悪役令嬢はもういない
ライセル小国と同盟を結べそうなことは、とても重要だ。
だがそれ以上に、王都・王宮の神殿巫女であり【仙】であるルナシュフィが、わたしからの縁でウルプ小国を護ってくれる形が確定なのは大きい事実だ。
「リセか! それはとても良い」
グレクスは飛竜の上で、ふたりになると歓喜したように言う。
飛竜が微笑ましそうな気配を伝えてきた。飛竜が一緒で、ふたりきりではないのだが、祝福されている感覚があるのは心地好い。
リセ。リセーリャ。わたしの元の名。
アンナリセのリセに、わたしは無反応だった。
けれと、王宮でディアートに呼ばれた途端、状況は変わった。
「なぜ、アンナリセの名で思い出さなかったのか、不思議です」
みんな、親しくなるとアンナと呼ぶけれど、グレクスはリセと呼ぶつもりのようだ。
「いいぞ。リセなら、お前の名だ。アンナリセのリセだと、皆思ってくれるだろう」
グレクスは上機嫌。そしてその言葉のとおり、皆、徐々に、わたしをリセという愛称で呼ぶようになるのだろう。
今、その響きは、とてもしっくりくる。
ああ、わたしの名だ――!
しみじみと、感じる。ルナシュフィさまが、アンナリセの身体は元々わたしの魂が入る予定の身体だったと、告げてくれたから。安心してアンナリセとして生きられる。
アンナリセと、名に、わたしの名と同じリセが入ったのは偶然ではないのだろう。
ウルプ城へと戻ると、わたしは早速授けられた巻物を使った。
ライセル小国で使用されたのと同じ堕天翼の認識情報。
ウルプ家の領地であるラテアの都全体が、確かに把握できている。
「堕天翼を弾きます」
わたしは静かに宣言した。
泥や霧や水を撒くのとは違う。わたしの中で甦った巫女であったときの巫女術が、神聖な輝きを伴って放たれた。ラテアの都から、堕天翼として認識されるものは全て都外へと排出される。隠れ家も、地下室も関係なく、潜んでいれば弾かれ転移されるだろう。そして、堕天翼の者たちは、もうラテアの都に入ることはできない。
「都全体を把握など、魔気量は大丈夫なのか?」
グレクスは気配で巫女術の波動が膨大なのを感じ取ったのだろう。かなりの心配顔だ。
確かに、かなり大量の魔気を使った。だがルナシュフィが祝福として神聖な魔気をタップリと与えてくれていたので全く平気だ。
「はい。問題ありません。ルナさまが、補充してくださいましたので」
グレクスは明らかにホッとした表情だ。
シーラム・ルソケーム侯爵も、堕天翼に属する扱いなので戻れない。
その上で、ウルプ小国はシーラム・ルソケームから爵位を剥奪した。爵位剥奪で追放。という情報は、ウルプ小国より王都・王宮へと伝令される。他の小国で爵位を得ることは、もう叶わないはず。
「早く婚姻しよう! そうすれば、リセの魔法を、ウルプ家で支えることが楽になる」
グレクスはもっと婚儀を急ぎたいらしい。だが婚儀の日取りはだいぶ前に決められていた。来賓などの予定もあるから早めるなど不可能だ。
グレクスは、閨ではリセーリャと囁くこともある。婚儀まで、わたしたちは待てなかった。
不思議なことに、アンナリセの身体はグレクスと結ばれたことで巫女術が強力になっている。
愛の力が、巫女の力を深めるなと聞いたことがなかった。
「地神は、人間の伴侶を巫女に据えることが多いと聞く。自らの力を与え易くするためらしい」
わたしが不思議がっていると、グレクスはそんな逸話を話してくれた。正しく愛の力が、巫女の力を強くする例題のような話ではある。わたしは初耳だった。だが、納得できる話だ。
ウルプ城のなかの様々な極秘の場所へと、グレクスは好んで案内してくれる。
語り合いながら、わたしはウルプ城の豪奢な部屋の数々を渡り歩くことになっていた。
「ウルプ家は、天からの家系でしたね」
ユグナルガの小国を統べる王都・王宮に住まう王族たちの始まりは、天から降りてきた天女と人間との恋。天女から生まれた女の子が、初代女王となった。
以来、脈々と女系が継がれている。
その系譜より、時折、男系の派生が分家となった。だが、天が王族の由来であると認定したのは長い歴史の中で五家のみ。
ウルプ家は、その五家のひとつ。ウルプ小国は、天に認定されている由緒ある王族由来の小国なのだ。
巫女見習い、そして巫女として過ごしてきたときの記憶は少しずつ戻ってきている。知識的なものや巫女術のほうが先に戻ってきているので、何かと便利ではある。
「婚儀まで、いや、その後もだ。もう、ずっとウルプ城にいてくれ」
グレクスは豪華な秘密めいた部屋へと入ると、わたしを抱きしめ切実そうに呟く。
「よろしいのですか? わたしは、そのほうが安心なのですが」
小さいアンナリセの身体も、だいぶ馴染んできていた。元々自分の身体だというのも、少しずつ実感される。
わたしは見上げる視線を向け、グレクスの背へと腕を回す。
ウルプ家の者たちは、何気にアンナリセの身体に別の魂が宿ったことに気づき歓迎してくれている。
だが、実家であるヘイル侯爵家では、ウルプ家での教育の成果だと信じている節がある。義妹のトレージュは微妙に疑いの気配はあるが、心を入れ替えた、という言葉で納得しようとしている。
ああ。ぜひ、そうしてくれ、と応えた後でグレクスは真剣な眼差しを向けてきた。
「リセ……愛してる」
上向いているわたしの顔へと顔を近づけながら、グレクスは囁く。
閨の暗がりでは何度も、夢中で愛の言葉を交わした。
「愛してます、わたしも」
あら、昼間のうちに見詰め合いながら愛してるだなんて……初めてかも?
なんとなく驚いているうちに、唇が重なった。キスの衝撃は、とても強く、意識が眩んでしまう。
ふわふわとしたまま、グレクスの腕の中。
もう、何も心配することなく、嫁ぐことができる、はず。
「あ……」
わたしは不意に、拙いことでも思い出したかのような声を立てていた。
グレクスは、ギョっとしたような表情を微かに浮かべている。
「ルミサを実家に招待する約束をしてしまいました」
約束を守れなくなってしまいます。どうしましょう?
ちょっとおろおろと、わたしは口走る。
「なんだ。そんなことか! ウルプ城に招けば良い。リセの親友なら大歓迎で歓待する」
わたしの心配したような響きの内容に、思い切り安堵したようでグレクスは当然のことのように言い切った。グレクスは、もうわたしを実家に帰すつもりはカケラもないようだ。
幸せな感覚が全身に満ちて行く。
「ありがとうございます。ルミサは吃驚するかもしれませんが、実家より問題は少ないと思います」
ルミサの侯爵家での日々は、とても素晴らしかった。ヘイル家で同じような持て成しができるかは、ちょっと謎だった。
それに婚儀は、そう遠くない。ルミサを招くのが、婚儀より前か後か、微妙かもしれない。
「俺に任せておけ」
グレクスは楽しそうに応えると、抱きしめていたわたしの身体を姫抱きにした。
「あっ、わたし、ちゃんと歩けます……」
首にしがみつきながら、わたしは必死で主張する。だが、キスの後に身体の力が完全に抜けてしまうのは、もうバレているのだろう。
「とびきり素敵な部屋に案内しよう」
わたしを軽々と抱き上げ、グレクスは歩きだした。豪華な階段をあがり、上階へと向かっている。
王子へと嫁ぎ小国の王妃となるのは素敵な人生だと、アンナリセの身体に憑依したときに思った。
だが、そのとき思ったよりも、数倍、いや数万倍、素敵で幸せな人生になるだろう。
今は、それが確信できている。
わたしには、ラテアの都を護れるだけの巫女術が備わっていた。グレクスのお陰で更に充実した巫女術は、常に都全体を把握できている。
グレクスと愛しあい、共にラテアの都を護り、発展を育む。
ウルプ城での充実した人生は、もう疾っくに始まりを告げていた。
(完)
あとがき
アンナリセとグレクス、完結となりました。
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ウルプ小国と同じ、天から認定された五家である、ライセル小国が舞台です。
5章まで完結しました。
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