悪霊との死闘
ここまでのあらすじ
ノベは高校二年生。
学校祭の準備の夜、かつて同じクラスだったコタツたちと心霊スポットの動画を撮るために、立入禁止の旧校舎の屋上に侵入する。そこは三年まえに生徒が集団飛び降りをした事件の現場だった。
そこで、うわさ通りの「アレ」に遭遇した彼らのうち、ユウキがついに犠牲になり、コタツは独りで逃げてしまった。
「また、きたのか!」
意に反して、現れたのはコタツだった。
「コタツ…?」
もどってきたのかと思ったが、彼は様子がヘンだった。目が虚ろで顔色もよくない。ノベの呼びかけにも反応しないのだ。
「だから、いっちゃダメだって… 」とユキノは目を伏せた。
「コタツ!」
近寄ろうとするノベの手をユキノは離そうとしない。
「ダメだよ、キミも巻き込まれるよ」
「えっ、どういうこと?」
コタツはゆっくりと歩きだした。フェンスに向かっているのだ。
「おい、まさか…」といっている間にも彼はフェンスをよじ登り、夜の中空に消えていった。下から、また「うわーーっ」という叫び声がきこえてくる。下界は、もう大騒ぎだ。
「ユキノ!」
ノベの腕にすがるようにしているユキノを怒鳴りつけた。
「どうするんだよ! コタツを止められたかもしれないだろ!」
彼女は、もう泣きながら首を振るのだ。
「無理だよ、キミも連れていかれちゃうよ」
どうやらユキノは、ノベを助けようとしてくれたらしい。ノベはユキノの腕をふり払うのをやめて、彼女の傍らにしゃがんだ。
「ユキノ、教えてくれ。なにが起こってるんだ、いったい?」
ノベのネコなで声に、少し落ち着きをとり戻した〝霊感・エキセントリック・リス子〟は教えてくれた。
「昇ってきたアレにコタツクンは遭遇したのよ。とり憑かれたの。それを止めようとすれば、キミもおなじようにとり憑かれるわ。そうなったら、もうどうしようもない」
「マジか… 」
ノベは途方に暮れた。
「オレたちは、ここから逃れられないのか?」
冷静に考えれば、ここは学校の屋上だ。いくら、いわくつきの場所でホンモノのオバケが出るとしても、校舎の内外には生徒がたくさん残っている。待っていれば、だれか助けにきてくれると気づいた。
だが、またしてもユキノの見解はちがっていた。
「屋上への階段を上がろうとすれば、コタツくんの二の舞だよ。アレは何度も何度もくり返してるんだから」
「餌食になるってことか!」
そのとき、ノベはエライことに思いがめぐった。このままにしておけば、まちがいなくだれか上がってくるだろう。
「大変だ、ここにこないように教えないと!」
ノベはクラスの残っているヤツに連絡を取ろうとした。ただ事態が事態だけに、ノベらがふざけていると思われても仕方がなかった。かえって人を呼び寄せることになりかねない。
考えあぐねた末に、担任につなげてもらうことにした。ユキノのクラスは頼りなさそうな若い女の先生なので、ノベのクラスの担任に話すことにした。
さっそく、まだ果てしない議論の最中かもしれないクラス委員に連絡を取ってみた。
《オマエ、どこにいるんだよ?》
クラス委員の〝オガタ〟はすぐに出た。彼の声の後ろは、なにやら騒がしかった。
《いまだれかが屋上から落ちたんだ。知ってるか?》
どうやらオガタは、ふたりが落ちた現場にいるらしかった。騒がしいのは野次馬が集まっているせいだろう。
「・・・が落ちた!」と叫ぶ声や泣いているような男子の声、遠くで救急車のサイレンの音も聴こえている。
「そのことで〝イガラシ〟に連絡を取りたいんだよ。伝えてくれ」
「イガラシ」というのは、ノベのクラスの担任だ。
《どこにいるんだ、オマエ?》
「屋上だ、降りられないんだ!」
《・・・え?》
「屋上!」
《もしもし・・・?》
「もしもし、聴こえるか?」
《どこにいるんだよ? なんかうるさいぞ、そこ》
どうやら騒がしいのは現場の方ではないらしい。オガタの反応の仕方だと、こっちで賑やかな声が聴こえているようなのだ。
ノベは大声で何度もおなじことをいった。
「とにかくイガラシに、電話して、といってくれ!」
《どこにいるんだ、オマエ?》
「屋上。お、く、じょー!」
《屋上にいるのか、オマエ? 旧校舎の? それでそんなにうるさいのか?》
「オガタ、くるなよ。絶対にくるなって、みんなにいえ!」
《だってオマエ、そこにいるんだろ?》
「降りられないんだ!」
《え・・・ なんだって?》
また、いちだんと騒音が激しくなった。
「お、り、ら、れ、な、い、の!」
ノベは現場にいるオガタに、じかに聴こえるくらいのボリュームで怒鳴った。
《降りられない? なんで、そんなところにいるんだ?》
「いいからイガラシを呼んでくれ!」
《うしろで聴こえてる女の声はなんだ?》
「女の声?」
ノベは耳を澄ませて、屋上を見渡した。たしかに女の声が聴こえていた。
なんと、ユキノが離れたフェンスの端で叫んでいたのだ。
「屋上にこないでー! 降りられなくなるよーっ!」
ノベは〝絶叫・霊感・エキセントリック・リス子〟を呼んだ。
「ユキノ、ユキノ!」
ユキノは暗い屋上の端から戻ってきた。
「アレの通るコースから外れてるから大丈夫」
なんだか急に覇気をとり戻したようだ。ノベは頷きながらきいた。
「いまクラス委員のヤツに連絡を取ったんだけど、オレたちしかいないのに、スゴイ騒がしいんだよ。ちゃんと伝わったかどうかわからない。アレが妨害してるのかな?」
「妨害とかじゃなくて、その当時の様子を再現してるんじゃないかな」
「アレが?」
ユキノは黙って首を縦に動かした。
冷静になると、たしかにさっき聴こえていた救急車のサイレンも聴こえない。
すると、あの叫び声や泣き声は犠牲になった当時の生徒のものかと、ノベはゾッとした。三年まえの現場の音が聴こえていたのだ。
「これでヘリコプターでもこないかぎり、オレたちはここから降りられない」
ノベは半ば覚悟を決めて屋上の床に座った。ユキノもノベの横にしゃがむと「ねえ、アタシ気づいたんだけど」と顔を覗きこむようにした。
「最初に階段のまえまできたときには、なにもイヤな感じがしなかったのよ」
「そういってたよな、キミは」
「ところが屋上にあがる階段を昇りはじめて、そう、踊り場でユウキクンが明かりをつけたよねえ?」
「ウン、ウン」
「突然、耳鳴りがしはじめて平衡感覚がなくなったみたいになったのよ!」
「つまり、アレは階段にいたんだろ?」
「アタシが思うに、明かりのスイッチをつけた途端にアレが現れたような気がするの」
「TVみたいに?」
あまりに突飛なユキノの推理に、ノベは鼻で笑った。
「まさか… 」
「一度やってみようよ」
「なにを?」
じっとノベを見つめるユキノの顔を見ていたら、彼女のいわんとしていることがわかった。階段の照明のスイッチを切ってみようということなのだ。
それと同時に、もうひとつ気づいたことがあった。このコはメガネをかけていなければ、けっこう可愛いのではないか、と。でも、それは口に出していわなかった。いま、そんなノンキなことをいっている場合ではない。
「どうやってスイッチを切るんだよ。アレに遭遇したらおしまいだぞ」
「アレのルーチンとルーチンの間隙を突くしかないと思うんだけど… 」
彼女の目は屋上の出口を見ている。
あいかわらずアレは出口の扉を開けて出てきては、フェンスから飛び降りるというルーチンをくり返している。生身の人間だったら、もう何回死んでいるのか。亡者だからこそできる業だ。
「間隔が一定じゃないようなのよね」
「ほら」と、ユキノは扉の網入りガラスの窓の内側で点滅している照明を指さした。
「あの点滅の仕方に同期してるんじゃないかと思うんだけど」
「まさか… オバケだぜ? ゲームじゃないんだから」とはいったものの、ノベにもアレの現れるタイミングは不規則に思える。
「もしキミの考えのとおりなら、逆にアレが現れて消えるまでの間に消せばいいんだ。だから、アレが見えているうちに消しにいくんだよ。なっ、なっ?」
ユキノは腕組みして唸っていた。
「走っていって、スイッチを切るだけだぜ。充分、間にあうだろ?」
「やってみようか」
やっと、その気になってくれたようだ。
当然、ユキノに「キミがいく?」なんてきくわけにはいかないだろうな、とノベは思った。こういう場面では男がいくに決まっている。しかしいざ、その瞬間になると怖気づいてしまうのだ。
「大丈夫、アタシが見てるから」
ノベは心もとなく頷いて、低い姿勢で出口に近づいた。ドアの脇にしゃがんでスタンバっていると〝霊感・エキセントリック・リス子〟は「OK、OK」と合図して、能天気にほほ笑んでいるのだ。
――楽しそうだな、キミは。オレの身になってみろ。ひょっとしたら死ぬかもしれないんだぞ。
――しかし、ここから落ちたら痛いだろうな… どうせ死ぬなら、もっとマシな方法がないものか?
――ユウキやコタツはどうしたろうか? 痛かったろうな。ふたりとも死んでしまったのだろうか?
ほんの短い間に、そんなことを目まぐるしく考えた。やっと遠くから救急車のサイレンが聴こえてきた。パトカーのサイレンもする。
「おい!」
ふと気づけば、ユキノが険しい顔をしてノベを見ていた。「いつ、いくんだよ」という視線を投げている。どうやらアレは、この間、三往復くらいしている。
「いくよ、いきますよ。いけばいいんでしょ」
彼は、ついつい死ぬ気になっていた。
――冗談じゃない、殺されてたまるか!
アレが扉を開けて現れた。
コタツがいっていた顔がよく見えた。「のっぺらぼう」というより、口から上の部分が滲んで輪郭がぼやけている感じだった。黒板消しで雑に消した痕のように見えた。残っている唇が妙に端正で、マネキン人形のように無機質な不気味さを増幅させていた。
アレは少し佇んでから、ゆっくりと歩きだす。
ノベはアレの背中を見ながら、そっと扉のなかに手を入れてスイッチを探した。どうしても恐ろしくて目が離せなかった。手探りだと、ぜんぜんどこにあるのかわからないのだ。
なかをのぞくと扉のすぐ横にあるではないか。
あの高さか、と手を伸ばせば「跳んだ!」というユキノの声。
ノベは慌てて扉の陰に隠れる。すぐに階段を昇る足音がきこえてアレが現れた。よし、今度はアレの背中が見えたら、すぐなかに入ろう。
アレのルーチンが始まると同時に、ノベは扉を開けてなかに入った。そして焦る気持ちでスイッチを切った―― つもりだった。
切れないのだ。スイッチが《ON》の位置から戻らないのだ。
「なんだ、これは… 」
スィッチはまるで固定されているように、ピクリとも動かない。何度やっても壁を押しているような感覚なのだ。
「跳んだ!」
ユキノの合図にノベは泣きそうになりながら、彼女のもとに戻った。
「ダメだ、固まってる!」
「リラックスして!」
「そういうことじゃない、スイッチが動かないんだよ!」
ユキノは「えっ」と眉をひそめた。
「そろそろ、だれか上がってきちゃうぞ」
ユキノは少し思案に暮れているようだったが、自分に頷いていうのだ。
「スイッチをブロックしてるってことは、やっぱりあれがトリガーになってるんだよ」
「そうだろうな。そうだろうけど、そんなことを分析している場合ではないぞ…」とノベはいいかけて、ふと思いついた。
「照明の点滅を消せばいいんだろ?」
彼は手を叩いた。
「簡単なことだ、蛍光灯を抜けばいいんだよ」
「そんなことできる?」
ユキノの身長では、たぶん無理だろう。
ノベは、また所定の待機位置に戻った。そして、さっきのタイミングで素早く扉の内側に入る。思惑通りに照明に手をかけようとして愕然とした。
照明には、白だか、黄色だかわからない薄汚れたプラスチックのカバーがかかっているのだ。見れば、両端を細かいネジで留めてある。
こんなもの、専用のドライバーがなければ外せないではないか。
もう、壊すしかない。ノベはあたりを見回した。手頃な得物はないかと思った。しかし、こんなときに限って、ここにはキレイになにもなかった。
こうなったら、とノベは上履きを脱いで、その爪先を持って踵を叩きつけようと考えた。
「跳んだ!」
もうちょっとのところだったのにと、ノベはポジションに戻り、屋上のスペースを見回す。なにか得物がないか探したのだ。
「ねえ」とユキノが手招いていた。
ノベは、またユキノのそばに近づく。
「やる気があるの、キミ?」
「バカいえ!」
こっちは命がけなのだ。状況を話すとユキノもあたりを探してくれたのだが、さすがにふだんから《立入禁止》の場所だけあって、なにもない。
「ねえ、ねえ」
また彼女は呼び寄せるのだ。
「アタシに考えがあるんだけどな」といって、突然ノベのズボンのベルトをはずしはじめた。
「オイ!」
ノベは今日初めて口をきいた女のコの頭をハタいた。
「なんで明かりを消してズボンを脱がなければいけないんだ、おかしいだろ!」
しかし彼女はノベのズボンからベルトを抜き取ると、にこやかに恐ろしいことをいう。
「アタシがオトリになるから、その間に下に降りてなにか探してきて」
「オトリって… 」
ユキノは自分の腰のあたりにベルトをまわして、「こうやってフェンスに固定すれば落ちることはないでしょ?」と平然といった。
名案だった。このコはどこかおかしいと思っていたが、意外と頭はまわるかもしれない。
「正気か、オマエ?」
小首を傾げて微笑む姿はあまりに健気すぎて、ドラマなら半ベソで、ぎゅっと抱きしめなければいけないような場面だったろうと思えた。
「よし、わかった。オレがオトリになる」
どうせ命を賭けているのだ、このくらいの度胸があることを見せておかなければなるまいと覚悟を決めたのだが、ユキノは冷静だった。
「アタシじゃあ、壊せないよ。力も運動神経もないし、蛍光灯に届かないかもしれないでしょ?」
ノベは、ユキノをじっと見つめてからいった。
「そうだな。ちょっといってみただけだ」
「この!」
ユキノはさっきのお返しとばかりに、ノベの頭をハタくのだ。オレたちはいいコンビじゃないだろうか、と思わず彼は感じた。
ノベはベルトのバックルをはずして、ユキノの腰にしっかり締まるくらいの長さに噛みあわせた。ここなら抜けてしまうことはない。
出口の扉が開き、今日何回目かのアレの登場だ。今回アレが跳べば、すぐにユキノはそのルート上のフェンスに身体を縛りつけることになる。まるでイケニエだ。
「よし、跳んだ!」
ノベたちは急いで飛び込み位置に移動し、ユキノの身体をフェンス越しに縛った。ユキノはバックル部分を背中の方にまわし、とり憑かれても自分で外せないように手を届かなくした。やっぱり、このコはキレる、と見直さざるをえなかった。
万事整ったと思った瞬間に、彼女はノベを押しのけるように突き飛ばした。
「?」
のけぞったノベの脇にアレが迫っていたのだ。
「ユキノ… 」
ユキノは親指を突き上げて笑顔を見せた。
彼は、こんなカッコいい場面を自分ではなく、〝霊感・エキセントリック・リス子〟にとられることを残念がった。ノベはつい、ふだんならいいそうにないことを叫ぶのだ。
「ユキノ、学校祭が終わったら一緒に遊園地にいこう!」
彼女の返事はなかった。
アレはもう彼女の身体に覆いかぶさっていた。ユキノの顔から表情らしきものが失われていくのがわかった。ノベの言葉が励みになってくれることを祈るしかなかった。
――しまった!
人が悪霊にとり憑かれていくところを観察している場合ではない。ノベにはミッションがあるのだ。なんのためのオトリなのか。
アレがいない間に階段を駆け降りた。アテがあったわけではなかったのだが、教室に入ればなにか得物になるものがあるはずだと漠然と考えていた。
踊り場まで降りると、どこかからデッキブラシが飛んできた。
「!」
「これをつかえ!」
担任のイガラシの声みたいだった。
「えっ?」
下をのぞくとイガラシのほかに、何人かが三角コーンの向こうにいるのが見えた。オガタや校長もいた。警察官や救急隊員もいるようだ。
イガラシはいうのだ。
「出口の照明をそれで叩き壊せ!」
まるでイガラシは、なにもかもお見通しのようだった。そんなことで戸惑っている場合ではない、ユキノがオトリでなくイケニエになってしまうかもしれなかった。
ノベはデッキブラシを拾うとふたたび駆け上がり、出口の上で点滅している照明を一撃した。破裂音が響き、あたりは一瞬、漆黒の闇に包まれた…
*
その後、ノベは警察で事情聴取を受けた。ノベは見たままのことをいったが、さすがにアレのことを信じてもらえるとは思えなかったので、アレが登場しない状況で話をした。
担当の刑事はノベがなにもいわないうちから、ユウキはフェンスから身を乗り出し過ぎて落ちた、コタツはそれを助けようとして巻き添えになった、と勝手に顛末を憶測した。
そして最後に独りごとのようにいった。
「三年まえの事件と、まったく一緒だ」
ユキノは病院に運ばれた。助けられたときには、ベルトでしっかり固定したにもかかわらず、向きを変えてアラレもない姿でフェンスにぶら下がっていた。照明を破壊した途端に気を失ったのだ。
彼女も正気をとり戻してから、ベッドの上で聴取を受けたらしい。大筋でノベとおなじことを話したので、それ以上のお咎めはなかったが、《立入禁止》の場所に入って事故を起こしたことで、ふたりとも学校から停学処分を受けることになった。
ユキノは擦り傷だけだったのですぐに退院できたが、コタツはそうはいかなかった。コタツは助かったのだ。ただ肋骨と左足の複雑骨折という、ノベらよりも重い処分を受けることになった。
ユウキはダメだった。コタツは命まで落とすことはなかったのだが、ユウキは頭から落ちた。両親が医者からいわれたのは、助かったとしても意識が戻ることはないでしょう、ということだった。頭蓋骨が陥没するほどの衝撃だったらしい。
この事故で、当然ながらノベらの動物園も、ユキノたちのオバケ屋敷カフェも実施されることはなかった。それどころか、学校祭そのものが中止になった。学校祭の期間、全校生徒は自宅待機という措置が取られたのだ。
どっちにしてもノベとユキノは停学処分だからおなじことだったのだが、ほかの生徒たちには大変な迷惑をかけることになった。
*
停学が明けた十二月に、ノベとユキノは校長室でこってりとアブラを絞られることになる。お互いの担任も同席していた。校長は通り一遍のいうべきことをいうと、「あとはお願いします」と席を立った。
今度は担任から絞られるのかと肩を落としていると、ノベの担任のイガラシはユキノの担任も追い出して、ノベたちに「まあ、座れ」といった。校長室の来客用ソファに三人は顔を突き合わせるように腰かけた。
「オマエたち、アレを見たのか?」
「?」
イガラシのいう「アレ」とは、ノベたちが口にしていた「アレ」とおなじものだろうと、ピンときた。
「先生はアレを見たことがあるんですか?」
イガラシはメガネの奥で、ノベを射るようなまなざしでとらえた。
髭が濃く、細かく巻いたクセ毛が特徴のガタイがいい体育教師なのだ。齢のころなら四十くらいだろうか。
「見たんだな?」
「アレのことを知ってるんですか?」
「いや、知らん」と首をふった。
「知らん」はずはない、とノベは確信をもって食い下がった。
「でも、あのときデッキブラシで照明を壊せっていったじゃないですか」
「知らんが、きいたことはあった」
どうやら「アレ」の存在を知らないのはノベたち生徒だけらしかった。警察で聴取を受けたときも、あの刑事はなにか知っているような素ぶりだったではないか。
「いいか」とイガラシは、もったいぶったような調子で話しだす。
「そんなものを見たなんて、やたらに吹聴するんじゃないぞ。オレはオマエたちのためを思っていってるんだ」
ノベはユキノと視線を交わした。
「オマエたちふたりが見たといえば、必ず正気を疑われる。医者の診察を受けたあげくに、そういう施設に送られかねないことになる。イヤだろ?」
なるほど、そういうことかとノベもユキノも、それについては納得した。
「他人は存在が認められてないようなものを認知したがらないんだ。特に非常識なものは」
「わかりました。いいません―― でも」
ここでやっとイガラシは口角を上げた。
「わかってるよ、オマエのいいたいことは。さっきもいったが、オレはアレのことは知らん。それは本当だ。だが存在には、うすうす気づいていた」
そこから驚くべき話をはじめた。
つづく
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