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ディリオン群雄伝~王国の興亡~ (修正版)  作者: Rima
第一部 第一章『崩壊』
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『激化する内戦』

 諸侯同盟(アリストクラティオン)の分裂以降、内戦は激化の一途を辿っていった。攻守を変え、陣営を変え、彼らは一層激しい戦いへと身を投じていった。


 幾つも現れた変化の中で最も影響を及ぼしたのはクラウリム公ハウゼンが内戦に参入した事であった。

 宰相を罷免された後、国王派にも諸侯同盟にも加わる事なく王都の反乱の際にも動かなかったハウゼンであったが、彼もまたブルメウス王が落命するような事態になるとは考えていなかった。

 ハウゼンは戦力的には国王派も諸侯同盟も同程度である為に状況が拮抗した時点で無傷のクラウリム軍を用いて両陣営に優位な立場で交渉を取り仕切ろうと考えていた。


 しかし、結果的に国王派は大敗し、王都の反乱でブルメウス王も殺されてしまった。

 政治方針で対立するブリアン王子を支持する事は出来ず、諸侯同盟の王都制圧とそれに伴う流血を見たハウゼンはついに決心し、自ら王国の覇権を手に入れて理想の統治を敷く事を選んだのだった。



 新暦659年3月、王国の覇権を求めたクラウリム公ハウゼンは勢力拡大に着手した。

 西のスレイン公とは中立を維持して背後の安全を確保しつつ、東方のコーア地方からの援軍要請に応じてブリアン派の国王軍(ドミニオン)を攻撃した。


 ケイズの子ケイトセンが支配するコーア公都オリュトスはジュエス率いる国王軍2万5千に包囲されていた。

 オリュトス軍は野戦でも攻城戦でも劣勢で、オリュトスの陥落は目前であった。


 だがその時、西から軍勢が現れた。ハウゼンは自ら3万の兵を率いてコーアに進軍すると、素早くオリュトス近郊まで接近した。

 クラウリム軍の急接近にジュエスが気付いた時には包囲を解いて撤退するだけの猶予が無く、クラウリム軍とオリュトスから打って出たケイトセン軍の攻撃を受け、大きな損害を出しながら後退した。


 ただし、損害の殆どはコーア兵やハルト兵でプロキオン家の兵の被害は少数だった。フィステルスと同様にジュエスは新参のコーア兵がを囮として使い、子飼いの兵の損害を極めて低く抑えていた。

 それどころか追撃するクラウリム軍に逆撃を加えて強かな打撃を与えていた。


 しかし、国王軍のオリュトス攻撃失敗とクラウリム公ハウゼンの参戦はコーア地方を揺るがし、国王軍の傘下に入ったコーア諸勢力の多くが離反しハウゼンの下へ走った。


 国王軍は後退を続け、グラスローまで後退を強いられた。国王軍のコーア地方最初の拠点となったグラスローもハウゼン公の名声の前に、ブリアンへの支持を撤回しようとする声が大きくなっていた。


 新暦659年6月、コーア地方への進出に成功したハウゼンは後方から召集した援軍や傘下に加えたコーア人と合流すると、配下の将平民出身(ノヴィ・ホミネス)のダロスに兵を与え現地の平定と国王軍への対処を任せて、自身は主力を率いて南の大諸侯ライトリム公を攻撃に向かった。

 レグニット公がライトリム公の戦争に突入するに到り、対ライトリム包囲網を結成する為にハウゼンに同盟を申し入れ、ハウゼンはそれを受け入れたのだった。



 四方から攻撃を受けるライトリム公だったが、王都を含むハルト地方の諸都市は豊かで、豊富な軍資金や兵力を確保できていた。その経済力を背景に周辺諸侯と互角に戦っていた。

 その資金力は前線を支える兵を集め養うだけでなく、敵陣の不和を煽り、反乱を使嗾する事が出来た。特に元々団結力の弱いレグニット公との戦いで効力を発揮し、戦況は一進一退だった。


 さらにフェルリアのサレンが今まで掲げていたブルメウス王支持の旗を降ろして新王リメリオ支持を表明し、ベンテスとの同盟を申し出た。

 ベンテスはヒュノーを既に敵側と認識しており、その対抗馬とする為にそれまでの遺恨を忘れてサレンとの同盟を受諾した。


 ヒュノーは当初レグニット公との新たな同盟を渋っていたが、戦闘中のサレンがライトリム公に組したこと、対ライトリム同盟にクラウリム公ハウゼンが参加したことを受けてレグニット公の同盟に加わった。



 戦いは新たな参入者を向かえ、混迷の度合いを深めていった。

 そして加わる者がいれば、消え去る者もいる。


 フェルリアの暴君サレンはその岐路に立たされていた。


挿絵(By みてみん)



 サレンは旧フェルリア公支持者の造反を叩き潰し、フェルリア全域の平定に成功していた。平定までには多くの貴族や勇士(ミリテス)が戦いや処刑で命を失い、血が流された。


 サレンは多くの場合例え相手が降伏しても粛清の鎌を鈍らせる事は無く、その財産や土地を没収した。

 そしてそれらの土地を配下の盗賊崩れやならず者に分け与え、勇士(ミリテス)として抜擢した。

 兵を増加させたサレンは軍を維持する為にも周辺地域への略奪行に向かった。隣接するライトリムやバレッタが主な標的となっていた。


 さらなる拡張を求めたサレンはバレッタ地方へ進軍した。ライトリムは強大であり、攻めるならばトルシカ公の敗北で弱体化した筈のバレッタ地方をと考えたのであった。


 当時のバレッタはヒュノーが残したハルト兵が防衛していたが、彼らは地理に疎く、余所者と言う事で現地民からも十分な協力を得られないでいた。

 その為から当初サレンは優勢に軍を進めていたが、ヒュノーが王都ユニオンからバレッタ兵を引き連れて帰還すると兵力差や練度から徐々に劣勢になり、フェルリア地方へ追い返されてしまった。


 劣勢を覆す為に他勢力との同盟を望んだサレンは、それまでのブルメウス王支持をあっさり撤回するとリメリオ王支持を明言し、敵であった筈のライトリム公と新たに同盟を結んだのだった。

 新たな戦いを目の前に控えたライトリム公にとってもこの同盟は有り難いものであり、悪名高いサレンとの同盟であっても受け入れられた。


 新暦659年5月、ライトリム公から支援を受けたサレンは大軍を召集し、再度バレッタへの侵攻を開始した。

 今度は国境地域の奪取や略奪が目的では無く、バレッタ地方全域の占領と平定を目的とした侵攻であった。

 4万の軍勢を従えたサレンは一路バレッタ公都レンブルクを目指して北上した。途上の街や村は漏れなく略奪の憂き目に合い、田畑は焼き討ちされた。


 サレンの配下は股肱の臣でも譜代でも何でも無く、能力は有っても忠誠心など少しも期待できない無法者ばかりであった。

 サレンが略奪と殺戮を行動の根幹に据えていたのは、個人的な嗜好もあったがそれ以上に部下の無法者共を繋ぎ留めるためには彼らの欲望を満たさせておく必要があったからだった。サレンの悪名も半ばは部下達が好き勝手に略奪した結果ではあったとも言えた。


 サレン軍の再侵攻を受けたヒュノーはバレッタ兵を主力とする3万の軍を率いて迎撃に向かった。

 バレッタ軍はレンブルクと国境の中間に位置するコントリア川の辺に布陣し、サレン軍を迎え撃った。


 戦場となるコントリア川は川幅二十メートル、深さは腰までと徒歩で渡河可能な川であるが、バレッタ側である北岸は小高い土手となっており、それが数キロメートルに渡って続いていた。

 ヒュノーはコントリアの河川と土手を天然の堡塁として利用し、防御の態勢を整えた。


 コントリア川に到達したサレンは対岸に布陣するバレッタ軍を見ると、危険を承知で強引に渡河を図った。川が歩いて渡れる以上、迂回して余計な手間を掛けるより良いと判断したからだった。

 対するバレッタ軍は土手の頂上に弓兵と投石兵を配置し、川を押し渡ろうとするサレン軍を釣瓶打ちにした。


 サレンは数度に渡り渡河攻撃を仕掛けるが、その都度弓矢や投石の雨の前に跳ね返され、結局800人の死体を川底に残して渡河を断念した。強引な判断の代償は決して小さくなかった。


 強行渡河に失敗したサレンは岸辺に馬車や柵による防壁を作り、守りに入った。結局、正面攻撃の方針を断念し、バレッタ軍を引きずり出す方針へと転換したのだった。

 サレンは500人程度の小規模部隊を幾つも編成し、コントリア川を迂回渡河させた。

 派遣部隊はバレッタ軍の背後に広く展開して略奪・焼き討ちして回り、バレッタ軍の兵站を圧迫した。

 事態を知ったヒュノーも迎撃部隊を派遣するが、サレン軍の略奪部隊は盗賊・山賊出身の兵から構成されており、彼らは戦闘力は低いものの動きが軽快で敵軍の接近を知るとすぐに逃げてしまうので追いつくことが出来ずにいた。


 迎撃の甲斐なく兵站を圧迫されたバレッタ軍は後退するか、物資が尽きる前に攻撃に打って出るかの選択を迫られていた。

 司令官ヒュノーは渡河攻撃に懸念を示し、後退を考えていた。渡河攻撃が危険なのは衆知の事実であり、コントリア川でも同様であるとバレッタ軍自身が証明してみせていたから理のある判断であった。

 しかし、バレッタ地方の有力貴族であるキンメル家のレオニーが強硬に攻撃を主張し、他の貴族や勇士(ミリテス)もこれに賛同した。

 彼らは故郷を荒らすサレンに大変な憤りを覚えており、一刻も早くサレンを打ち破り平和を回復したいと考えていた。その怒りは消極策を取ろうとするヒュノーにも向かいつつあった。

 所詮は余所者であるヒュノーとしては現地勢力との対立は何よりも避けねばならない事だった。

 結局、ヒュノーは押し切られる形で攻撃を決定した。


 払暁を期してバレッタ軍はレオニー率いるキンメル家兵ら二千名を先頭にコントリア川を渡河し、サレン軍の陣地へ向け殺到した。

 バレッタ軍の突撃を受けてサレン軍は急造の防壁を放棄して後方へ撤退していった。


 勝ち誇るバレッタ軍は何の疑いも持たずに防壁を突破して追撃を掛けた。

 そして所詮惰弱な賊徒集団に過ぎ無かった、と見下して警戒を怠ってしまっていた。

 だがバレッタ軍が防壁を乗り越えて追っていった先には密かにサレンが建設させていた落とし穴や馬防柵、堀、弓兵を配置した射撃台が待ち構えていた。

 バレッタ軍は完全に罠に嵌り混乱に陥った。後ろから殺到する友軍が混乱に拍車を掛けた。サレンはバレッタ軍が混乱したのを見ると素早く反撃を行い、敵軍に多くの損害を強いた。

 サレン軍の罠と反撃でバレッタ軍は総崩れになりかけていた。


 しかし、その時ヒュノーが手勢を率いて救援に駆けつけた。正面衝突ではやはり歴戦のヒュノー軍の力は確かなものがあり、サレン軍の攻撃を押し戻されていった。

 これ以上の戦いは不可能だと判断したヒュノーは壊滅した味方部隊を収容しつつコントリア川を渡って撤退した。

 この一連の戦いでバレッタ軍は先陣を切って攻撃したレオニーを始め3千人の死者とそれに倍する負傷者を出した。


 コントリア川の戦いはバレッタ軍・サレン軍双方とも多くの死者を出したが、最終的に撤退したバレッタ軍の敗北となった。


 バレッタ軍に勝利したサレンはレンブルクへ向けて再び進軍を開始した。

 だが進軍したはいいものの問題が発生した。既に近辺は派遣した略奪部隊が焼き討ちしてしまっていたので物資が手に入らなかったのだ。

 サレンは本陣には3万程の兵を残して物資徴収の為に各地に部隊を派遣した。

 兵力が少なくなったにも関わらず勝利に驕るサレンはそれまでの警戒心が薄れてしまい、油断しきっていた。碌に斥候も出さず、野営中の歩哨すら配置を怠る有様であった。

 冷静な判断の欠如には大きな代償を支払う事になると幾つもの例を見てきたにも関わらず、彼は油断していた。


 一方、コントリア川から退いたヒュノーであったが、そのまま後退し続けていたわけでは無く反撃の機を伺っていた。

 斥候の情報からサレン軍が油断しきっている事を知ったヒュノーは子飼いの兵を中心とした5000人の精鋭部隊を引き連れ、夜襲を敢行した。


 全く攻撃を警戒していなかったサレン軍はバレッタ軍の奇襲を受けて一撃で粉砕されてしまった。

 バレッタ軍の戦力を誤認したサレンが護衛兵を引き連れて真っ先に逃げ出すと、もはや軍としての体裁は保てず崩壊してしまった。


 攻撃を受けてから一時間足らずで野営地には勝ち誇るバレッタ兵とサレン軍の死体しか残らない有様だった。

 ただし、サレン軍の大半は逃亡・離散しており、戦死した兵はむしろ少数だった。


 快勝に沸くバレッタ軍だったが、潰走したサレン軍の追撃はできなかった。

 コントリア川での痛手もあったがサレン軍の別働隊や徴発部隊が早くも盗賊化して暴れまわっており、こちらの対処に迫られたからであった。

 ヒュノーもバレッタ人の支持を意識して、当地の治安維持を優先する意向を示していた。


 サレンは1千人近くまで減少した軍勢を率いて公都ウォルマーまで撤退した。

 その惨状は見るも無残で、敗残兵というより難民の群れといった方が正確な程だった。


 サレンは再起を図り兵と軍資金の徴収を行うが、フェルリア人に強い反抗を受け、徴収は難航した。

 この厄介な事態の中でサレンはある報告を受けて愕然とすることになる。


 南の大国メガリスがフェルリア地方に侵攻してきたのだった。


 この侵攻はメガリス王国が力ずくで攻め込んできた結果ではなく、サレンのフェルリアに対する掌握力の低下の結果だった。


 最初にメガリスに味方したのはベルガラ城だった。

 ベルガラはメガリスとの国境にある城砦都市で、ブラウ川河口のセレーノ市と連携する事でメガリスからの侵略を抑え続けてきた要衝であった。

 その為、多くの領主や貴族を粛清してきたサレンもベルガラ領主に対しては融和的態度で接し、地位・領土を安堵していた。


 ベルガラ領主であるベルガル家のレッドスはサレン支配下では反抗せず、ベルガラの守備だけを黙々と行っていた。

 しかし、サレンの失墜とディリオン王国の崩壊を見たレッドスはもしメガリスとの戦争が始まれば孤立することになると恐れ、そうなる前に安全を確保しようと地位・領土の保全を条件にメガリスに服属したのだった。


 ベルガラの離反とメガリス軍の侵攻はフェルリアの諸勢力に連鎖的な寝返りを引き起こした。離反者はメガリス軍と合流し、フェルリア各地を制圧していった。

 反サレン派の人間だけでなく、サレンによって取り立てられた勇士(ミリテス)や領主もその大多数が離反した。

 皮肉な事にむしろ元々サレン支持者だった者の方が新たな支配者の歓心を買うために熱心にメガリスの為に戦った。


 サレンは公都ウォルマーを追い出され、本拠セレーノへ逃げ延びようとした。しかし、セレーノは辿り着いたときには既にメガリス軍の包囲下にあった。

 進退極まったサレンは持てる限りの金貨・宝石と少数の護衛兵と共に同盟者であるライトリム公の下へ亡命を図った。


 サレンは亡命の最中、配下の兵士に裏切られ殺された。

 歴史の表面に於いて、サレンという男は単なる暴君としてしかその名は知られていない。

 彼の暴挙そのものは時代という湖に投げ込まれた小石に過ぎない。その波紋はディリオン王国の運命を大きく変える事になったと気付いた者も極僅かだった。

 しかし、確実に彼は歴史に分岐点を与えた存在だった。その後の道筋が良いか悪いかは兎も角だと言うことを無視すれば、ではあったが。


 ◇ ◇



挿絵(By みてみん)


 メガリス王国は南方のメガロ海沿岸を拠点とする国家である。元は沿岸部の一部族に過ぎなかったが、天然の良港ギデオンを手に入れてからは艦船を整備し、海運力を用いて諸国を征服した。


 メガロ海からローランディア河やブラウ川を下ってエルドニアの平原やペラール港を支配し、更なる力を得たが諸国平定の勢いに乗ったディリオン王国と接触し、以後は大陸の覇権を巡って戦い続けている。


 メガリスは"氏族"による特殊な擬似血縁集団を社会の基盤としている。

 それぞれの氏族の長は首長と呼ばれている。大氏族は自らの氏族名を与える事で他の氏族を傘下に加えていった。

 同じ氏族名を持つ氏族は互いに助け合う慣習があった。大氏族は傘下の従属氏族を守り、従属氏族は大氏族の求めに応じて戦った。


 この氏族制度の強固さが南方蛮族との最大の違いであり、メガリスを単なる部族集団から国家へと進化させている所以であった。


 メガリス王は他の大氏族と擬似血縁関係にある"大首長"であり、極端に言えばメガリス王家であるバルター氏族も首長家の一つでしかないのだった。

 ディリオン王国のように王家に従属するのではなく、家長に協力するという感覚に近かった。


 この時期メガリス王国はディリオン王国との戦いは辺境の小競り合いのみに留め、ディリオン王国の動乱に際しても動きを見せていなかった。

 大挙して領内に侵入してきた南方蛮族の対処を優先していたからであった。


 旱魃や豪雨などの天候不順による飢饉に見舞われた南方の諸部族が食い扶持を求めてメガリス王国に侵入していた。

 彼らの農業技術・保存食技術は未発達で一度天候が崩れ、収穫量が変動すると対応する事が出来ず、外部に食糧を奪いに行く他無かった。

 外部といっても殆どの場合は部族間での略奪の応酬で収まっていて、メガリスやラトリア等の地域にまで進出してくる事は稀であった。


 今回の飢饉は一際強烈でどの部族にも奪い奪われるだけの食糧が無かった。窮地に陥った南方諸部族は生き延びる為に徒党を組み、豊かな地方へ、つまりメガリスへ掠奪行に向かう事を決めたのだった。

 掠奪行といっても女子供も引き連れての大移動である。

 大小幾つもの集団が存在したが、大部族であったテイム族、ムカール族、ファウ族が中核となりそれぞれ巨大な集団を構成していた。



 新暦655年、総数五十万人とも百万人とも言われる南方蛮族の集団はローランディア川・キュラス川を越え、メガリス王国領内に侵入して各地を掠奪し、幾つもの町や村を廃墟に変えながら王国で最も栄える王都ギデオンに迫る勢いだった。

 メガリス側も大規模な討伐軍を編成し、王弟セファロスら幾人もの将軍を討伐に派遣した。数年に渡る戦いの後、ついに蛮族軍の大部分を討滅し、平和を回復しつつあった。


 その時、フェルリア人が敗北したサレンを見捨ててメガリスに庇護を求めたのだった。

 メガリス王国内にはまだ蛮族軍の残党が燻っており、本格的な参戦は出来なかったが、フェルリアに一万人の部隊を派遣し、現地人の協力を得ながら平定を行った。

 最終的にセレーノ、ウォルマーが降伏し、フェルリア全土がメガリス王国の勢力圏内に入った。


 メガリス王国にとって史上初のディリオン王国領の占領であった。


 お読み下さり本当に有難う御座います。

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