表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/27

番外中編 ある公爵令嬢の激動 1

 精霊神殿の巫女姫フィーユ視点。



「フィーユ。今度の舞踏会は皇宮で行われる、皇帝陛下が主催されるものだ。我が家は全員が招かれている。さすがに今回ばかりは、欠席させるわけにはいかない」


 父、ベルトラン公爵にそう言われた時、私は死刑執行を宣告された罪人のような気持ちで、絶望にうなだれた。

 急に気分が悪くなって下を向き、ささやくように小さな声で「はい」と答え、ため息をついた父の許可を得て書斎から退室する。


 感受性が強く繊細で病弱、という言葉で誤魔化して、今まで社交界からは遠ざかっていたけれど、今回はどうしてもそれが許されないらしい。

 憶病で、人との会話が苦手で、ダンスも下手な私はヘマをする予感しかせず、ふらふらと自室に戻りながら真っ青になっていた。


 そして舞踏会の当日まで落ち着かない気分で過ごし、その日になると刑場に連行される囚人の気分で馬車に乗り、婚約者がいないので従兄弟にエスコートしてもらって会場へ入る。


 私に婚約者がいないのは、公爵家の娘ではあるけれど、三番目の娘ということで父母からある程度のわがままを許されているからだ。

 あるいは昔から人と接することが極端に苦手な私は、幼い頃に何度かあった婚約者候補との顔合わせを、ことごとく逃げ回って隠れてすっぽかし続けていたために、両親の方が諦めた、とも言えるかもしれない。


 できることなら、当時と変わらず今も人が苦手な私は、大勢が集まる舞踏会なんて近寄りたくもなかった。

 だから来る前から(帰りたい……)と思っていたけれど、来てからも頭の中はやはり(帰りたい……)という気持ち一色だ。


 それがまさか、こんな出会いに恵まれるなんて、思いもせず。





「まあ、帝都の舞踏会には、女神さまもおいでになるの……?」



 それまで頭を埋め尽くしていた、帰りたいという気持ちが一気に吹き飛んでしまうほど、それは強烈な。





「はぁ? フィーユ、お前、大丈夫か?」


 緊張のしすぎでとうとう正気を失ったか、という眼差しでエスコートしている従兄弟がこちらを見下ろしたが、その時の私はまったく気づいていなかった。

 隣にいる従兄弟の声どころか、すべての音や人が遠ざかり、ただ一人の存在だけにあらゆる感覚が集中していた。


「なんて、奇麗な……」


 不思議な形の髪飾りで結い上げられた艶やかな髪は、今まで見たこともない黒一色。

 その瞳も深みのある黒で、けれど決して暗い印象にはならない華やかな笑顔に彩られた、可憐な顔立ち。

 あちこちが白いレースで飾られているためか、派手さよりも一輪の花を思わせる楚々とした赤いドレスが、なめらかなステップにふわりと広がって揺れる光景は夢のように美しい。


 けれど可憐で奇麗なその人を、何より素晴らしく飾るのは彼女に降る色とりどりの光の雨だった。


 見たことも聞いたこともないそれが何かは、浅学な私には分からない。

 理解できるのは、どこからともなく降るその光の雨がこの上なく美しく、慈愛に満ちてかの女性の元へ惜しみなく、そして尽きることなく与えられ続けている、ということだけ。


 あまりの美しさに感極まり、その場で声をあげて号泣しそうになるのを必死で耐えた。

 めったにこうした場に出ることのない私には、あの女性が誰かなど知りようもないけれど、自分がお近づきになれるような存在ではないということだけは確かだ。

 ならばせめて、遠くから静かに見つめることだけは許してもらいたい。

 それにはできるだけ、誰の邪魔にもならないように、場にとけこんで目立たないようにしていなくては。


 幸い、気配を薄くして人に紛れていることだけは得意だ。

 いつだって、どうしても出席しなければならないこうした場は、常にそれでやり過ごしてきたのだから。


 だからいつも通り、エスコートしてきてくれた従兄弟を半ば上の空で早々に解放すると、後は壁の花となってただじいっと女神のごとき女性を見つめた。

 まだ幼いのか、やわらかな頬の線をした小柄な体は身長が低く、背の高い人々に囲まれればすぐに見失ってしまいそうだったけれど、彼女の元には尽きることのない光の雨が降り続けている。

 だから当然、会場のどこにあっても見失うことなく、私はただひたすらにその存在に心を奪われていた。


 ああ、どうしよう、こんなに美しい存在を目にすることができるなんて。

 もしかして私、もうすぐ死ぬのかしら。


 ふわふわと夢見心地で彼女を見つめ、その移動に合わせて一定の距離が保てるようひっそりと自分も位置を変えながら、そんなことを考える。

 けれどその至福の時間は長くは続かず、一通りの挨拶や雑談という名の情報交換を終えた母が、おかしな様子で漂うように大広間をゆらゆらとさまよい歩く私に気付いた。


「フィーユ? どうしたの、まさかお酒でも飲んだの?」


 大勢の人がいる場所で、こんなにも心浮きたつように楽しい気分になれたのは、生まれて初めてだ。

 母に声をかけられ、思わず満面の笑みで振り向いた私は、そんな楽しい気分のまま口を開いた。


「ああ、お母様。私、もうすぐお迎えがあるのかもしれません。まさか生きているうちに女神さまを見ることができるなんて、もう、素晴らしすぎて言葉が出てこないくらいです。どうしてこんな僥倖に恵まれたのかは分からないのですが、ええ、きっとお迎えが近いんですわ。今までありがとうございました、お母様。私、何もできない娘で今まで迷惑ばかりおかけして」


 ごめんなさい、と言おうとしたところで、ぽかんとしていた母がハッと我に返って、ぎゅっと私の腕を掴んだ。

 なぜ急にそんな険しい表情になったのか分からないまま、腕を引かれて父の元へ連れて行かれる。


「あなた、フィーユがおかしいの。先に連れ帰って医者を呼ぶわ。あなたもできるだけ早く戻って」


 母に耳元でささやかれた父が私の方を見たので、まだ女神さまの美しさに夢見心地の私はにっこりと笑顔を返す。

 するとなぜか父まで表情を険しくして、小さく頷くと「早く」と追い立てるように母の背を押して行動を促した。


「さあ、行くわよ、フィーユ。何も心配しないで、お母様と一緒にいらっしゃい。すぐにお医者さまに診ていただけるよう、手配しますからね」

「まあ、お母様、私なにもおかしくなんてありませんのに。もう行かなければなりませんの? もう少し、もう少しだけここにいてはいけませんの?」

「ああ、あなたが舞踏会にまだいたいと言う日が来るなんて……。いったい誰に何をされたの? ここでおかしな薬を盛るような人なんて、そうそういないはずなのに……」


 母はなぜか悔しそうに、悲しそうに、怒ったように小声でそう言って、唇をきゅっと引き結ぶ。

 私はぼんやりとした夢見心地のまま母に連れてゆかれながら、最後に一目と、光の雨をたどって女神さまの方を見た。


 その一瞬、やわらかな光を宿した深みのある黒い瞳が、真っすぐに私の姿を映したような気がして、息が止まりそうになる。



 まさか、まさか、あの人は今、私を見ているの……?



 一定の距離を保ちながら、人ごみに紛れていた時はあまりにも恐れ多くてとてもそのお顔を直視することができなかったけれど、それでも見つめる視線が不躾すぎたのだろうか。

 もし煩わしく思われていたら、と考えると体の芯から凍えて震えそうになったけれど、ああ、それでも無数の光の雨に抱かれながらその彩りに埋もれることなく、凛としてそこに在る漆黒の髪と瞳をしたかの人はなぜああも美しいのか……


 混乱した思考がばらばらに散らばり、まともに考えるということができないまま舞踏会から連れ出された私は、(ほう)けたようにぼうっと馬車に揺られながら、その時はじめて気付いた。


 あの女神さまの元に降り注いでいた光の雨のようなものが、一滴、また一滴。

 どこからともなく、私のそばにも降ってくる。


 いったい何だろう? と手をのばしてそれを捕まえようとしたけれど、光は手のひらをすり抜けて、またどこへともなく消えてゆく。

 向かいに座った母が「どうしたの? フィーユ。何をしているの?」と声をかけてくるのにまったく気付かず、私は何度もそれを繰り返して、手のひらをすり抜けてゆく光の雫が、そのたびに身の内に何かを残していくのを感じた。


「あたたかい……」


 つぶやいた私は帝都にある公爵家の邸宅に戻って医者の診察を受けた後、数日間を呆然自失の状態で光の雫と戯れて過ごし、その連絡を受けた祖父が心配して領地から出てきて、随行してきた精霊使いの侍従に「お嬢様は精霊の巫女に選ばれたようです」と告げられることになるのだが。


 そんな人生を激変させる事態が起きるなどとは夢にも思わず、その時の私はただ、触れると不思議なあたたかさを残す光の雫をひとつでも多く捕まえようと、子供のように空へ手をのばしていた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ