01
「ルナリア。お前にもそろそろ婚約者が必要だ」
輝く宝石の国、ユーウェール。山ばかりの農業に向かない土地である代わりに地下資源が豊富で、鉱山から産出される鉱石や加工した宝石の輸出を主な産業としている。
その中央に位置する堅牢な城の一室…王太子サルドニクスを前にして、私、第二王女ルナリアは顔を引き攣らせていた。
「お…お兄様。わたくしはまだ18です。100年前ならともかく、現在は一般的な結婚年齢は20歳を超えてからですし、それに教育プログラムもあと2年残っています」
「一般的にはな。我々は王族であり、一般という点からは外れている。お前の姉は12のころに婚約をしているし、俺だって9歳になる頃にはペルラと婚約していた。そしてプログラムの進行と婚姻の約束は同時に成立させられる」
淡々と丁寧に私の言葉を論破し、ユーウェール王族特有のローズピンクの瞳でまっすぐに見つめてくる兄から目をそらした。国内外で『宝石姫』などと恥ずかしい名前で呼ばれている私の顔も、今は情けない愛想笑いが浮かんでいることだろう。
「で、でも、わたくしは勉強と公務に忙しくて…婚約者と交流する時間などとても作れません」
「ふむ…リアが婚約者と交流を持ちたいタイプだったとは知らなかったな。お前は人見知りで社交もろくにしないだろう」
「最低限はしています!そもそも、この顔を使って公務をさせているのはお兄様たちではないですか…」
「公務以外のことだ。一般的な王族の子女は友人を招いて茶会を催したりするんだが」
「…忙しくて友人など……」
「忙しさを理由に人付き合いを断っているだけだろう」
「ううっ……」
私の拙い反論をことごとく切り捨てながらもサルドニクスはその甘く整った顔に笑みを浮かべたままだ。この兄が優男風の見た目に反してやることがあくどいということをよく知っている私は嫌な予感でいっぱいになった。
以前この笑顔を見たときは、王家主催大騎士トーナメントの優勝者に『乙女の口付け』を与えろと言われたのだったっけ。顔と名前しか知らない男の頬に祝福の口付けを贈るのは非常に恥ずかしかった。
またああいうことを命じられるのでは、と身構えた私ににっこり笑みを深めて見せると、兄は口を開いた。
「放っておいては宝石の輝きも曇るだろうと思ってな。俺の方で婚約者を用意した」
「……はい?」
「セリオン、ここへ」
「はい」
サルドニクスが呼ぶとすぐに背後から踏み出してくる気配を感じる。金属がこすれる音は聞き慣れた騎士特有のものだ。そして、私はこの声と名前にも嫌というほど覚えがあった。
「ルナリア。このセリオンをお前の婚約者とする。セリオン本人と父上は既に納得ずくだ」
「え……は………、」
ギギギ、と音が出そうなほどぎこちなく隣を見上げる。
美しい彫金の施されたプレートアーマーと赤いマントは王太子直属の近衛騎士を示す。私より頭一つ分ほど高い位置にある顔は怜悧な美貌と言って差支えなく、眼鏡の奥のアイスブルーの瞳が冷たい印象を強めているが、オールバックにした艶めくシルバーブロンドの前髪が額にかかるさまがそこに禁欲的な色気をプラスしている。
呆然と見上げる私を気にせず、男は薄い唇を開いた。
「セリオン・シャンデル、ここに。我が国の『宝石』を授かる栄誉をいただき、大変光栄です」
前年の騎士トーナメント優勝者にして、『宝石姫』からの口付けという栄誉を受けた男──王国近衛騎士セリオン・シャンデルが私を見つめながら、微笑んでいた。
「なっ…なっ……!」
「セリオンをお前の婚約者兼専属護衛騎士として任命する。シャンデル侯爵家は過去にも王族が降嫁した前例があり、セリオンもいずれは家督を継いでシャンデル侯爵として国を支えることになるだろう。そのときにルナリアの公務経験は役立つだろうからな。」
「姫君のご活躍は聞き及んでおります。お恥ずかしながら剣を振るう以外のことには疎いもので、姫のお力添えをいただけると大変心強いです」
私を置いたまま兄とセリオンはペラペラと喋りながらきらきらしい笑顔を浮かべている。このまま勢いで流してしまえという思惑が見て取れて、慌てて声を上げた。
「お待ちください!わたくしはまだ、婚約なんて…!」
「なんだ。セリオンでは不服か?」
「ち、違います!シャンデル様に不満があるというわけではなく…!わたくしには、まだ婚約なんて早いと…」
「ルナリア。お前は自分がユーウェールの第二王女だということを忘れていないか?」
「う……」
「公務で表に立つことの多い『宝石姫』は国内外からの関心が高い。お前宛の縁談は山ほど来ているし、これ以上時間をかけて嫁入り先を選ぶとなると我が国では断り切れない婚姻を申し込まれる可能性だって出てくる」
サルドニクスは兄の顔から王太子の顔に切り替え、じっと私を見る。私自身も婚約を拒むことがただのワガママでしかないことには気づいていたから何も言えなくなってしまった。
ゴネてはみたけれど、王太子たるこの兄と父が決めたことを、そして既にシャンデル侯爵家へ話が通っていることを考えれば当たり前だが私に拒否権は存在しない。
精一杯の王女としての矜持でため息を堪えると、兄へ向けて頷いて見せた。
「……かしこまりました。シャンデル様、どうぞよろしくお願いいたします」
「セリオンとお呼びください、我が姫」
手を差し出す私に応え、騎士は膝をつき指先に口づける。
そうしてこちらを見上げた顔は胡散臭いまでの完璧な笑みを浮かべていて、私は盛大にため息をつきたくなったのを一生懸命微笑みで隠すしかなかった。