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喫茶オルクスには鬼が潜む  作者: 奏多
片羽だけの恋

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20/41

思い出はここに

「ただ先に、確認せねばなりません」


 記石さんは言う。


「消してしまえば、思い出を僕に差し出すことになります。あなたが苦労したことも、それによって得られただろうものも全て。それでもいいのなら、消しましょう」


「苦労したことも……」


 私は記石さんの言葉を聞いていて、疑問に思う。

 苦労したこととか、辛いことは忘れた方が楽なのではないか、と。忘れられなくてトラウマになったりするぐらいなら、綺麗さっぱり無くした方がいいように思うのだ。


「美月さんの年齢だと、そこはわからないかもしれませんね。でも年を重ねると、自分があがいた記憶こそが自分を支えてくれるんだと、わかることもあるものですよ」


 記石さんの言葉は、どこか老いた人のような重さがあった。

 でも私もそうだけれど、亜紀にもそれは実感できなかったみたいだ。


「お、お願い。忘れられるならなんでもいいわ!」


「その言葉、聞き届けました」


 亜紀が素直に従うと、記石さんは本棚の方へ歩いて行く。本棚の一画にある扉が付いた箇所を開け、真っ白な表紙のない、文庫本ほどの大きさの冊子を取り出した。

 記石さんはその冊子を亜紀に渡して言った。


「あなたが忘れたいことを、目を閉じて、それに額を当てて念じて下さい」


 亜紀はその真っ白な冊子が、願いを叶えてくれるお札のように見えているのか、ぎゅっと目を閉じて願うように額に押しあてた。

 それを見た記石さんが、なぜか私の口を手で塞いだ。


「!?」


 しかも動かないように肩まで抱きよせるように抑えられた。え、ちょっと待って。亜紀の前で恥ずかしい!

 でも記石さんは淡々と言った。


「やれ」


 合図を受けた鬼が、記石さんそっくりの姿から虎に似た姿に戻る。そのまま亜紀に飛びかかって、頭から飲み込むように食らいついた。


「んむ!!」


 叫びそうになった時、記石さんの手のせいで声が出ない。私がそうすることを見越して口を塞いでいたんだ!

 亜紀を飲み込んだ虎は、そのまま姿を炎に変じて亜紀と彼女が額に押しあてた冊子を包み込んで、ふっと消えた。

 同時に亜紀が気を失って倒れる。


「亜紀!?」


 私は焦った。

 亜紀が望んだことではあるけれど、大丈夫だろうか。私が鬼に感情を食べられても平気だから、亜紀もそんな感じでするっと記憶だけ無くしてしまうのかと思ったのだけど。

 記石さんが離してくれたので、慌てて駆け寄る。

 亜紀は眠っているように、呼びかけても目を覚まさなかった。


「安心してください美月さん。眠っているだけです」


 記石さんが話しながら、床に落ちた冊子を拾い上げて、表紙を払う。


「長い時間の思い出を食べるとなると、眠らせた方が本人のためにもなるんですよ。直前まで考えていたことと、自分の記憶に齟齬があると混乱しますからね。その違和感を一生気にして、病む人もいますから。夢だったと思う方が、本人が望んだ通りに、安心して過ごせるようになるはずです」


 淡々と説明する記石さんの姿に、彼は鬼を飼っているのだと、このときしみじみと感じた。


「ほら、すぐ目覚めますよ。美月さんは何事もなかったかのように、接してあげてください」


 そうだ。亜紀は私との間に確執ができたことも、忘れてしまっているはず。

 ちょっと唸りながら起き上った亜紀の様子を見守りながら、私は『何事もなかったように』と自分に言い聞かせる。

 亜紀の鬼に襲われて怖い思いをしたから、ちょっと怯えた態度をとりそうになるけれど、そこもこらえないと。

 彼女は忘れたんだから。


 発端はなんにせよ、今後同じことを繰り返さない状況を望んでくれた。

 私の中に多少のわだかまりがあったとしても、そのことで全てリセットすることが、亜紀の選択へのお礼でもある。そして私を守る方法にもなるだろう。

 目を覚ました亜紀は、自分が床に倒れていたことに驚いた。


「大丈夫!?」


 私は何事もなかった場合を想像して、亜紀に呼びかけた。

 鬼のことも、私に恨みを抱いたこともなかったことなら、そうするだろうから。

 今の亜紀は、幼馴染で最近疎遠にはなっていた人でしかない。


「え、美月? 私どうして……」


 ぼんやりとお店の中を見回す亜紀は、自分がここにいる理由も思い出せないようだ。


「なんか、美月の姿を見かけて入ったような記憶はあるんだけど」


 槙野君や鬼の記憶を取り除くと、そこが残るらしい。


「お店に入って、すぐに立ちくらみ起こしたみたい。早く帰って休んだ方がいいんかもしれないよ? タクシー呼ぶ?」


「うん……そうね。なんか頭がくらくらするし」


 亜紀が素直に帰ると言うので、私は一度亜紀を近くの席に座らせた後、記石さんに頼んでタクシーを呼んでもらった。そうしてタクシーに乗って立ち去るまで、亜紀は一言も槙野君の話をしなかった。

 ほんの数分前まで、彼とのことであんなにも気をささくれ立たせていたのに。


「本当に忘れちゃったんだ……」


 あっけないというか。長く思いわずらったせいなのか、拍子抜けするような気持ちの私に、記石さんが言った。


「人の気持ちを作るのも、記憶ですからね。 原因が無くなれば、感情も消えてしまいますから」


 ただ、と記石さんがつけ加える。


「ここに一つ、痕跡は残っているんですがね」


「痕跡ですか?」


 記石さんが持っているのは、亜紀が額に押し付けていた冊子だ。でもこの真っ白な表紙といい形といい、ものすごく見覚えがある。

 確か記石さんが、読んでみるといいと私に紹介してくれた、失恋のお話のような……。


「この中に、先ほどの女性の思い出も入っています」


「え!?」


 目を丸くする私に、記石さんがはいと渡してくれる。

 中を開いてみれば、確かに文字が記されていた。

 最初は確かに亜紀のことっぽい感じだけど……なんだか時々違うものが混じっているような。


「ああ、もちろん個人の出来事をそのまま残すのは問題があるので、鬼が食べた別な人の話をいくらか混ぜたものになっているはずです。おかげで話が突飛になりやすいんですけれど」


「なるほど……」


 私は、記石さんに紹介してもらったお話が、どうして驚きの展開になったのかがわかった。本来は男女の三角関係に起因する話だったのが、横領やらインターネットのあれこれといった、別な人の話が混ざったからだったんだ。

 鬼が冊子に文字を残すというのも不思議だけれど、なぜそれを置いておくのかとも不思議に思う。


「え、でもなぜ残すんですか?」


「思い出を失った人が、ふらっと鬼の気配に惹かれてここへ来るんですよ。失った思い出が長い期間にわたるものほど、心が不安定になるようで。でも、ほんの少しでも自分の元の思い出と近しいものを読んだりすると、次第に落ち着いていくようなんですよね」

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