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第十八話 俺は、だから最初に



 出産までの日々は、まどろみのなかで穏やかに通り過ぎていった。


 起きていられる日もあるけれど、なぜかまた睡魔に襲われることが増えて、竜胆の宮を子どもたちの魔力の放出から守ってくれている魔術師からは、「御子の魔力が強すぎることの影響かもしれません」と言われた。

 子どもたちが将来有望なのは嬉しいことだし、私が眠くなることくらいなら軽い影響だ。


 眠たくなったら眠り、目を覚ましてお腹がすいたら栄養たっぷりの美味しいご飯を食べさせてもらう、という贅沢この上ない生活を満喫させてもらいながら、起きていられる日には相変わらず竪琴を爪弾いて歌を歌った。

 お腹の子どもたちは日本語の歌もこちらの世界の歌も、どちらも好きなようで、陽気なテンポの歌には上機嫌になり、穏やかなメロディの歌にはうとうとしているのを感じて、歌う唇に笑みが浮かんだ。


 可愛い子どもたち。

 カイルと賭けみたいな約束をしたけれど、性別なんかどうだっていい。

 ただ、元気に生まれてくれれば、それでいい。


 そう思いながらお腹を撫でる生活に、そういえば一つだけ奇妙な習慣が加わった。


「センリ」


 昼間の休憩時間にふらりと訪れたり、夜にゆっくりと二人で過ごしたりする時、カイルがたまに私の足首に触れて、ねだるように名を呼ぶのだ。

 顔を上向けて彼を見れば、額に優しいキスが落ちてくる。


 あの夜の再現みたいな催促に、私は彼の欲しいものをあげる。


「カイル、大好き」


 足りない、とでもいうかのように幾つものキスが降ってきて、くすぐったさに小さく笑いながら言う。


「愛してる」


 彼の大きな手が私の足首を撫でるのを感じながら、飢えたようなキスに唇が塞がれる。

 けれどその勢いはすぐ落ち着いて、穏やかな戯れとなり、ふと離れた瞬間、彼の瞳がじいっと私を覗き込む。


 心のぜんぶ、魂の奥底まで見ようとするみたいな視線が、もう一度、と言っているかのようで。


「……愛してる」


 ため息をつくようにささやいて、両手を伸ばし彼の頬をはさんで引き寄せる。

 触れるだけのキスをすれば、カイルは低く笑って追いかけてきて、私の下唇を甘く噛んだ。


 その間もずっと、彼の手は枷のように私の足首を捕らえて離さない。


 奇妙な習慣と、どこか執拗なその仕草に、私はたまに考える。

 もしあの夜、違う答えを返していたら、彼は本当に私の足を折ったのだろうか、と。


 破滅願望なんて持ち合わせていないはずなのに、なぜかもったいないことをしたような気がした。





 そんな日々の先に出産があったせいだろうか。


 陣痛が来て、猛烈な痛みに日本語であらんかぎりの悪態をつきながら必死にいきんで二人の子どもをどうにか無事に産み、朦朧としながら赤ん坊の激しい泣き声を聞いて思わず自分も泣いて。

 女医や侍女たちに世話してもらい、身を整えてもらうとカイルが来て、彼の顔を見たとたん何かがぷつりと切れた。


「カイル。……ねぇ、カイル」

「ああ、よく頑張ったな、センリ。体は大丈夫か?」


 そうっと伸ばした手で私の頬に触れて、いたわるように言う彼にはじめて(こいねが)った。



「今だけの、うそでいい。一度きりで、いいの」



 いつか凄腕の産婆さんに言われた通り、初産にしては順調で早いと女医に感心される出産で無事に子どもたちが生まれ、思っていたより自分も元気で、何も心配するようなことはないのに。


 きっと幸せな時間であるはずの今が、どうしてか。

 生まれてからこれまでの人生の中で、どうしてなのか。


 空っぽになってしまったお腹の奥から身を引き裂かれるみたいに、思う。



 いちばん、いまが、さみしい。



「おねがい、カイル。……あいしてるって、言って」



 視界がゆがむ。

 頬を伝い落ちてゆく大粒の涙が、彼の大きな手を濡らす。


「カイル」


 驚いたみたいに固まって、ねぇ、どうして何も言ってくれないの。

 濡れた視界でいつまでも沈黙する彼を見続けることが辛くなって、疲れた私がうつむくと、頬に触れていた手が離れた。


 愛していると、あなたは嘘でも言ってくれないの?

 それだけじゃなく、もう触れることもしてくれないの?


 底なし沼のような悲しみに沈みかけた意識をよそに、ふいに近くでミシミシバキィッと何かが軋んで壊れる音をとらえた体が、反射的にそちらを見ようと身をよじった。

 出産で疲れきっているので、ひどくのろのろとした動きになったけれど、どうにかそれが視界に入る。


 カイルの手が、寝台のヘッドボードを握り潰しているところが。


「…………?」


 木製の寝台のヘッドボードって、握り潰せるものだっけ?


 目の前で起きていることなのに、その現象が理解できずぽかんと眺めていると、激しい怒りをむりやりねじ伏せたみたいな顔をしたカイルが苦しげな息をついて、睨むように私を見た。


「今だけの嘘で、いい……?」


 怒りを通り越して憎悪に近い、ひどく混沌とした昏い瞳。

 なぜそんな目で睨まれるのか、さっぱり分からない私に、彼はこれまで聞いた中でもとびきり危険な緊張感をはらんだ低い声で言う。


「一度きりでいい、だと……?」


 昏い瞳をしたまま、くっ、とのどの奥で嗤う彼が。

 見たこともない人のように思えて、驚く。


「それがお前の別れの言葉だというのなら、残念だったな、諦めるがいい。それよりお前は、なぜ俺がその言葉を口にしないか、考えたことはないのか? センリ」


 愛してないからじゃないの?

 たまたま子どもができちゃった、一時の遊び相手だからじゃないの?



 あなたは私の“ご褒美の飴”で、いつかはとけて消えてしまうものだからじゃないの?



「何を考えているのか知らんが、今お前が思っているものとはまったく違う理由だということだけは分かるな」


 ふん、と鼻で笑って、いっそ憎まれているのかと思うような激しい光を宿した目が私を射抜く。


「俺が、言わなかったのは……、いや、言えなかったのは」


 不意に、その表情に弱さが混じる。

 ひどく脆く、危うげな何かが、彼の昏いままの瞳をよりいっそう混沌としたものにする。


「……足りないからだ。そんな言葉ではとうてい、届かないからだ」


 いつもは支配者然として強く響く声が、今はどこか頼りなげな迷い子のようで。


「お前は最初からそうだったな、センリ。俺を求めているようで、最初から諦めている。ひとりで生きていける力を持ったお前に、俺は必要なかった。あってもいいが、なくてもかまわない。俺の存在などその程度だと、言葉にはしなくとも、お前はいつもそう告げていた。

 ……そんなお前を、その言葉であれば捕らえられたのか? お前は俺がそう言ったとして、(ねや)での戯れでも一時の嘘でもないと、信じてくれたか?」


 その声の弱さと、血を吐くような言葉に胸を突かれた。

 ズキズキと心が切り裂かれたみたいに痛み、それはどんどん激しくなっていく。


「お前だけだ。センリ、お前だけが眼差し一つで俺をただの男にする。どうしようもなくお前に執着する、獣のような男に。だから俺はお前を手放せない。逃がす気もない。もし逃げたなら追って捕らえて今度こそ本当にその足を折る。

 ……ああ、そうだ、その時はできるだけ痛くないようにしてやろうな」


 普段ほとんど表情を変えないその顔に浮かぶ不器用な笑みは(いびつ)で、まるで泣いているみたいだった。


「センリ……、なぁ、センリ? 何度抱いても、腹に俺の子を宿しても、いつか俺の元を逃れる日のために歌い続けるお前をどんな気持ちで見ていたか、本当に何も気付かなかったのか?」


 ならば罰を受けてくれ、とささやく声は場違いに優しい。


「のどを潰して指も折ろう。二度と歌えないように、俺がいなければ生きていけないように」


 ふと、混沌を宿した瞳が私から外された。

 息を止めていたことにそれで気が付いて、私は無意識に音を立てないようにしながら、そっと息をつく。


 彼はどこか遠いところを見るような目をして、つぶやくように言った。


「ああ、そうか、俺は、だから最初に近衛騎士たちに命じたのか。……歌姫を守れ、ではなく、“逃すな”と」


 今はじめて気が付いた、というような、無防備な独り言。



 そんな彼と同時に、私もはじめて気が付いた。

 なぜそんな当たり前のことが分からなかったのか、自分でも理解できないくらい当然のそれ。



 今、目の前にいるこの人は、私のご褒美の飴なんかじゃない。


 私が恋し、愛し、その子を腹に育んだ。





 世界にただ一人の、いとしい(ひと)






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