第一話『幽霊船の噂』
王都『アルガルム』。『アンダーグ王国』のほぼ中央に位置する最も栄える王都の名に恥じない都。その中央には王宮が聳え、まるで王宮から見下ろすことが前提になっているかのように、放射状に下り坂になっている、山のような地形をしている。縦横無尽に石のタイル張りの道が走る城下町は朝は市場が、夜は酒場が中心となり、いつも活気が途絶えない。
王国の国土は南と西は海に、東には森が隣接しており、様々な自然の恵みにかこまれ、豊かに、そしてゆっくりと栄えていった。国の人たちは自然への感謝を忘れず、後世の繁栄のことを考え、今日まで生きてきた。
***
場所はアルガルムの南方に位置する騎士団の駐屯地の一つ。そこでは連日のように雑務や内務の人たちが忙しなく働いていた。
決して広くも狭くもない駐屯地の一角で、内務の人ともう一人、騎士のような出で立ちの女性が話していた。
「幽霊船の噂かい?」
その言葉を聞いて、そう問い返したのは、それはもう見目麗しい女性だった。
少し頭を動かしただけで豪奢に揺れる銀髪が目を引く。光に照らされた部分は、その原理は分からないが、蒼と呼べるような色合いを光を見せ、まるで神秘の存在のように思わせる。彼女が着ているフリルドレスのような衣装も髪色に合わせてあるのか、白と銀、そして蒼色で構成されている。その腰には一本の剣が鞘に収まっていた。表情はまるで氷のように無表情だが、顔つきはまだ少し幼く、それがまた神秘的な雰囲気をより一層際立たせている。
「はい、南の都……『イルスス』の港区のにて、巨大な木造船が現れたり消えたりしているとのことで……」
そんな彼女の問いに頷き、持ってた分厚い書類の束をパラパラとめくりながら、眼鏡をかけた内務係の男は答えた。
「それで私に調査を?」
「はい……近頃はイルススの方で呪い騒ぎもありました……無関係ならいいのですが、もし関係があるなら、相応の危険が伴いますので。ルシル様であれば例え霊であっても対処できるはずですので。頼めるでしょうか」
「……分かった。五日程かかるだろうが調査に行ってこよう。手続きを頼んでもいいかい?」
「は、はい! 分かりました!」
ルシルと呼ばれた蒼銀の女は少し考え込んだ仕草をしてから、少しだけ表情を柔らかくして頷いた。その様子を見た眼鏡の男はすぐに書類の束を両手に抱え込んで、慌てたように二階の方に引っ込んでいった。
その一角に一人となりしばらくしてから、ルシルは柔らかくした表情をまた元の氷のような無表情に戻り―――
「呪い騒ぎか……幽霊か、はたまた呪術師か……どっちにしても無視はできない……」
しばらくぶつぶつと考え込むように独り言を言っていると、さっきの眼鏡の男が数枚の書類と共に戻ってきて、ルシルに書類を手渡してくる。
「ではこちらが調査依頼書です。こちらは軍の馬車の許可証ですので、お忘れにならないように。ではご武運を祈ります、『無剣の騎士』ルシル=アイシクル様」
「あぁ、朗報を待っていてくれ。もっとも、不穏な報せになっても責めないでくれよ?」
おどけるように肩を竦めながら、ルシルは優雅に駐屯地の扉をくぐり、太陽の下へと出る。
小さな事件などはこのように今も起こるものの、至って平和そのものなアンダーグ王国だが、たった一つ、他国から恐れられる存在が、この国には6名存在した。
それはアンダーグ王国宮廷騎士団のトップ。騎士に就きながら、決して剣を使わない。しかし、その力は一人一人一騎当千、万の賊を退けると言われる。
そんな彼ら彼女らは『無剣の騎士』と呼ばれ、この国の最高戦力として、国防の象徴となっている―――
「さて……王国の安寧もまだまだ遠いね……」
騎士という存在が必要であること自体がその証拠なんだろうと密かに思いながら、無剣の騎士の一人は今日も任務を果たすために動く。
アルガルム南方の駐屯地からイルススの港までは馬車で片道一日とちょっと。
ルシルは早速、用意された馬車に乗り込み、目的地へと向かうのだった。
***
イルスス。アンダーグ領地の南方に位置する都で、海に面しているだけあって、水産業が活発に行われている。夏になると爽やかな潮風が絶えず吹き、高い気温の割には快適なリゾート地としての一面を持つ。しかし南方の海を隔てた国は無く、交易港としては機能しておらず、観光客は西の都から馬車で王都を経由して訪れるしかないという行き来の不便から観光客の存在はそれほど多くなく常にまばらで、そのためにイルスス中央の大路地も混みあったりすることはない。逆にそれがゆったり過ごすのにはピッタリだとして、富裕層を中心に人気のある街だった。
港区に向かっていく馬車が大路地をゆっくりと進んでいく。すれ違う人は馬車の窓からたまに覗く蒼銀の反射光に気を取られるが、すぐに気のせいか何かと思い、馬車への興味を失っていく。
そんな様子をルシルは馬車に乗る前と変わらない氷のような表情で―――いや、ただぼんやりしているだけかのようにも見えるが、とにかく変わらない無表情で眺めていた。
馬車の向かう先、港区の方に視線を向けてみるが、まだ海岸線は視界の内には入らない。入るのはまるで平らにならされたように感じる、同じような高さの石造りの家々の屋根がほとんどだった。
「ねぇ、御者さん」
そんな中、少し退屈になってきたのか、唐突にルシルは御者に声をかけた。
「なんでしょうか、ルシル様」
御者は馬はコントロールを外れないように、しっかりと馬の手綱を握り、振り返りはしなかったが、しっかりと言葉を返して。
「幽霊船の噂について何か詳しいことを知っているかい?」
「はぁ……私はイルススの住民ではないので、そこまで詳しくは知りませんが、人伝に聞いた話でよければ」
「構わないよ。なんなら10秒ちょっとの話でもいいんだけどね、聞かせてくれるかい?」
そこまで言われると御者は馬の手綱を操りながら、考え込むように黙り、少ししてから口を開いて。
「どうやら、イルススの港区の湾岸に正体不明の巨大な木造船が停泊していると、港区に位置する騎士団駐屯地に通報があったそうなんですが、いざ駆けつけた時には……」
「既にいなくなっていたということか……見ていた人とかはいるのかい?」
「どうやら、通報した港区の漁師の人たちは、ずっと木造船に目を向けていたらしいのですが、目の前でそれが消失した、と……それに、そもそもイルススの港に停泊する他国の船なんてありませんから、それで余計に騒がれているんだと思います」
「なるほどね……それでそれはいつの話かな?」
「五日前……程ですかね。私が聞いた時点では、ですから恐らく三日前程でしょう」
「集団幻覚っていうなら、怖いだけで済むんだけどね……ちょっとこれは本腰を入れて調査する必要があるかな……」
ルシルは話を聞くだけで少し疲れたとばかりに溜息を吐いて、再びぼんやりしているようにも見える無表情になりかけていたが―――
「……なんだ?」
「どうしました?」
その矢先にルシルは何かに気づいたように、ハッと顔を上げた。それを感じた先に目を向けると、大路地の隅で、何か暗幕のテントのようなものが張られていた。
それを見て数秒すると、ルシルの表情が引き締まっていく。その場においてはルシルのみが感じた、超自然のエネルギーの一つ。それがテントの中から感じられていた。
「……あぁ、いや。御者さん、すまないが一度ここで止めて貰えないか?」
「え?まだ、港区までは大分距離がありますが……」
「いいよ、先に行っていてくれ、少し野暮用が出来たみたいなんだ」
「は、はぁ……分かりました……」
ただの一介の御者にはルシルの真意は分からなかったが、特にそれ以上は追及せず、言われた通りに馬車を止め、ルシルは若干飛び降りるように足早にテントに向かっていく。
その様子を見て、馬車はルシルに言われた通りに、手綱を鳴らし、再び馬を進ませ始める。ルシルはそれに振り返ることもなく、躊躇いのない動作でテントの入り口の幕をくぐった。
中は蝋燭によって明かりがついていたが、全体的に暗い雰囲気となっており、胡散臭いと評価がつきそうな物ばかりがずらりと並べられた、一見して雑貨屋のような作りになっていた。
怪しいお香に怪しい護符、怪しい人形もあれば、怪しい剣まで並んでいる……並んでいるもの全てに怪しい、と修飾語をつけても何も違和感がない程だった。
そして奥の方では机を挟んで二人の男が向かい合って、何やら机の奥の方の男が、客らしい机よりも前の男に話し込んでいた。
ルシルがその話を聞くために耳を澄ますと、二人との距離も全然離れていないので、はっきりとその内容が聞こえてくる。
「もう少し、もう少しですよ……もう少しで貴方と貴方の近しい人が呪いに冒される未来があるかどうかが見えます……あ、あぁっ……!」
「…………」
「……何をしているのかな?」
「おや?」
そんな迫真のような大声を出している机の奥の男の方をルシルが覗き込むと、机の上にはどうやら水晶が置かれていたようで、男は水晶に念じるように手をかざしていた。
何が起こるのか少し気になったルシルは声をかけ、店主もそれでようやく気付いたというように、ルシルの方に視線を向けた。客の男は少し顔をルシルの方に向けただけで、すぐに店主の方に向きなおしてしまう。
「これはこれは、気づかずにすみません」
「いや、それはいいんだが……水晶なんて持ち出して、一体何をやっているのか気になってしまってね」
「あぁ、これは……いわゆる予知というものです」
「……予知?」
一体何を言っているんだ、とばかりに呆れた表情になっているルシルだったが、店主はそれには気づいていないようで、意気揚々と説明を始める。
「最近、このイルススでは呪いが横行しているのです。呪いに蝕まれた人は高熱を出し、倒れ、意識を失ってしまう……それは医者ではどうにもならず、単純な癒しの魔術でも治すことはできません。他の街では、単なる騒ぎやデマとして見られているようですが、これは事実、国家をも揺るがしかねない災害に近い。私はその中で正しく事態を捉えている者として、個人でできることを探した結果、私の術によって不安になっている人の助けとなり、呪いを少しでも遠ざけるお手伝いができればと思い、このようなことをしています」
「…………そんなことが出来るなんて、貴方は魔術師、かそれに類する人なのか?」
「えぇ、その通りです。少し時間を頂ければすぐにでも予知の魔術により、貴女と貴女の近しい人が呪いに蝕まれる未来が無いかどうか、この水晶に映して見せます。もしそのような不穏な未来があったとしても、私の魔術師としての誇りにかけて、呪いを少しでも遠ざけるための魔術的な処置をさせていただきます。貴女も少しでもそれを不安に思うのであれば、誠心誠意、力を振るわせてもらいますが、いかが―――」
「……おい、その前にオレの予知を早くやってくれないか?」
熱弁する店主の言葉を遮ったのは、全くルシルの方を見ない客の男だった。その視線は依然、水晶にのみ向けられており、ルシルにはそれが何か異質なものを感じさせた。
「あぁ、すみません! お嬢さん、返事は前のお客さんが終わってから聞かせてください」
「……分かったよ」
そう言って店主は慌てて、再び水晶に手をかざし始める。
途中だったからか、数秒もすると、ぼんやりと水晶の中に何かの画像のようなものが浮かび上がっていた。かなり解像度が悪くぼやけていて、それは誰かは分からないが、恐らくは女性がベッドの上でもがき苦しんでいる最中の一瞬を切り取ったようなもので、客の男はそれを無言でじっと見つめている。
「これは……もしや、貴方の母親……もしくは恋人とかでしょうか?」
「…………」
「まずいですよ、これは……このままでは貴方の近しい人であるこの女性は近い未来に、この街を襲い始めた呪いに侵されてしまうことになってしまいます」
そんなことを心配そうに、かつ、平然と言ってのける店主の男にルシルは少しの嫌悪感を覚えながらも、至って冷静に、その水晶の映像を見て、それがどういったものなのか、すぐに把握することができた。
「(これは……軽い幻影魔術で水晶の中にイメージを投射しているのか)」
魔術。自然や生命を持つ者の肉体で生成される超自然のエネルギーの一つである魔力を、様々な属性に接続することで物理的に影響を及ぼす術理。
接続には必ず素となる物が必要となり、火の属性ならば、文字通り、直接の火種が必要になるなど、特定の属性の魔術を使うためには、それを魔術無しで起こす道具や技術の準備が必要となる。
幻影魔法であれば、その素は投射するための光。光はこの世界のどこでも溢れているため、幻影魔術などは数少ない準備要らずで発動することができる魔術として有名である。
しかし、思考を読む魔術、記憶を書き換える魔術、ましてや未来を見る魔術などは存在しない。魔力はあくまで物理的に影響を及ぼすのみであり、生命の精神などに影響を及ぼす力がない。未来などという概念に干渉するものなどもってのほかだ。
故に今映っている画像の女性が客の近しい人などというのは嘘っぱちだというのは魔術を知るルシルには簡単に分かることだった。
しかし―――
「(一般市民にそれが魔術による不正であるかどうかを認識する術はない。もし同業者が来ても金を握らせるつもりなのか、逃げる算段があるのか……)」
一般市民に、魔術、またそれ以外の超自然的な存在の情報が降りてくることは稀である。霊や魔物などの目撃も稀、魔術はそれを行使する魔術師たちが自分らの優位性を確保するために秘匿されるのが常。そもそもそういったものは、それぞれ適正を持っていないと感知すらできないというものも多い。魔力は接続される以前でも体内で生成され、肉体に多少なりの影響を及ぼすものであるため、一般人でも感知しやすい部類に入るものの、それでも七割は完全に感知できない。二割は感知していても、それが魔力だと気づかないとされる。
目の前の客は目の前のインチキに対し、憤慨する様子も無ければ、興味を示す様子もない。気づいていないとしか言いようがなかった。
「なぁ、君。どうにも、その予知とやら、しょうもない術理なようだが―――」
完全に偶然だったとはいえ、仮にも騎士である身。この場に居合わせ、相手の仕掛けを見破っておいて見なかったことにして出るという選択肢は一切浮かんでこず、腰に佩かれた剣を強調するように、その柄に手を置いて、躊躇なく男二人の話に割り込もうとした時。
「―――くだらねぇ」
「「は?」」
突如、客の男が心底興味を失ったとばかりの低い声でそう呟き、思わず店主もルシルも意表を突かれたような声を出してしまう。
ルシルがそのまま客の顔を流し見るも、テントの中は今も暗く、顔に影が差してよく見ることが出来なかった。
しかし、そんなルシルに構わず客の男は言葉を続ける。
「なんでアンタに呪いをかけられる未来なんざ分かるんだ?」
「な、なんでって……そりゃ貴方、魔術で―――」
「魔術師にとって呪いは『専門外』だろうが」
「ッ!?」
「やることが稚拙。仕掛けも雑だ。くだらねぇし、つまらねぇ」
「な、何をッ!?」
そう言うや否や、客の男は静かに店主の頭に手を持っていこうとする。それに反応した店主が、机の下に用意してあったのだろう、コップに注がれた水を手にすると、その中の水が急に重力に逆らい、うねり、凄まじい速度で客へと襲い掛かっていく。既に準備された水を使っての水属性の魔術。
しかし、それが客へたどり着く前に、客の右手が店主の頭に触れ―――
「テメェみたいな心底くだらねぇ人間は地を見て生きてりゃいいんだよ」
瞬間、暗幕のテントが爆ぜた。
「なッ!? 何が……!?」
ルシルにも何が起こったか、一瞬把握が出来ず、巻き起こる衝撃波を腕を交差させ、態勢を低く取り踏ん張って、どうにか無事でいることができたが、もう周囲は散々なことになってしまっていた。
店主の頭が壮絶な威力で机へと叩きつけられており、机はものの見事に四散してしまっている。周りに置かれていた怪しげな雑貨も全て吹き飛び、いくつかは欠け、使い物にならなくなってしまっている。テントの周囲にいた人はもれなく全員が怯えと恐れに支配され、表情にもそれが見て取れる状態になってしまっていた。
明らかに正常ではない。正気に戻ったルシルもまだ唖然としてしまっている。
だが、それでも次第に落ち着きを取り戻していく思考がルシルの口をゆっくりとだが開かせた。
「君は……一体…………?」
その声を聞いて、ゆっくりとルシルの方に振り返った客の男は、テントが吹き飛び、日差しを浴びて、ようやくその姿をしっかりと捉えることができた。
少年だ。齢は16か17というところか。しかしその雰囲気は明らかに少年のそれではない。顔つきは確かにまだ幼さを残しているが、紅く光る鷹のように鋭い眼つきがそれをかき消して余りある威圧感を生んでいる。全ての光を吸ってしまうような漆黒の跳ねた黒髪、それと対比するような白磁のような肌。黒いインナーの上にこれまた黒がベースの紺のラインと鈍く光る紅のラインが入ったようなコートを羽織った少年がそこに立っていた。
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