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TSホモ  作者: てと
3/6

TSホモ 003


 ――とくに何か事件が起こることもなく、その日の放課後は平穏無事にやってきた。


 体に解放感が広がり、俺は大きく息をつく。朝から玲利の件で、精神的な疲労が溜まっていたことは否めなかった。あんな非常識な異変を目の当たりにしては、平常心を保ってその日を過ごすのは難しいものだろう。


 おそらくは――玲利も内心では、かなりの心労があるのではなかろうか。スカートが慣れないと言っていたのもそうだし、とくに休み時間中にトイレへ行った際には、やたら挙動不審だったのが印象に残っていた。

 もし俺も女になったとして、女子用のトイレや更衣室などを平然と利用できるかというと……まあ、無理だろう。そういう日常の細かいところで、ストレスが蓄積するであろうことは容易に推察できた。


「……さて」


 ――帰るか。

 そう考えて、ちらりと玲利の席のほうを見遣る。


 登校はいつもバラバラなのだが、下校は途中まで帰り道が一緒なので、玲利とはよく一緒に帰っていた。

 俺は部活に入っていないし、玲利もほぼ同じようなもの――文芸部に懇願されて名義だけ貸しているらしい――なので、委員会やらなんやらの特別な用事がないかぎりは、肩を並べて帰路につくのが常例なのだ。


 そういうわけだから――

 昼休みに話し合ったとおり、“過ごし方を変えない”ほうがいいのだろう。


「――よぉ」


 できるだけ暗い雰囲気にならないように、気さくな笑みを浮かべ。

 鞄を持って彼女の席に向かった俺は、軽い語調で声をかけた。


「一緒に帰ろうぜ」

「……う、うん」


 頷く玲利の表情は、少し恥ずかしそうだった。周囲のクラスメイトたちの目もあるからだろう。まあ、このやり取りは明らかに――“そういう関係”の男女のものにしか見えなかった。

 とはいえ、本人は嫌がっていないし、俺もとくに不都合があるわけでもない。たとえ相手の性別が変わろうと、付き合い方に関しては昨日と同様だった。


 ……これから先は、もしかしたら変化があるのかもしれないが。

 そんなことを思いながら――俺は玲利とともに、いつもどおり学校を出た。


「――疲れたか?」


 歩道をゆっくりめに歩きつつ、俺はどこか元気がなさそうな彼女に尋ねた。

 幸いながら体育の授業はなかったが、それでも体を動かす感覚は以前と違うだろうし、肉体的な疲労もそれなりにあるのだろうか。足取りも少し重そうな感じだった。


「ちょっとだけ、疲れた……かなぁ」


 玲利は苦笑のようなものを浮かべつつ、自分の肩に手を当てた。その動かした腕は胸に当たり、制服の膨らみがわずかに形を崩す。何気ない身振りでさえ、彼女の女性的な部分が目についた。


 ……なるほど。

 それなりに重量もあるだろうし、なかなかに大変そうだ。

 言及すると思いっきりセクハラになるので、口には出さないが。


「……ま、明日は土曜だし。しっかり休めよ」

「……うん、そうするよ」


 今日が金曜日だったのは、不幸中の幸いと言うべきか。土日の二日間もあれば、いくらか慣れてくるだろう。着替えやら、トイレやら。……これも、会話には上げにくい話題だな。


 いったい何を話せばいいのか。どうにも悩ましく、俺は普段よりも口数が減ってしまう。

 玲利も俯きがちで、会話が見つからなさそうな顔色だった。結果的に、お互い黙って歩く時間が増えてしまう。あまりよろしくない、重々しい雰囲気だった。


 いつもの週末だったら――たとえば、カラオケやゲームセンターにでも寄って遊ばないかと誘うものだが。

 今日はさすがに二人とも疲れがあるし、その線はなしだろう。


 何かほかに話題がないものか、と頭を掻いた時――

 後ろのほうから自転車がやってくる音がした。


 この辺は歩道が狭いので、自転車が来ると歩行者側も避けないと接触事故を起こしかねなかった。まあ本来は、車道を自転車が走るものだが――この辺の交通ルールがうまく守られないのは致し方ないところもあるのだろう。

 二人並んでいたらどうやっても自転車が通れないので、俺は歩道の端に寄ろうとしたが――ふと隣を見ると、どうやら玲利は気づいていない様子だった。表情もぼーっとしている感じで、周りの音が耳に入っていないのかもしれない。かなり危なっかしい様子だった。


「――自転車」


 俺はぽつりと言うと――玲利の肩を抱くように、こちらへ引き寄せた。

 ほんの少し、ちょっとだけ力を入れたつもりだったのだが――俺の動作をまったく予測していなかったからだろうか。「ぁ……」と彼女は小さく悲鳴を上げると、俺にしなだれかかるように体を密着させてきた。


 ――二人の隣を、自転車が走り去っていった。


「……大丈夫か?」


 尋ねながら、そっと玲利の顔をうかがうと――その顔は、一目で恥ずかしさが伝わってくるほど真っ赤に染まっていた。

 唇は緊張したように震え、吐息は熱っぽさも帯びている。触れた彼女の体は、服越しなのに体温が伝わってきそうだった。


「だ……」

「だ……?」

「だい、じょう……ぶ……」


 いや、ぜんぜん大丈夫そうに見えないのだが。

 ここまで感情が揺れ動いているさまを見ると、逆にこちらは奇妙ほど冷静になってしまった。玲利が心理的に不安定なのは明らかだったので、当分は俺がいろいろと配慮すべきかもしれない。


 ……まるで恋人を気遣う彼氏だな。

 などと、たわけた思考をよぎらせつつ。俺はゆっくりと、玲利の肩に回した手を離した。


 彼女はまだ頬に赤い色を残しつつ――どこか名残惜しそうに、触れ合わせた体を遠ざける。その振る舞いと表情からは、何かを焦がれるような切なげな機微が感じられた。それはうら若い、恋慕する少女のような――


「――思い出した」


 歩きながら、俺は唐突に声を上げた。

 あまりに脈絡がなかったからか、玲利はびっくりしたように目を見開き、俺の顔を怪訝そうに見上げる。その表情にはさっきの接触の余韻がかすかに残っていたが、ひとまず落ち着きを取り戻しつつあるようだった。


「誕生日」

「へ……?」

「誕生日だよ、誕生日。お前、来週だろ?」


 玲利は呆けたような顔を一瞬したあと――すぐに驚きと喜びを混ぜ合わせたような感情を浮かべた。


「……覚えて、くれてたんだ?」

「まあ、な。一年生の時は、誕生日を聞いた時には過ぎてたしな」


 ――意外なことに、玲利は俺よりも生まれが早いのだ。去年、お互い仲がそれなりによくなってから、ふと生まれ月を尋ねた時には……玲利はとっくに誕生日を迎えていた。自分よりも明らかに幼げな容姿の相手が年上になっていた事実に、俺が驚愕したのは言わずもがなである。


 ちなみに、俺は12月22日の生まれだった。冬至の日に生まれたから、冬也。

 ……わが親ながら、安直なネーミングである。シンプルで悪くはないけどさ。


「――何か、欲しいものとかあるか?」


 誕生日といえばプレゼントだろう。去年の俺の誕生日には、玲利からちょっとお高めなクッキー缶を頂いたのが思い出として残っていた。食べ物なり、小物なり、なんらかのお返しをしなくてはならない。


 玲利は嬉しそうに「んー……」と悩んでいたが、やがて照れるようにほほ笑みながら、おもむろに口を開いた。


「……なん、でも」

「……なんでも?」

「うん。冬也くんがくれるモノだったら……。ボク……なんでも、いいよ……?」


 ――その伏し目がちの瞳からは、どこか色気のようなものさえ感じられた。


 なんでも。そこに含まれている意味は、べつに期待してないからなんでもいい――というような、適当さではないことは明白だった。

 相手が自分を想って選んでくれたモノであれば、なんでもいい。……そんなところだろうか。


「わかった。……じゃ、土日の間にプレゼントを考えておくかな」

「そ……そんなに、真剣に悩まなくてもいいよー?」

「いや、去年はお前からいいお菓子もらっちゃったし。あの手のクッキーって、たぶん千円くらいはするだろ?」

「ま、まーね……。でも、ボクには安いものでもいいからさ」

「それだと俺のほうが申し訳なくなる」


 俺は苦笑しながら答えた。

 誕生日という話題が見つかったおかげか、学校を出た当初よりも雰囲気は明るくなっていた。こんなふうに何気ない会話を玲利とするのは、やっぱり心地がよいと感じる。向こうも同じような感覚なのか、表情は柔らかく自然なものに変わっていた。


「――っと」


 大通りの歩道を歩んでいる最中、俺はふいに立ち止まった。玲利も気づいたように、あわてて足をとめる。

 ここから路地を曲がって住宅街に行くのが玲利の家路で、このまま駅に向かって電車に乗るのが俺の帰路だった。肩を並べて帰るのは、ここまでというわけである。


「……あ、えっと…………」


 離れるのを惜しむように、玲利はもの寂しそうな声を漏らした。毎日、同じような下校を繰り返していたくせに、今日に限っては人恋しい感じの態度である。まるでデートの別れ際のようだった。


 ――今から、やっぱりカラオケにでも誘おうか。

 そんな案も浮かんだが、やはり彼女には休んでもらったほうがいいだろう。そう思いなおして、俺はできるだけ穏やかに言った。


「――なんか悩んだり困ったりすることがあったら、気軽に相談しろよ」

「……う、うん」

「メッセージでも電話でも。いつでも応じるからさ」

「……うん、ありがとう」


 女になってしまったことに対する、フォローの言葉。独りで抱え込まないようにと、心配りとして口にしたつもりだった。

 これで少しは気が軽くなっただろうか、と思ったのだが――

 玲利はなぜか、曖昧で申し訳なさそうな表情を浮かべていた。


 ――誕生日の話をしていた時とは、まるで真逆の浮かない顔である。

 非日常に関する気遣いの言葉よりも、日常に関するありふれた会話のほうが――はるかに嬉しそうだったことに、俺は気づいた。

 つまるところ。

 彼女が求めているのは、そういうことなのかもしれない。


「――あ、やっぱ俺から電話するわ」

「……えっ?」


 急すぎる話の転換に、玲利はびっくりしたように声を漏らした。困惑している彼女に、俺はかまわず言葉を続ける。


「電話。パソコン使って、ネットで誕生日プレゼントに合いそうなものでも探しながらさ。お前と通話して、贈り物の意見でも聞けたらなーって」

「…………」

「今日の夜にでも。まあ詳しい時間はメッセ送って決める感じで」

「…………」


 俺の提案に、玲利は沈黙したままだったが――徐々に、その顔に感情が広がっていった。

 喜色満面、とはまさにこのことだろうか。無垢な子供のように、嬉しそうな笑みを浮かべ。そして年頃の乙女のように、愛らしい笑みを浮かべ。

 彼女はニッコリと笑って頷いた。


「――楽しみにしてるねっ」


 馴れ親しんだ、男だった時とはずいぶん違った振る舞いの玲利。

 その変化について、いろいろと思うところはあるが――


 まあ、こんな玲利を見るのも悪くはないかな。

 ちょっとだけ、そう感じた。


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