09
あの後すぐに国王から私とセリオンの婚約が発表された。
主役の私たちはそのままダンスホールの真ん中へ送り出され、ファーストダンスを踊ることになった。
練習のかいあって問題なく踊り終えることができたけれど、安心する間もなく祝いの言葉を伝えに来る人や、魔石のアクセサリーに気付いた人、セリオンと繋がりを持ちたい人やダンスの誘いなどで人が押し寄せて来て、その相手がだいぶ大変だった。
最終的に私の腰を抱いたセリオンがすべて断り、今は人払いをしたバルコニーで休んでいる。
「──お兄様の入れ知恵ではなかったのですか?」
春とはいえまだ肌寒い夜風を避けるようにショールを肩にかけ、休憩用に置かれた長椅子で果実酒に口をつける。
ほっと息を吐いたところで投げかけた問いに、バルコニーの手すりに寄りかかって立つセリオンがこちらを見る。
「なんのことです?」
「魔石のことです」
「私は言いましたよ、愛する婚約者へ贈り物をしたい、と」
「問い合わせはお兄様へ、とも言っていたではないですか」
「魔石加工技術の研究は殿下の主導で行われている事業ですからね。我が領で開発された技術とはいえ、研究予算は国から補助されていましたし、扱いについては殿下の審査待ちだったものですから」
「……そういうことは事前に教えてください…」
「どちらにしろ殿下の助言に沿って贈り物を用意したことに変わりはありませんし、女性の身に着けるものに対してそういった話をするのも無粋かと思いまして」
何でもないことのように答えるセリオンに思わずため息が出た。
「全然違います。お兄様から助言を受けていたとしても、実際にアクセサリーという形で贈り物を選んでくださったのはセリオンでしょう?わたくしは、自分のためにそうしてくださったあなたにきちんとお礼を言えていません」
「……我が姫は本当に真面目ですね」
微笑みを消したセリオンがまじまじと私を見る。「なんとでも」と返して、空いたグラスをサイドテーブルへ置き、改めて眼鏡越しに目を合わせた。
「ありがとう、セリオン。言いたいことも聞きたいこともありますが…それでも、今回の件はあなたやシャンデル侯爵家の助力がなければどうにもならなかったことでしょうから」
詳しい事情はサルドニクスから聞くとして、今回のセリオンと私の婚約の裏にはノル王子からの婚約のねじ込みを断る思惑以外にも、技術流出について釘を刺す意味合いもあったのだろう。つまり、本当にちょうど良かったのはセリオンではなく”私”の立場の方だったのかもしれない。
ノル王子からの婚約を断るためにセリオンを巻き込んでしまったものだと思っていたから、そればかりではないようでほっとしていた。
「……ご自分が利用されたとは思わないのですか?」
「え?」
手すりから離れたセリオンが私の隣に腰を下ろす。質問の意図がわからず顔を上げると真面目な表情がこちらを見ていた。「氷」と称される美貌の冷やかさをまざまざと感じて、思わず体を引いた私を追いかけるようにセリオンは座面に片手を着き、身を乗り出してくる。
「せ、セリオン…」
「まあ、あなたが私の興味のなさを好ましく思っている理由は今日のやりとりを見て理解しましたが」
迫られるまま下がって行けば背もたれに追い詰められるのは当然のことで、息がかかるほど近づいた男の気配に困惑しながら相変わらず熱のない視線を見つめ返す。薄いガラスに隔てられた瞳はじっと観察するように、あるいは何か考えるように私へ向けられたまま淡々と言葉が続く。
「私の価値が”あなたに恋をしていないこと”だけだと思われるのはおもしろくないようで」
「だけとは言っていません。あなたは王国一の騎士で、少々意地悪なところはあれど穏やかで優しく接してくださいますし、容姿も…その、好ましいと思っています。だからこそ、わたくしの事情にあなたを巻き込んでしまったことが心苦しかったので、あなた側にわたくしと婚姻する利点があったということにはほっとしました」
「意地悪だと思われていたのは心外ですね」
「その気もない相手にこういった言動をすることが意地悪ではないのなら、なんなのですか?」
「あなたへの興味の発露、とお答えしたと思いましたが」
セリオンは訝し気な顔をする私の手を掬い取り、手の甲に視線を落とす。
「以前も申し上げた通り、私は恋というものがわかりません。ただまあ、”彼”のような状態を指すのであれば、私は確実に恋をしたことはないでしょうね」
「そうですね…」
「姫はああいった視線を受けることを随分と嫌っているようですが」
「……ええ。良い記憶がありません」
”彼”とはノル王子のことだろう。熱に浮かされた黄金の瞳を思い出す。
ユーウェールの第二王女として紹介されたその日から、ああいった視線を受けることは多かった。年齢も性別も関係なく、熱っぽい目で私に焦がれる人たち。私を口実にして、他人を蔑ろにしようとする人たち。
「セリオンは、人が恋に落ちる瞬間を見たことがありますか?」
「……?いいえ」
「わたくしはあります。わたくしに恋をして、それまでの恋をなかったことにしてしまう人や、わたくしのためと言って不誠実なことをする人たちを」
恋人や妻、婚約者が居ながら愛を囁き、私が美しいからいけないのだと口さがなく言う者たち。ノル王子のように、私を手に入れるために強引なやり方をする者たち。
そういったものに晒され続ければ、愛や恋に対して疎ましく感じるようになるのは自然のことだろう。
「わたくしにとって恋は信用ならないものなのです。だからわたくしは、わたくしに恋をしていないあなたを信頼できると思っていますし、わたくしにとってそれは一番価値のあることです」
握られていない方の手を持ち上げてセリオンの頬に触れ、わざとふんわり微笑みかける。そうして見つめ返してもアイスブルーの瞳は少し驚いたように開かれるだけで、熱が浮かぶ様子どころか、恋に落ちるようなこともない。
少しの間見つめ合い、先に視線を逸らしたのはセリオンの方だった。
「……わかりました。不本意ではありますが、あなたにとって私が特別だというならそれで良しとしましょう」
「なぜそんなに偉そうなんですか……というか、わたくしは別に特別とは一言も」
「おや。あなたにとって一番価値があり、こうして触れ合うことのできる私を特別ではないと仰るのですか?」
セリオンはそう言ってうっそりと微笑み、頬に触れた私の手を上から握ってすり寄るような仕草を見せる。そうされてようやく、私は自分たちが長椅子の上で密着している体勢だということを思い出した。
「なっ…!は、離してください!」
「せっかく愛しい婚約者と触れ合っているのに、離さなければいけないのですか?」
すり寄せた顔を傾け、手のひらに口づける。
先ほどまでの無機質で冷たい瞳はどこへやら、滴るような色気を含んだ流し目が私を見て笑う。そのあまりの破壊力と、手袋の上からでも感じる唇の柔らかさとほのかな熱に、言い知れない衝動が背筋を走った。
「……セリオン!!」
「…ふ、真っ赤ですよ、ルナリア姫」
「誰のせいだと思っているんですか!そういうところが意地悪だと言うんです!」
指摘されるまでもなく自分が耳まで真っ赤になっていることがわかるほど顔が熱くて、恥ずかしさで手を振り払う私をようやく解放するとセリオンは楽しそうに笑った。
「もう、そんなに笑って……。氷の騎士様はどこへ行ったのでしょう」
「春の化身のように美しい姫君の前では、氷も溶けて消えてしまったのでしょうね」
「本当に口の減らない方」
呆れる私を気に留めた様子もなく、セリオンは長椅子から立ち上がってバルコニーの入り口の方へ目をやる。どうやら侍従が様子を伺いに来たらしい。
「そろそろ中へ戻りましょう。春とはいえ、夜風にあたりすぎては体を冷やします」
「……そうですね」
当たり前のように私に向けて手が差し出される。その手に自分の手を重ねながらセリオンを見上げた。同じくこちらを見ていたセリオンと目が合い、一瞬、胸の奥が疼くような、奇妙な感覚を覚えた。
「ルナリア姫?」
「…いえ、なんでも。エスコートをお願いできますか?婚約者様」
「もちろん」
一瞬のざわめきを振り払うように社交用の笑みを浮かべて微笑んで見せる。同じく応えたセリオンと共に会場へ戻る頃には、奇妙な感覚のことなどすっかり忘れてしまった。
──こうして、私とセリオンの婚約発表はひと段落を迎えたのだった。




