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第十七話 手を離すのはきっと



 本宮滞在三日目から、執務室に連れて行かれることがなくなった。


 昨日ソーンダイク氏とお喋りしていたのがダメだったのか、やっぱりお仕事の邪魔になってしまっていたのか。

 カイルは「ここでおとなしくしていろ」としか言わず、マイラは「こちらのお部屋の方が姫様に心穏やかに過ごしていただけますね」と、執務室に連れて行かれるより満足げで、結局その理由についてはよくわからない。


 けれど私の方も、そろそろまた竪琴と歌の練習をしたかったので、皇帝の私室で一日中、思うぞんぶん歌い続けた。

 母親が楽しく歌いまくっているせいか、カイルが日中も何度か部屋に戻ってきてお茶や食事をともにするからか、お腹の子どもたちもすこぶる機嫌が良い。

 おかげで品の良い調度が破壊されることはなく、竜胆の宮の支度が整うまでの数日は何事もなく過ぎていった。


「このお部屋で過ごされるのは久方ぶりで、少し懐かしいですね、姫様」


 マイラは私が来たばかりの時、建国祭の間の数日をここで同じように過ごしていたことを思い出したらしく、歌の練習の休憩中、独り言のようにふと言った。

 その言葉に「そうだねぇ」と返しながら、遠いところにきたもんだな、と思う。


 建国祭の宴の席で拾われて、皇帝陛下の『一夜の遊び相手』になったのが始まりで。

 なぜかそのままこの部屋に閉じ込められて『一時の遊び相手』となり、それを続けていたら『後宮の寵姫』となり、気が付けば『後宮に住む唯一の妃』と言われ、お腹には皇帝の子どもたちがいる、という現状。


 遠い、というか、遠すぎるところに来ちゃったなぁ……


 彼に拾われるまで、『異国の歌姫』として旅芸人の一座で竪琴を爪弾いて歌っていたのが、今では夢のようだ。

 そのことに不満があるわけではないけれど、なんで私、ここにいるんだろう? というのはたまに思う。



 皇帝陛下の気まぐれ。



 そう、きっと、ただ、それだけなんだろうけれど。


 もうこれで何度目か、どうにもできない悲しさに小さなため息をつきかけて、深呼吸をしているみたいにごまかす。

 たぶんこの不安は誰に話しても消えないだろうから、最初から相談することは諦めているし。

 親切に世話してくれている人たちに、無駄な心配をさせたくなくて、私は休憩を終えてまた歌の練習に戻った。


 歌う。


 声が部屋を満たすように、その旋律だけが私を満たして、他の思考を見えないところへ追い払う。

 一時の休息に過ぎなかったけれど、それは私にとって欠かすことのできない、大切な時間だった。





 それから数日後、竜胆の宮の支度が整い、私はまた後宮へ戻った。


 そこの住人が私しかいなくなったという後宮は、どこかがらんとして静かで、私はその静寂の中でのどを痛めない程度に歌い続けた。

 マイラたち侍女はそのことに何か言いたげだったけれど、歌が私を支えていることも分かったのだろう。

 最終的には何も言わず、見守ってくれていた。


 ちなみに竜胆の宮に施された、「いかに出産まで母体を守るか」問題への対策は、嬰児がたまに外へ放出する魔力を特殊な魔道具にぶつけさせることで、周りの家具や建物に被害を出させないようにする、というものだった。


 へたに嬰児の魔力を封じると、出産のときに暴走が起きて、母子ともに死亡、という痛ましい過去の事例があるそうで。

 嬰児が癇癪を起した時に適度に発散させ、それを安全に受け止める道具を整えておくのが一番安全、という話だった。


「火事にだけは気を付けてくれ」


 竜胆の宮に戻った私に合わせ、夜はまた一緒に宮で過ごすようになったカイルは、魔道具がきちんと動作していることを確認してから、真剣な顔でそう言った。


 彼もお母さんのお腹にいる時、たまに魔力の放出をしていて、その際に家具の破壊ではなく“発火”を起こしてしまったことがあったんだそうな。

 そのタイミングが真夜中だったという不運もあり、家具が燃えて火と煙に巻かれ死にかけた母親は、危ういところで夜番の侍女が気付いて救出されたという。


 彼の母親は数年前に亡くなっているそうなので、直接話を聞くことはできないけれど、皇族の子を産むというのはなかなかに大変なことらしいと理解して、私は「へぇ~」と言う以外になかった。

 カイルは「分かっているのか?」と、その反応の薄さに不満げだったけれど、他にどう言えばいいというのか。

 注意はするけど、寝てる時のことまでは分からないし、周りに助けてもらうしかないと思う。


「子どもを産むって、いろんな人に助けてもらわないとできないんだねぇ」


 当たり前のことだけど、今さら実感した。

 けれどカイルはその言葉に、別のことを考えたらしい。


「人を使う生活には、慣れないか?」


 どこか不機嫌そうな口調で、唐突に聞かれてまばたく。

 口調は質問だったが、答えを求めていたわけではないのか、私が口を開く前に彼は言葉を続けた。


「お前は侍女や騎士たちに(かしず)かれる生活に、拒絶はしないが慣れようともしない。世話されることを受け入れるが、ありがとうと礼を言い、それを当然のこととは思わない。……お前は、何もできない貴族の小娘どもとはまるで違う。歌姫として働き、一座とともに旅をしながら自分の面倒は自分で見てきた、自立した女性だ。

 ……分かっている。そんなことは、最初から分かっていた。お前は俺と同じ、ひとりだと。それでも生き抜いてきた女であると」


 今いきなり思いついたことではなく、前から考えていたことのようだ。

 最初は怒っているのかと思うような雰囲気だったけれど、それだけでもなさそうで。


 何が言いたいのだろう、と不思議に思っていると、カイルはふいに手を伸ばし、夜着の裾から出た私の足首をするりと撫でた。


「小さな足だ。……これを折ったら、お前は怒るか?」

「ええっ? 痛いのやだよ。というか、なんで折るの?」


 何がどうしてそんな話になったのか。

 意味が分からずビックリして彼を見あげたが、彼は私の足首に視線を当てたまま、そこを指の腹でゆっくりと撫で続ける。


「なるほど。痛くしなければいいのか」

「いやいやいや、なるほど、じゃないよ。折られたら痛いから、普通に嫌だよ。それに、歩けなくなるの、困るし」


「何が困る? お前が行きたいところには俺が連れて行ってやるぞ」

「そんなわけにはいかないでしょ。カイルさま、忙しいんだから。……じゃなくて、なんで急にそんな話になったの?」


 なんだか不穏な話になってしまったけれど、身の危険は感じないので怖いとは思わない。

 ただ、彼が何かを思い詰めているように見えて、いったいどうしてしまったのかと、心配になる。


「……最近、歌の練習ばかりしていると、侍女から聞いた」


 しばらくして、私の足首を撫でるのをようやく止めたカイルが言った。


「ここから逃げ出して、また歌姫に戻る時のためか?」


 また歌姫に戻る時のため。

 それは確かにそうだったから、逃げるつもりはなかったけれど、一瞬、答えにつまった。


 彼はその一瞬がひどく気に障ったようで、私の足首に触れたままだった指がぐっとそれを掴む。

 痛くはないけれど、決して逃がしはしない、とでもいうかのように。


「……センリ」


 低い、低い声には、触れ合った肌をしみとおって骨を震わせるような冷たさがあった。


 けれどやっぱり、私は彼を怖いとは思わない。


 片手を伸ばしてカイルの頬に当て、猛獣をなだめるように優しく撫でれば、ようやく彼がこちらを向く。

 眉間に深くしわを刻んだ強面は息をのむような威圧感があったものの、彼の大きな手は私の足首を掴んだままなので、なんだかその奇妙な状況に笑ってしまう。


「カイル」


 急に笑った私に驚いたのか、名を呼び捨てにするのが珍しかったのか。

 かすかに目を見開いて私の顔を見つめる彼へ、それまで言葉にしたことがなかったことを言う。


「好き」


 口にしてみればひどく簡単で短い言葉なのに、今まで言わなかったことに深い意味はない。

 たぶん、彼と過ごす時間に満たされきっていて、何も言わずとも幸福だったから、言うのを忘れていたんだと思う。


「大好き」


 どこか呆然としてそれを聞くカイルに、だから私は嬉々として言う。

 とても簡単で、でも大事なこと、この気持ちを伝えることを、最後まで忘れたままじゃなく、ちゃんとできて良かった、と思いながら。


「愛してる」


 だから心配する必要はないのだと、伝わっているだろうか。

 かすかに潤んだように見えた瞳を隠すみたいにゆるく瞼を伏せた彼の、その唇が額に落とされるのを心地良く受け止めながら、微笑む。


 大丈夫だよ、カイル。

 私が逃げるのを心配するようなことは、しなくていいの。


 だってご褒美の飴がとける時、手を離すのはきっと。



 あなたの方だろうから。






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