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ディリオン群雄伝~王国の興亡~ (修正版)  作者: Rima
第一部 第四章『盛者』
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『荒神・五 ~サンタレン湖畔の会戦~』

 エステドーナでの会戦を知ったジュエスは自己の思惑が適中したと考えた。セファロスが組み立てた戦ではない、自分達が誘導した通りの戦になりつつあると判断した。ジュエスはプロキオン軍を率いて反転、セファロスを挟撃すべく進軍した。

 だが、そこでジュエスにもたらされたのがエステドーナでの敗戦である。セファロス直卒部隊だけがこちらへ向かっているとも偵察からは報告された。

 ジュエスは戦いを選択した。例え挟撃ではなかろうと、経とう奇襲でもなかろうと、自らの意思で戦場へ向かった。


 決戦場にはサンタレン湖の畔を選んだ。

 サンタレン湖は数多いフェルリア地方の湖の中でも最大のものの一つである。湖面上は霧や靄に包まれている事も稀ではないが、基本的に見張らしは良く畔は開けており、騎兵の活動に支障を来すことは無かった。

 その湖畔で待ち受ける様にプロキオン軍は布陣した。これまではセファロスの望む時・望む場所で戦いを仕掛けられてきたが今度は違う、セファロスの戦闘欲を煽り立てる事で自分達の望む戦場へ引き摺りだした、今度こそ主導権を握ったのだ、とジュエスは確信していた。


 サンタレン湖に布陣するディリオン軍9千8百人はリンガル公ジュエス麾下のプロキオン軍将兵だけである。信奉する主に従いいずれも高い戦意を保ち、今こそ仇敵を破る時であると意気込んでいた。カッシアの会戦での損失も決して少ないものではないが、それを微塵も感じさせない士気の高さが戦陣には満ちていた。

 サンタレン湖を右手に控え、右翼には平民出身(ノヴィ・ホミネス)のトクタム・カルコン家のネフノス・ハルマン家のミュハールら選抜歩兵(ペゼタイロイ)3千人が展開した。

 中央は副将クレア家のセルギリウス・プラー家のフェイス・バウフェン家のマリウス・マレザール家のティムロスら選抜歩兵(ペゼタイロイ)5千人が布陣した。彼らは厚めの戦列を敷いているが、これは防御よりも圧力を高めて突破を目論んでの事である。

 左翼はリンガル公ジュエス自ら率いる選抜騎兵(ヘタイロイ)1千5百騎・軽騎兵(プロドロモイ)3百騎がニールトン家のコンスタンス・トリックス家のセイオン・プラー家のフェリシオンらとと共にあり、軍勢の主攻撃部隊として敵軍の蹂躙を狙っていた。


 メガリス軍7千8百人はメガリス王セファロスと共にエステドーナから休むこと無く戦場を移している。だが、そこには一片の疲労も見られず、戦いの満足感を得ようとする狂った喜びだけが渦巻いていた。

 7千人の"踊手(バイラドール)"がディリオン軍と対面するように戦列を構成し、その中央部にはセファロスと"赤服ローパ・ヴェルメーリャ"7百人が姿を隠すこともなく布陣した。コルウス族の生き残り百人は最左翼の戦列後方に配置された。


挿絵(By みてみん)


 両軍はどちらから先に攻めるともなく、或いは先を争ってと言うべきか、迷うこと無く軍勢を前進させた。

 煌めく白刃の輝きは薄くなった靄の中ではっきりと見えて、お互いの戦意と殺意をこれでもかと示していた。


挿絵(By みてみん)


 そこからの戦いの行方を先んじて言うならば、左翼・中央・右翼それぞれで戦闘が繰り広げられる事となった。

 ジュエスは主導権を握り続ける事を重視し、全体を統率してやもすれば動きに制限を加えるよりも、場合によっては各指揮官の判断に任せてでも動きを止めない事を選んだからだった。

 セファロスの側に関しては――――最早言及の必要はあるだろうか。彼の人智を超えた神域の才ならば戦場かどう動こうが制御可能であろう。


 湖畔側・中央部ではディリオン軍の重装歩兵がメガリス軍を押し、圧迫を強めていた。

 セファロスと"赤服ローパ・ヴェルメーリャ"は一当たりすると後方へ退き、代わりに前線に立った"中央部の踊手(バイラドール)"は交戦しながらもプロキオン家歩兵隊に押しまくられる形で、次第に戦列は弓状へと変形していた。中央選抜歩兵(ペゼタイロイ)を率いるセルギリウスはこのまま敵陣を突破すべし、と戦列を密集させ圧力と突破力の向上へと注ぎ込んだ。

 湖畔部の戦況は更に劇的で、選抜歩兵(ペゼタイロイ)の攻勢を前にメガリス軍左翼の"踊手(バイラドール)"は後退を続け、水際へ戦線は移行していた。


 平野側ではプロキオン家の誇る騎兵隊が猛烈な突撃を掛けた。リンガル地方は決して強兵の地ではないがプロキオン家臣は上から下まで主君への信仰染みた敬愛から極めて高い士気を維持しており、その傾向は新たに参入したメール地方人にも伝染していた。そしてこの士気の高さは主ジュエスが先頭に立っての突撃こそ本領は本領を発揮するのだ。

 槍を揃え剣を振り翳して選抜騎兵(ヘタイロイ)達は突進し、快速の軽騎兵(プロドロモイ)が脇を固めた。

 相手の"踊手(バイラドール)"は先のカッシアの会戦ではプロキオン家の騎兵隊相手に一歩も引かずに戦っていた。隘路での奇襲という特別状況の中での話だ。如何な精鋭と言っても所詮は軽装歩兵。本領発揮した重装騎兵の突撃には抗う術など無し――――とディリオン勢は思っていた。

 メガリス軍右翼の"踊手(バイラドール)"はプロキオン騎兵が迫ると、彼ららしからぬ整然とした隊列を組み一斉に投槍や弓矢、投石などの射撃を行った。中にはエステドーナで鹵獲したのか(マヌバリスタ)を放った者もいた。"踊手(バイラドール)"達の攻撃は鎧兜で身を固めた兵士本人ではなく跨がる馬を狙ったものだった。近衛騎兵(アゲマ)や東方の装甲騎兵(カタフラクト)とは違い選抜騎兵(ヘタイロイ)は馬までは装甲化されてはいなかった。

 勿論、全ての騎兵が馬を失った訳ではない。位置から言って被害を受けたのは最前列の一隊だけだろう。だが、それでも一丸となった隊形が崩れるには十分であり、残る騎兵の足が減じたのは確かだった。

 馬体そのものの威力や歩兵に比して高所という利点もあるが、騎兵の真価は正にその機動力にある。足を止められ機動力を奪われた騎兵の強さは何割も低下してしまう、それこそ"踊手(バイラドール)"でも互角以上に立ち回れる程に。先頭を突っ切りながら辛くも馬を失う事は無かったジュエスだが、メガリス兵の得意とする混戦に早くも巻き込まれる事となった。ジュエスは離脱よりもその場で踏み止まって撃ち破る方を選択した。相手の意思ではなく、自ら選択する事こそ主導権を握る手段だと確信していたからだ。


 ただ、人垣と喧騒と靄に掻き消され、コルウス族が密かに湖中に移動している事には誰も気付いてはいなかった。



挿絵(By みてみん)


 中央部でディリオン軍の突破攻撃を受け、メガリス軍戦列は弓状を通り越し、遂に左右へ別れた。まるで受ける側の方がそうなると分かっていたような淀みなさであった。

 ディリオン軍の想定を裏切って、別れた左側の兵は左翼方面へと殺到し、セファロスと"赤服ローパ・ヴェルメーリャ"も湖畔側への戦いへ向かった。残る右側の兵はディリオン軍側面にへばりつくように攻撃を加え、出血を強いた。

 その動きの巧みさが導く答えは一つ。メガリス軍は分裂"させられた"のではない、分裂"した"のだった。


 湖畔側の戦場でも予想を裏切る事態へと流れていた。水際へと後退していた筈の"踊手(バイラドール)"達はそのまま湖へと入っていた。そして畔で唖然とするプロキオン兵を尻目に湖を泳いで移動した。踊手(バイラドール)の様な軽装歩兵でも無ければこの様な芸当はとても出来ず、鎧兜に身を固め槍や盾を構えるディリオン兵は追撃も出来ず見ているしかなかった。

 だが、ディリオン軍兵は忽ちにそれどころではなくなる。中央部から移動してきたセファロス自身の率いる"赤服ローパ・ヴェルメーリャ"と"踊手(バイラドール)"が攻撃を仕掛け、湖を密かに渡っていたコルウス族もそれに加わったからだった。数で言うならば2000人に達しないだろう兵だが、各指揮官毎の戦いが災いして側背からの奇襲・湖という地形まで利用された包囲、そして軍神セファロスの直率という悪条件では劣勢は免れなかった。



挿絵(By みてみん)



 中央部を指揮するセルギリウスは体勢を建て直す要は認めつつも、反転迎撃や方陣防御を選ばずそのままの前進を選択した。メール方式の重装歩兵隊ならばやはり前進の方が速度が速く、また、主ジュエスの訓戒通りに相手に対応して動くのではなく自ら選択するべきであると判断したからだった。

 強引に前進するセルギリウスをまたしても背後からメガリス兵の強襲が加えられた。その正体は元は湖畔側に布陣した"踊手(バイラドール)"が湖を通じて移動、更にコルウス族同様に戦場を迂回して来たのだ。

 背後からの攻撃は熾烈だった。セルギリウスは今更反転して攻撃を防ぐ手段を採る訳にもいかず、当初の選択をし続けるしかなかった。


 湖畔側では包囲されたディリオン軍左翼が必死の奮戦を繰り広げていた。しかし、セファロス自らも加わる攻撃に圧倒され、その包囲は縮まっていく一方だった。重装備の選抜歩兵(ペゼタイロイ)では水路は逃げ場にならず、文字通りに踏み止まるか死ぬかという有り様だった。

 平野側では機動力を失ったディリオン軍騎兵隊はメガリス軍の得意とする混戦に突入しつつあり、各中級指揮官の努力が重要な要素を占めるようななっていた。総指揮官のジュエスも全体の把握には苦心しながらも護衛隊等の手勢を指揮するに留まっていた。



挿絵(By みてみん)


 セルギリウスは隊を前進させ一旦戦場から離脱してからの再編を企図していたが、メガリス軍の猛攻がそれを許さなかった。前進している集団への背後から攻撃とは意外な程簡単に陣を切り裂いてしまう。選抜歩兵(ペゼタイロイ)の密集陣も例外でなく、前進はいつ敗走へと変わってもおかしくなかった。またへばりつくように攻めてくる側面のメガリス兵が厄介で、止まらない出血の様にディリオン軍に被害を強いた。


 全体を俯瞰すると、ディリオン軍左翼は壊滅状態であり、中央部も翻弄され、右翼の騎兵隊も足を止められての戦いに引きずり込まれていた。あれだけ主導権を握り常に選択をし続ける事を優先していたというのに、結果は全戦線に於けるメガリス軍の優勢、即ちセファロスの術中に嵌まっていたのだった。


 ジュエスは総指揮官として決断しなくてはならなかった。劣勢を挽回する為、勝利を手にする為に、戦わなければならなかった。

 だが選択の手段は少ない。ここで後退や防御を選んだならば、勝利の目は消失してしまう。前に進み戦い続けるしか方法は無いのだ。


 ジュエスは率いれるだけの選抜騎兵(ヘタイロイ)を集め、湖畔側へと向かった。彼の選択は言うまでもなく、敵総大将セファロスを討ち取る事を目論んだのだ。かつてその手でミラッツォの会戦に勝利したようにだ。

 追従したのは120騎の騎兵。護衛隊は勿論だが、コンスタンスやセイオンらも引き連れていた。


 が、湖畔側へと向かうジュエスの前に立ち塞がったのは正にセファロスその人であった。

 二百人の"赤服ローパ・ヴェルメーリャ"を引き連れセファロスは、如何にして察知し得たのかは全く不明だが、ジュエスの意図を感知し寧ろ自分から戦いの場へと赴いたのだ。


 ここに至って戦端が開かれないことなどあろうか。ディリオン軍とメガリス軍、その双方の大将同士が今剣を交えようとしていた。


挿絵(By みてみん)



 ◆ ◆ ◆


【新暦674年7月 サンタレン湖 リンガル公ジュエス】


 戦況はまさに乱戦状態であった。湖畔側では水際に追い詰められた左翼部隊がメガリス軍の巧みな挟撃に遭い、孤軍奮闘している。

 またセルギリウス率いる中央部隊も側背からの追撃を受け、右翼部隊の救援へと向かうには非常に困難な状況にあった。

 そして眼前の"踊手(バイラドール)"に応戦する右翼部隊を指示しながらジュエスはこの劣勢を打破すべく決断の選択を迫られていた。


 ――このままではこちらの敗北は必至だ。だがここで後退、或いはこのまま耐え続けていても僕達に勝機はやって来ない。勝つ為には戦い続けるしかない。ましてや撤退など決して有り得ない。愛するサーラやジュラの為。勝利の為。ここで退く事は決して許されない!――


 そこでジュエスの鋭い眼光が向けられた先は左翼部隊の布陣する湖畔側だった。

 ほぼ壊滅状態にある左翼部隊が現在如何程の残存兵で応戦し続けているのか状況は定かでは無いが、メガリス軍がまだあの場から動かずにいるという事は其方の戦いに集中し続けているという事だ。つまりはセファロスの矛先もまだ其方に向けられている。


 ――この劣勢を打破できる術は唯一つ。敵の総大将を取ること――


 これまでにも兵を自身の手足のように駆使し、思うが儘に戦を操らんと翻弄し続けた畏怖の存在たるメガリス軍の総大将、軍神セファロス。

 彼の企図する戦況へ流されてはならないという思いから自らの意思で戦場へと赴いたが、それだけではまだ彼の公算の枠外へ出る事が敵わない。

 しかし勝機を掴む好機はまだ残されている。かのミラッツォの時と同様、セファロスを単身戦場へと駆り出してやることである。

 まして総大将同士の一騎打ちとなれば彼はまたあの驚喜の笑みを浮かべて全ての兵を放り出しこちらへと振り向くことは容易に想像がついた。

 そしてその期待が実現する可能性は大いにあると過去の戦いからジュエスの直感が告げると、最早それ以上の迷いは無かった。

 ジュエスは"踊手(バイラドール)"と対戦している前線部隊を残し、今すぐ行動可能な護衛部隊と僅かな選抜騎兵(ヘタイロイ)を率い即座に行動を開始した。


「聞け! 我が誇り高き精兵達よ! これ以上敵の思い通りにさせてはならん!」

「応ッ!」

「未だ戦い続けている味方の危地を救うべく、そして一刻も早くこの戦いを決するべく、これより我らは敵総大将へ突撃する!」

「応ッ!!」


 ジュエスが天を貫くように剣を振り上げると、兵達もそれに倣い武器を頭上へと掲げた。


「狙うは総大将の首、唯一つ! 勝利を掴む為、戦友を救う為、そして愛する者を守る為! 必ずや勝利を掴む! 行くぞーッ!」

「応ーッ!!」

「応ーッ!!」

「応ーッ!!」


 ジュエスの叫びに呼応し、けたたましい喊声を上げながら選抜騎兵(ヘタイロイ)はセファロスへ向けて突撃した。

 手綱を振るい、馬腹を蹴り、たった百五十人余りの突撃部隊は唯一残された勝機を掴むべく凄まじい気魄を放ちながら一直線で湖畔へと猛進した。

 ところがその先でジュエスの目に飛び込んできたのは思わぬ光景だった。

 湖畔で左翼部隊と戦っていたはずのセファロスが二百人程の"赤服ローパ・ヴェルメーリャ"を引き連れ既にジュエス達を待ち構えていたのだ。

 ジュエスが自身との単騎決戦に意を決し突撃をかけてくる事は既に感知していたのか、セファロスは悠々とした笑みを浮かべている。忌まわしくもおぞましい優美な笑みをだ。

 想像していた表情とは少々異なるが彼の顔に笑みが浮かんでいる事は疑いう余地も無く、ジュエスは相手が嬉々として真正面から迎え撃つつもりであるのならば望み通りに応えてやるのみと一切の逡巡を薙ぎ払った。

 するとその時、右手側よりコンスタンス率いる部隊が突出してきた。先頭にはコンスタンス本人が陣取り、主に向けて呼びかけた。


「閣下! 私めにお任せを! このコンスタンスが彼奴の首をこの手で落としてご覧に入れましょう!」


 ジュエスはその目を見た瞬間、強い胸騒ぎを覚えた。主を守り、敵総大将の首を取る事ができるこれ以上無い戦果がその先で待ち構えている。その輝かしい未来がコンスタンスを駆り立てその目を眩ませている。

 しかしその先にいる男はただの武人などではなく、神の如く戦場を俯瞰し、人心の理を知り尽くし、しかも鬼神さながらの強さを持つ人の形をした恐るべき化物だ。

 決して一筋縄で勝てる相手ではないと驚異を知るジュエスは猪突猛進さながらに駛走していくコンスタンスを呼び止めようとするが、しかし剣を振り上げた彼の先には同じくコンスタンスに向かい疾駆するセファロスの姿があった。

 無謀にも剣を片手に馬上のコンスタンスへ単身挑むつもりでいるのかと、コンスタンスを含む誰もがその行動を捨て身の突進と捉え、セファロスへの強気の進撃を躊躇しなかった。

唯一人、ジュエスを除いては。


「うおおおおおお!」


 ――よせコンスタンス!! やめろ!!――


 そう叫んだつもりだったが、実際に声となる前にその出来事は瞬く間に起きた。

 セファロスとコンスタンスの軍馬両者の距離が詰まろうとした瞬間、コンスタンスはセファロスの右手側より切り掛かろうと剣を振り下ろした。

 しかしセファロスはそれを頬をなぞらせる様に避けるとほぼ同時に自身も剣を振り上げた。直後に不気味な程鮮やかな切断音がしたかと思うと、軍神の剣はコンスタンスの騎乗する馬ごとコンスタンスを頭から真っ二つに切り裂いていた。

 悪夢のような光景に愕然と目を見開いた瞬間、全ての音が消え、時が止まったように感じた。


 ――一体何が、起きたんだ――


 まるで絵に描いたようなおぞましい光景をその目でしかと捉えていたが、頭が現実を拒むように思考を停止した。

 ところが次の瞬間のセファロスの動きがジュエスの思考を瞬時に現実へと引き戻した。

馬ごと真正面から切り裂かれたコンスタンスの間を通り抜けたセファロスの身体が突然ぐらりと後ろに傾いだのだ。

 まるでコンスタンスの遺骸に剣を引っ張られでもしたかの様に背中を反るセファロスを見たジュエスは本能的に動いていた。

 態勢を崩している今ならセファロスの首が狙える。

 馬を駆らせると、ジュエスはセファロスの左手側から迷わず剣を振り落とした。が、セファロスの身体は傾く勢いのまま上体を反らし、ジュエスの剣は無慈悲にもセファロスの鼻先を掠め呆気なく避けられた。そして更に悪夢のような現象は続く。

 身体を反らしたままの状態でセファロスは造作も無く剣を振り抜くと、逆に態勢を崩してしまったジュエスの右腕を切り落とした。

 またしても何かを切り抜く見事なまでの澄んだ金属音だけがジュエスの耳に聞こえた。その直後に凄まじい痛みが右腕を襲い、その顔は瞬く間に驚きから苦悶へと変わった。


「ぐううぅぅっ!!」


 落馬しそうになるのを何とか耐えたジュエスは奥歯をぎりりと強く噛み締めた。

 護衛達がジュエスを守ろうと咄嗟に囲み誘導する。

 痛みに蹲ると耳の奥で激しい鼓動の音がこだまし、背後やそこかしこで激しい剣戟が耳障りに響き渡った。

 片腕を失った衝撃と痛みで意識が朦朧とするどころか嫌という程頭が冴え渡ったジュエスは迷わず声高に叫んだ。


「退け! 撤退せよッ!!」


 その声に呼応し、選抜騎兵(ヘタイロイ)が動き始めた。

 襲い来る"赤服ローパ・ヴェルメーリャ"から主君を守るべく、護衛達は決死の防御壁を作り、その隙にジュエスは退却した。

 セファロスに右腕を切り落とされた直後、セファロスがどう動いたのかわからない。逃げるジュエスを追いかけようとしたのか、それとも勝負は決したと自身も撤退を開始したのか、情報が入るまでセファロスの行動は最後までわからなかった。

 これ以上戦っても意味など無い。逃げるしかないという思いに突き動かされ、唯一残った左手で手綱を握り締めジュエスは馬を走らせていた。


 ――何と言う、何と言うことだ。勝てない。僕ではあの男に勝つ事はできない――


 それは絶望でも落胆でもない、最早確信と酷似した強い思いだった。

 彼奴の思うままに戦局を操らせてはならない。思惑通りに動かされてはならない。故にこちらが行動し、逆にセファロスに行動させる為に戦い続けなくてはならないと考え続けていた。それで勝つ事ができるという確証まではなかったにしても、決して間違った選択ではないと自負していた。

 そして過去最も練度の高い精鋭の主力を用い、ここまで手を尽くして尚、かの軍神に傷一つ負わせる事すら敵わない。無念さや衝撃以上に、"人"では"神"には勝つ事はできないという事実を突き付けられ、ジュエスはある種の畏怖心に満たされていた。


 ――これ以上戦っても無益に兵を失うだけだ。そればかりかディリオン王国もやがては彼奴の手で蹂躙される事になる。それは最早時間の問題だ――


 そうなれば今も無事を祈り帰りを待ってくれている愛する妻子もまた何れ神の手に掛かる事となるだろう。


 ――サーラ。ジュラ。すまない。僕の力では迫る軍神の手から君達を守り切る事は出来ないかもしれない。ここで僕が諦めようと諦めまいと、セファロスは必ずディリオン王国に戦火を巻き起こそうと侵略してくるだろう。それを止める術は今の僕には無い――


 だがそれでも、まだ出来る事は残されていた。


 ――でもせめて、君達が軍神の手に掛かるその日を一日でも遅らせる為にやる事ならばまだあるはずだ――


 そう考えればまだジュエスは思考を働かせる事ができた。

 この先に待つものは絶望以外に無いのかもしれない。しかしそれでもまだ猶予はある。

 そこに全力――セファロスからしたら微力でしかないかもしれない――を注ぎ尽くし、少しでも愛する妻子を生き永らえさせる事ならできる。

 否、もっと正しく言葉に言い表すならば、それしか出来る事は無い。

 神の手がまだ王国の頭上に差し伸ばされる前である今のうちに、ジュエスは可能な限り残された術を尽くそうと次の行動に思考を移した。



 ◆ ◆ ◆



 両軍大将とその護衛達の戦いは苛烈ながらも忽ちに決着がついた。セファロスは苦もなくジュエスを切り伏せ、その右腕を撥ね飛ばした。

 重症を負ったジュエスは護衛隊の壁に何とか守られながら後退した。主君を救おうとしたコンスタンスは討死し、他の幾人もの兵士が同様の末路を遂げた。

 セファロスは積極的な追撃はしなかった。これ迄通りに勝利し、これ迄通りに手を緩めたのだ。


 ディリオン軍にこれ以上の戦いは不可能だった。各隊は壊滅的打撃を受け、副将の一人コンスタンスは戦死、逆転の一撃を放つどころか大将ジュエスは右腕を切り落とされてしまった。

 ジュエスは全軍に撤退を命じ、ディリオン軍は這々の体で逃げ出した。退却に成功したのも単にセファロスがやはり包囲や追撃を許さず敢えて逃がしたからに過ぎなかった。


挿絵(By みてみん)


 戦闘はメガリス軍の完勝だった。

 ディリオン軍は司令官であるリンガル公ジュエスの負傷を始め、副将コンスタンスやネフノス、ミュハールらと言った高級車指揮官が討死に、選抜騎兵(ヘタイロイ)7百騎・選抜歩兵(ペゼタイロイ)4千人・軽騎兵(プロドロモイ)1百騎を戦死傷者として出した。特に湖畔で包囲された左翼隊の被害は目を覆わんばかりで、七割近くの兵が戦闘力を失っている。

 メガリス軍は1千人の"踊手(バイラドール)"と1百人の"赤服ローパ・ヴェルメーリャ"を失った。全体の総数から見ればそれでも二割近い損害であり、大敗の中でも発揮されたプロキオン軍の精強さの証明ではあるが、肝心のセファロスは掠り傷一つ負ってはいなかった。


 この戦いの敗北は致命的だった。確かに他の戦線にはまだ兵があるが、最精鋭を集めた主力が完膚無きまでに叩きのめされたのだ。戦争の趨勢は決したと言っても過言では無かった。

 ディリオン軍の将帥は間違いなく優れた才覚を持ち、ランバルトやジュエスは疑い無く英雄であった。彼らが弱く愚かに過ぎた訳ではない。


 ただ、セファロスが人智を超えた"神"であっただけなのだ。

 "神"を討つには――――"人"では足りないという、極当然の事が確認されただけなのだ。



挿絵(By みてみん)


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