『諸侯の離反』
諸侯のブルメウスに対する忠誠はバレッタ公の反やハウゼンの罷免という事件で決定的に低下した。
反国王の急先鋒であるライトリム公ベンテスは声高に王の政策を非難した。賛同する諸侯らはライトリム公都サフィウムに一同に介し、反国王の集会を開催した。
さらに王を見限ったヒュノーがベンテスに接近していた。これはブルメウスへの支持が著しく低下していることを裏付け、諸侯の背中を押す結果となった。
諸侯は王と戦う為に同盟を結成した。ライトリム公ベンテスが盟主として中心に立ち、レグニット公ガムラン、スレイン公フレデール、バレッタのヒュノーが同盟に加わった。かつて幾度か結成されたことも在る、世に言う諸侯同盟である。
結成の際にはクラウリム公ハウゼンへも同盟参加の打診を行っていたが、ハウゼンは同盟への参加を拒否し物資援助も拒絶した。
ただ、王に対しても従う事を明言せず、ハウゼンは兵を集めはしても、それ以上の動きを見せることは無かった。
新暦658年3月、ライトリム・レグニット・バレッタの各軍はライトリム公都サフィウムにて合流すると、王都ユニオンを目指し進軍を開始した。
◇ ◇
ライトリム公リカント家のベンテスはその体型と若い頃の武勇伝から"帯剣せし樽"と揶揄されている。
決して無能ではなく、それだけに野心的で欲深く、王に対してもそれまでのライトリム公に比べてより反抗的であった。
ライトリム公は諸侯の中では最大の勢力を誇り、ロラン王家単体の勢力に匹敵する程であった。
◇ ◇
レグニット公ガムランは反抗的というよりは単に保守的な人間であった。
ブルメウス王の政策も支持も反対もしていなかったが、王がレグニット諸都市に介入し始めるとガムランは考えを変えた。
レグニット地方は古くから幾つもの都市国家が割拠し、それらの都市国家群は自尊と傲慢を抱いて独立都市と名乗っていた。依然独立心旺盛で常に反抗的であり、都市同士でも互いに競い争っていた。
この様な背景の中で王がレグニット諸都市の反乱を扇動するかもしれないという恐れが彼を挙兵に到らせていた。
◇ ◇
スレイン公フレデールは見た目にも平凡だが、ある事柄に関してのみ危険な男だとも知られていた。
それはモア地方とアイセン島に関する事柄であった。
フレデールがまだ公子の頃にモアのとある美しい令嬢に言い寄って手ひどくふられたことがあった。後にその令嬢がアイセンの平民と駆け落ちしてしまった事が屈辱を殺意に変えた。
その醜聞を聞きつけた吟遊詩人が若い二人側に関してのみ情熱的な形で、フレデールを道化の如く脚色した歌を歌い世間に触れ回り、彼の憎悪と屈辱を著しく高めてしまった。
その鬱屈した思いはモアとアイセンという地域全体に対する憎悪に発展した。
個人的な恨みを政治運営にまで反映させてしまう人間であるフレデールはブルメウス王に対しても反感はあったが、何よりも国王側についたモアとアイセンを攻める事が最大の理由であった。
◇ ◇ ◇
そして、再びの戦争はあらゆる者を巻き込んでいく。だが、行き場のない無力な男にとってそこは地獄でもあり、天国でもあった―――
◆ ◆ ◆
【新暦658年3月 公都サフィウム 兵卒ロック】
ロックはバレッタ軍の歩兵として再び従軍していた。
前回の戦いでロックは追撃の手を逃れ、奇跡的に無傷で生き残ったのだった。
同胞も何もかも捨てて掴みとった大事な大事な命だった。
ロックはボーマンを見捨てて命永らえたことを恥じて、後悔していた。共に戦うと誓った仲間を捨て、剣に掛けられるままにしていたのだから当然だった。
友人を身代わりにのうのうと生きていると戦いの後からずっと自分の事を責めていた。
しかし、その一方で仕方がなかった、どうしようも無かった、という思いも拭うことは出来なかった。きっとボーマンだって同じことをしたさ、とも思うようになっていた。
生き延びて飲み、食い、眠る喜びを感じると一層その思いは強まった。
戦いから逃げ延びた後、ロックは故郷の村に帰り着いた。
荷物も路銀も無く、盗みや物乞いをしての長い道のりだったが、故郷への恋しさと友人を見捨てた自責で頭は一杯で時間は一瞬で過ぎて行った。
兵として出て、村に帰ってきたのはロック唯一人だけだった。
村の皆はロックを暖かく出迎えてくれた。口々に"大変だったろう"と労い、帰還したお祝いに宴を開いて酒やご馳走を振る舞ってくれた。
だが、帰らぬ夫を待っていた妻や息子を待っていた親、父を待っていた子は、"何故お前だけが帰ってきたのか"、"私の愛する男をどうして連れて帰ってこなかったのか"、と隠し通せないくらい強く目で訴えていた。
ロックの母が"帰ってきてくれて本当に良かった"と涙ながらに言った時は喜ばしい言葉の筈なのにロックの心を酷く抉った。
そしてロックを再び村から外へ出る決意をさせたのは、羊飼いの娘ピラが原因だった。
ピラは若く溌剌とした可愛げのある娘だったが、彼女はボーマンに恋していたのだった。
彼女は愛を伝える暇も無くボーマンが兵として去ってしまったため、ずっと帰りを待っていた。
しかし、ボーマンは帰ってこなかった。
ロックはピラを村外れの小屋に連れて行き、ボーマンの死を告げた。ロックにも大勢の前ではっきりと死を告げる勇気が無かったし、ピラも静かな場所で死を受け止めたいだろうと思ったからだった。
ボーマンの戦死を告げられたピラはむせび泣きながらロックに詰め寄った。
「ボーマンは……あの人はどうやって死んだの? 勇敢だった? 立派な兵士だった?」
「……彼は勇敢に戦って死んだ。最後まで敵に立ち向かって戦死した。立派な奴だったよ」
ロックは言った。
最後の部分以外は嘘だと分かっていても、他に何も言えなかった。
ピラもそれ以上何も言わなかった。ロックは慰めにピラの肩に手をかけようとしたが、振り払われた。
ロックは自分にもどうしようも出来ないし、その資格も無いと思った。そして、ピラの泣き声で一杯になった小屋を後にした。
だが、ピラは次の日も次の日もその次の日もロックを問い詰めた。
「彼の普段の暮らしはどうだった?」
「行軍中もずっと立派だった?」
「他の兵士の見本になるような人でいた?」
ピラは毎日の様に問い詰めてきた。ロックも初めの内はピラの言葉一つ一つに例え虚構だったとしても、答えを返した。
だがピラの問い詰めは止まらなかった。時間があればロックを呼び出して問い詰め、時間が無くても強引に連れ出して問い詰めた。
次第にロックには耐えられ無くなった。
ピラの質問に答えることに耐えられなくなったのではない。虚構のボーマンを伝え続けねばならない事に耐えられなくなったのだ。
だがピラに、君の愛する男は俺が見捨てた所為で死んだんだ、とは言うことも出来なかった。
そして、ロックは荷物を纏め誰にも別れを告げること無くこっそりと村を去った。
◇ ◇ ◇
村を出たロックには行くべき場所も無く放浪していたが、バレッタ軍が出兵の準備を整えていると知り、駆け込むように軍に加わった。
今度参加した部隊の指揮官は前回に比べるとずっと親切で、少なくとも戦う目的と敵を教えてくれた。前回の戦いの詳細もロックはここで知ったのだった。
自分を現在の様な状況に追い込んだ発端であるヒュノー将軍の元で今度は戦うのだと知ったロックは運命の皮肉を感じた。
ロックは従軍した時にちょっとした違和感を感じていた。それは暫くしてから気付いたのだが、この部隊がヒュノー将軍という征服者が率いる軍隊なのにバレッタ人で構成されていたからだった。
ヒュノー将軍がハルト人で前回の戦いでも指揮していたのがハルト兵だと言うことはロックも知っていた。それなのに今回は殆どがバレッタ兵しかいなかった。
この疑問は勇士達が話していた内容から理解する事が出来た。
曰くこの戦いはトルシカ公を殺す命令を出したブルメウス王への復讐戦だ、曰く戦いになったらハルト兵なら同胞を攻撃せずに裏切る筈だ、曰くヒュノー将軍は公正な方だからバレッタの正義の為に戦って下さるだろう、と言うことであった。
そもそもトルシカ公を殺した張本人はヒュノー将軍ではなかったか、ともロックは思ったが、トルシカ公にもヒュノー将軍にも忠誠は無いし、故郷を去った以上バレッタにも今更忠誠心は無いのでどうでもいいことではあった。
そしてバレッタから出兵したが、行軍中は特に何事も無かった。
前回の様にボロボロになるまで歩かされることは無かったし、兵卒にも食料は十分配給され、病気も広がらなかった。
戦の経験はロックの心と体を思った以上に鍛えていたらしく、新兵が文句を垂れながらこなす行軍や野営地の設営も寧ろ楽で安全だと感じていた。
指揮官はそんなロックを見つけると、"従軍経験の在る兵士は貴重だ"、と言って、時折ロックを同じような古参兵と共に天幕に招いて酒を振る舞ってくれた。
肝心の戦では逃げ出しただけだ、とは口が避けても言えなかった。
◇ ◇ ◇
合流地点であるサフィウムに到着したロックはそこに集まる大軍に度肝を抜かれた。
これまでの人生の殆どを辺鄙な小村で過ごしていたロックはバレッタで参加した部隊もとんでも無い人数だと思ったが、今度のは、世界中の人間を集めたのか、と思わず口に出してしまった程だった。
綺羅びやかな外衣を羽織る貴族、陽光を鈍く反射して光る鎖帷子を着込んだ勇士、興奮して嘶く軍馬、そして槍や弓を携えた歩兵に歩兵に歩兵。
兎に角、見渡す限りの人が集まっていた。
だが、大量の兵士達を見たことは興奮と共に、また戦に来てしまったという思いをロックの心に呼び起こさせていた。また死ぬような目に、また逃げ出してしまうことにはならないようにとロックは今の内から祈っておいた。
祈りの為に目を閉じると後ろでボーマンが此方を恨めしく見ている様な気がした。ロックは今度からは目を閉じないで祈るしか無いなと思った。
◆ ◆ ◆
王への対抗を理由に手を組み、協力を誓った諸侯同盟だったが、その結束は固いとはとても言えなかった。
諸侯や貴族同士は同盟を組んで戦っていても、その裏では相も変らず政治闘争を繰り広げていた。
特にライトリム公とレグニット公の牽制は既に始まっており、互いの傘下の貴族に対して調略と取り込みを繰り返していた。
こうして王国の半分が反乱に加担し、国王を打倒する為に挙兵したのだった。
お読み下さり本当に有難う御座います。
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