トレージュの救出
わたしは、閉じ込められた者たちのいる部屋へと入り、浄化のための霧を撒きつづけた。意識が徐々にハッキリしてくる者もいるが、大半はぐったりしている。
その間にも、バタバタ、ギシギシ。床を踏む音は次第に大きくなった。ここに近づいてきている。
「早くバシオン様に来てもらえ!」
低い男の声が怒鳴っていた。
「連絡網が開かねぇぜ」
手下らしきが応えている。
堕天翼バシオンは、この船に今はいないようだ。せめてもの幸い。
しかし、船倉に売り物の確認のために来るのだろう。
売られようとしていた者たちはぐったりしているし、元より弱々しい少年少女ばかり。戦える者はいない。
このままじゃ、グレクスさまたちが来るまでに別の場所に移動させられるか、最悪殺されてしまう。
「お義姉さま、この船の船員は、魔法は使えないようです」
震えながらのトレージュの言葉に、わたしは頷いた。
それなら、足止めできれば、持ち堪えられるかも?
「武器は持っているのよね?」
「剣の類いです。力任せな者達ですわ」
取り敢えず魔法と飛び道具がないのは朗報だ。
ピン、ときて、わたしは入口に粘土を敷いてみた。闇の気配のある者は、ずぶずぶと沈み込み鳥黐に絡めとられたようになる。闇に加担しない者にはタダの土だ。
「やっ、扉が開けられてやすぜ!」
「なんだと!」
途中で気づいたようで、足音が駆け足に変わる。
「開けたのは誰だ?」
部屋に飛び込もうとした荒くれ男は、足元を泥に絡めとられ固められ動きが封じられた。
気づかず、何人も部屋に雪崩込もうとし、皆、足を取られている。
身につけている武器も、粘土で包んだ。鞘から抜き放つことできないだろう。何より、足が取られ、想定より沈み込み、荒くれ男たちは鳥黐にもがく獲物たちのよう。
わたしは笑う気にはなれないが、元のアンナリセなら高笑いのところだ。
「もうしばらくの辛抱よ!」
わたしは、皆へと励ましの声をかける。入口で暴れる者たちは、攻撃は不可能なようだ。武器を取ろうにも、足を引き抜こうとして泥に触った手が、そのまま粘土に埋もれていた。
がやがやと遠くで騒ぐ声が聞こえてきた。
「アンナリセ、どこだ?」
小さく聞こえているのは階層下の船倉へと向かい走っているらしき、グレクスの声!
「こちらです!」
巫女術での道案内を、わたしは声とともにグレクスに届けた。ちゃんと届いたらしく、援軍を連れたグレクスたちは迷うことなく真っ直ぐに船倉にたどり着いた。
「ああ、グレクスさま! ありがとうございます!」
安堵感で、へたり込みそうになりながら礼を告げた。
「何をやっているんだ、こいつらは?」
捕縛待ちの荒くれたちが藻掻く姿に呆れたようにグレクスは言うが、味方は泥の影響がないから粘土に絡め取られてる意味がわからないからだろう。
それでも、明らかに拐われた者たちと、アンナリセの無事を喜んでくれているようだ。
「泥で固めて捕まえておきました」
にっこり笑みを向けてわたしは告げる。船が出航できなかった理由も、すぐにわかるだろう。かなり派手な量の粘土で舵も帆も固めてしまった。元の状態に戻すのは難しいかもしれない。
グレクスの指示で扉前で足止めされた者たちを、騎士たちはどんどん捕縛して連れて行く。
味方には、泥は影響ない。
「ロイトが、だいたいの場所を察知してくれていたが、お前の声が役にたった。しかし、なんて無茶をするんだ……」
援軍として駆けつけた騎士たちは、帆船にいた人拐いの者たちを一網打尽にし、今は、売られるところだった少年少女を保護している。一旦、ウルプ城へと連れ帰るつもりらしい。大人数を運べる馬車も来ているようだ。
「今は、堕天翼の長はいないようです。助かりました」
報告するわたしの腰を、グレクスは抱き寄せる。
「バシオンとやらは、帆船が着くのをビヌティクの港で待っているらしいです」
トレージュは、ふらつきながらも立ち上がり自力で帆船から降りようとしながら伝えてくれた。他の者たちは、歩けないらしく皆抱えられて船倉を出ることになっている。
「ロイトさん、ありがとうございます」
グレクスと共に、最後に帆船をでたわたしは、心配顔で佇んでいたロイトロジェへと礼を告げた。
「全く面目ありません。アンナリセ様が短距離であれば転移できることを失念しておりました」
第一執事のロイトロジェは困惑した表情で、グレクスへと謝罪している。グレクスは首を横に振った。
わたしは、グレクスの制止を無視して半ば無理矢理ロイトロジェに転移してもらっている。だが、あの場で転移していなければ、帆船に出航されていた。
「アンナリセ、お前が無事ならば良い」
グレクスは深い吐息まじりに、しみじみと呟いた。
「無茶をしまして申し訳ありません」
わたしは、一応、しおらしく言葉にした。
グレクスは帆船を見上げ、惨状を見て笑みを浮かべる。
「あれも、お前の仕業か?」
わたしは、グレクスの視線を追うように帆船の上方へと顔を向け、瞠目する。
「あら? わたし、あんなに派手に粘土細工を?」
頭のなかで思い描いていたよりも、ずっと大量の粘土で甲板は埋まっているようだ。舵と帆だけでなく、他の樽やら綱やら、柱や道具、ありとあらゆる物が粘土に包まれ、更に泥まみれにされているらしい。
「瞬く間のできごとでした……。アンナリセ様の魔法であることは直ぐに分かりましたが。強大すぎます」
ロイトロジェが、感嘆したような、呆れたような、なんとも弱り切ったような響きの声で告げた。
土が得意なアンナリセ。わたしも、たぶん土が得意だった気がする。
この土を、どこから調達したのか全く分からないが、どこかで不都合がでていないと良い。
「都中に泥の霧を撒くことが可能なのだから、確かに、この惨状は可能だろう」
グレクスは頷きながら応えていた。
トレージュは帆船のなかで、わたしが撒いた霧での浄化が効いたようだ。連れ込まれたばかりだったから、闇も、媚薬や催眠もまだ影響が少なかったのだろう。
ウルプ城で事情を説明した後、馬車で送られ、ひとりヘイル侯爵城へと戻された。
帆船へと駆けつけてきた者たちとは別に、グレクスはウルプ小国の出先機関を騙る『黒翼結社』の本拠地も突き止めさせていた。建物は閉鎖。所在していた者たちは、全員連行したようだ。
「シーラム・ルソケーム侯爵は、どうなさいました?」
わたしは、ハッとしてグレクスに訊く。
「命を与えて包囲させたが、既にもぬけの殻だったようだ。金品を持って別の帆船で堕天翼と合流するのだろう」
さすがにアンナリセからグレクスに情報が伝わると確信したのだろう。そうであれば、もう逃げるしか手はない。
「ビヌティクの街ですね。堕天翼と合流するのでしたら」
グレクスは苦々しそうに頷いた。