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第十五話 どうすればいつものように



 夜、天蓋を外された皇帝の私室の寝台で、侍女に持ってきてもらった竪琴を爪弾く。

 小さな声でささくように歌うのは、日本語の子守歌だ。


 寝具の上で歌う私の前には、寝支度を終えたカイルがのんびりと寝そべっている。

 ゆるく瞼を伏せたその顔は、とても無防備で穏やかで、気を抜いている猛獣を眺めている気分になった。


 彼がこの顔を見せるのが、私一人ならいいのに、と思う。


 けれどこの人は帝国の最高権力者で、異世界から落ちて旅の芸人をしていた、この世界の人から見ればただの身元不明の不審者であろう私が独占できるような相手ではない。

 そのことがただ、ただ、寂しかった。


 それを感じ取っているかのように、お腹の子どもたちが落ち着かない。


 だからなだめるために子守歌を奏でているというのに、どうしても考えがそちらにいってしまう。

 今日は後宮にいる姫がもう私一人だけだと聞いてから、ずっとそうで。


 ごめんね、と声にはせずにお腹の子どもたちに謝る。


 産んだ後もずっと一緒にいたいけれど、それができるかどうか分からない。

 そもそも神隠しにあったみたいに唐突にこちらの世界へ落ちてしまったから、また同じように急に元の世界へ戻ることがあるかもしれないし。

 それがなくても、私には何の後ろ盾もない身の上で、帝国皇帝の子の母としてうまく立ち回っていけるだけの賢さもない。


 でも、と、ふと不思議に思う。


 カイルは私に知識を与えようと、家庭教師の先生をつけてくれた。

 私は勉強が苦手だから、ヤダヤダわめいて嫌がったけれど、普段私の嫌がることはしないカイルが、それでも授業を続けさせた。

 今だって、だいぶ減らされたけれど勉強は続いている。


 これにはいったい、どんな意味があるんだろう?


 子守歌はとうに歌い終わり、ぼんやりと、答えの出ないことをとりとめもなく思い巡らせながら戯れに竪琴の弦を弾く。

 旅の一座に拾われて、言葉は通じなくても歌が歌えると分かると座長がぐいぐい押し付けてきたこの竪琴は、この世界で一番長く同じ時を過ごしてきた大事な相棒だ。

 それほど高価な物でもないので、耳の肥えた人によれば音は「それなり」らしいけど、誰が何と言おうと私の肌に最もよく馴染んでいる。

 だから曲になっていなくても、その音色を聞いていると、気分が落ち着く。


「センリ。疲れたのか?」


 どれくらいぼーっとしていたのか、いつの間にか身を起こしたカイルが目の前にいて、そう聞いた。


「んー。ちょっと、疲れたかな」


 大きな手に竪琴が取り上げられるのに、指を放して素直に従うと、カイルはいつものように私を膝に抱きあげた。

 だいぶ大きくなってきたお腹に負担がかからないよう、気を付けて上手に私の体を引きあげてくれるのに、慣れた私も緊張することなく身をゆだねる。


 そうしてがっしりとした体躯に包み込まれるような定位置におさまると、安堵の吐息が落ちた。


「……疲れているだけではなさそうだな。昼からずっと、表情がいつもと違う」


 思いがけない言葉に、驚くのと同時に嬉しさがこみあげた。

 気付いてくれてたんだ、と。


 でも、どう答えればいいのかわからなくて、内心ではあたふたしながらも、できるだけ平然として見えるように言う。


「そうだったかな?」

「ああ。……違う」


 片腕で私の体を支え、もう片方の手をお腹に当ててゆっくり撫でていた彼が、不意に声色を変えた。


「どうすればいつものように笑ってくれる?」


 命令することに慣れた支配者の、自信に満ちて傲慢にすら見える常の態度がわずかに崩れ、どこか焦燥をふくんでいるかのような、声。

 お腹に当てられていた手が離れて頬に触れ、顎にかかった指が上を向くようそうっと促す。


 その指に乞われるまま顔を上げれば、思ったより近くにあった彼の鋭い視線に真っすぐ射抜かれて、息が止まりそうになった。


 どうしてそんな、泣きそうな表情(かお)をしているの。


「……カイル」


 ねだるように名を呼べば、噛みつくように口付けられる。

 人の形に生まれてしまった猛獣に、このまますべて食べられてしまうような気がして、ゾクゾクと体の奥に震えが走った。


 急かすように唇を舐められるのに薄く開いてみれば、待ち構えていた分厚い舌が強引に入り込んでくる。

 一番弱い上顎をなぶるように執拗に舐められて、どうしようもなく体が震え、小さな悲鳴めいた声がこぼれる。


 それを聞いたカイルの体から、ふっと力が抜けた。

 苛立ちと焦燥をふくんで責めるように激しかったキスが、優しくなだめるものに変わり、私はその甘さに夢見心地で溺れてゆく。


 私のご褒美の飴は、今日もとびきり甘い。


「ん……、ふ……っ」


 けれど鼻からぬけるような甘ったるい声が時折もれるのに、身の置き所のない恥ずかしさを感じて勝手に体が縮こまった。

 完全に溺れてしまった後はまるで気にならなくなるけれど、夢の入口みたいなところにいるうちはどうしようもなく恥ずかしくて、私はいまだにそれに慣れないのだ。


 カイルはそれを知っていて、かすかに笑いながら唇の合わせ方を深めてくる。

 その時の首を傾ける角度とか、口の中で舌をすり合わせたりわざと逃げて戯れたりする時のタイミングとか、何もかもを彼に教わった。

 この人のそばにいられなくなったら、どうやって息をすればいいのかも分からなくなる気がするくらい、いろんなことを。


「センリ。……センリ」


 本当は、彼は私が怯えていることに気付いているんじゃないだろうか。


 キスを深めながらかすれた声で繰り返し名を呼ぶ。

 その声により強く心が絡めとられていくのを感じながら、ふと。


 抱きしめてくる腕は囲い込もうとするようでもあり、縋りついているようでもあり。

 この人も怖いのかもしれない、と、これまで考えもしなかったことを、初めて思った。


 きっと、だから、この人は私が怖がっていることが分かるのだ。






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