04
ヴァイオリンの演奏に乗せてステップを踏む。
たたらを踏んだ男の足を踏みそうになり、思わず避けた拍子によろけて目の前の身体にしがみついた。ダンスのために金属鎧が外されているせいで、騎士団の制服の下にしっかりと厚みのある筋肉をダイレクトに感じて一瞬どきりとしてしまった。
「っと、申し訳ありません。お怪我はありませんか?」
「だ…大丈夫です。セリオンも足は平気ですか?」
「はい。ですが姫、今のような場合は遠慮なく足を踏んでください。姫が怪我をされては元も子もありませんから」
「わ、わかりましたから!あの、大丈夫なので離していただけませんか!?」
私の腰を抱いた状態で覗き込んで来るセリオンからのけ反るように顔を背ける。なぜか強まった腕の力に不満を訴えるように胸元を拳で叩くと、くつくつと楽し気に笑う声と共に解放された。眼鏡の奥の瞳が愉快に細められているのが腹立たしい。
「もう…!休憩にしますよ!」
「我が姫は今日もおかわいらしくいらっしゃる。ええ、助かります」
セリオンから距離を取り、奏者と控えていたクムルたちに合図を送る。さっと頭を下げた彼女たちが休憩の準備をするのを見ながら、私は改めてセリオンの顔を見上げた。
「…ダンスは苦手ですか?」
「お恥ずかしながら。元々得意ではありませんでしたし、騎士になってからは護衛を理由に避けていましたね」
「なんだか意外です。剣を扱うのとは違いますか?」
「全く別物です。剣は一人で振るうものですからね。それに我が姫はつるぎの如き清廉な鋭さをお持ちですが、この腕で振るうにはあまりに可憐で緊張してしまいまして」
「……そういった物言いは結構ですとお伝えしたはずですが」
「おや、失礼いたしました。姫への想いを御するのは難しいですね」
「口の減らない方……」
熱くなった頬を隠すように俯いた私の手を取り、お茶の準備が進むテーブルへセリオンがエスコートする。上から小さく笑う声が聞こえて来て悔しい。
戦いにおいて他の追随を許さぬ働きを見せるセリオンは、意外なことにダンスを苦手としているらしかった。とはいえ、ステップは一通りマスターしているしリードも問題ないところはさすが侯爵家の嫡男といったところだろうか。ただ、人と踊る経験が少ないのだろう。先ほどのように呼吸が合わずにステップが乱れてしまうことがある。
数日後に控えた大夜会では私たちの婚約が発表されるし、当然ながらダンスも踊らなければならない。1週間前に婚約することになったばかりの私たちには共に踊った経験などないから、練習しましょうと誘ったのだけど……かわいいところがあると思ったらすぐにこれだ。
「姫はさすがにダンスに慣れていらっしゃいますね」
「公務の一部ですから」
「何度か夜会で踊る姿を拝見しておりましたが、今となってはかつてのパートナーたちが羨ましい限りです」
「……仕事相手に何をおっしゃっているのです」
「はは。姫がそう思っていても相手はそうは思っていないでしょう。確か…トルエの第三王子からはかなり熱い視線を送られていたように見えましたが」
席に着いた私たちの前にティーカップが置かれる。淹れたての紅茶に口をつけながら”トルエの第三王子”という言葉に苦い表情を浮かべた。
雷霆の国トルエはユーウェールからいくつか国を挟んだところにある国で、勇者と魔王という存在が数十年から百年ほどの間隔で生まれては戦うという特異な歴史がある。
一年の大半が雷雲に覆われるため限られた農作物しか育たない貧しい国だが、魔王討伐を担うことでこの大陸の平和に多大な貢献をしていることから周辺国の支援を受けて成り立っている。
1年ほど前に、その魔王討伐を祝したパーティーに招かれたのがきっかけで私はトルエの第三王子にいたく気に入られてしまったのだ。
「……悪い方ではないのですけど、少々思い込みが激しいみたいで」
「そのようですね。サルドニクス殿下も頭を抱えてらっしゃいましたよ」
「お兄様には本当にご迷惑をおかけして……」
思い出してため息が出てしまう私にセリオンが笑いを零す。兄が”何に頭を抱えていたのか”を明確に話題にしないのは、だれが聞いているかわからないからだろう。
トルエの第三王子──ノル王子は、私よりひとつ年上の19歳で、トルエ人特有の体格の良さと褐色の肌に癖のある黒髪、爛々と輝く稲光のような黄金の瞳が印象的な美丈夫だ。そんな彼から私へ婚約の申し込みがあったのは魔王討伐記念式典の直後だった。
あくまで公務として少し会話をしてダンスのパートナーを務めたところ、なぜか私がノル王子に惚れていると勘違いされたらしい。自分たちは両想いなのだから婚約しましょうと手紙が来たときには私も頭を抱えたものだ。
はっきり断ってからもなかなか諦めてもらえず、つい最近まで婚約の申し込みだけでなくエスコートの申し込みやドレスなどのプレゼントもあり、とても困っていた。
「次の夜会にも参加されるとのことですが」
「ええ。ただ、今回はあなたが一緒ですから」
「それは頼りにしていただいている、ということでしょうか?」
「ダンスの仕上がり次第ですね」
「これは手厳しい。我が姫に恥じないパートナーになれるよう尽力いたします」
芝居がかった仕草で胸に手を当てるセリオンに「よろしくお願いします」と苦笑を返し、私はティーカップを置いた。




