伝説の正体
前回のあらすじ
旧校舎の屋上に現れた「アレ」にコタツも餌食になってしまった。
ノベとユキノは「アレ」から逃れるべく試行錯誤をした結果、ユキノが「アレ」が屋上出口の蛍光灯に同調していることに気づき、なんとか難を逃れたが、この事件でふたりは停学処分になる。
処分明けに校長室に呼ばれたふたりは、そこでノベの担任のイガラシから意外なことをきかされることになる。
――いまから三年まえのことだ。ちょうど学校祭の準備で、ろくに授業もないころ。
オレのクラスでは学校祭でオバケ屋敷をやることになっていた。企画した中心人物四人は、動画配信サービスなどから刺激をうけて「ホンモノのオバケ屋敷をそこに再現しよう」と考えた。
彼らは、このへんでは有名な心霊スポットと呼ばれている、ある廃病院にロケハンに出かけたんだ。といっても、さすがに夜中に出かける度胸までは持ち合わせていなくて、放課後まだ明るい時間にいった。
当然、それらしい奇怪な現象など起こるはずもなく、彼らは院内をめぐって撮影した動画を参考にするつもりでいた。もともと、かなりヤバい場所というウワサがあったらしいから、そこにいかずして体験できるとなれば、かなりの人気が出るだろうという目論見があったみたいだ。
各部屋をまわり最後に屋上にあがる階段まできたのだが、そこは窓がなくて日が射さない真っ暗な場所だった。いちばん雰囲気の悪い場所だったので、屋上まで上がるのを諦めようとしたそのときだった。
突然、踊り場にある蛍光灯がついた。だれも、そのスイッチをいじった者はいなかった。本来なら恐れをなして逃げだすところなのだが、まだ廊下には薄陽が残っていた。
だれかが「この気持ち悪い状況を撮ろう」といって、そこを撮影しはじめた。ところが撮影しようとすると蛍光灯は点滅しはじめた。その光景が、なんともイヤな感じなのだ。
「これこそ心霊スポットらしい映像だ」
彼らは、それをそれぞれのスマホに録画した。やがて蛍光灯は消えてしまった。もともと余力はなかったのだろうが、彼らの歩く振動か、なにかの拍子に通電したのだろうと、そのときは考えた。
彼らはオバケ屋敷を廃病院の印象をもとに、屋上で再現することにした。
三階から屋上にあがる階段のまえに受付をつくり、階段の踊り場に入り口を設けた。そこにベニヤでドアをつくって、開くと屋上への階段があるという構造なのだ。屋上出口の向こう側をベニヤで囲み、そこにオバケ屋敷本体をつくる予定だった。
入口から屋上出口までの階段を照らす照明を廃病院で見たように、わざわざ点滅するように細工した。それが禍の前兆になった。
クラスで参加するわけだから、クラス全員がそれぞれの持ち場を設営していたときのことだ。企画を立てた中心人物、すなわち廃病院をロケハンした四人は、メインの屋上で屋敷内をつくる作業をしていた。
入口担当の者が試しに照明を点滅させた。もう外は暗かった。
すると別の男子が「おい、ここヤバいぞ」といいだし、そこで作業していた連中を踊り場の下までさがらせた。
「どうした?」とクラス委員がきくと、その男子は「自分には霊感があるからわかるんだ」という。
ふと踊り場から階段を見上げれば、蛍光灯の不気味な点滅に、突然見慣れない格好をした者の後ろ姿が見え隠れしている。白い浴衣のようなものを着て、頭に包帯を巻いているようだった。男は屋上の出口に向かって、階段を上がっていくのだ。屋上には、まだ四人組が残っている。
何者かわからない怪人物が屋上出口の外へ消えると、霊感があるといった男子はクラス委員にきいた。
「なんだ、アレ?」
「どれ?」
しかし、クラス委員は要領をえない様子で「?」という顔をしていた。どうやら他の生徒たちには、アレが見えていないようなのだ。
「昔の病院の入院患者みたいなのが上にあがっていっただろ?」
〝霊感持ち〟がそういったとたんに、そこで見守っていたクラスの連中は一斉に引いた。女子たちは怯えているようだった。
彼は「廃病院から、なにか連れてきたみたいだ」というのだ。
「廃病院?」
クラス委員がきけば、〝霊感持ち〟はその特殊能力をかわれて心霊スポットのロケハンに同行したという。ところが現場までいった彼は、その禍々しい雰囲気に「やめた方がいい」と忠告したのだそうだ。ほかの四人は、それをきき入れずにロケハンを敢行したのだが、彼は途中で帰ってきてしまった。
後日、そのときの様子をきいて、なにもなくてよかったと思ったが、ロケハン隊からは「オマエ、ホントに霊感があるのかよ」とバカにされたらしい。
その話をきいたクラス委員は念を押すようにいう。
「するとオマエが見たのは… 」
「廃病院で、だれかがとり憑かれたんだ」
そのタイミングで屋上から声がきこえてきた。なんだか大騒ぎをしている。
「〇〇が落ちた!」
「〇〇」はロケハン隊の一人のことだ。〝霊感持ち〟とクラス委員は、近くにいた者にオレを呼ぶようにいって、屋上に駆け上がった。
そこで彼らが見たものは、フェンスをよじ登って次々と落下していくロケハン隊の姿だった―― 。
「オレにその話をしてくれた生徒も、そこで気が遠くなったといっていた。気がついたら病院のベッドの上だった、と」
イガラシの話は、三年まえの集団飛び下り事件だったのだ。なんと、そのクラスの担任がイガラシだった。どうりでオバケ屋敷に否定的だったわけだ。
その話をきいたのは、おそらく生還したうちの一人だったのだろう。
「話をきいたのはどっちだったんですか?」
「クラス委員だ。助かったといっても鎖骨を折っていたんだがな。〝霊感持ち〟はクラス委員を助けようとして一緒に落ちた。彼は頸椎を損傷して植物状態になってしまった」
その後、当然屋上へは立入禁止になったのだが、この経緯を知らない第三者からは不可解な事件となった。自殺する要因がどこにもなかったのだが、事故にしては被害者が多すぎた。警察も、まさか悪霊にとり憑かれたのが原因とは認めたくなかっただろう。
「オレが駆けつけたときは、もうどうしようもない状況だったんだ。ただ〝霊感持ち〟が、上がってくるなと叫んでいた。それに照明のスイッチを切れ、とも」
「それだけで、よく屋上の出口にある階段の照明だってわかりましたね?」
「受付担当の生徒が、ことの起こりは点滅する照明を試してみようとしてからだ、といっていたから」
「じゃあ、あの照明スイッチを壊したのは―― 先生?」
イガラシは頷いた。
「スイッチがロックされたようにバカになっていた。消せなかったんだ」
どうやら三階側のスイッチもデッキブラシで破壊したらしい。
「それでボクにもデッキブラシを渡したんですか?」
「オガタからオマエたちが旧校舎の屋上から降りられなくなったみたいだ、ときいたときに直感でアレだ、と思ったんだよ」
結果的にノベが自分のクラスの設営から離れて、コタツたちについていったのが功を奏したことになった。もし、これがユキノたちの担任だったら、彼女もどうなっていたかわからない。
しかし「アレ」は、三年まえに現れたものとおなじだったのだろうか? とノベは感じた。
三年まえに犠牲になった人が、その「廃病院」とやらから連れてきたものとは、ずいぶん印象がちがっている気がした。
「三年まえの事件以前に屋上から飛び下りた人はいなかったんですか?」
イガラシは首をふった。
「オレはきいたことがない」
学校からの帰り道、そのことをユキノにきいてみた。ユキノは妙に清々した表情で、またしても知ったかぶりみたいなことをいうのだ。
「制服を着ていたから、もっとまえにも飛び降りた人がいたんだと思ったの。でも今日、イガラシ先生の話をきいて腑に落ちたわ。アレはもともと、その廃病院にいたのよ。時間が経って、腐触がすすんで三年まえに犠牲になった亡者とのハイブリッドになったんだわ」
「ハイブリッド?」
「混じっちゃったの。でも、それは見た目だけで、本体は強い怨念を持った廃病院にいたものよ」
「そこが有名な心霊スポットだって知ってた?」
「きいてたけど、よくは知らない」とユキノは「廃病院」のウワサを話し出した。
そこは閉鎖された病院にも拘わらず、夜中、屋上に立つ人影を何人もの人が目撃しているという。まわりが住宅街なので、それほどの凄みがあるわけではないのだが、そのぶん目撃者も多いということなのだ。
その人影はフェンスを乗り越えて飛び降りるらしい。病院は山の上にあって、屋上から飛び降りると何十メートルも下を通る国道まで落ちる可能性がある。当然、命はないだろう。しかし、下の国道には人が落ちた形跡がないという。
そもそも立入禁止なのだから止めるヤツなどいるはずがないのだが、止めようとすると道連れにされるという、もはや都市伝説じみて尾ヒレのついた、とんでもないうわさとなっていた。
「旧校舎の屋上とおなじウワサ話じゃないか。こっちにきちゃったんだな」
「でも、トリガーになっている蛍光灯を壊したから、もう現れることはないんじゃない?」と楽観的なユキノだった。
でも、その「トリガー」を察知したのはユキノだ。ノベが功を奏したのではなく、やはり最大の功労者はユキノだろう。
「ねえ、ねえ、それよりさ」と、彼女はノベの袖を引っ張るのだ。
「どこの遊園地に連れてってくれるの?」
ユキノは紅潮させた顔でノベを見ている。たしかにノベはとり憑かれる寸前に、ユキノに衝動的にそういったことを思いだした。だが、もう遅かったと思っていたのだ。
「えっ…憶えてたの?」
「忘れるわけないじゃん。半ベソかきながら、いってたよねえ」
「なに? このヤロウ!」
ユキノは茶化すように走っていった。ノベは、癪にさわる〝霊感・エキセントリック・リス子〟だと思った。
だが、彼の気持ちは安堵感に満ちていた。さっきまですぐ横で楽しげにしていた彼女の心情が、なんとなくわかった気がしていた。
これでこの話は終わりではない。実はこのあと、もうひと展開あったのだ。
*
年が明けてからノベはコタツの見舞いにいった。
チャットでやり取りしてはいたが、やはりユウキのことでショックを受けていることはわかった。ノベやユキノも、もちろんおなじだったが、彼らはふだんの学校生活で紛らわせることができる。コタツの気持ちを考えれば、少し間をおいた方がいいと思ったのだ。
コタツは当時、意識をアレに奪われてそのまま入院したので、その後のことはまったく知らなかった。ノベはアレの出現の経緯から事故の顛末にいたるまでをチャットで報告していた。
コタツは元気だった。特異な事故だったせいで一人部屋に入れられたうえ、面会は家族と警察以外なかったらしい。もうリハビリを始めていて、彼は退屈していた。
「独りだとユウキのことばかり思いだしちゃってさあ」
「もっと早く来ればよかったな」
しかしこの間、ノベはユキノと楽しい時間を送っていた。そんなことをコタツにいえるはずがなかった。正直なところ、ユウキが亡くなったことでユキノに出会えたような気になっていて、このころになるとユウキのことさえ忘れかけていた。
「ヒマだから、その廃病院とやらのことを調べたんだよ」
「調べるって、どうやって?」
「このへんの心霊スポットで《廃病院》と検索したら、出てきた。たぶん、ここだと思うな」
コタツがいうには、この近くにある山の上に昔、病院があったらしいのだ。そこは、いわゆる精神病院だった。いまだに、その建物は残っているという。
「そこの屋上に人が佇んでいるのを見たという人が何人もいて、なかにはその人影が屋上から飛び降りるところを見たというものまであるんだ」
コタツが検索したサイトの受け売り話をきくかぎり、ユキノからきいたことやウチの旧校舎の屋上のうわさ話とおなじだ。
「早く解体しちゃえばいいのにな」
「なんでも解体しようとしたら、作業していた人が屋上から何人も落ちるってことで中止になったって」
「まちがいなくそこだな。アレの仕業だ」
「それで、これは本当かどうか知らないんだけど、こんな話がネットに載っててさ」
それは、その心霊スポットと化した「廃病院」についてのサイトに投稿されたものだった。
《投稿ネーム 博多大丸ラケット
これは、もう数年前に亡くなった私の祖父から聞いた話です。
祖父は生涯をこの廃病院のある地元で過ごしました。祖父が通っていた中学校は国道が通る谷間の崖の上にありました。その中学校は統廃合で、現在は図書館や集会室などを含む市の施設になって、設備の整った校庭もいまは市営のグラウンドになっています。父や私は統廃合になった別の中学校に通ったので、この学校のことは知りません。
国道を挟んだ反対側の崖の上に、いま廃病院となっている精神病院がありました。その当時はまだ診療していたそうです。
校庭は敷地の崖側にあり、一面にネットが張られていました。ネット裏には雑木林に見える繁みがあって、何メートルもいかないうちに国道を見降ろす断崖絶壁なのです。危険なのでネットは校舎より高く張られ、一番高い部分は猫返しになっていました。裏の繁みには入れないようにフェンスで囲まれていました。
でも、祖父たちは見えないところに穴をあけて、出入りができるようにしていたそうです。今より安全対策があまい時代だったので、祖父たちヤンチャ仲間はよくネット裏の木陰で過ごしたと言っていました。
断崖は、いまでこそ擁壁としてコンクリートで固められていますが、当時は地肌が剥き出しで落石防御のために、ここにも一面網が張られていたということです。そこでなにか危険な遊びをするでもなく、悪さをするでもなく、ただその崖の縁に座って国道を通る車の屋根や、対面にある病院の中庭らしきところを眺めては雑談に高じていたのです。
病院の中庭はこちら側より少し低いところにあったらしく、患者たちの運動の時間や掃除などをしている様子がよく見えたそうです。祖父が言うには、どうやら患者たちは自由に外に出たりはできなかったようなのです。
あとでわかったことなのですが、この病院は症状の重い患者が入っていて、しかもその大半が精神病由来の犯罪者に治療措置を施す専門施設だったみたいです。祖父の話では、こうした病院は当時、隔離された場所にあって一般人が容易に近づけなかった。今では道が整備され斜面は住宅街になっていますが、そのころは鬱蒼とした森の中にある、いわゆる忌地だったのでしょう。
祖父たちがそこで暇つぶしをするようになって、あることに気がついたそうです。向こう側の病院の中庭もフェンスで囲まれているのですが、運動や掃除の時間に必ずフェンス越しにこっちを見ている患者がいたらしいのです。
顔までは判別がつかないにしろ、遠目にもほかの患者たちと同じグレイっぽい浴衣を着ているのがわかったそうです。まちがいなく、ここに収容されている患者の一人だろうと、みんな認識していました。
いつからか、こちらから手を振ると彼も手を振るようになったと言っていました。向こうからもこっちが見えているようなのです。
そのうち彼は、なにかジェスチャーをしていることに気づきました。遠すぎて何のメッセージかわからないので、祖父の仲間の一人が双眼鏡を持ってきて、それで観察すると手をチョキの形にしてフェンスを切るようなしぐさをしていたと言います。どうやら、このフェンスを切ってくれと言っているようなのです。
そんなこと言われても、あんな急斜面を何十メートルも登っていくことすら無理です。こちら側から「無理だ」という意味で大きく手を振ったり、「×」の合図をして見せたりしたら、今度はなにか紙切れみたいなものをフェンスの外に投げ落とすようになったのです。
見ているとそれは断崖の途中に引っかかったり、谷間の風に流されたりして、まともに下に落ちてきませんでした。それでも彼は中庭に出てくるたびに投げ落としていました。
祖父たちも、それが何なのか気になって、やがて国道わきで待ち構える別動隊を用意して、やっと一枚を手にすることができたそうです。
それはグレイの布の切れ端でした。どうやら浴衣を少しずつ千切っては投げ落としていたらしいのです。そこには何か黒っぽいものを指で擦りつけたような文字で、「ニッパ」と書かれていたそうです。
「ニッパ」とは、おそらく電気コードなどを切る工具のことだったのでしょう。つまり、このフェンスを切るニッパを持ってこいという意味だと思われますが、そのころの祖父たちには「ニッパ」がなんのことかわからなかったと言っていました。
ある日、仲間の一人が「大変だ」と言って祖父たちを呼びにきました。どうやら向こう側の彼のことらしく、いつものネット裏にいってみると、病院の中庭で一人の患者が病院の職員相手に大暴れしているのが見えたそうです。双眼鏡でのぞくと、竹ボウキを振り回して大立ち回りをしているのは、まぎれもなく「ニッパ」の彼でした。
やがて彼は大勢の職員に取り押さえられ建物の中に連れ込まれてしまったそうですが、祖父たちは「なかなかやるじゃないか」と、そのときは彼のことをリスペクトしたと言っていました。
その日から数日は中庭に患者たちが出てくることがなかったそうなのですが、しばらくして、また運動の時間や中庭の掃除が再開されました。ところがその中に「ニッパ」の姿はなかったのです。おそらく大暴れが原因で、独房みたいなところに入れられたのではないかと憶測を巡らせました。
それからひと月以上も過ぎたころ、いつものように中庭を双眼鏡でのぞいていた仲間が「あれ、ニッパじゃないか」というのです。見てみると、たしかにフェンスのところに立ってこっちを見ているような様子の患者がいます。
「ニッパ」だと言い切れなかったのは、その患者は頭を包帯で覆って顔が見えなかったからです。動き方も少しヘンでした。まるで年寄りが歩いているかのようにヨチヨチ歩きをしています。大暴れをしていた彼とは、およそ別人としか思えないのですが、フェンスの前に立っている姿などは「ニッパ」を彷彿とさせたそうです。
ヤンチャな中学生たちの英雄「ニッパ」が消えてから、祖父たちの興味はこの包帯ぐるぐる巻きで顔の見えない患者に移りました。あれでは何も見えないだろうにというほど包帯で顔を隠してしまっているのに、中庭にいるときには必ずフェンスからこっちを見ているようなのです。
もう一つ奇妙なことがあったと言います。
掃除のときにも〝包帯男〟は中庭に出てくるのですが、必ず近くに職員がいてホイッスルで指示をしているように見えたというのです。ロボットのようにゆっくりと竹ボウキで掃いているのですが、フェンスの前にくるとこっちを見ているように、ぼうっと立っています。気づいた職員がホイッスルを吹くと、また竹ボウキで掃きだすのです。そのホウキの扱い方もまるで杜撰で、まっすぐ立って腕を左右に動かしているだけのようにしか見えないのでした。
やがて終了のホイッスルが吹かれると手を止めて、ヨチヨチと回れ右で建物の中に入るといった具合でした。「ニッパ」でないにしても、あんな人間がいるだろうかと、そっちのほうが気になるくらいに奇妙に見えたらしいのです。
事件が起こったのは、それからすぐでした。
病院の中庭と谷間の国道にパトカーやら救急車がきていました。病院の屋上から患者が飛び降りたらしいのです。屋上のフェンスを乗り越えて、急斜面に激突しながら何十メートルも下の崖の途中の防御網に引っかかっていたそうです。当然、無事ではすみません。即死だったようです。
当初、自殺とみられると発表されたのですが、この事件以降、「ニッパ」も〝包帯男〟も見かけなくなったと祖父は言っていました。もとより、中庭に患者たちが出てくることは、もうなかったのです。この病院自体が廃業することになったからでした。
この事件には驚くべき裏事情がありました。
それは病院の職員からの内部告発が発端でした。病院長らが、凶悪な事件を起こして収容された者や、凶暴性のある患者に対して生体実験をしているというものでした。
告発による管轄官庁の査察があることを察知した病院長らは、実験をした患者を自殺に見せかけて始末したというのが真相だったのです。
この犠牲者が〝包帯男〟であることは、ほぼまちがいないと思われます。ただ、〝包帯男〟が「ニッパ」なのかと言われれば、それはたしかめようがありません。でも、大暴れをしていた直後から姿を見なくなったことや、病院の職員が言う「凶暴性のある患者」といえば、あの日大暴れをしていた「ニッパ」をどうしても思い出してしまう、と祖父は言っていました。同時に「ニッパ」は「凶悪な事件」を起こして、ここに送られてきたのだろうとも想像がつきます。
病院長以下、数名のこの手術に関わった職員が逮捕されたことで、経営者を失った病院は閉鎖となりました。そして、ここを解体する業者が何回も代わったのは有名な話です。作業員が屋上から落ちる事故が必ず起きるのです。
あそこに関わると死者が出るといううわさが、まことしやかに流れました。やがて誰もここに近づかなくなりました。いわくつきのスポットがここに誕生したのです。
長々とここが廃病院になった経緯を記しましたが、私はここが心霊スポットとなった原因は「ニッパ」の怨念ではないかという気がしてしかたがありません》
この投稿にはフォローがあった。
《投稿ネーム 名無しのゴンザレス
昔、写真週刊誌で告発した病院職員のインタビュー記事を読みました。衝撃的な事件だったので憶えています。
病院長がやっていたのは〝意識制御〟と呼ばれる、人間をコントロールするための手術だというのです。
脳のある部分にメスを入れると、どんなに凶暴性がある患者でもおとなしくなるらしいのです。ただし、それだけではなくて何もかもが怠惰になってしまう。ぼうっと一日を過ごすだけになる生きた屍のようになるというのです。
そこで言語中枢を遮断して喋れなくしたうえで頭に電極を埋め込み、リモートでスィッチを入れると電流が流れるようにします。当然、激しい衝撃を受けるわけです。
喋ることができなくとも言葉は理解できますから、従わない場合は電流を流すということを身体に覚えさせるのです。命令に従わないと痛い目に遭わすぞ、という合図を笛や光の明滅などで予告して、行動をコントロールできるようにするというのが〝意識制御〟の仕組みだったようです。動物の条件反射みたいなものだと思えばいいでしょう。
病院長の持論は、凶暴性のある患者の大半が、それこそ凶悪な事件を起こしたうえに責任能力がないことを理由に不起訴となりここにきている。とくに人を手にかけるような人間は精神鑑定をするまでもなくマトモではないのだから、罪から逃れたぶん、せめて世の中の役に立ってもらうのが当然と考えていたみたいです。そこで本来、病院の職員がするべき雑用をこの〝意識制御〟を施した患者にやらせていたのです。
屋上から飛び降り犠牲となった患者は、屋上階段に据え付けられた照明の明滅が「まっすぐにすすめ。障害物を乗り越えて、どこまでもすすめ」という命令の合図だったと、この元職員はいってました。
この患者の遺体の損壊具合は、それは酷いものだったようです。いじられた頭部は熟れ過ぎのトマトを壁にぶつけたときのように潰れていて、どんな手術を施したのかもわからないくらいだったそうです》
さらにフォロー。
《投稿ネーム 闇鍋奉行
この病院長は戦時中、たしか都内にあった旧陸軍の研究施設に勤務していたというのを何かで読んだことがある。
そこは戦後四十年以上たってから、跡地利用のために解体されたのだが、地中から人骨が百体以上出てきて大事件になった。バラバラになったものや頭部に人為的に穴をあけたと思われる人骨が出てきて、生体実験をやっていたのではないかと憶測された。
この事件は、かなりの時間が経過していて当事者のほとんどが亡くなっているし、遺骨の検分を引き受ける病院がなくて、うやむやのうちに闇に葬られている状況だ。
ここでやっていたことの続きをやりたかったんだろうな。マトモじゃないのはオマエだ、とツッコまれてもおかしくない》
ノベはコタツから見せられたサイトの投稿を読んで、この最初の投稿者は自分たちの近くに住んでいる人なんだろうと推測した。そして、これらのフォロワーたちのいずれも自分の親くらいの年代の人たちなのだろうと想像できた。
ノベらの高校も「廃病院」のすぐ近くだ。歩いていこうと思えばいける距離なのだ。ただ、オバケ屋敷カフェをやろうとしたコタツでさえ、素材探しでここに近づかなかったのは、ここが立入禁止だったことと、地形的にも面倒な場所だったからなのだ。
ここにいくには傾斜が急な坂道を延々と登らなければならなかった。苦労して登っても、なかには入れない。サッカー部の合宿ならそれも意味があるだろうが、学校祭の催しのためにそこまで不毛な努力をするヤツはいない。
だが、三年まえの事件の犠牲者たちはそれをしたのだ。そのあげく、とり憑かれた。皮肉な話だ。
「ニッパだったんだよ」
ふいにコタツがいった。
「オレたちが見たあのオバケはニッパだったんだ」
ノベは頷いた。ここにアレの出自がすべて記してある。「ニッパ」以外には考えられない。だがノベは、それよりもっと驚くべきことに気づいた。ユキノのことだ。
「ユキノはホントに霊感があったんだな」
「だから、ユキノには霊感があるっていっただろ?」
コタツは、いまさらなにをいってるんだという顔つきをした。
「いや、まあ半ばいい加減にきいてはいたんだけど、あれほどの能力があるとは思わなくて。実はアレが現れるタイミングが屋上出口の蛍光灯の明滅だと気づいたのは、ユキノなんだよ」
「そうなの?」
コタツこそが、いまさらのように驚愕の表情をした。
「アレは三年まえの事件の犠牲者よりもまえの亡者だ、といったのもユキノだし」
「そうだ、たしかにいってたな」とコタツは腕を組んで真面目くさった顔をした。
そして思い出したように、ポンと手のひらをこぶしで叩く。
「アイツ転校したの知ってる?」
「ユキノが?」
そんなことはきいてないぞ、とノベは驚きを隠せなかった。そんな大事なことをなんでオレにいわないんだ、と。
「いつ? どこに?」
「三学期が始まって、すぐだって。どこかは知らないけど、近くの高校だと」
「近くの高校? また、なんで?」
家庭の事情なら、近くの高校になんか転校するわけはない。父親の転勤先か、高校を辞めるかだろうとノベは訝った。
「そんなこと、オレにきかれたってわからない」と肩をすぼめて見せた。
あれから、ずっと入院していたのだ、コタツにわかるわけはない。だれかからきいたのだろう。詳しく知らないところを見ると、本人とは話していないことがあきらかだ。
「なんで… あと一年なんだから、ウチの高校を卒業すればいいじゃないか」
「なあ」と同調するフリはするが、コタツはそんなことより、晩のおかずがなんなのか気になっているようにしか見えなかった。
オマエはそうかもしれないけどオレにとっては重大なことなんだ、とちょっと癇に障った。だが、そういわれてみれば、ノベにも思いあたるフシがあった。
三学期になってから学校でユキノを見かけることがなかった。顔を合わせていれば、今日はユキノも誘おうと思っていたのだ。
コタツは「今月中には退院できそうなんだ」というので、「そりゃ、よかったな」とノベも適当にこたえて、その日は病院をあとにした。
つづく
前回は、まちがえて投稿を早めてしまいました。おかげで小出しにしていた投稿分を使ってしまいました。
そもそも予約投稿をキャンセルしたのが、まちがいの始まりだったみたいです。
次回、最終回ですが、原則通りに金曜日23時に投稿できるように努力します。