十七話
「思えば故信長様とは不思議なご縁であった。わしは六歳の頃、人質として織田家に留め置かれていたことがあった」
今、岡崎城内の座敷に迎えた蘭丸と千代を前にして、三河領主・徳川家康が語りかける。
上洛を目論む大大名今川家。
その途上にあり、これを阻む織田家の間にあって、弱小の松平家は今川派、織田派に割れ、嫡男の竹千代…後の徳川家康は、人質として織田家に出されたことがある。
当時、生まれながらにして織田家嫡男の信長は、幼少にしてすでに父母の手を離れ、守役の家老たちに囲まれた一城の主であった。
15歳の信長は竹千代を気に入り、取り巻きの少年達と共に連れ歩くことがあったようである。
幼少より武芸を好み、乗馬、水練はもとより鉄砲、剣術、あらゆる武術を当代の名人を招き教えを請い、自分もその域に達した信長である。
貴公子然としたひ弱な竹千代を、真冬の水練に連れ出したこともあったようである。
「いや、信長様にはえらい目にあわされ申した」
家康が思い出したように語る。
真冬の寒風にさらされる川岸に立ち、素裸に下帯姿の信長が同じ姿の竹千代に語りかける。
「竹千代、泳ぎはどうじゃ」
「いまだ泳いだことはありませぬ」
「竹千代、向こう岸まで泳ぎ切ってみよ」
「いきなり川に放り込まれ申した」
…家康が目を細めながら語る。
「必死に見様見真似で手足をもがき、漸く岸に辿り着いたが溺れ死ぬ手前であったわ。信長様はすでに渡ってわしを待っておられたがのう…」
「竹千代、ようやった。強くなれ。自分を守ってくれるのは自分だけじゃ」
「その日の信長様の眼はとてもお優しかった。わしの境遇を憐れんでくだされたようでもあり、励ましの言葉でもあったようじゃ」
後年、海道一の弓取りと称される家康、生涯鍛錬を怠らず文武を極めた武将の幼い日の思い出であった。
今川家派、織田家派に分かれ苦悩する松平家であったが、強大な今川家の圧力に抗しきれず、遂に今川家に誼を通じて家の存続を図った松平家であったが当然竹千代の命は処刑の危機に瀕した。
「おのれ、竹千代をここに引き出せ。この場で斬り捨ててくれる」
大広間で怒り狂った信長の父・信秀が家臣に命じた。
一度言い出せば絶対に引かない信秀の言葉である。
家臣が竹千代を引き据える。
観念した竹千代であった。
「親父殿、竹千代を斬るな」
家臣の制止も聞かず、襖を蹴破って飛び込んだ信長が、信秀を睨みつける。
「裏切れば殺される。人質とはそういうものじゃ。その方もよく存じておろう」
あきれたように信長を見返す信秀。
「竹千代はおれの弟じゃ」
信長が喚く。
弟を溺愛する母に疎まれ、家族と離れ守役に囲まれて育った信長。
何かと奇矯、粗暴なふるまいの多い嫡男ではあるが、その裏にある将器を見抜いている信秀は、信長の唯一の理解者であり庇護者であった。
「であるか…」
その場を収めた信秀であった。
その後、人質交換で今川家に送られ、生き延びることが出来た竹千代であったが、人質としての境遇は今川家でも変わらず、忍従の日々を過ごすことに変わりは無かった。
永禄3年今川義元は自ら大軍を率い上洛の途上についた、途中、織田領内を通過。
織田家壊滅の危機であった。
「古来、籠城して運を開いたためしはない。座して死を待つよりは打って出よ」
家中の意見が籠城に傾く中、少数の馬周り衆の精鋭を率いた信長は数倍の軍勢を擁する義元本陣に果敢に攻め込み義元を打ち取った。
世にいう桶狭間の合戦である。
義元を討たれた今川勢が続々と本国に引き上げる中、踏みとどまった家康は岡崎城に入り悲願の独立を果たした。
後日、信長の居城・清洲城で再開を果たした信長と家康は同盟を結んだ。
西上して京を目指す信長。今川家の脅威に対し腐心する家康。
両者の利害が一致していたとはいえ、20年以上に渡り、信長が死ぬまで共に同盟を守り裏切ることは無かった。
誓詞を交わし、人質を差し出しての同盟もあっさりと破られる戦国の世に於いて、織徳同盟は稀有な例であり、両者の信頼は終生変わることは無かった。
これより少し前、家康のもとに、京より関白近衛前久の使者が到着した。
「近々森蘭丸様が、当家に逗留なさっておられる望月家の姫君千代様と共に、三河のご領内をご通行為されます。つきましては…」
使者が告げる。
「御領内の関所に於いて、ご身分を誰何することなく、被り物のままでお通りあるようにご手配をとのことで御座います。」
驚いた家康であった。すぐに役人を召して厳命した。
「絶対に粗相があってはならぬ。領内のすべての奉行に申し伝えよ。…服部半蔵を呼べ」
「半蔵、そちは御一行に気付かれることなく街道を見張り、御警護いたせ」伊賀忍者の頭領・服部半蔵が庭先に平伏して答える。
「無理でございます。千代姫様は我が服部家の本家、甲賀・望月家の姫君で御座います。お供の女忍衆はいずれも選りすぐりの手練れ。我らの及ぶところでは御座いません。たちまち御眼にとまりましょう」
「分かっておるわ。ご無礼の無いように近づき、我が書状をお渡しいたせ」
家康の書状を受け取り、招待に応じた蘭丸一行は、岡崎城内にいる。