第十九話 きっと知らない
「お前が俺にはじめて好きだと言ったのは、愛していると言ったのは、俺が足を折ると脅した時だったな」
ため息をつくように言う声には自嘲が混じっていた。
覚えている。
忘れるわけがない。
でも彼は分かっていない。
私は脅されたから言ったのではなく、あなたが私の逃亡を恐れていると知ったから。
その言葉で、怖がらなくていいと、伝えたつもりだったのだ。
けれどそれは伝わらず、それどころか彼は間違ったメッセージを受け取ってしまっていたようで。
私たちにはどれほど言葉が足りなかったのか、今になってめまいを起こしそうなほどの後悔をしながら思う。
触れ合うことがあまりにも心地良過ぎて、言葉で伝え合うことをおろそかにしてしまった。
そのツケが、一気に噴出しているのだ。
「……」
カイル、と呼んだつもりが、枯れたのどは声を紡いでくれない。
すぐにそれに気が付いた彼は、「のどが渇いたのか?」と問われるのに私が頷くと、そばにあった水差しからグラスに水をついで、何を思ったか口移しでそれを飲ませてくれた。
「二人も子を産んだばかりだというのに、泣きすぎるからだ。もういい、今は休め」
大きな手が私の髪を撫でてから、泣き濡れた目を覆うようにそっと当てられる。
訳が分からないほどもつれてこじれた今でさえ、彼の仕草の何もかもが私に優しいのが、いっそ泣けてくるほど苦しい。
それでもいいかげん体力も気力も限界だったらしく、彼の手の下で瞼を閉じ、深く息をついたのを最後に記憶が途切れた。
次に目が覚めた時、私はひどくぼんやりしていて、ほとんど何もできなかった。
女医の診察を受けて魔術師にも状態を確認され、マイラたち侍女に甲斐甲斐しく世話を焼かれて、ようやく子どもたちと会わせてもらい、おぼつかない腕を支えられてお乳をあげる。
私が産んだ子どもたちは男女の双子で、男児は私の黒髪にカイルの金眼、女児はカイルの金髪と、彼の父がそうだったという銀片混じりの透き通るように青い瞳をしていた。
顔立ちはまだよく分からないけれど、どうも日本人的な要素はあまり感じられない。
野原家の遺伝子は、男児の黒髪と皇族に女児をもたらしたところで力尽きたようだった。
おそるべし、皇族の血統。
現実逃避気味に「ふふ」と笑っていると、授乳を終えて子どもたちを引き取ったマイラが微笑んだ。
私はそれに満足して、また眠りに沈んだ。
時折、夢うつつにカイルの姿を見た。
彼は寝台に座り、いつもじっと私を見ている。
そばにいるようでひどく遠く感じて、私はささやくような声で呼ぶ。
「……カイル」
これは夢だと告げるように、彼は穏やかに微笑んだ。
そんな顔を見るのはこれが初めてで、どうしてなのか分からなくて涙が出そうだった。
けれど体はなかなか回復してくれなくて、意識はとろとろとまどろみに沈み、何を聞くこともできず瞼が落ちてゆく。
「センリ」
彼を声を、おぼろに聞いた。
「……俺のセンリ」
私の名を繰り返し呼ぶその声が、無数の鎖となって四肢に絡みつく夢を見たのは、それが私の願望だったからだろうか。
彼はきっと知らないだろう。
あの眠りから覚めた後、子どもたちを抱く自分の指が折れていないことに、私が落胆していたことを。
声紡ぐのどに何の痛みもなく、いつも通りに話せることに、悲しみさえ覚えたことを。
彼はきっと、永遠に知らないままだろう。