第十話 知識に無駄はない
妊娠したと診断されてから、これまでギュウギュウ詰めだった勉強が一気に減らされて、楽になった。
具体的に言うと男性の家庭教師からの授業が一時中断になって、女性の家庭教師の、文字の読み書きと言葉遣いの矯正、マナー講座だけになったのだ。
おかげで授業を竜胆の宮で受けられるようになり、面会室への移動がなくなって、側妃たちの嫌味を聞かされることもなくなった。
文字は習得したかったし、マナー講座は面倒だけど、話を聞いているだけで寝そうになる歴史の授業よりずっとマシだ。
ありがとう赤ちゃん、マジありがとう、と涙ながらにお腹を撫でる私を、マイラがため息をつきながら眺めていたけれど、気にしない。
私は機嫌が良いのだ。
それからまたしばらく経つと、悪阻が始まったらしいんだけど、個人差があるというそれは私の場合、いつでもどこでも寝てしまう、というものだった。
寝ても寝ても眠たいし、誰かと話している途中でもふっと意識が落ちる。
そのせいで、食事はどうにかとっていたんだけど、運動がまるでできず、女医から「あまり動かないでいると体力が落ちてしまいますよ」と注意された。
今までも授業以外で竜胆の宮から出ることはなかったものの、この宮は中庭がついてる広い建物なので、あちこち歩き回っているだけでそれなりに運動になっていたのだ。
それから私は中庭に出てぐるりと歩いて、ふう、と東屋の椅子に座ったところで寝落ちして女騎士に運ばれる、という運動(?)をするようになった。
私は小柄とはいえ、皇帝の子を妊娠中ということで、運ぶプレッシャーは重かっただろうに、いつも寝台に移動させてくれる女騎士さんたちには感謝してもしきれない。
ちなみにこれが運動になっているのかどうかは謎だったけれど、気分転換にはとても良かった。
美しく整えられた庭で花や緑を眺めるのは、心穏やかになる。
寝落ちせずに起きていられる時は、竪琴を持ってきてもらって歌の練習をするのも楽しい。
後宮は相変わらずたまに騒々しくなって、食事が運ばれなかったり(こういう時のために日持ちするお菓子が常備されるようになった)、マイラと女騎士たちが「害虫駆除が行われます」モードになったりしたけれど、私はおおむね平和に過ごしていた。
陛下はなんだか忙しそうで、私のところに来ることが減った。
しかも、会うたびに疲れた顔をしていたり、たまに目の下にくまがあったりするので、ちゃんと休めているのかどうか心配だ。
だから会えた時はできるだけいたわるようにして、ゆっくり休めるよう早めに寝室に連れていくことにした。
するとそこで、思いがけず踊り子の姉さんたちが話していた猥談の、実践的な男性操縦法が活躍した。
旅の一座にいた頃、女性陣で固まって恋バナをしていると、経験豊富な姉さんたちの話はどんどん生々しい猥談になっていって男性の夢が壊れそうな言葉がバンバン出てくるんだけど、その中で「恋人ができたらやってみなさい」と教えられたのが、ここにきてまさかのお役立ちだったのである。
年齢=彼氏ない歴だった頃の私は、あまりにも赤裸々に語られるそれに聞いているのが恥ずかしくなって「そんな知識使うことないから聞かなくていいよ!」と逃げたりもしたのだが、「知識に無駄はないの! 知っといて損はないから覚えときなさい!」と言っていた姉さんは正しかった。
その知識の内容はただの猥談だったけど、姉さんのそれはなかなかの名言だと思う。
ただ、カイルの反応からは好評だったのか不評だったのか、よく分からなかった。
頑張って欲求不満を解消したのだから好評を得られても良かったはずなのに、次に来た時、彼はなぜか私の両手首をやわらかい布で縛って、その状態の私を抱き枕にして寝台に横になったのだ。
どうも、余計なことはするな、という意思表示であるらしいのだが、「もう二度とやるなっていうなら、やらないよ?」と言うと、そういうわけでもなさそうな反応をする。
年下の小娘に翻弄されてしまったのは気に入らないが、二度とやるなとは言えない、という複雑な気持ちであるらしい。
私はにっこり笑って言った。
「気が向いたらほどいてね」
カイルは不機嫌そうな顔で横を向き、うなるような声で「小悪魔め」とつぶやく。
結局その日はよく眠れなかったらしく、翌日の夜、部屋を訪れた彼に私の手首が縛られることはなかった。
なんだこの人、可愛いな! と私が思ったのは、誰にも言えない秘密だ。