自分にとり憑いてくれとさえ思っていた。そうなれば、いつも一緒にいられるじゃないか、と。
ユキノの命がけのおせっかい行動で「ニッパ」を成仏させたとノベは信じて疑わない。その証拠にコタツは、もうあの動画を見ても二度と高いところから飛び降りようとしない。
でも、いまだに残っている疑問がある。
――ユキノは「廃病院」の投稿を読んだだけで、「ニッパ」の供養を思いついたのか? いくら霊感があったとしても、たかが高校生だ。供養の方法まで考えが及ぶだろうか?
ユキノが生きていれば、それをたしかめたかった。
「?」
吹きつける風に、ノベは思わず空を見上げた。明るいブルーに吸い込まれそうな近さに空があった。木々の枝が騒めいている。その騒めきの音に混じって、なにかきこえた気がしたのだ。
鳥の声かな、とも思えた。
あるいは女のコの声にもきこえた。ちょっと齧歯類の小動物を思わせる顔で、彼の疑問にこたえるようにいうのだ。
――ひみつ!
額から滲みでる汗を彼は手で拭った。思わず頬が緩んでしまう顔を隠すように。
了
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
さっそく、来年に向けて書き始めようと思います。