十六話
蘭丸の日々は多忙を極めていた。
中でも蘭丸生存の噂を頼りに鷹ヶ峯の邸を訪ねる織田家の官僚たちは引きも切らない有様であった。
生前の信長に仕え重用され忠誠を誓った多くの小姓衆や同朋衆・奉公衆たちは主君無き今、他家よりの再仕官の誘いに応ずる者は少なかった。
「故郷に帰り帰農致す所存」
「武士を捨て剃髪して上様の菩提を弔うつもりです」
「商人となり、船に乗り海を渡り異国に参ります」
彼らは自分の辞意を蘭丸に伝え、後事を託して去っていった。
主君から託された軍資金の保管場所を伝えて去っていった蔵奉行もいた。
後の蘭丸の人脈につながる人々である。
そんなある日、
「本阿弥光悦、里村招巴と申す両名が千代様にお取次ぎを願っております。見た目には大きな風呂敷を背負い、商人とも見受けられますが…」
千代は門番の注進を受け蘭丸に取り次ぐ。
「夢に掲示があり、御所持と聞き及びました『今剣』のお世話に参りました」
蘭丸と千代を前にして、まず本阿弥光悦が口を開く。
「本能寺にて灰塵に帰したと伝えられます名物の数々でございます。主なき今、信長様の遺骸をお守りなされます、森蘭丸様に御渡しいたしたく参上いたしました」
里村紹巴が言葉を引き取る。
「光秀公ご謀反の前夜、信長様の茶会に召されておりました。早朝変を聞きつけ、光秀公に談判のうえ持ち出しを許されましてございます。羽柴秀吉様のお許しもあり、それがしのもとにお預かりしておりましたが、近衛前久様より森蘭丸様の消息を聞き及び、信長様のもとにと、羽柴様のお許しの上、持参いたしました。火に焼かれ又割れてしまったものもございます。すべて持ち出すことがかなわず。残念でございます」
「…上様の形見の品、少々所望じゃ置いてゆかぬかと羽柴様がさも惜しげに申されましたが、もし黄泉におわせられます上様がお聞きになられましたらいかように、と申し上げましたところ、震えあがられ、せめて一品だけでも申されました。…過ぎし日、安土城にて宴の折、居並ぶ諸将の面前で、上様より拝領の唐渡りの名物墨蹟の軸を大切にされておられますが、更に一本所望されましたので献上いたしました」
千代が微笑みながら訪ねる。
「秀吉様もきっとお喜びの御様子ですね」
すかさず紹巴が答える。
「『二本手にいる今日の喜び』と虚ろな顔で申されましてございます」