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番外小話 その遺産は誰も知らず

 本編終了後、カイル視点。



 母に似たのは金の眼だけだと、誰もがそう思っていた。





「挨拶? 霊廟にか」

「れいびょー? あー、うん、霊廟! そうだった、偉い人のお墓は言葉が違うんだった。それで、えーと、はい、カイルさまのお母さんが眠っているところへ、ご挨拶に行きたいです」


 なぜか照れたようにそれを願うセンリに、一拍、返答が遅れたのには訳がある。


「……ああ、かまわない」


 頷いた俺に「ありがとう、カイルさま!」と花咲くような笑顔で言う、彼女にその訳を教えることはできない。

 数日後、子供たちを乳母と侍女たちに任せて二人で後宮の奥にある霊廟を訪れたセンリが、顔の前で両の手を合わせ、軽く顎を引いてゆるく瞼を閉じているのを隣からじっと見つめながら、思う。


 後宮の奥にあるこの霊廟には確かに、皇帝の寵姫となり、あるいは皇妃となった女たちが眠っている。

 だが、ここに俺の母はいない。

 それは他ならぬ俺自身が、この手で霊廟へ納められるはずの棺から母を抱きあげ、連れ去ったためだ。


 いったい何をそれほど熱心に祈っているのか、彼女の生まれ故郷の作法であるという独特な姿勢をとったまま長く動かないセンリの隣で、俺はふと、遠い過去を思い出す。





 一つの街とも呼べるほど広大な敷地を持つ皇宮殿には、皇帝の執務の本拠地となる本宮の他、側妃たちを住まわせる後宮とは別に、彼女らが産んだ皇子のための『(あかつき)の宮』がある。


 幼い頃に母と引き離され、暁の宮で育った俺は、何人もの異母兄弟の死が通り過ぎてゆくのを眺めてきた。

 そしてそんな俺の元に、先代皇帝である父は忙しい執務の合間によく訪れ、生まれ持った膨大な魔力の制御に苦心しているのを見抜くと、制御法の手本を見せてくれるようになった。


「私も同じだ。魔力の量こそさほど秀でてはおらんが、質が特殊であるゆえな。私もこの制御法を得るまで、苦労したものだ」


 統治者として表情を出さないことを常とする父は、同じ教育を受けて無表情であることに慣らされた俺にそう言い、しかし面倒がらずに長くその指導を続けてくれた。


 父がそうした理由を察したのは、あらかじめ決まっていたかのように俺以外の皇子が全員亡くなり、次代の皇帝としての教育が一歩、段階を進められた時のことだ。

 次期皇帝として皇族の秘儀に触れることを許されたがために、皇族の血がもたらす魔力の特殊性についてより深く学んだ俺は、父がずっと自分の魔力制御指導を、他の者に任せることなく自ら行っていた本当の理由をも知ることになった。


「陛下。私が生きのびたのは、陛下の意図によるものですか?」


 一度だけ、そう聞いたことがある。

 今まで見送ってきた兄弟たちは、父に触れてもらえなかったがために死んだのだと知り、まだ未熟な精神がそれを己の内だけで処理することに耐えきれず。


「ほう。お前もそんなことを考えるような年になったか」


 その内心の葛藤を知ってか知らずか、父は目を細めてかすかな笑みを浮かべ、そう言った。


 俺の質問に対する返答は無かった。

 代わりに、息子の成長を喜ぶような言葉でありながら、しかしそこにその感情は含まれないと明白に示す口調が、父からの返答であると理解させられた。



 いつしか父の魔力制御指導は無くなり、幼くして亡くなった異母兄弟たちを産んだ側妃が全員実家へ帰され、後宮には俺の母である百合の宮の姫ただ一人が残される。

 父は長く皇妃を定めなかったため、母は俺が本格的に次代の皇帝として教育を受け始めても「百合の宮の姫君」と呼ばれ、公的にも実質的にも権力を与えられることはなく、本人や親族もまたそれを望んではいないようだった。


 だが、詳しくは分からない。

 なにしろ幼い頃から引き離され、儀礼の時のわずかな間のみ顔を合わせるだけの相手だ。

 俺にとって母は、ただ自分を産んだ女、というだけの認識でしかなく、向こうも俺を次期皇帝として扱い、一線を引いて臣下のごとく恭順な態度をもって接した。

 そんな関係に親愛の情など芽生えるはずもなく、互いに相手への興味を持つことも無いまま時は流れる。


 父は俺の教育が終了するのを待って、退位の間際に母の身分を側妃から皇妃へと改めると、そのまま俺に皇帝の座を譲って本宮から『(よい)の宮』へと居を移した。

 宵の宮は帝位から退いた先代皇帝のための居所であり、皇后でなくてはそこへ伴うことができない。

 父は譲位の寸前に母を皇妃とすることでこのしきたりを守り、当然のように母を連れて引退したのだ。


 俺から見て、母は上位貴族の出身であるが、万事に控えめで特別に秀でたところもなく、おとなしい良家の子女というだけの人間だった。

 そんな母をなぜ父が宵の宮まで伴ったのか、その時も今も、俺は理解できないでいる。


 だが彼らには彼らの事情があり、二人が互いに抱く感情は深く強いものだったのだということを、一枚の手紙が俺に告げた。



 ――――――我が棺へ



 ただそれだけ書かれたその手紙は、父が夜の間に眠るように亡くなり、同じ寝台で休んでいた母もまた、寄り添うように鼓動を止めた朝に宰相ソーンダイクから渡された。

 父の体が弱っていることは診察のたびに細かくその状態の報告を受けていたが、まさか母がともに逝くとは思わず、その混乱にこの手紙が追い打ちをかけてきた。


 亡くなった父。

 寄り添って鼓動を止めた母と、そのそばに転がっていた空の香水瓶。


 そして、こうなることを見越していたとしか思えない、父からの手紙。


 母が若い頃から仕えていた古参の侍女を呼び、この香水瓶に見覚えはあるかと問えば、空になったそれを見て震えた女は、泣き崩れながら答えた。

 それはもうずいぶんと昔に、唯一、母が父にねだって贈ってもらった『一番特別な日のための香水』なのだと。

 陛下に贈っていただいた一番大切なものだから、誰も触れないようにと侍女たちに強く言い含め、百合の宮から宵の宮へと居を移す時も、これだけは母が自らの手で持って行ったのだと。


 残り香はなく、おそらく味も苦しみも無かったであろうそれを、唯一の贈り物としてねだった母。

 願いに応じてそれを贈り、自分が死ねば間違いなく彼女は使うと理解しながら、止めることなくただ一枚の手紙を俺に残した父。


 帝国に唯一無二たる皇帝と、大勢の側妃たちの中の一人にすぎなかった母、百合の宮の姫の、それが選んだ最期だった。


 物静かで常に控えめだった母が、自ら死を選ぶほど父を深く想っていたとは知らなかったし、父も母に対してそこまで強い感情を持っているようには見えなかった。

 だが俺は、父の最後の命令に応じた。


 複数の皇子がいながら、百合の宮の姫が産んだからというだけの理由で俺を“生まれながらの皇帝”に選んだのであろう父への、俺なりの返礼として。


 おそらく家族的な親愛の情からでなく、それでも俺が従うことを、父も承知していただろう。

 その上での、あの簡素な手紙であったのだろうと、思っている。



 そして母を父の棺へ秘密裏に入れて、宵の宮の近くにある歴代皇帝たちのための霊廟へ埋葬し、空の香水瓶をなぜか捨てる気になれず本宮の自室のキャビネットに仕舞いこんでから、数年後。

 センリを皇妃とし、男女の双子というこの国の皇族にとって奇跡の存在を我が子に迎えた今、俺の執務机の鍵付きの引き出しには、再び中身を満たされたあの香水瓶が入ってる。



 母に似たのは金の眼だけだと、誰もがそう思っていた。

 無論、俺自身もそう思っていた。



 確かに俺をその身に宿し、育み、産んだ女の遺産を、誰も知らずここまで生きてきた。



 だが今なら分かる。

 俺はこの点については父ではなく、母の性質を継いだのだろうと。


 ゆえに、再び中身の満たされた香水瓶がセンリに贈られることはなく、その蓋を次に開けるのは、俺だろうと思う。

 簡単なことだ。

 俺が彼女よりほんの数分、長く生きられれば、それでいいのだから。


 願わくば、その時ができるかぎり遠いといい。

 子供たちが成長し、俺の後を継ぐ息子が、黙って母を父の棺に入れられるような歳の頃になるくらいには、遠いといい。





「カイルさま、ありがとうございます」


 いつの間にか祈りを終えていたセンリが、俺の方を向いてにっこりと微笑んだ。

 それだけで即座に意識は今に戻り、複数の兄弟がいながらも“生まれながらの皇帝”であった俺を、たやすくただの男にする女へと手を伸ばす。


「ずいぶんと熱心に祈っていたが、何をしたかったんだ?」


 小柄な体を抱きあげるのに、慣れたセンリは手を伸ばして俺の肩に掴まりながらうまくバランスをとった。

 するとようやくいつもの距離に来た彼女が、どうしてか少しばかり、照れたようにはにかみながら言う。


「お祈りをしていたわけじゃないの。カイルさまの奥さんになりました、野原千里です、っていう自己紹介とか、子供たちのこととか、いろいろとね。何て言うか、今、幸せに暮らしてます、って。おしらせ? みたいなのをね、してたの」


 死んだ相手にそんなことをして何になるのか、俺には理解できなかったが、センリにとっては大事なことだったのだろう。

 その晴れやかな笑顔が見られただけで満たされてしまう自分が、存外と器の小さな人間であったことを今さら知る。

 満たされたことのない器は、その大きさを測れぬものであるのだと、初めて知る。


 センリとともにいると、多くの“初めて”に出くわす。

 そして長く、何にも動じぬようにと鍛錬された心が、その“初めて”には抗いようもなく揺さぶられる。


「そうか」


 頷いて、だがそれだけでは足りない気がして、彼女が喜びそうな言葉を探した。


「では、あの子らがもう少し大きくなったら、顔を見せにまたここに来るか」

「本当?! いいのっ? そうできたら、すごく嬉しい!」


 相手の思考をたどり、望みを探り当てるのは仕事柄得手とするところではあるが、今ほどそれをありがたいと思ったことはない。

 いつも耳に心地よい声が、喜色に彩られればさらにその響きの芳しさを増すのは当然であり、肌を震わせ体の奥へ染み込んでくるそれをたまらなく感じながら目を細めた。


「……ああ。また、いずれな」


 センリに答えながら、かつて空の棺を納めた霊廟を後にする。

 いつか訪れるその時、次の皇妃の棺もまた、空のまま納められることになるだろうと思いながら。





 誰にも知られぬまま受け継がれていたこの身の内の遺産とともに、『一番特別な日のための香水』の小瓶は俺の執務机の中で、今日もその時を待って静かに眠り続けている。



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