2話 『手紙』
ふあ〜。昨日のズズの台詞が妙に心に引っかかって、ちゃんと寝れなかったせいで、明らかに寝不足だ。通学途中の電車で大きなあくびをする。今日は、全国的に有名な僕を指差し、話題にする者はいなかった。目立つのは昔から苦手だった。と言っても高校生になった今、友達どころか学校では先生以外誰とも喋ったことがない僕が目立つような機会はそうそうない。学校の居心地が悪いわけではなかった。
そんなことを考えていると、学校の最寄駅に着いたアナウンスの声がした。
「次は、花空学園前、次はー、花空学園前、お忘れもののないよう・・・」
僕の至福の時間が終わってしまった。僕は心の準備をして降車した。
駅を出て学校までのこの道は、桜の綺麗な名所として近所の人たちに知られている。だからこの季節は人通りが多い。駅から徒歩で桜並木を歩く者、車に乗って走り抜ける者、途中にある小さな公園で花見をする者など様々だ。僕はソメイヨシノがあまり好きではなかった。ズズが昔、僕と姉貴を連れて花見に行ってくれたが、そこでの思い出は思い出したくもないほど苦く暗い影を僕に落とした。
友人もいない僕は足早に学校へと向かい、校門をくぐる。そこにも桜は登校してくる生徒を歓迎するように咲いていた。歩道を挟んで両端に続いていて、少し歩くと本校舎にたどり着く。どこにでもある、至って平凡な校舎だ。校舎に入り、下駄箱付近では生徒たちが朝の挨拶を交わしている。僕は彼らを尻目に役者のように、自分の番号の下駄箱へと歩いた。下駄箱に手をかけ、いつものように開けるとパタっと何かが僕の足元に落ちてきた。考えるより先にそれを拾うと一通の封筒だった。頭も良くて友達もいない、偉そうな僕に誰かの悪意がとうとう向いたか、と冷静な判断をした僕は前々から持ち合わせていた勇気を持ってその場で立ち尽くしたまま封筒を開けた。
目に飛び込んできたのは、
「お話がしたくて、お手紙を送りました。
もしよろしければ、私の相談に乗ってくれませんか?」
書道有段者特有の、整ってはいるが主張の激しい字ではなく、ごく自然体の気品を感じられる、育ちの良い字でそう書かれていた。
まだいじめかもしれないという疑念が完全に払拭されたわけではないが、その字からは悪意は感じられず、文章の訴えが本心からのものだと僕に感じさせるには十分だった。だが、「相談に乗ってくれませんか?」と言われても、どうすればいいのだろうか。こういった類の手紙は放課後どこそこに来て欲しいとかそういうのがセットだろう。その記載がない以上、この手紙の送り主がこの手紙を渡した意図として重要なのは僕に心構えさせておくことぐらいだろうか。どちらにせよ変な話ではある。やっぱりただの悪戯かもしれない。僕は少しがっかりした。同時に、自分がこの手紙に少なからず期待していたことを思い知った。僕はもう高校学習課程をマスターしている。ちょっとぐらいいつもとは違うイベントがあってもいいじゃないか。僕は自分にそう言い聞かせたが、僕以外の学生が授業に、そして学校生活にどう向き合っているのかを考えると自分がちっぽけな存在に思えた。
今日一日、僕はそわそわしながら何かが起こるのを待ったが結局僕に接触してくるのは授業中に難題を突きつけてきた数学の教師ぐらいだった。いつもはお気に入りの女生徒を指名しているが今日は彼女が休みだったらしく、それが無ければ一日中誰とも言葉を交わさなかったかもしれないと思うと、そんなこと昨日まで当たり前だったのに、どうしてか胸が苦しくなった。
陽が落ちるよりも先に僕は肩を落とし帰りの駅へ向かった。何かが起こるなら、何かが変わるなら今が最後のチャンスだ。何も無ければ明日からまた、終わらない鬱映画を観ているような日々に戻るんだ。夕日を見ながら僕はため息をついた。両端の桜もオレンジ色に染まっている。綺麗だと思った。オリジナルのピンクよりも、太陽の力を借りて輝く桜の方が何倍も好きだ。
その日が僕の始まりの終わりだった。