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エピローグ


「先日、トルエから非公式で使者が来た。ノル王子に関してはこれで解決だな」


 春の大夜会から数週間後。

 麗らかな春の昼下がり、サルドニクスに呼び出された私は執務室に備え付けられたソファに座り、紅茶をいただきながら事の顛末を聞いていた。室内には兄の副官が居るのみで、婚約者として公表されたとはいえ平素は護衛騎士として勤めるセリオンは部屋の外で待っている。


 結局、ノル王子が個人的に暴走した結果として処理され、あくまでトルエ国は関与していないということだった。彼に協力していたトルエ国側の人間もユーウェール側の人間も、まさかあんな風に真正面からプロポーズが行われるとは思わなかったに違いない。現にノル王子に魔石アクセサリーを融通した貴族はしらを切るのに必死になっているそうだ。


「魔石加工技術に関してはシャンデル侯爵領から盗み出されたものだということがわかっている。ノル王子がそちらに関与しているかどうかは不明だが、まあ、関わっていたらあんな派手な求婚はしないだろうな」

「あのような暴挙に出る前に止められなかったのでしょうか?」

「止まってもらうためにお前たちの関係が良好であることをあれだけアピールさせたんだが」

「セリオンのあれはお兄様の命令でしたか……」


 やたらと甘ったるいセリオンの言動を思い出してため息を吐くと、サルドニクスはおもしろそうに口元を歪める。


「俺はただルナリアとの婚約に付け入る隙を見せないようにと言っただけだ。セリオンが自分の判断でああしたんだ」

「……」

「かなり良い牽制になっていたはずだが、向こうの執念の方が上だったな」

「執念というか…思い込みというか……」

「そのお陰で盗人を釣り上げられたからよかったといえばよかったが」

「……?そのためにこの婚約を進めたのではなかったのですか?」


 この婚約はシャンデル侯爵領の技術盗難問題とノル王子からの求婚をいっぺんに解決するために結ばれたものだと思っていたけれど、兄の口ぶりでは違うようだ。不思議に思って首を傾げる私に「お前たちの婚約の方が先だった」と答えが返ってくる。


「去年の大会でお前に『乙女の口付け』を頼んだ時点で既にセリオンを婚約者にすることを決めていた。『宝石姫』のお前を並みの男に嫁がせるわけにいかなかったからな。ノル王子からの婚約を黙らせるためにもセリオンはうってつけだったわけだ」


 確かにセリオンはシャンデル侯爵家の嫡男で、王国一の騎士という称号もある上、勤務態度は至って真面目、容姿は端麗で性格も……悪いわけではない。他人に興味関心が薄く、私に対しては若干意地悪なところがあるだけで。

 微妙な表情の私を見てサルドニクスは笑みを深め、さらに話を続ける。


「政略的にちょうど良かったというのはもちろんだが、俺はお前たちはうまくいくと思っていたよ」

「……え?」

「現に、男にあれだけ警戒心の高いお前がセリオンからの触れ合いを受け入れているんだからな」


 受け入れているわけではない、と咄嗟に反論しようとしたものの、実際にセリオンからの接触に拒否感があるわけではなく、むしろかなり好きにさせている自分がいることに思い至って口を噤む。

 別に、触れられたいとか、触れられて嬉しいとか、そういう感情があるわけではない。ただ、セリオンからの接触はなんの色も含まないから平気なだけで。そう心の中で言い訳をしても、素直に口に出すには憚られる内容だったのでやはり何も言えずにいる私を、サルドニクスは一笑した。


「まあ、そう難しく考えなくて良い。うまくいっているならそれで問題ないし、何よりお前たちにはまだ時間があるんだから」


 王太子としての顔ではない、優しい兄の顔でそう告げられて素直に頷く。

 話は以上だと言うので、空になったティーカップを置いて退出した。



「セリオンは家の方へ戻らなくても大丈夫なのですか?」

「と、言いますと?」


 婚約の話が出たあの日と同じ庭園の四阿で、あの日とは違って座った私と立ったままのセリオンは軽く会話を交わす。今日はお茶の用意はさせず、穏やかな春風が柔らかく髪を揺らすのを感じながらセリオンの疑問に答える。


「例の技術はシャンデル侯爵領から盗まれたものだと聞きました。今は事後処理で忙しいのではないですか?」

「そうですね…父は忙しくしているようですが、私には自身の役目を優先せよとのことでしたので」

「それなら良いのですが……。そういえば、まだわたくしは正式なご挨拶もできていないのですよね」


 現シャンデル侯爵夫妻とは先の大夜会でも、それ以前にも顔を合わせている。知らない相手ではないものの、婚約者となってから挨拶へ伺う機会もなく、ほぼ書類上でのやりとりしかできていない。

 そんなことをふと思い出したため、セリオンを見上げながら口にすると、薄い眼鏡のレンズ越しにアイスブルーの瞳がこちらを見た。


「今回の件が落ち着いたら機会もあるでしょう。父も母もルナリア様との縁をたいそう喜んでいましたから」

「ご両親は侯爵領に?」

「いえ、今は王都に留まっているのではないでしょうか。いつか侯爵領へもご招待いたしますよ」


 ふっと微笑み、領地のことを思い出しているのか、遠くへ視線をやる。その様子が少し珍しい気がしたものの、すぐにこちらへ戻ってきた表情はいつもの笑みだったので、問い質すタイミングを失ってしまった。

 仕方なく「楽しみです」とだけ答え、立ち上がる。


「そろそろ戻りましょう。この後は夜の会食まで予定はありませんので、部屋でゆっくりすることにします」

「かしこまりました。……ああ、姫、少々お時間をいただいても?」

「? ええ、なんですか?」


 四阿から出て歩き出そうとしたところでセリオンに手を取られ、噴水の前へエスコートされる。

 よく手入れされた花々に囲まれ、白い石で優美な曲線を描く作りの噴水は春の日差しにきらめく水しぶきをあげ、静かな庭園に水音を響かせている。そんな噴水の前で私と向かい合ったセリオンはモザイクタイルの地面に片膝をついた。


「セリオン?」

「──私に愛はわかりません。女性の喜ぶことにも疎く、剣を振るう以外のことへ大して興味もありません」


 手を取りこちらを見上げる顔は真剣で、思わず私も背筋が伸びる。表情と同じく真摯な声で話すセリオンに意識が集中する。


「実のところ、そういった部分で縁談を断られたこともあるのですが……」

「そうだったんですか?」

「ええまあ。思っていたのと違う、とのことで」

「なんというか…そうですね……」


 真剣な話をしていたかと思えば唐突な打ち明け話が来て思わず突っ込んでしまったが、確かにセリオンは冷たい美貌、それを和らげる笑み、実際に会話してみたときの印象と、それぞれが違うかもしれない。今となっては慣れてしまったけれど、私も最初は胡散臭さしか感じなかったし…と自分を振り返っている間にもセリオンの話は続く。


「しかし、あなたはそんな私だからこそ価値があると言ってくださいました。……私は思いのほか、それが嬉しかったようです」


 セリオンは表情を和らげ、春の日差しを眩しがるように細めた目で私を見上げた。


「我が姫、あなたの信頼に応える婚約者であることをここに誓います」


 指先に柔らかな感触が落ちる。セリオンが口付けたのだ。

 その瞬間、私の動揺を感じ取ったようにざわりと風が吹く。噴水の水しぶきがきらきらと光を反射させながらあたりに散り、さらわれた花弁が舞う。

 伏せられた長いまつ毛、眼鏡のフレームに柔らかくかかる銀糸のような前髪、指先に触れる、薄く形の良い唇。

 まるで祝福されたようなそのいっとき、私はセリオンから目を離せずにいた。

 

「──これからもよろしくお願いします、ルナリア様」


 再びこちらを見上げたセリオンは、先ほどまでの表情はどこへやら、いつもの私をからかう表情で笑って見せる。

 一瞬止まっていた思考が戻り、向けられた言葉や表情に頬が熱くなるのと、またからかわれたことに気付いて腹立たしく思う心が同時にやって来て、何も言えずにはくはくと唇を戦慄かせてしまう。

 それがまたセリオンはおもしろかったようで、楽しそうに吹き出した。


「……セリオン!!」

「っはは、我が姫はすぐに真っ赤になってかわいらしいですね」


 婚約が決まったあの日と同じ場所で、同じように笑う。

 けれど、セリオンが私へ向ける表情も、私がセリオンへ向ける表情も、あの日とはずいぶん変わったと思う。


「セリオンは意地が悪いです」

「意地悪のつもりはないのですが」


 軽口を叩き合いながら、今度こそセリオンのエスコートで噴水を後にする。

 この手に触れるのも、触れられるのも、歩幅を合わせてもらうことも、すっかり慣れてしまった。それが不思議と嫌ではなくて、心がやわく揺られるような心地がする。


 そこに愛や恋はなくても、私たちの関係はこれで「ちょうどいい」。

 ……ほんの少し、意地悪な笑顔にときめく心に見ないふりをしながら、自分をエスコートする男の腕に頬を緩めた。




end.


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