第十六話 泉の妖精
「センリ、お前が欲しいと言っていたエンピツの試作品が届いたぞ。見てみるか?」
竜胆の宮の支度が整うまで本宮の皇帝の私室に滞在することになって、二日目。
なぜか今日もまた執務室へ連れてこられた私に、カイルが聞く。
「えっ、鉛筆できたの? すごい! 見たい!」
一晩彼と一緒に過ごしてすっかりいつも通りのテンションに戻った私は、思いがけない知らせに大喜びで飛びついた。
執務机の向こうにある革張りの椅子に座ったカイルのそばに行き、彼が手元の箱のふたを開くのをワクワクしながら見つめて。
「わぁ~! 奇麗! ……ん? いやこれ鉛筆? 鉛筆なの?」
小石ですが、と言われて差し出されたのが宝石だった時、どういう反応をするのが正しいのか。
首を傾げながら、美しい彫刻の施された細長い木の棒をしげしげと眺める。
手に取ってよいというので、持たせてもらったけれど、ちょっと重たい上に装飾過多じゃなかろうか。
構造的には鉛筆として使えそうだし、黒々とした芯もいい感じの固さだけど。
「気に入らぬのか?」
「そういうわけじゃないけど、想像していたのと違ったから、戸惑ったというか?」
何て言えばいいんだろう、と困っていると、机の向こうから声がかかる。
「陛下、竜胆の姫様への説明はわたくしがお引き受けいたしましょう。陛下はどうぞ、こちらの書類を」
「ソーンダイク」
「昨日に続いて二日目です。政務がおしておりますゆえ」
咎めるような皇帝の声にも屈さず、壮年の男性がやんわりと私達の会話を打ち切る。
仕事を邪魔する気はないので、私はカイルから離れて、昨日ここに来た時に宰相だと紹介されたソーンダイク氏のところへ歩いていった。
「休憩時間になったら一緒にお茶飲もうね」
にっこり笑ってそう言えば、カイルはため息まじりに頷いて、眉間のしわを深くしながらうず高く積まれた書類に手を伸ばした。
私は昨日マイラと一緒にチョーカーの相談をしていた応接セットのところへ移動して、向かいに座ったソーンダイク氏と鉛筆を見る。
これの開発には彼も関わっていたそうで、私の「想像してたのと違う」という発言が気になったんだそうな。
「私が思っていた鉛筆は、こういう装飾は無いんです。とても奇麗だからあっても良いんですが、持ち手の部分に彫刻が当たると、使っているうちにだんだん痛くなりそうですし」
「……なるほど。それは、確かに」
どうも、宰相は私がこれを実用品として求めていたとは思わなかったらしい。
ドレスや装飾品ばかり作ってもらっていたから、美しい彫刻が入っていれば満足するだろうと考えていたっぽい。
「ならば、作り直させましょう。今度は装飾のいっさい無いものの方がよろしいですか?」
「そうですね。実用品ですし、ここまで奇麗に磨いてもらえるなら、木目だけで十分に美しい仕上がりになると思います。あ、試し書きしてもいいですか?」
「もちろんです。どうぞ、こちらに」
宰相のそばにいた人がさっと差し出した紙を、私の前に置いてくれる。
用意が良いなぁ。
「おー。滑らかな書き心地。ちょっと色が濃いめだけど、芯はもう完璧ですね。あとは消しゴムがあれば嬉しいなぁ」
紙の上に鉛筆を滑らせながらつぶやくと、ソーンダイク氏が答えた。
「消しゴムの方は現在開発中で、まだ完成しておりません。どうも、姫様のおっしゃる固さにするのが難しいようで」
「それって、素材は見つかったっていうことですか?」
「はい。柔らかい状態の物ならば、もう出来ております。しかしこれはエンピツで書いた字を消せても、手や紙が汚れてしまうのです。ですので、まだ完成品とは言えません」
「そうなんですか。でも素材が見つかったの、すごいです。こんなに早く試作段階まで入れるなんて」
さすがは超大国、素材も開発者もいいのが揃ってるんだろうなぁ。
嬉しいのと感心したのでニコニコしていると、なぜかソーンダイク氏が急に咳払いをして話題を変えた。
「ところで、竜胆の姫様。姫様は異国のご出身であるとお聞きしたのですが」
「あ、はい。出身は『日本』という国です。海に囲まれた島国で、平和でのんびりしたいい国ですよ」
「平和でのんびりした島国、ですか……。…………なるほど、そうでしょうなぁ」
なぜかソーンダイク氏やその周りの人々がしげしげと私を見て、納得したように深々と頷いた。
ん? と首を傾げる私に、彼がまた質問する。
「わたくしには聞き覚えのない国なのですが、どうやってこちらへ来られたのでしょう?」
「それが、私にもよく分からないんです」
たまに聞かれるんだけど、これは本当にさっぱり分からない。
私が教えてもらいたいくらい、経緯も理由もぜんぜん思い当たるところがない。
「気が付いたら砂漠のオアシスで溺れそうになってて、旅の一座の座長に助けてもらいました。その時は言葉も通じなかったんですけど、一座の人たちはみんな優しくしてくれて、すごくありがたかったです。
後で聞いたんですが、その地方には『泉の妖精』という伝承があって、泉に現れる若い娘の姿をした妖精と出会うと祝福を授かるんだそうです。それで、一座の縁起物として連れていってもらえることになったんだと聞きました」
『泉の妖精』は若い“美人な”娘だそうなので、「お前は美女じゃないから違うな」とナイフ投げのおじさんや綱渡りのお兄さんに笑われてムッとしたりもしたけど、その伝承のおかげで拾ってもらえて親切にしてもらえたのはありがたかった。
縁起物というわりに、みんなあんまり信じてないらしく、笑いネタの一つとしてたまに話に出るくらいだったけど。
今は離れてしまった人たちのことを懐かしく思い出しながら答えると、ふーむ、と考え込んでいたソーンダイク氏が言う。
「『泉の妖精』の伝承はベルトラン公爵の領地に伝わるものですな。……なるほど、あれはそこから辿って秘録を見つけたか。優秀な猟犬だ」
後半は小声でぼそりとつぶやかれたので聞き取れなかったけれど、かろうじて一つの名前を耳にとらえた。
「ベルトラン公爵?」
「姫様の後見人となった方ですよ。先代の当主、西大老レンドック氏とは晩餐会で顔合わせをなされたとお聞きしておりますが」
おや? ご存知ない? と不思議そうに返されて、知らんがな、と思う。
いやレンドック老は分かるよ、あのサンタクロースみたいなおじいちゃんね。
でも、“コーケンニン”って何?
私の何かって言われたけど、その言葉がよく分からない。
「おかしいですね。書類には姫様のサインもあったのですが」
器用に片眉を上げたソーンダイク氏が、すっと執務机の向こうのカイルを見る。
書類に目を通している最中らしい彼はそれに気付かなかったようで、まったくの無反応だ。
やがてソーンダイク氏が諦めた。
「……まあ、いいでしょう。あの一族は基本的に領地外のことに興味を示さない。現当主も、後見人とはいえそう煩く口出しをしてくるような性質の人物ではありませんからな」
そうしてよく分からないうちにソーンダイク氏は自己完結してしまい、私は「“コーケンニン”って何?」と訊ねるタイミングを逃した。
「話を戻しますが、姫様、エンピツや消しゴムの件、お話しくださってありがとうございました。こちらのエンピツの芯となる部分の鉱物が出る地方は、あまり産業のない閑散とした土地なのですが、この道具のおかげで注目を集めておりまして、領主も民も喜んでおります」
「えっ、そ、そうなんですか。あー、えっと、お役に立てたなら、良かったです……?」
何と答えればいいのか分からず、ヘラっと笑ってごまかす。
故郷で使っていた物を人に頼んで作ってもらっただけなので、私はお礼を受け取る立場じゃないと思うんだけど。
私がそうして戸惑っていることに気付いたのか、ソーンダイク氏はちょっと苦笑して、話を変えた。
「もし他にもご入り用の物がありましたら、遠慮なさらずどうぞ教えてください」
おや、これはまた、おねだりをしてもいい感じかな?
社交辞令じゃないよね? そのまま受け取ってお願いしちゃうよ?
「それじゃあ、穴あけパンチとか、クリップとか、紙をまとめる物があればお願いしたいんですが」
日本でいちおう一年ほど事務員として働いていたせいか、こういう事務用品が無いの地味に気になってたんだよね。
金物だから私が使わせてもらえるかどうか分からないんだけど (「これくらい大丈夫」と言っても、マイラたち侍女が私のそばから金属製の物を排除したがるので)。
クリップは木製のもあったし、穴あけパンチは安全に使える物ならマイラに頼んでやってもらうこともできるだろうし。
「ほぅ。それは、どのような物でしょう?」
興味を持ってもらえたようで、ソーンダイク氏の目に好奇心がキラリと光る。
それから私たちは事務用品の話題でひたすら盛り上がり、休憩時間に入ったカイルに抱きあげられて隣の仮眠室に強制連行されるまで話は続いた。
カイルは自分が仕事をしている間、私がソーンダイク氏とのんびり話をしていたのが気に入らなかったらしく、仮眠室についてこようとした人たちを全員追い出して、お茶も飲まずに休憩時間いっぱい寝台で戯れて過ごす。
昼間にしては深すぎるキスに腰が抜けてしまった私は、彼が執務室に戻った後も立ち上がれず、そのまま寝台でお昼寝することになった。
まあ、自分が真面目に仕事してるのに、横でのんきにお喋りしてる人がいたら腹立つよね。
悪いことしたなぁと思って、ちょっと反省した。
宰相「大人げないですなぁ、陛下」
皇帝「分かっていてやった貴様がそれを言うか」
宰相「おやおや、これは、なんとまぁ。陛下がそのようなお顔をなされる日が来るとは……。なんともはや、竜胆の姫様は、奇跡のような御方ですな」
皇帝「……煩い。仕事に戻れ、宰相」
宰相「仰せの通りに、陛下。……ふふっ」