『新たな力』 ※挿絵
新暦659年7月、オリュトスで敗北したジュエス率いる国王軍はクラウリム軍の攻撃と相次ぐコーア人の離反により後退を強いられ続けた。
ジュエスはこの状況を打開するべく外部勢力との接触を行っていた。そして唯一ある程度の勢力を持ちながら中立であったメール地方のアルサ家と交渉を続け、遂に援軍として来援させる事に成功した。
メール地方はリンガル地方の更に東に位置する辺境で、最有力家としてアルサ家が君臨している。
そしてアルサ家の現当主がランバルトという男であった。
未開拓のメール地方全域はまだ平定されておらず、アルサ家の勢力圏内にあったのは南西部のみであったが、地味豊かな土地と豊富な鉱物資源の眠るメールを保持するアルサ家の力は強力で味方に付けられれば非常に有利であった。
ここに至って歴史の表舞台に現れてきたのにはメール地方が本土の人間にとって未開の土地だからであった。王国本土にたどり着くには山脈を越えねばならなかった事と前当主ナウリオンも現当主ランバルトも干渉を避ける為に意図的に情報を秘匿していた事からメール地方の情勢についてはリンガル人が多少知っていた程度であった。
同盟を受け入れたランバルト率いるメール軍が国王軍と合流する為に西進してきたのだった。
そして、新たな参画者には不安を抱く者もいた。戦に赴くと決めた主君が後の覇者となることを知らないのだから無理も無かった―――
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
【新暦659年7月 リンガル・メール地方の境界 将軍オーレン】
アルサ家当主ランバルトに率いられたメール軍はブリアン王子を支持する国王軍の要請を受けて出兵していた。
メールの都グリンホードを発って、山脈の峠道を越え、早くも半月後にはリンガル地方へ入った。他の軍なら強行軍と言ってよい速度だが、健脚のメール兵にとっては何ほどのこともなかった。
そして、国王軍の司令官プロキオン家のジュエスと合流する為に一路西に向かっていた。
オーレンは隊列の中間に位置し、主君ランバルトや他の家臣と共に進軍していた。
オーレンはアルサ家臣シュタイン家の当主で、アルサ家先代当主のナウリオンの頃から仕えていた。
年齢こそ五十歳を越えているとはいえ、がっしりと鍛え上げられた体躯は日に焼けて浅黒く、顔も体も戦傷で彩られている。
真っ黒な髪と同じ色の強い髭が精悍さをいや増している。
身に帯びる剣や鎖帷子は使い古されてはいるが、手入れは行き届いている。鍛えられた良い鋼で造られており、長年の戦いを共に潜り抜けてきた相棒だった。今でも従者や召使では無く自ら武具の手入れを行っている。
見た目通りの猛々しい勇者であるオーレンは軍の指揮官としても優れた力量を持ち、アルサ家の宿将として重用されている。
数多の戦いを経験し、あらゆる危険に身を投じてきたオーレンには新たな戦争に参加する事には恐れも迷いも無かった。だが、今回の出征に関してだけは不安を感じていた。
馬に揺られながらオーレンはちらりと横を見やる。隣で馬を進めているのが主君であるアルサ家当主のランバルトだ。
この戦は彼、ランバルトが一存で決めた事なのだった。
主君ランバルトは今年で三十歳になったばかりの少壮気鋭の青年で、先代ナウリオンの死後当主となってから十年近くが経つ。
刈り揃えられた顎鬚、肩口までの金髪を持つ丈高い美丈夫と嫌でも目を引くであるランバルトだが最も印象深いのは諧謔さを湛えた青い瞳だった。
貫く様な冷たさを感じさせるのに不思議と引き込まれ、気付けば心酔させられてしまう魔性の眼だ。
メールの蛮族すらランバルトには心から服従している。あのコルウス族の狂戦士でさえも味方に引き込んでしまった程だ。
宿将という若者に辛い評価を下しがちなオーレンの立場から見ても、ランバルトは十二分に有能だった。
当主の座を受け継いでから、全ての戦に勝利し、多くの部族を従わせてきた。街やそれらを繋ぐ道も整備し、領地の発展に努めた。開墾された土地は広大で、幾つもの鉱山を開発している。
国力は増大し、アルサ家の収入はナウリオン時代の三倍に及んでいる。人材の発掘にも熱心で、熱意と才覚に満ち溢れた若者を大勢見出している。
法令も整え、メールの治安は蛮族の脅威に晒される辺境とは思えないほど良い。
だが、一方で自身に従わない者への厳しさは凄まじく、逆らった者や従順で無い者には徹底的な懲罰を以って迎えた。
かつて法令に逆らった家臣のオークン家に対して苛烈と言えるほどの懲罰を加え、改易寸前まで追い詰めた。
その時はオークン家の哀れになる程の謝罪と重臣達の説得で改易は免れたとは言え、ランバルトが家臣で有ろうと何だろうと逆らう者は許さないと鮮烈に刻み込ませる事になった。
――それに、ランバルト様は危ういお方だ。何を求めているのか分からない。その視線の先に一体何が有るのか……――
オーレンは常々そう感じていた。今回の出兵も正統な王への忠誠を理由としているが、本当は違う何かを求めているとオーレンは確信していた。
土地だとか地位だとか、そういう類では無い何かを。
だが、オーレンにはそれ以上のことは分からなかった。ランバルトは普段から独断の人だが、今度の事は完全に一人で決め、熱心に事を進めている。
そして、だからこそ不安だった。
オーレンは目線をずらして、メールから進軍してきた軍隊を改めて眺めた。
ランバルトの後ろにはカルコン家のネフノス、バルアルサ家のメネートといった古参の家臣や、ザーレディン家のテレック、ノゴール家のアールバル、スリスト家のレイツなどの若手家臣の連中が並んでいる。
ランバルトも含め皆、メールの鉄で造られた最上級の武具と軍馬を備えている。
メール軍の中枢を3千人の親衛隊がアルサ家の銀十字旗を先頭に立てて、ぐるりと取り囲む形で守っている。
当主直属の親衛隊はメール軍の最精鋭だ。
生まれの貴賎や出身地に区別なく武勇と忠誠心だけを重視してメール中から選りすぐり、家臣団にも引けを取らない良質な武器を備えた鋼鉄の歩兵達だ。
隣接して痩せ馬に乗ったコルウス族の狂戦士が行軍している。
コルウス族の先頭に立つのは族長のロシャという女で、その圧倒的な膂力と蛮勇で部族の人間からは戦神の化身と崇められている。
コルウス族では男も女も等しく戦士として戦う事が義務付けられている。
血に飢えた殺戮者達で周囲の部族からも恐れられている彼らをどうやってかランバルトは懐柔すると、その破壊力を最大限発揮させる為に鉄製の武具を与え、蛮族の群れとは思えない程に優れた装備を身に付けさせた。
乱れた隊形のままの行軍だが、これでも連中の普段からすれば努力している方だ。
総勢1万2千人の大軍だ。
1万人を超える数の兵が召集された事は、アルサ家の歴史の中でも今までで一度しかない。まして親衛隊もコルウス族も全て連れて行くなど初めての事だ。
それだけ、ランバルトが掛ける熱意のほどが伝わってくるというものだった。
オーレンはランバルトに再び目を向けた。
合流地点に近づくにつれてその眼に湛えていた、何かを面白がっているような熱っぽさが強くなっている。
この目を見るのがオーレンは嫌いだった。
――自分には理解出来ない瞳に湛える何かも嫌いだが、それ以上に、妹君のサーラ様があの眼を見るといつも嬉しそうに浮かべるはにかんだ笑みを思い出す―――
心が締め付けられ、無意識に手を胸にやった。
オーレンは主君の歳の離れた妹であるサーラに懸想していた。
初めてあった時はサーラは少女に過ぎなかったが、その頃からサーラの美貌はつとに知られていて、オーレンも心奪われてしまっていた。
歳を重ねる毎にサーラの美貌は増して行く一方だったが少女らしい関達さは失われず、その内外から放たれる魅力は益々抗い難くなっていった。
そして、サーラと兄ランバルトとの昵懇さは色々と良からぬ噂が立つほどだった。
――サーラ様はいつもお美しいが、その時の笑顔は特に美しい。正に絶世の美しさ。だが、決してその笑顔を私に向けてくれることはなかった。ランバルト様にしか向ける事はなかった……――
勿論、オーレンはそんな懸想を抱く事など許されないと分かっている。その事を理由に主君を厭うこともだ。
しかし、一度心に芽生えた感情を打ち消すことは困難だった。結局、他の女と連れ添う気にもなれず、未だに妻も子も居なかった。
悶々とした思いを振り払うように首を振ると、前方から伝令が近寄って来るのが見えた。国王軍の案内の使者と接触したという事だった。
報告を受けたランバルトは早速使者を迎えると労をねぎらい、案内させた。ランバルトはオーレンら家臣団を連れて縦隊の先頭へ移動した。
使者の案内に従いメール軍は行軍を続けた。一時間程軍を進めると先の方に数十人程度の人が集まっているが見えた。その内の数人が馬に乗ったまま此方に向かってきた。
ランバルトは隊列を停止させると、家臣団の中からオーレンを含む三人だけ連れて、前へ進んだ。
互いに前へ進んだため二つの集団の中間で合流する事になった。相手方の先頭に居る男はとても若く、幼さすら感じられた。兜を脱ぐと明るい茶色の髪がまろびでた。
「遠くメールから援軍に来て頂いて感謝しています、ランバルト殿」
濃い緑の瞳が此方を見据えている。その眼に湛えられた面白がっているかのような皮肉っぽい光をオーレンは見逃す事ができなかった。
その瞬間、オーレンは彼と懇意になることはないだろうと直感した。
「私がプロキオン家のジュエスです。ランバルト殿は書面を通じてご存知の事とは思いますが」
挨拶と視線を受けたランバルトが答える。目つきの楽しげな雰囲気は一層強くなっていた。
「わざわざジュエス殿ご自身に出迎えして頂けるとは望外の極みですな。正統な王の為に戦うのは臣下として当然の事です。ブリアン王はどちらにおられるのかな?」
「陛下は安全な所におられます。ランバルト殿をお待ちですから案内致しましょう」
「安全な所ですか……今はまだ私の軍に囲まれるのを危険と思われるのも無理はない。ならば早速ご説明して差し上げるとしよう。危険なのは陛下以外に対して、だとね」
ランバルトはくくっと含んだように笑った。ジュエスもにやっと笑うと馬首を翻した。ランバルトとジュエスは並んで馬を歩かせた。
早くも今後の戦略や兵站について相談しあう二人の背中を見つめながらオーレンは、サーラ様があいつの眼を見たらなんと思われるだろうか、とぼんやりと考えていた。
今は考えないようにしようと思ったが、頭を切り替えるには少し時間がかかりそうだった。
◆ ◆ ◆
国王軍と合流し、ブリアンと接見したランバルトは忠誠を誓ったがその代償として自身を正式なメール公と承認する事、同様にジュエスをリンガル公と承認する事、そして全軍の最高指揮官、つまり総司令官の地位を要求した。
ブリアンはまだランバルトを信用しておらず、ジュエスのリンガル公承認以外の何れの要求も渋ったが、ジュエスが認めるよう促したため結局受け入れられた。
ジュエスの配下からはランバルトが総司令官になる、つまりジュエスの上位に就く事に不満を漏らす者が多かったが、当のジュエス自身が説得して周り、事無きを得た。
そして、メール公ランバルト率いる2万8千の国王軍は王国奪還の為に軍事行動を開始した。
◇ ◇
ディリオン王国は四方に拡がる広大な領土を持つが、その拡張と防衛を支えていたのは独自の軍編成であった。
ディリオン軍は勇士・民兵・傭兵から編成されていた。
勇士は下級貴族で彼らは戦う事が社会的な任務とし、日々戦闘訓練に従事していた。
勇士は従軍の際には装備は自弁で持ち寄って戦った。大部分は重装歩兵であるが、より裕福な勇士は軍馬を維持し騎兵として参陣し騎士と呼ばれた。
大貴族や騎士の中には配下の勇士や見どころのある平民に武具や馬を与えて個人的な護衛部隊を編成する事も珍しくなかった。公ともなれば一千人を超す大規模な護衛部隊を保有している事もあった。
ただ騎兵として戦うには騎乗という技術を習得せねばならず、、騎兵戦力は限られており、強力でありながらも主戦力足り得ないという板挟みの状態にあった。
民兵は主に平民から集められた徴収部隊であった。それぞれ従属している領主や勇士の下に集められ、支給された装備を身に付けた。勿論、戦闘経験を持つ者は少なく、士気も練度も高いとは言えなかった。
比較的裕福な者は自弁の装備を身に付け、また例外的ではあるが、貴族や勇士達が自身の手勢として日頃から編成している場合もあった。
しかし、メール軍はディリオン王国の一般的な軍とは様相が大きく異なっていた。
メール軍は士官から一兵卒まで精兵で高い士気と錬度を誇った。それにはメール地方独自の事情が大きく影響していた。つまり辺境ならではの常在戦場の日々と身分の上下に依らない軍編成がその源であった。
植民から間もなく、アルサ家も元々辺境の零細領主であった為、著しく勇士階級の少ないメール地方では召集した平民に良質な武具を与え訓練する事でその代替としていた。
さらに婚姻政策で吸収した諸部族の有力者の子弟を当主の手勢や護衛部隊として組み込む事で傘下部族の軍事力を奪うと同時に一種の人質としていた。
ランバルトが当主となって以降、メールの豊かな土地の生み出す経済力と鉱物資源を背景にこの政策をさらに推し進めた。
召集兵を事実上の常備軍とする事で自由に扱う事の出来る強力な戦力を確保することが出来た。
しかし、その分兵力数は少なく、補充はさらに難しかった。
また、メールはその発展の経緯や周辺の状況から宗主アルサ家の力が相対的に強く、家臣の殆どは兵といえる兵を持たなかった。
家臣たちは必要に応じてアルサ家が集めて鍛えた兵を借り受けるだけだった。
シュタイン家の様な有力な古参家臣でも無いと手勢を保有しないが、それでも、手勢が三桁を越える事はなかった。
メール兵の主力は重装歩兵で鉄製の兜、鎖帷子の短衣、上半身をすっぽり覆い隠せる円形の大盾、三メートルの長槍を装備している。その円形の大盾から重装歩兵と呼称されている。
選りすぐりの精鋭部隊である親衛隊も同様に重装歩兵から編成され、その装備はさらに重装備である。
軽歩兵として弓兵・投石兵・投槍兵部隊も少数ながら編成され、主に特殊な技能を持つ同盟部族から集められている。
騎兵は裕福な貴族や勇士は鎧を身に纏った重装騎兵として従軍するが、大部分は小型の盾と投槍を装備しただけの軽装騎兵である。
これらの軽装騎兵は総称して軽騎兵と呼ばれ、同盟部族の子弟か乗馬技能を持つ平民から編成されており、山岳地帯で鍛えられた機動力を駆使して偵察・斥候・側面攻撃を主な任務とする。
プロキオン家も含めた一般的なディリオン軍の戦法と異なり、メール軍は重装歩兵による突撃がその主軸に据えられている。
重装歩兵は通常3百人で一つの方陣を構成した。大盾を並べ、その間から槍を突き出した鉄の方陣で突撃し、その圧力をもって敵陣を蹂躙するのだ。
騎兵は軽装である事からも分かるように、その機動力を生かして敵軍の側面や背面に回りこむ事が第一の任務となっている。
騎兵隊は小部隊に分かれて配置するのではなく、纏めて左右の両翼に配置された。
そして、メール軍最大の強みは厳しい訓練と辺境での日常的な戦闘経験の中で培われた機動力である。
重装の歩兵を主力とするにも関わらず発揮される戦略・戦術面の機動力は相手の不意を突き、自軍に有利な地点を制圧することが出来た。
メール軍は従属させた部族の兵をそのまま軍に編入する事は稀だった。基本時には部族の支配力や影響力を減少させる為に各部隊に散らして再編することが常だった。
しかし、強さと凶暴性に於いて異彩を放っているが故にコルウス族だけは部族単位での部隊編成が許されていた。
コルウス族は古の戦神を崇める狂戦士集団で、より強い敵を戦場で殺す事を至上としている。部族民は老若男女の区別無く、戦士として戦う事が求められている。
メールの山々では体験できない戦場へ連れて行くことを条件にランバルトは彼らを配下に収めることに成功した。
メール地方の諸部族からも恐れられる辺境の山岳民族であるコルウス族は戦場に着くまでは馬で素早く移動し、到着すると下馬して戦う戦法を取る。山林であろうと河川であろうと乗り越え、敵を見つけると襲い掛かっていく。
それまでは青銅製の古びた武具しか保有していなかったが、メール軍に所属するようになって鋼鉄製の武器を与えられ、戦闘力が跳ね上がっていた。
これら従来のディリオン軍とは全く異なる様相のメール兵が一体どれ程の戦果を上げ、戦いに貢献出来るのか。その事はこの時点では神のみぞ知る事であった。
◇ ◇
◇ ◇
クラウリム軍もコーア地方平定の大詰めを迎えようとしていた。ライトリム公攻撃に向かったハウゼンからコーア地方の平定を任されていたクラウリム軍指揮官の平民出身のダロスは、ブリアン一派をコーアから撃退する為に進軍を開始した。
ハウゼンの後ろ盾のもとにケイトセンが継承したマールーン家を中核とするコーア兵一万を含むクラウリム軍二万五千がコーア東部の拠点グラスローに迫っていた。
勿論、ハウゼンもダロスもブリアン派が新たな援軍を得たことは知っていた。しかし、ここまで追い詰められた状況ならば多少兵力が増した所で大局は変わらないと判断した上での行動だった。クラウリム勢、というより殆ど全てのディリオン人にとってメールは辺境の零細植民地という認識でしか無く、彼らの軍勢もどれ程の脅威になるものかと侮っていたのだった。
対するランバルトはクラウリム軍の接近を知り、拠点に篭っての防衛戦ではなく積極的に打って出て、野戦を挑むことを決めた。
ランバルトは総司令官に就任してとは言え軍の中では新参であり、能力も人格も交渉の中でジュエスが知っている以外は誰にも知られておらず、その実力は疑問視されていた。
その為に軍を掌握する必要からも自身の力量を示す必要があるとランバルトは考えていた。つまり今回の戦いは軍事的な目的以上に政治的な目的から挑んだ戦いだった。
ランバルトはジュエス率いるリンガル軍を西進させてクラウリム軍を引き付ける一方で自らはメール軍を直卒し、素早く北から回り込んでクラウリム軍を挟撃した。
ダロスは接近してきたジュエス率いる部隊に完全に気を取られていた。これまでしのぎを削って戦ってきた好敵手は新参のメール軍ではなくジュエスのリンガル兵なのだから致し方無い部分があった。メール兵の進軍速度もその破壊力も全く警戒しておらず、ランバルトによる奇襲を成功させてしまった。
兵数でも戦術的優位さでも劣ったクラウリム軍は完敗を喫し、敗走した。
鮮やかな勝利と見事な指揮ぶりに、反抗的な幹部もランバルトの力量を認めざるを得なかった。
立場が逆転して敗走を強いられたクラウリム軍は今度は自分たちが現地勢力の離反に苦しむようになっていた。
コーア人にしてみれば余所者同士で戦いあっているのだから、勝ち馬に乗ろうとするのは当然だった。
指揮官ダロスは援軍無しにコーア地方を維持する事は不可能だと判断し、クラウリム地方への後退を決めた。
しかし、ケイトセンはコーアから離れることを拒否し、自領であるオリュトスに篭城すると主張した。
公都を捨てて離れればコーア人からの自身への支持は決定的に失われると恐れ、またハウゼンの後ろ盾有ってのコーア公位であった為にブリアン派へ寝返る事も出来ず、篭城を選んだのだった。
前回、国王軍に包囲された時もハウゼン公が来援するまで持ちこたえる事が出来た事も篭城を決めた一因となっていた。
クラウリム軍を撃破した国王軍はその後も快進撃を続け、守備軍を蹴散らし、クラウリム側からの離反者を吸収しながら翌月には公都オリュトスに到達した。
ランバルトは当初オリュトス攻囲を考えていた。コーア最大の拠点であるオリュトスは何としてでも獲得する必要があった。
包囲の準備も整えながら進軍していたが、突如オリュトスは開城し、降伏を申し入れてきた。降伏の使者はケイトセンの首を携えていた。
コーア公ケイトセンはオリュトスに篭城を決めたが、配下の多くは強権的なケイトセンに嫌気が差していた。
コーア貴族の一人であるピュリア家のフレオンは反乱の機運を察知して、緒将を纏め、ケイトセンへの反乱を起こしたのだった。
反乱は成功し、ケイトセンの首は刎ねられた。
フレオン以外の緒将は降伏する以外に今後の確たる方針も無く反乱を起していた。また、国王軍に寝返ったとしても今更受け入れられるだろうかという不安があった。
オリュトス勢の指導者として主導権を握っていたフレオンが全権を委任され、自ら使者として交渉に赴いてた。
そして、一見害の無さそうな人間程その内面は危険なものである。若き貴族はそのことを思い知る―――
◆ ◆ ◆
【新暦659年8月 オリュトス近郊 リンガル公ジュエス】
急遽建てられた司令官用天幕の中には数人の将官がいる他には将几が幾つか置かれているだけだった。
将几に腰掛けているのは、司令官ランバルト、主要幹部であるジュエス、オーレン、ハルマナスだけであった。
戦場であるので普段なら出張ってくるブリアンや廷臣達は不在である。
彼らと向かい、一人の男が小脇に箱を抱えて立っていた。
自らをピュリア家のフレオンと名乗ったこの男は中肉中背で頭も薄くなり、目も小さく茫洋とした実に印象に残らない風貌だった。
精悍なランバルトや剛毅なオーレン、長老然としているハルマナスと比べると記憶からかき消されそうであった。
――若い僕と見比べている三人からすれば、尚更だろうな――
ランバルトらとフレオンを交互に眺めながらジュエスは思った。
「それでフレオン殿。オリュトスからの使者ということだが、どの様な用件かな?」
ランバルトは佇むフレオンに尋ねた。
用件など降伏の交渉に決まっている。ランバルトもそんなことは百も承知だ。
交渉の主導権を握る為に、降伏の意志を明確にさせようとしているのだ。
「此方の"品"をご覧頂きたく、オリュトスの代表として参りました」
フレオンは抱えていた箱を開け、中から黒味がかった塊を取り出した。
血とタールの臭いが鼻を突く。戦場を往来していても決して慣れないあの臭いだ。
塊が引き上げられ、箱から"顔を出す"と正体が判明した。
ケイトセンとは戦争前にも何度か会ったことがある。
鼻持ちならない、些かも気に入る事の無い奴だったが、それでも肩から下が無いとなると同情は禁じえなかった。
同時にフレオンはオリュトスのコーア諸領主の連判状も手渡した。フレオンが領主連の代表であり、交渉は彼が責任を負うと記されている。
検分を終えても暫くの間はランバルトもフレオンも黙っていた。
再びランバルトが口を開く。
「君の土産は分かった。代償として何が欲しいのか?」
「領主連の所領安堵をお願い申し上げます、閣下」
蓋を閉じた箱を脇に下ろし、フレオンは頭を下げた。
「所領安堵か。いいだろう、安堵されるよう計らおう」
フレオンから渡された連判状を広げながらランバルトは言った。
「代表と言ったが、それはオリュトスの代表としてか? それともより広い地域の代表としてか?」
「どちらなりと閣下のお望みの方だと思って頂いて構いません。先ほどの書状で御不満なのでしたら新たに連判者の名簿をお作りいたしましょう」
ランバルトの目に面白がるような光が灯ったようにジュエスは感じた。
「そうか、ではフレオン殿、君が代表している領主連についてもそれぞれの人為りについても教えて貰えるだろうな?」
フレオンは身動ぎもせずにランバルトの視線を受けている。
へつらいや媚びはフレオンからは感じられず、奇妙な素直さと確信めいた自信とが伝わってくるだけだ。
「勿論です、閣下。人為りとは例えばクル家のウェインがブリアン陛下のお命を狙っているような人物だという事等で宜しいでしょうか?」
と言いながら懐から丸められた小さな紙片を取り出した。
その紙片にはクル家のウェインがケイトセンからのブリアン暗殺命令を承諾する旨の内容が本人の署名付きで書かれていた。
クル家のウェインとはつい先頃降ったコーアの小領主だった。
手紙を内容を見たオーレンやハルマナスは血相を変えていたが、動揺した素振りも見せずランバルトは目に湛えた光を一層強めてフレオンに言った。
「なるほど、代表として交渉の責を負うだけのことはある。コーアの事は君に任せた方が王土の平和の為になりそうだな。色々と力を貸して貰おうか、フレオン」
フレオンは深々と一礼した。その表情も態度も色一つ変わる事無く、ふてぶてしい程だ。
――こんな冴えない見かけしてる癖に何て大胆な野郎なんだ! 一瞬でコーアを掻っ攫って行きやがった!――
ジュエスは感嘆を禁じえなかった。
フレオンは連判状によって主君への反乱を取り纏められる指導力、ケイトセンの首によって計画を実行出来る行動力、そして密書を取り出す事でコーア全域に渡る諜報力を持っていることを示して見せた。
密書はケイトセンは殺した際に手に入れたのだろうが、此れほどの機密文書ですら手中に収めることが自分には出来ると言っているに等しい。
勿論、裏取りをしていない以上、彼の発言も書類も全て嘘であるかもしれない。
だが、それを武器に単身でやって来た度胸はランバルトの好む所の筈だ。
ランバルトの性格まで計算しての行動だと言われても最早驚くまい。
加えて言えば、我々が申し出を断る事は無いと踏んだ上での行動に違いない。
コーア人にとって余所者である我々にはコーアの情報や現地人を掌握出来る味方は喉から手が出るほど欲しかった。
また、ハウゼンに味方してオリュトスを維持するよりオリュトスを明け渡す方が相手に与える戦略的効果は大きく、交渉の材料としてより有意義だ。
奴の思惑通り申し出を我々は受け入れた。
そして、連判状に名を連ねた領主はフレオンの取り成しで保身に成功した以上、今後も彼を頼る事になる。
名を連ねなかった領主は滅ぼされない為に仲介者たるフレオンに接近する必要がある。
そうなれば自然、我々もフレオンを交渉の仲介として使うだろうし、それにより一層フレオンの立場は強化される事になる。
フレオンは最初から自らのコーアに於ける立場の強化に使うつもりで、この交渉を企図したのだろう。
恐らくケイトセンを殺したのも、領主連を巻き込んだのも、単身でやって来たのも、全て初めから織り込み済みだったのだ。
賭けで合っても分の悪い賭けではない。
――そして、奴は賭けに勝ったのだ。――
フレオンは代わること無く立ち続けている。
自分が散々苦労した挙句遂に手に入れる事は出来なかったコーアをあっと言う間に手に入れたこの中年男に、ジュエスは薄ら寒さを覚えていた。
◆ ◆ ◆
ランバルトとの交渉の結果、降伏の受け入れと領主の土地安堵が認められた。ブリアン暗殺の企みも未然に食止めた功績も認められてのことだった。
さらにフレオンは交渉の仲介を担当する事で、今の自らの立場を強化する事に成功した。
コーア人は国王軍に接触したければフレオンを通す事になり、逆に国王軍はフレオンを通じてコーア人を掌握する事になった。
フレオンは主のいなくなったオリュトスの管理も任され、事実上コーア貴族の首座を占めることになった。ランバルトはフレオンの才覚と度胸を認めて取り立てたのだった。
しかし、このような軍事を超えた段階の事案をランバルトが独断で処理してしまうことは以後小さからぬ問題を引き起こしていくことになった。
◇ ◇
国王軍はコーア地方の大部分を手中に収めた。だが撃破したクラウリム軍は一方面軍に過ぎず、ハウゼン率いる本隊は未だ健在であった。
キャライラストは iri000(https://www.lancers.jp/profile/iri000)さんに描いて頂きました
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