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学校祭前夜

遅筆なものですから、テーマが出てから書き出すと来年になってしまうと思い、どんなテーマにも対応できるように幅を持たせて早々に書き始めたのですが、テーマが出てから例のなかに「旧校舎の入らずの~」みたいなのがあって、ちょっと驚いたものでした。

 うす暗い階段を昇っていく。

 見上げると、点滅をくり返す蛍光灯の下に鉄製の扉がある。白い塗装がところどころ剥げ落ちた冷たい鉄扉を開けると、そこにグレイ地のコンクリートの床面がひろがっていた。

 ゆっくりと前進して、目のまえに立ちふさがる緑色のフェンスの網目に足をかけ、そこを乗り越える。大きく向こう側に跳躍するのだ。

 夜空を華麗に舞って飛び降りたところは、またさっきとおなじ殺風景な階段の踊り場だった。埃くさい色褪せた階段をあいも変わらず心細げな蛍光灯が点滅している。

「まっすぐにすすめ。障害を乗り越えて、どこまでもすすめ」

 点滅はそういっていた。

 彼はまた、そこを一段一段ゆっくりと上がっていく…


                 *


 学校祭の当日は明後日だというのに、設営は遅々として進んでいなかった。

 さっきからクラス委員と現場のリーダーが不毛の議論を続けていた。今朝からこれのくり返しだった。なにかひとつ決まると次のものが決まるまで小一時間はかかっていた。

 そもそも最初に配置図や行程表をつくらない杜撰な計画が、この事態になっている。

 クラスの大半の者はその間、時間つぶしをしていなければならないのだ。日はもうとっくの昔に暮れて、時計の針は七時を過ぎようとしている。

 そうかといって〝ノベ〟は意見をするでもなく、ぶらぶらと廊下と教室をいったりきたりしていた。修学旅行の夜のような気分で、こんな時間までみんなと学校に居残っているのは楽しかった。

 学校祭に参加するクラスは、教室内ではできない作業を廊下でやっている。ついさっきまではかなり賑やかだったのに、そろそろ引きあげ始めたクラスもあるようだった。

 廊下の窓に片肘ついて、ほかのクラスの様子を見ていると、去年おなじクラスで仲がよかった〝コタツ〟と〝ユウキ〟が通りかかった。

「なにやってんだよ?」

 彼らはノベに気づくと、そういって近づいてきた。よく見るとふたりの後ろにいる女のコも、どうやら()()らしかった。髪をパツンと目のうえでそろえて大きなメガネをかけた、ちょっと齧歯類の小動物を思わせるコだった。

「べつに、なにも」

 そういって、ノベは教室のなかを指さした。

 彼らがなかを覗きこむと、ふたりの男子が言い合いをしている。それを数人が取りまいて見ているといった様子だった。

 コタツは不思議そうな顔できく。

「ケンカ?」

「ケンカではないな。水槽の置き場所をめぐって議論しているんだ」

「すいそう?」

「オマエら、なにをやるんだよ?」

 コタツの肩越しにユウキがきく。

「動物園」

 とたんにコタツたちはシカメ面をした。

「動物園? 学校祭で?」

「キリンやゾウを連れてくるの? ここに?」

 もう大笑いだ。ツレの女のコも一緒になって笑っている。

「そんなもの連れてこられるわけがないだろ」

 当然だ。考えなくてもわかる。

「こんなところにゾウ一頭だってはいるものか」とノベはいった。

「それぞれのウチで飼ってるペットを展示するんだよ」

 すると輪をかけたようにコタツは笑いだす。

「イヌやネコだろ? そんなものわざわざ展示しなくたって、どこでも見れる」

 ノベはコタツの小癪な嘲笑面を遮っていった。

「バカにしたもんじゃないぞ。じゃあ、きくがな、オマエはポメラニアンとポインセチアの区別がつくのか?」

「区別はつかないが、イヌの種類だろ?」とコタツは自信なさげだ。

 すると、リス顔の女のコが反応した。

「ポインセチアって植物でしょ? イヌじゃないよ」

 コタツはノベの腹に肘打ちをするしぐさで「バカにしてるのはオマエだ」と、いい放つ。

「だがな、オマエらが見たことのないような動物を飼ってるヤツがけっこういるんだ。フクロウやら、カワウソやら、イグアナやら、ヘラクレスオオカブトやら」

「その水槽には、なにを展示するんだよ?」

「アナコンダ」

「マジか!」

 口からの出まかせに、三人は面白いように驚愕の表情で反応した。それを見たノベはついつい調子にのって、あることないこと口走った。

「あとツチノコだろ、ムジナにヤンバルクイナ。あっちの鳥カゴにはゴクラクチョウがいて、こっちの虫カゴにはタランチュラ」

「ウソつけ!」

「そんなもの家で飼えるわけがないだろ! ワシントン条約違反だ」

 コタツたちはノベの肩を「コイツ!」というように押した。そして、さらにきくのだ。

「しかし実行委員会に、よくその企画書が通ったな。だいたい、なんで動物園なんだよ? だれが考えるんだ?」

 ノベは、その経緯をはなした。

「ウチの担任が、学校祭に参加するなら、頼むからオバケ屋敷と喫茶店だけはやめてくれっていうのさ。そんなものをするくらいならやらない方がマシだって」

「なんでオバケ屋敷や喫茶店はダメなんだよ?」

 急にコタツは鼻白んだ。

「なんでも、能がないって。そうしたらウチのクラス委員がムキになって、意地でも参加しますなんていいだして」

 ノベは、いま盛んに言い合いをしている右側のヤツを指さした。

「動物園を提案したのは、言い合いをしている左のヤツだよ」

「なるほど、お互いメンツがあってのことなんだな」と神妙そうに腕を組むコタツ。

「ところでオマエらはなにをやるんだよ?」

 ノベはコタツたちの顔を見渡した。彼らは、なにかいいづらそうに黙りこんでしまった。

「こんな時間まで残ってるってことはオマエらのクラスも参加するんだろ? なにをやるのさ?」

 コタツとユウキが顔を見合わせながら「いやあ…」などと、はっきりしない態度をとっていると、その後ろから〝リス子〟がいうのだ。

「オバケ屋敷カフェ」

「ええっ… 」

 ノベはどんな顔をしていいか戸惑った。先にヤツらがなにをやるか、きくべきだった。よりによって、オバケ屋敷と喫茶店の両方をやるクラスがあったとは…と驚いた。

 ところが彼女は、まったく気にも留めてないように「能なしのクラスだから、ねっ?」とコタツたちに同意をもとめた。

「どうせオレたちは能なしですよ」と不貞腐れる男ふたり。

 それをとりなすかのようにリス子は口を添えるのだ。

「でもアタシたちがやるのは、タダのオバケ屋敷カフェじゃないのよ」

「タダのオバケ屋敷カフェがどんなものかすら、わからない。まさか、カネをとるからタダじゃないなんていわないだろうな?」とノベはボケた。

「だから、そういうのがタダのオバケ屋敷カフェなんだよ!」とコタツはツッコむ。

「じゃあ、なんだ? カネはとらないとでもいうのか?」

「飲み物代はとる!」

「ふつうのカフェじゃないか」

「カフェじゃない、オバケ屋敷カフェ!」と、コタツはあくまで「オバケ屋敷」にこだわる。

「オバケ屋敷でお茶を飲ませるんだろ? ちがうの?」

 するとリス子は少し強い調子でいうのだ。

「そのうえ、そこで心霊スポットの疑似体験もしてもらうの!」

「心霊スポットの疑似体験? それ、どんなの?」

「ひみつ!」

 面白いコだ、とノベは思った。大きなメガネもチャーミングだが、性格もエキセントリックらしい。

「本番は明後日だぜ。企業秘密はわかるけど、いまさら路線変更してオバケ屋敷動物園なんかしないよ」

 すると彼女は急に満面の笑みで教えてくれた。

「我が校の心霊スポットの記録動画を3Dのゴーグルで疑似体験してもらうの。でも装置の数に限りがあるから、順番を待ってるあいだ、コックリサンでもしながらコーヒーを飲ませるの」

 なるほど、仮想空間に心霊スポットをつくるという発想なのだな、とノベは理解した。

「そりゃあ、いいアイデアだな。でも、心霊スポットなんてホントにあるのかよ?」

 ノベはコタツやユウキを見た。彼らは自信満々でいうのだ。

「ある―― と信じてる」

「・・・ 」

「信じてる」とは、どういうことか。心霊スポットなど「ない」ということにも受けとれる。

「どこに?」

 それにはユウキがこたえた。

「伝説の名所めぐりをしたんだ」

「学校の七不思議の伝説」とコタツが補足する。

「そこで素材を集めたんだ」

「へえ…」と、いちおう納得のフリはしてみたが、コイツらはまじめにそんなことを考えているのだろうかと首を傾げざるをえない。

「どのくらい集まったの?」

 コタツは指で「〇」という形をつくった。

「実験準備室も音楽室も職員室のトイレも出る雰囲気じゃなくてな」

 そりゃ、そうだろう。そんなにあっちこっちに出てたまるか。それに、どうせ出そうもない時間にいったのだろうし、と想像をした。

「唯一、出そうな雰囲気のところがあったんだが…」とコタツはいう。

「どこ?」

「体育倉庫」

「ああ、体育館の地下ね」

「そのとき体育館は、もう学校祭の準備が始まってたけど、あそこは使ってなかったんだ。でも、ここにはなにもいないって」と〝エキセントリック・リス子〟を指さす。

「〝ユキノ〟は霊感があるんだ」と彼女をここで初めて紹介してくれた。

「ユキノさんっていうの?」

 彼女はニコニコした顔で頷く。

「ユキノって苗字? それとも名まえ?」

「ひみつ!」

「なんでだ! 教えてくれたっていいじゃないか。いちいち隠しておくことか?」

「個人情報だから」

「だからって… 」

 やっぱり、このコはどこかおかしい。

 コタツが「名まえ、名まえ」と教えてくれて、「ユキノはちょっと変わってるんだよ。オバケ屋敷カフェもこいつのアイデアなんだ。だけど、クラスの女子からは敬遠されてる」とつけくわえた。

 なんかわかるような気がする、とノベは思った。

 コタツは続ける。

「しかたないから雰囲気だけ撮ってきた」

「だって、なにも写ってないんだろ?」

「マンイチの保険だ。なにもないよりマシだ」

 唖然とするノベの顔を見てコタツはいう。

「すでに学校の七不思議の動画はつくったんだが、イマイチ迫力に欠けていてな。やはり、これぞというものを撮らないとダメだってことになって、いま最後の素材を撮りにいくところだ」

 ノンキな連中だ。本番はもう明後日なのだ。

「ユキノさん、霊感があるの?」

「アタシ、見えるの」

「オバケが見えるの?」

「見えるよ。だから、いまからそれを撮りにいくの」とスマホを見せる。

「そんなことで間に合うのかよ?」

 面白そうなのでノベは、しばらく彼らにくっついて歩いていた。

 校舎の内外を問わず、どこにいっても、たしかに残って作業をしている連中はいる。この時間になると、人はいないがエタイのしれない造形物が廊下に放置されているところもあった。

 渡り廊下を通って、旧校舎に入った。中高一貫のこの学校で旧校舎には中学生のクラスがあるが、この建物で、なにかそんないわくつきの場所があるとすれば()()()しかない、とノベは勘ぐった。

 不意にユウキがきいてくる。

「オマエ、動物園の方はいいのかよ?」

「大丈夫、どうせ今夜はなにも決まらない」

「ドライだな」

「ドライついでにいわせてもらっていいか?」とノベは彼らにきいた。

「オマエらの企画書もよく通ったな?」

 そんなありもしないものを見せるなんて、偽りだけの看板じゃないか。よほど動物園のほうがアイデアとしては面白い、と。

 コタツら三人は、それには無言でまえを歩いていく。ノベの疑問は無視ということか。

 中等部は、さすがに残っている者は少なかった。だがこの期間は、無制限ではないにしろ、学校側もそれほどうるさくいわないので皓々と明かりがついている。なんだか日常の見慣れた風景とちがって、解放感がありワクワクしてきた。

 ノベたちは階段をあがって三階まできた。そして、屋上へと続く階段のまえで立ち止まった。そこには鎖でつながれた三角コーンが並べられ、《立入禁止》の札が下がっていたのだ。


 ――案の定、()()か。ここならたしかに心霊スポットになるが…


「ここ知ってる?」とコタツは思わせぶりにきいてくる。

「ああ、三年まえの事件現場だよな。いくらなんでも、まさかここにくるとは…」と、ノベは絶句した。

 まだ、ノベらが中等部だったころのことだ。屋上から生徒の集団飛び降りがあったのだ。ちょうど今夜のような学校祭の準備期間で、大勢の生徒が残っていたさなかの出来事だった、ときいた。ノベらは、そのとき学校祭に参加しなかったのだ。

 そんな事件があったせいか、その後《立入禁止》になった屋上に夜、人が立っているのを見たという不気味なウワサがたったのだ。その人物は必ずフェンスを乗り越えて飛び降りるのだが、下に落ちるまえに消えてしまうそうだ。しかも、見ていると何度でも現れては飛び降りるという。

 これを見た者は必ず飛び降り自殺をする羽目になるという学校伝説(!)が、まことしやかに伝わっていた。

「ここなら出るだろ?」

 コタツはユキノにたしかめるようにきいたが、彼女は難しそうな顔で首を傾げた。

「あの事件ってさ」とユウキが口をはさんだ。

「《集団自殺》みたいな記事だったけど、全員が死んだわけじゃないんだよな」

「何人飛び降りたの?」とノベ。

「六人じゃなかったっけ? 四人死んだんだよ」これはコタツ。

「なんでまた、みんなして飛び降り自殺なんかしたのかな?」

 イジメとかではあるまい、とノベには思えた。どう考えても個人的な理由ではなく、なにかに抗議するための命がけの訴えとかじゃないかと。そうでなければ六人もいっぺんに飛び降りるか?と。

「助かった二人のうち一人は植物状態で喋れないんだけど、もう一人は快復していまはもう普通に生活してるらしい。その人がいうには、まったく記憶がないんだって」

 コタツは肩をすぼめて見せた。

「理由もなしに屋上から飛び降りたっていうのか?」

「そこがこの事件の不可解なところさ」

 コタツは明かりが落ちた屋上へと続く階段を仰ぎ見た。その階段は、このフロアの照明で踊り場まではうっすらと見えていた。折り返して屋上にあがる部分は真っ暗だろう。

 三階のこのフロアは中学三年生の教室が並んでいるのだが、ここでは残っている生徒は一人もいないのだ。さすがに中三ともなると、学校祭などに参加している場合じゃないと見える。そのまま上の学校にあがる生徒ばかりではないのだ。

 がらんとした廊下の片隅にノベらだけが取り残されていた。そうなると、明るいとはいえ、急に不吉な雰囲気になるようだった。

「とくになにかイヤな感じもないけどなあ」

〝霊感・エキセントリック・リス子〟ユキノはつぶやく。

「冗談じゃないぜ。いざというときのために、ここを後まわしにしたんだから。ここで出てくれないと困るんだよ」

 たしかに、さっきコタツは成果「ゼロ」といっていた。心霊スポットといわれれば、たしかに極めつけということになるのだろうが、《立入禁止》の立て札が彼らのまえに立ち塞がっていた。

「ちょっと、いくだけいってみよう」と、ユウキがコーンを跨いだ。

「おい…」とノベは止めようとした。

「いいのかよ、《立入禁止》だぜ」

「大丈夫、だれも見てやしない」とユウキは意に介さず階段を上がっていく。踊り場までいくと彼は「明かりつかないの?」とこっちを見降ろした。

 見れば廊下の壁の角に照明のスイッチがあった痕跡がある。ガムテープで塞がれているのだ。コタツが上から触ってみて「パネルごとはずしてあるみたいだ。空洞になってる」と教えた。

「しょうがないな」とユウキはスマホのライトを照らして、どんどん上がっていった。

「早くこいよ」

 ユウキに促されて、慌ててノベもコタツもあとを追った。

「ユキノはここを撮影してろ」とコタツは気遣ったが、彼女はいうのだ。

「だってアタシがいかなきゃ、意味ないでしょ?」

 ノベとコタツは顔を見合わせ「そういえばそうだな」と彼女の参加を認めざるをえなかった。霊感のないノベらだけがいっても、タダの屋上見物になってしまう。

 そのタイミングでパッと明かりがついた。一瞬、真っ白い光が階段を照らしだしたが、すぐにうす暗くなり、やがてヘンな点滅をはじめた。

「ここにスイッチがあったよ」と、上からユウキの声。

 ノベらが上がってみると、屋上に出る鉄の扉の脇にスイッチがあった。いちばん後ろについてきていたユキノが、踊り場からスマホを構えて動画を撮っているようだ。

 扉のノブには、とくに開けられないような細工は一切されておらず、内側のロックをはずしただけで外に出られた。

 旧校舎の屋上は初めてだった。

「といっても、なにもないな」

 見渡すかぎり、白いコンクリートの床があるだけで、ほかになにも置いていなかった。

「おい、見ろよ」とユウキが呼ぶ。

 見れば、ユウキはフェンスの一か所を指さしていた。錆びてひしゃげたフェンスの上から、新しいフェンスを繕っているように見えた。

「ここから飛び降りたのかな」

「事件はホントだったんだな」

 過去に、ここから生徒六人が続けざまに飛び降りた現場だと思うと、その生々しさになにやら気持ちが悪くなるのだった。

 コタツはユキノをふり返った。

「ユキノ」といいかけて、彼は眉間にシワをよせた。

 ユキノは屋上出口の扉の脇に手をついて、もう片方の手で額を覆っている。妙に顔色がよくない。

「どうした、ユキノ?」

「ちょっと、頭が痛いの」

「大丈夫か?」

 ノベもユウキも彼女の傍らに集まった。

「大丈夫。急になんか…」とユキノはいいかけて、ノベらの背後を凝視した。

「?」

 気配に気づいたノベらがふり返ると、少し後ろに月光を浴びて白いワイシャツに見慣れた制服のズボンの男子が立っていた。こちらに背中を向けているので何者かわからないのだが、この学校の生徒にちがいなかった。

 おそらく《立入禁止》の屋上に出る階段の明かりがついていたので見にきたヤツだろう、くらいにしかノベは思わなかった。

 そいつはノベらの存在に気づいているのか、いないのか知らないが、真っ直ぐ屋上を横切っていく。なんとなく眺めていたノベらをよそに、端までいくと三メートルほどもあるフェンスをよじ登るのだ。

「なにをするんだ?」とコタツはいう。

「下のヤツに声をかけるんじゃないか」とユウキ。

 ところが次の瞬間、そいつは外側の闇へ跳んだ…………!


 彼の姿が消えたあとには、まるで最初からだれもいなかったような、ひしゃげたフェンスの緑と茶色だけが視界に残っていた。

「えっ… ええーーーっ!」

 ノベは、あまりにも想定外のことにその場でヘタヘタと座りこんでしまった。ユウキとコタツがフェンスに駆け寄って、下を覗いている。

「見たか? 見たよな?」

 ノベは情けないことに、そばにいたユキノの袖をぎゅっと握っていた。ユキノもそこにしゃがんで「うん、うん」と頷いているが、メガネの奥のまぶたを固く閉じているのだ。

 やがて、コタツが大声で叫んだ。

「おお~い、いまだれか落ちた!」

 新旧の校舎の間の中庭で作業をしている連中がいたらしく、にわかに向こう側からざわめきがきこえてきた。下で騒いでいる声は上によく響いた。

 コタツが踵を返して出口に走りかけたときだった。彼は下に様子を見にいくつもりだったのだろう。

 ところが…

「!?」

 コタツは驚いたように後ずさりした。

 出口の扉から、また一人出てきたのだ。見た目は、さっきここから飛び降りたヤツに背格好がそっくりだった。

 コタツは立ちすくんでいた。騒ぎをききつけて上がってくるにしては早すぎる。コタツは直感で、さっきとおなじヤツが出てきたと思ったにちがいない。

 そいつはわずかの間、無言で立っていたが、おもむろにコタツの脇を通って、ゆっくりと歩きだした。どうやら、またフェンスに向かっているらしかった。

 フェンスにはユウキが身を乗り出して、まだ下を覗いている最中だった。そいつはユウキに重なるようにフェンスをよじ登った。

「ユウキ!」

 ユウキがこちらをふり向く暇はなかった。次の瞬間、彼の身体は闇の中空に消えていた。

 ノベらは、もう声も出なかった。下から、ひときわ大きな声があがった。女の子の悲鳴もきこえる。

「ユウキが… 落ちた… 」

 もうパニックだった。だが腰が抜けたように、そこを動けなかった。コタツが四つん這いでノベとユキノのそばにやってきていうのだ。

「ユウキが… ユウキが… 」

 彼はユウキが落ちたフェンスを指さしている。

「わかってる、わかってるって!」

 慌てて出口に向かおうとしたノベらにユキノがつぶやいた。

「あの人の顔、見た?」

「なんだって?」

「最初に落ちた人の顔よ」

 するとコタツは、焦って言葉の出ないように指でユキノを何度もさすのだ。

「そう、そうなんだ。アイツ、顔がないんだ!」

「顔がない?」

 ノベは意味がわからなかった。ノベには、たしかに月明かりに照らされた長めの髪の毛が見えた。それくらい、ふつうの人間に思えたのだ。

「顔がないんだよ」とコタツは、もう顔面蒼白で酸欠状態みたいに喋る。

「暗いからオレの見まちがいかなとも思ったんだけど、顔が白く塗りつぶされたように目も鼻もなかったんだ!」

 ノベらは、しばし沈黙してお互いの顔を見合わせた。だれからともなく、そのキーワードが出てきた。

「オバケだ」

 この旧校舎の屋上に何度も現れ、飛び降りるというオバケだ。しかも、ユウキを餌食にしているところまでウワサ通りだった。

 そのふるまいから見ても、三年まえの《集団自殺》のなかの一人にちがいない。しかし、ユキノの見解はちがった。

「アレはもっと古い亡者よ。だから顔がつぶれてるの。長い間、地縛しているうちに穢れた浮遊霊や怨念の残りカスに浸食されて、もとの姿が腐敗してるのよ」

「じゃあ、アレは三年まえより、もっとまえにここで飛び降りた人ってこと?」

 ユキノは、しかつめらしく頷く。

「三年まえの事件はアレが引き起こしたのよ。そう考えれば理由もなく飛び降りたワケがわかるわ」

 このコはホントに霊感があるようだ。まるでオバケにきいたのかと思うほど、いうことに説得力がある、とノベは感じた。

「ほら」とユキノが指さす先に、また現れた。

 屋上の出口に佇んでから、ゆっくりとフェンスに向かっていく「のっぺらぼう」の男だ。

「おなじヤツなんだ… 」

 オバケがフェンスの外に消えると、ユキノはまるで専門家のように解説した。

「自分の最後の記憶をくり返してるの。それに干渉してくる者がいると巻き込むんだわ。自分の記憶を強制的に追体験させてるのよ」

「じょっ…」

 冗談じゃない、とノベがいいかけたときに、コタツはもう逃げだしていた。

「ダメっ!」

 ユキノはノベの腕を掴んで止めた。コタツの階段を駆け降りる音が響いた。

「だって、逃げないとオレたちも餌食だろ」

 にぎられた腕を引っ張ってユキノを立たせようとしたが、彼女は目を見開いてノベの背後を指さしているのだ。

「?」

 ノベは恐る恐るふり向いた。階段を昇ってくる足音がして出口の扉が開くのだ。


                                           つづく



原則毎週金曜日23時に更新します。

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