蝉の声
それは高校2年の夏。その夏は例年に比べて酷く暑く、さらに蝉の声が我々の生活から静寂という概念を奪い去っていたため学校全体は少し不機嫌であった。もれなく私もその1人である。少しでも静かな場所に行きたくなったため、夏の日差しが頬を焼きこんがりと色黒くなってしまった慶太をお供に職員室前の自販機へと向かった。「っぷはぁ、やっぱし夏は炭酸に限るな!」と言い慶太は喉を爽快なシュワシュワな海にしていた。どの季節だってそれ飲んでるじゃないかと言い出しそうになったが、それすらも億劫なくらい暑さにやられていたため首を縦に振ってしまった。どこに行っても蝉の声はついてくる。逃げ場は無いのだろうと半ば諦めのまま教室に戻ろうとしたとき。まさにそのときだった、私の両耳から蝉の鳴き声が消え、隣に居た慶太の存在や夏の暑さすらも忘れてしまいそうになるくらい夢中になって職員室へと歩いてる少女を5秒ほど目で追っかけてしまっていた。涼しげな雰囲気にハッキリとした瞳、ロングのポニーテールが私から視覚以外の感覚を奪ってしまったのだ。「お〜い、どこ見てんねん」と慶太が私の視界に手を入れてきたことで5秒前の感覚に戻ることが出来た。「なんや、もしかして井口紗枝のこと好きなんか?」直球だった。慶太の言葉が私の胸の内を確信にさせたのだった。「うん、好き。今初めて見たけど好き。めっちゃ好き」よほど興奮していたのだろう恥じらいもなく自分の気持ちを慶太にぶつけた。後から分かったことだが、あの少女は2つクラスの離れた同級生ということが分かり名前は井口紗枝でさえちゃんと呼ばれているらしい。その日からさえちゃんのことが気になり気になり勉強に励むべきだがなかなか集中することが出来なくなり私生活にも支障を下していた。だが辛くはなかった。むしろ心が満たされるようだった。しかし私はこれまで女性経験が無いわっぱなので友達ですら無い女性に自分から話しかけることなど出来ずそのままその夏を消化してしまった。秋も冬も。