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第一話 皇帝と異国の歌姫



(ここ、どこ……?)


 天蓋(てんがい)から垂らされた薄い(しゃ)を透かし、やわらかな朝陽が射し込む。

 肌触りの良い最高級の寝具に体を沈めたまま、見覚えのない場所に戸惑って、私はぼんやりと記憶をたどる。



 剣と魔法のファンタジーな異世界に落ちて、五年。


 日本の私は「野原千里」という名前の事務員だったけれど、こちらの世界では「センリ」という名前の『異国の歌姫』として旅芸人の一座に身を寄せている。

 黒髪黒目で小柄な私は、こちらの世界ではその色だけで“浮く”ので、その物珍しさから『異国の歌姫』はわりと人気だ。


 なにしろこちらの人は、皆さん金銀青赤などのカラフルな色彩をお持ちで、しかもそれが種族特性なのか大柄な人ばかりなのだ。

 こちら基準の普通の成人女性と並んでも、私はだいぶ背が低くて、しかもアジアン顔が幼く見られるらしく、だいたい子ども扱いされる。


 すいません、私、二十才過ぎてる大人です!

 この世界に落っこちてくる前は、高卒で就職して一年ほど事務員として働いてましたんで、ホントに大人なんですよ!


 ……などと、主張してみたけれど外見の影響は大きく、「そうかい、そうかい、えらいねぇ。そんなに小さいのに働いてたなんて」と頭をナデナデされ、たまにお菓子を与えられ。

 貰える物はありがたく頂いたが、ガックリしたものである。


 でもまあ、そんな状況でも、それが日常となれば慣れてしまうもので。

 あちこちで子ども扱いされるため、着々と年齢=彼氏いない歴を更新しながら、旅の一座とともにいろんな国を巡り歩いた。


 これでも最初はけっこう大変だったのだ。

 なにしろ言葉が通じなかったので、言語学習から始まったのが痛恨だった。


 日本で読んでいた異世界トリップ物みたく、誰かが最初から通じるようにしといてくれればいいのに、どうも私はただうっかりこの世界に落っこちてきただけの人らしいので、そういうチートがまるで無いのだ。

 悲しみが深い……


 しかし悲しんでばかりもいられず、砂漠のオアシスに落下して溺れかけていた私をたまたま拾ってくれた旅の一座の人たちに保護されて、どうにかこうにか生きていくことになる。

 彼らには本当にお世話になった。

 食べ物や着る物をくれたし、言葉を教えてくれたし、私が歌うのを聞いてからは、歌姫として芸の舞台に立てるよう仕込んでくれたのだ。


 おかげさまで竪琴を爪弾きながら異国(日本)の歌を歌う私はそれなりにお客さんに気に入られ、黒髪黒目の珍獣的な価値もあってお貴族様のお屋敷にも呼ばれ、昨日はついにこの世界の大半を支配するとかいう帝国の建国祭の宴にも呼ばれた。



(あー、そうだった。建国祭の宴)


 死ぬ前に見えるとかいう走馬燈みたいにつらつらと記憶をたどって、ようやく昨夜のことを思い出した。

 そう、昨日は私が身を寄せている一座に皇宮からのお呼びがかかって、煌びやかな宮殿や着飾った人々に、わー、映画みたーい、と内心でワクワクしながら、皇帝陛下の宴で私も『異国の歌姫』として歌ったのだ。


 そして皇帝陛下と思しき人に気に入られたらしく、私が歌い終わったところで上座から降りてきた彼にひょいと抱き上げられ、そのままお持ち帰りされ、年齢=彼氏いない歴だったがゆえに処女だった私は、そうでなくなり。

 今、声が枯れて足腰が立たず、身動きがとれない芋虫状態で最高級の天蓋付き寝台に転がっているわけである。


 これまで黒髪黒目の珍獣として、子どもに見える私でも構わず手を出そうとした人はいた。

 でも私はそんなふうに玩具にされるのは嫌だったから抵抗したし、一座の人たちがそれとなく助けてくれたので、逃げてこられたのだけど。


 昨夜は、嫌だと思わなかったから、逃げなかった。

 きっと歌っている時から、私も皇帝に心惹かれていたんだろうと思う。


 容姿はあんまり覚えていなくて、ただ、孤独な目が印象深い人。

 異世界人の私は当たり前のようにこの世界でひとりぼっちだけど、彼もまた豪奢な玉座の上で美女や重臣たちに囲まれながら、ひとりぼっちでいるように見えて。


 その人が玉座を立ち、上座から降りてきて手をのばすと、ごく自然に受け入れた私は自分を抱き上げた彼の肩にぎゅっと掴まった。

 そして私が「皇帝陛下?」と問いかけると、「カイルと呼べ」と返された。


 それから後のことを思い出すと、そっちの経験値がゼロな私は赤面して動けなくなりそうなので、できるだけ考えないようにして現状へ意識を戻す。


「うぅ……、み、みず……」


 足腰が立たないのも問題だけど、のどがカラカラに渇いて痛む。

 誰か助けて、動けないんです、と必死に声を上げてみたら、薄い紗の向こうに人影が現れた。


「歌姫様、お目覚めでございますか?」


 声をかけてきたのは十七才の侍女マイラで、私より年下とは思えないくらい、背が高くて女性的な体つきをした愛嬌のある娘さんだった。

 ありがたいことに彼女は私に対して優しく、甲斐甲斐しく世話してくれる。

 おかげでどうにかのどを潤し、身支度を整え、食事にありつけた。


「歌姫様は本当に奇麗な御髪でいらっしゃいますねぇ」


 食事の後、のんびりとソファで横になってくつろぎながら、髪を触ってみたいというマイラに頷いて彼女がやりやすいよう、ひじ掛けにクッションを置いてそこに頭を乗せた。

 いつの間にか運び込まれていた私の荷物を持ってきてもらって、取り出した香油と櫛をマイラに渡すと、彼女はそれをすりこみながら楽しそうに髪をすく。


 癖のないストレートの長い黒髪は、私の大事な商売道具だ。

 どの国でも、どの街でも、お客さんたちは私の黒髪を一目見るなり「ほぅ」と驚いた顔をする。

 自分では歌も頑張っているつもりだけど、歌が上手い人は他にもいっぱいいるから、自分の売り込みポイントはやっぱりこの“色”なんだろうなぁと思う。


「そういえば、宴に出ていた侍女達から、歌姫様は変わった飾りで髪をまとめてらっしゃったとお聞きしました。どんな物なんでしょう?」


 センリと呼んでほしいと言ったら「歌姫様とお呼びするよう申し付かっております」とニッコリ言われて撃沈した私は、もうそれ以上は呼び名について何も言わず、マイラの質問に答える。


「あれは(かんざし)というの。私の故郷の髪飾りだよ。それとビーズを編み込んだ組み紐を、髪と一緒に結ってあったかな」

「かんざしと、くみひも。私、初めて聞きました!」


 興味を持った彼女が、年頃の娘さんらしく好奇心にはずんだ声で言うので、手元に置いたままだった荷物からいくつか取り出して机に並べる。


「故郷の物だからっていうのもあるけど、私は肌が弱くて金属でできた物を身に付けられないから、飾りはこういう物ばかりなの」

「まあ、それは大変ですね。これだけ美しい黒髪なら、金や銀でできた飾りもきっとお似合いになりますのに……。あ、でも、金糸や銀糸でこの、くみひも? これを作って髪と一緒に編み込んだら、きっと奇麗です!」

「金糸や銀糸かー。確かに奇麗だろうとは思うんだけど、あれって普通の色糸より高いんだよね。だからたまに買っても舞台衣装の刺繍をするのに優先で使っちゃうから、なかなか組み紐用にはとっておけなくてさ」


 なるほど、と素直に頷いて話を聞いてくれるマイラに、気が付けば組み紐の作り方を教えて日が暮れて、夕食をいただいたところで「あれ?」と首を傾げた。


「そういえば、私っていつまでここにいるの? 体もだいぶ動くようになったし、そろそろ一座に戻らないと」


 帝国の建国祭は七日間続く大イベントだ。

 昨夜の宴はその三日目で、残りの四日間、一座はあちこちの貴族のお屋敷に招かれて芸を披露することになっている。

 当然、今夜もどこかのお屋敷に行って、私も歌わないといけないはずなのだが。


「いけません、歌姫様。この部屋から出してはならぬとのご命令にございます。外には近衛騎士たちもおりますので、どうかこのままこちらにおいでください」


 ソファから浮かせた腰が、またソファに戻った。


 マイラの言う「ご命令」って、たぶん皇帝陛下からの命令、だよね?

 一夜限りのお遊びだろうと思っていたけれど、そうじゃなかったんだろうか。


 不思議に思ったけれど、彼の考えることは彼にしか分からない。

 部屋から出ていないから外に近衛騎士がいると言われても状況がよく分からないし、下手に動いて危ない目にあうのも困る。

 だから今夜もし彼がまた来たら、いつまでここにいないといけないのか聞いてみればいい、と結論した。


 私自身は、ここにいることに不快感は無い。


 マイラは親切にしてくるし、お茶やお菓子や食事も美味しい。

 一座の中でもそれなりに目立った出し物である『異国の歌姫』である私が抜けても、あの旅芸人たちならばどうにかするだろと思ったし、建国祭が終わる前か、終わった後くらいには解放されるだろう。


 そして何よりも、もう一度、彼と過ごせるかもしれないと思うと、留まることに迷いは無かった。

 カイル、という呼び名以外はほとんど何も知らない人だけれど、大きくて骨ばった分厚い手で、それでもできるだけ私を傷つけないよう注意して触れてくる、その優しさを知っている。

 まあ、優しいだけじゃなかったから、私は今朝、まともに動けず声が枯れていたのだけれども。


 それでも彼は私の“ご褒美の飴”だ。


 いつか踊り子の姉さんが言っていた、「辛いことも多いけど、頑張って生きているとたまにご褒美の飴を貰えることもある」と。

 それが人生よ、と。


 だからご褒美の飴が貰えた時は、たっぷり楽しむといい、と笑っていた。

 飴はいずれとけて消えてしまうけれど、それまではその甘さを楽しむのがいい、と。


 そして食後のお茶を飲んでソファでうとうとしていると、遠くからざわめきが響いてきて、しばらくすると部屋の扉が開いた。


「センリ」


 低い声が私の名を呼んでくれることが、とても嬉しい。

 この飴はいつとけるのだろう、と思いながら微笑んだ。


「カイルさま」






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― 新着の感想 ―
[良い点] 記憶に残る作品でした。以前読ませて頂いてからずっと覚えていました。 「辛いことも多いけど、頑張って生きているとたまにご褒美の飴を貰えることもある」と。 [一言] 前回は評価出来なかったけど…
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