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ディリオン群雄伝~王国の興亡~ (修正版)  作者: Rima
第一部 第四章『盛者』
37/46

『王の治世・一』

 (ドミヌス)となったランバルトはこれ迄は権限不足と多少の遠慮で手を付けていなかったあらゆる事象に介入し、巨大な改革の嵐を吹き荒れさせた。激烈な暴風雨にも等しい改革群は身分・土地・行政・軍事・社会体制と全てを覆い尽くし、ディリオン王国を生まれ変わらせた。


 ◇ ◇


挿絵(By みてみん)


 ◇ ◇ 


 ディリオン王国の身分制度は王、貴族、平民。奴隷の四層から構成されていた。

 言うまでも無いが頂点は(ドミヌス)で、王の一族が回りに張り付き最上辺を形成した。

 新暦668年時点では王族は極少数だった。明確に王族と言えるのは"(ドミヌス)"ランバルト、王妃ミーリア、太后ファリナ、王妹サーラと二人の子のみで、ランバルトとミーリアの間に子が生まれればその子が加わるだけである。

 ロラン家には庶流や分家を除けば他に前々王ブルメウスのもう一人の従兄弟がいたが、ランバルトは彼に安全と年金を条件に継承権の放棄と臣籍降下を迫った。彼に否やを言う事など出来ず、王族の一員からは削除された。

 また性豪だったブルメウスやブリアンには庶子もいたのだが、ランバルトは先の縁者の対応とは異なりこれら一切を認めず、抵抗する者は秘密裏に処分した。幾人かは協力者の手によって生き延びたとの噂もあるが真偽の程は定かではない。

 アルサ家では家人の殆どがメール反乱鎮圧の際にポルトスと共に処刑され、残るのは王妹サーラと二人の子、そして見逃された庶流だけであった。

 プロキオン家のジュエスはロラン家の血を引いてはいるものの分家筋であり、現王との関係も妻サーラには遠く及ばない。だが誰も声に出さないだけで、実はブリアン亡き今、ロラン家筋に於ては血統・実績・評判共に最も王位に近い存在であった。それがどの様な影響を及ぼすかは今はまだ後の歴史を待つ他無い。


 現在のディリオン王家は非常に少数で、分家も殆ど存在せず、この事情故に辺境の分家プロキオン家でさえも王族の中では異彩放つ事が出来た。無論、かつては有力な王族分家は多数おり、ロラン家の勢力を固めていたのだが、長い歴史と闘争の中で淘汰され駆逐されていってしまったのだ。特に第14代王ジェバンスは自らだけの血統に病的な執着を持ち、王位を脅かし兼ねない他の王族を尽く誅戮した。他の王族から狙われる事は無くなったが、反対に勢力を増大させた貴族に圧倒され、守ってくれる同族も消えてしまった。その末路がランバルトの台頭である事は言うまでもない。



 次の階層である貴族層は富と格式によって分かれていた。

 一定以上の富を持つ貴族は全て"騎士(エクイテス)"と呼ばれ、複数の都市を領有する大貴族も村落の支配者でしかない小貴族も名目上の区別はない。騎士(エクイテス)層の頂点だけは別格で、大幅な自治権や宗主権と共に"(プリンケプス)"という特別な呼び名が与えられている。

 下層貴族は"勇士(ミリテス)"と呼ばれ、同時に戦士階級の大半を構成している。彼らは小規模でも一介の領主であると定義されたが、現実には土地を持たず上位の騎士(エクイテス)に仕えている者も少なくない。最下層の勇士(ミリテス)ともなると平民と大差無い暮らしをしている事もあった。

 貴族には階級とは異なる区分として"王家直臣(オプティマス)"が存在した。ディリオン王国では殆どの貴族は統治の問題もあり、地方の大貴族である(プリンケプス)の陪臣と言う扱いになっていた。つまり玉座だけでなく公座にも服属しなければならなかったのだ。だが(プリンケプス)本人を筆頭に一部の貴族は玉座にのみ直接忠誠を誓う王家直臣(オプティマス)として存在し、これに認められると(プリンケプス)に従属する義務は消失する。実際はそこまで簡単に公権力から離脱できる訳でもなく、明確な特権的地位と言うよりは慣習的に他の陪臣よりも上位と認識される程度ではあるものの、貴族社会に於いては重要な因子であった。


 社会の圧倒的大多数を占める平民達は千差万別でありとあらゆる生業を営んでいた。基本的には貧しい従属者であるが、細かく見ると騎士(エクイテス)に匹敵する様な大富豪や土地持ちの自由農民もいれば喰うにも困る貧者もいた。富裕な平民は多くが零細貴族に金を積み婚姻を通じて上流階級へ参入し、そうでない平民の中でも功績を上げた者は新規に勇士(ミリテス)として認められることが出来た。新規に勇士(ミリテス)となった者は新たに家名を得るか、成り上がれるだけの実力があると誇示するために"平民出身(ノヴィ・ホミネス)"を名乗る者もいた。


 社会の最底辺層の奴隷は貧しさで身を落とした者、戦時捕虜、罪人、そして口減らしに家族に売られた者からなったが、ディリオン王国ではこれまで余り用いられなかった。農場や鉱山でも貧しい平民を用いる事が多く、これは実際的な理由よりも慣習的・伝統的な問題であった。加えて過酷な世界を生きるディリオン王国の平民は限界まで困窮した時には奴隷となって弄ばれるよりも、一発逆転の成り上がりを求めて傭兵として戦場に身を投じるか或いは賊徒となって他者から略奪する生活を選択するなど攻撃性を発露させる志向が強かった事による。尤も賊徒となり捕らえられたら処刑されるのが常ではあったのだが。

 ところがランバルトが王国を手にし大規模奴隷農場(ラティフンディア)を導入すると奴隷は今までよりも一般的な存在となった。国土の掌握力が増したために賊徒として活動するのも楽では無くなり、罪人や捕虜は次々と奴隷身分に落とされて大規模奴隷農場(ラティフンディア)へ注ぎ込まれた。後には国王直轄の独占鉱山にも用いられ、物言う家畜として酷使されることとなった。そして奴隷の不足を海外から奴隷を仕入れて補充するようになるのも時間の問題出逢った。


 ディリオン王国の身分制度は前述の通り比較的流動性が高かった。平民にも下層ではあっても貴族階級への参画の道が開かれており、また逆に富の多寡によって階級から脱落することも稀では無かった。

 ランバルトはディリオン王国伝来の身分制度には基本的に手を付けなかった。流動性のある現状も変えようとはせず、寧ろより積極的に活用した。成り上がりの手助けまたは脱落の回避を王の権限を用いて各階級への影響力を強化しようと図ったのだった。

 但し飽く迄も手を付けなかったのは身分制度そのものであって、それを如何に行使するか、どの身分をどの程度の者には認めるかはまた別の問題であった。


 身分階層から離れた特殊な存在として"神官"があった。ありとあらゆる階層を出自とし、中には奴隷から神官や巫女となったものもいる。一度神官となれば出身の身分が問われることはなかったが基本的に財産の保有や結婚は許されておらず社会的な制約も小さくはない。またディリオン王国の信仰体系は多神教であり、一神教社会の様な大権力はなく、社会には慣習として以上の影響力は持っていない。

 神官や巫女は仕える神々ごとに異なる教義を持ち、各神殿や聖堂ごとにもまた協議に差異があった。あらゆる神々とあらゆる教えを受容していたものの、ディリオン王国としては王都ユニオンに神殿のある神々と神殿が一応"公式"な存在であった。中でも"太陽神(ソル)"は王家の守り神で主神として奉られ、"冥神(インフェリオ)"の神殿は死を司る神として王家の霊廟としても扱われていた。

 王都やトラヴォの大神殿などの権威ある神官ともなると寄進された財を管理して貴族にも劣らない豪奢な生活を送る者もいたのだが当然内外からの批判も多い。一方で時の権力者が聖界の支持を得ようと積極的に賄賂や寄進を行って買収することもあった。

 神官勢力もランバルトは攻めなかった。寧ろ彼らを保護しその財力を利用する方を得策と考えたのだった。




 各土地の統治は従来のディリオン王国の体制からは大きな変化があった。これはランバルトが玉座の主となる前の宰相時代から起きていたが直接勅命が下せるようになるとより激しく変化した。

 従来、ディリオン王国では身分と同様、(ドミヌス)(プリンケプス)騎士(エクイテス)勇士(ミリテス)と、領主達が土地を保有しそれぞれが領地として治めており、王は幾らかの直轄領を除けば家臣を介した間接統治体制を築いていた。その中でランバルトは内乱による体制の崩壊を利用して土地制度を改革し、直接統治体制の整備を進めていた。

 ランバルトは敗者の領地を奪い王家の直轄領又はアルサ家領とする事で自身の掌握下に置き、統治役人である代官(トリブヌス)を派遣した。大半の服属貴族には自由な領主ではなく代官(トリブヌス)となるか、或いは派遣された代官(トリブヌス)に従うかの選択を強いていた。

 代官(トリブヌス)の主任務は税の徴収、裁判と刑の執行、治安維持である。必要になれば街道敷設・補修などの公共事業の監督も行った。

 統治範囲が広がり大小代官(トリブヌス)の数も増えてきた為、ランバルトは代官(トリブヌス)達や各地の従属諸侯らを統括する上位の統治役人を任命した。彼らは「側近」「侍るもの」を意味する"(コメス)"と呼ばれ、広域を管理するが飽く迄も役人として任命された。

 尚、ランバルトが土地を与えた旧アルサ家臣や忠実であった貴族は"(コメス)"には任命されず、領主として統治し続けた。"(コメス)"としての権限も与えては強力に成りすぎると考えたからであった。

 "(コメス)"は多くが大都市を赴任の拠点とした。管理するには設備や交通の整った都市が最適であるが、同時に主要都市を王家の役人が押さえる事で地域の掌握をより強固にせんと図ったことによる。王都にも"(コメス)"が設置され、担当する"ユニオン伯"はその管轄区域の重要さと複雑さから全ての"(コメス)"の中でも最上位であると位置づけられた。


 (コメス)代官(トリブヌス)の管轄ではない、諸侯が一円的に統治する領地も存在し、その殆どは王家に忠実であった者やランバルトの古くからの家臣がそれらの領主であった。領内は従来の形式で統治されていたが、個々の領主単位ではランバルトの統治法を縮小させた様な統治、即ち代官(トリブヌス)を派遣して治めるようになった者も存在した。


 直接統治体制の構築が進展した大きな要因に内乱での"(プリンケプス)"の没落がある。諸侯同盟とブリアンが起こした大乱はこれまで良くも悪くも地方統治権を握っていた"(プリンケプス)"の多くを失墜させ、公権力は事実上解体された。ライトリム・スレイン・フェルリアの"(プリンケプス)"は空位のまま後継者もなく消滅、レグニットの"(プリンケプス)"は剥奪し廃位、クラウリム・バレッタの"(プリンケプス)"は位を維持しているものの領土・権力は大幅に減退し、コーアの"(プリンケプス)"位は土地と共にフレオンが自主返上した。ランバルトを邪魔するだけの力を持つ者は消え、王の諸改革は多くが実行に移されることが出来たのだった。

 しかし、全てを平伏させられた訳ではない。"(プリンケプス)"ジュエスの権力は未だ絶大で、リンガル及び彼の勢力圏となったメールでは従来通りの自治が続けられていた。ランバルトも苦々しく思ってはいたが王国最大の功臣で義弟、民衆や服属諸侯からの評判も良いジュエスには流石に手が出せなかった。


 実際の諸地域支配は当然だが地方毎の政治的・軍事的状況、歴史・伝統、経済状態などを勘案して行われた。


 ◇ ◇


 ハルト地方はランバルト肝煎りで有力諸侯が取り除かれた為に大部分を王家領地に組み込み、直接的に(コメス)が管轄することが出来た。

 王都を含む一帯は"ユニオン伯"平民出身(ノヴィ・ホミネス)のセバンティが担当し、重要な軍港ストラストにも(コメス)が設置された。領主の消えた各主要都市・城塞も管轄下に置かれ、レウカスホルド伯・カルボニア伯・ウラタイア伯・ツール伯・クッスス伯・ヨーグ伯と、かつては有力諸侯が支配していた地域も王家の手中に収められた。王国で最も豊かで人口も多く経済力のある地域が王家の直下に置かれたことで主要な財政基盤へと変貌した。

 全ての地域が王家の直接的な統治下に入ったわけではない。王ではなく王土への忠誠心を第一にするソーン家はその特殊性からバーグホルドの領地と権限保有を許す事で懐柔され、コーア地方を王家に譲り渡したピュリア家は代償としてモロル市域の領有権に加え免税特権も認められていた。


挿絵(By みてみん)


 ◇ ◇


 ライトリム地方はテオバリドの逃亡後、平定の過程で多くの諸侯が抵抗することなく膝を屈した。新しい"(プリンケプス)"は指名されず、事実上ライトリム公はここに消滅することとなった。

 ランバルトは様々な事情から領地は召し上げたが諸侯を一掃せず多くを残留させたが、主要拠点の旧公都サフィウム、サンボール、ヴェラヌーリは確保し(コメス)を置いた。

 大都市ハノヴァのイットリア家、ナルティアルのジェナングス家、アイリスのクレッグ家は大幅に領土を減らしたものの存続と領有を認められた。

 更にランバルトは地域の安定を保つため忠実な家臣であるザーレディン家のテレックをトバーク海に面した港町チェレノスの領主及び王家直臣(オプティマス)に任じ、リカント家の一族であったテオバリドの妻を娶らせた。忠実な家臣を送り込み現地有力者の女を妻に迎えさせて統治の楔とする、と言うのはランバルト王に限らず支配に於ける常套手段でもあった。

 尚余談として、テレックとその新妻はまごうことなき政略結婚であるが幸運にも相性が良かったのか夫婦関係は極めて良く、多産の家として知られる様になっていった。


挿絵(By みてみん)



 ◇ ◇



 レグニット地方はライトリム地方と同様、諸侯や諸都市は武力で征服される前に恭順した。異なる点として戦争での被害はクッススの会戦によるもの程度で、勢力が減退せずに傘下に下った所にあった。再度の武力抵抗を避ける為にモンタグリ家やプリムス家の様な明確に敵対行動を取ったのではなければ領地の多くは安堵された。無論、これは支配強化よりも平和維持を優先するジュエスの介入があったればこそである。

 明確に敵対派閥に与していたガムローのモンタグリ家へは厳格な処分が下された。レグニット公位は剥奪・廃止と決まり、領土もフォン周辺のみを残して全て召し上げとなった。エナンドルのプリムス家は未だ騒乱冷めやらないモア地方への転封を受け入れる代わりに領土は半減で許された。但し、当然だがどちらも王家直臣(オプティマス)の地位は取り上げられた。

 取り上げた旧公都ガルナへは(コメス)が置かれ、レグニットの中心部を管轄した。

 一方、ベリアーノやプレタティンら独立都市は先の内乱で武力を叩き潰されていた為に特に勘案されることなく、トラヴォを除いて(コメス)の拠点となった。(コメス)の下での制限された自治は許されたが、これは伝統への敬意からではなく特殊な状況での統治費用の軽減に過ぎない。

 カゼルタ市はその経路上の重要性から新たに市民を集めて再建され、(コメス)も設置されることとなった。

 巨大独立都市トラヴォへは従来通りの自治が認められ、戦前に付与されていた交易特権も引き続き認められた。艦隊だけはトラヴォ固有の指揮系統から外され国王任命の提督が割り当てられる事となったが、実際は現トラヴォ艦隊司令官を追認の形で任命していた。

 戦前まで大勢力を誇っていたエナンドルとプリムス家は領地接収を緩める代わりに未開発地が多く、未だ反乱の熱気が残るモア地方への転封となっていた。

 デサイトのデサイトス家、リノージア島のスパー家、ローサホードのイルシャイア家、キルカインのリトン家は概ね領地を維持し、モンタグリ家・プリムス家衰退・離脱により宗主権下からは独立した。


挿絵(By みてみん)



 ◇ ◇



 バレッタ地方は再編によって最も細分化されることになった。

 レイアントロプ家はバレッタ公位と公都レンブルクを保持したが、細分化や割譲、陪臣の独立によって領土は減らされた。抗議が起きなかったのは当のレイアントロプ家自体がそもそも弱体化していた事、ワーレン家など有力諸侯が寧ろ領土を割譲される側ばかりだった事による。

 ポノホードのキンメル家は当主レオザインがレイアントロプ家の後見人の地位を占めており、事実上バレッタ地方最大の貴族へと成り上がっていた。ネルカマのワーレン家、デカルベリのローウェン家はバレッタ公宗主権下から切り離され、独立した有力領主として後に続いた。

 クリストンのマリス家、クロービスのサンクローブ家、アプルトンのアプル家、メルカト=ドゥアのババリア家、メレスメアのタルトン家、ヒューゴーのコール家、ビンスホールドのレイビンス家なども独立領主として再編された。これらの多くの旧陪臣達を独立させたのはバレッタ公の権力削減という理由はあったがより大きな目的として、バレッタ地方へのリンガル公ジュエスの影響力を弱めようとした所にある。先の内乱でジュエスか平定した際に行った再編は良くも悪くも巧みで、バレッタ諸侯の支持を得るのに貢献していた。これに手を加え、"ジュエスによる安定"という状況を打ち消したかったのだ。


 コライトン伯、ガラップ伯、ビーシュ伯、ブラウホルド伯など主要拠点には(コメス)が設置された。ブラウホルド伯区は非常に入り組んだ形をしており、独立領主を囲い込むような管轄になるよう調整した結果であった。コライトン伯には嘗ての領主であったマグナマリス家の者が任命されている。


挿絵(By みてみん)





 ◇ ◇





 クラウリム地方はブリアンの乱以前は全土が(プリンケプス)の宗主権下に服していたが、今やクライン家の勢力は半減していた。

 クラウリム公位はクライン家のハウルタスが保持したが、領地は先の内乱での失態を問われ、大幅に減らされた。後見人であり腹心のダロス将軍が功績と引き換えにしてでも慈悲を求めるという、必死の取り成しで何とか半減で済んだとさえ言える。

 領地という点ではバトラス家の方が悲惨かも知れなかった。最盛期にはクラウリム地方の過半を押さえたガーランドらバトラス家もウーリ市近辺を保有するのみだった。それでも反乱主導者だったのだから、滅ぼされなかっただけ幸運であった。

 ナンディロスらディシホルドのサンダー家はクラウリム公やバトラス家から独立され、ある種の対抗馬として据え置かれた。


 北の主要港シャンバール、南の大都市ゾリュには(コメス)が設置され、クラウリム地方を南北から掌握した。アノール河沿いにはガムニルクス伯が置かれ、隣接するサイスへの警戒を担った。



挿絵(By みてみん)


 ◇ ◇



 フェルリア地方はメガリス王国との最前線であり、亡命した反乱者たちも国境の向こう側に多数存在した。さらに先の戦争で再び土地は荒れ、賊徒が暴れまわっており、治めるのに最も難渋する地域であった。統治体制構築の困難さから領主自治や領地安堵を認めざるを得ず、だが同時に戦乱で土地や権利の接収も頻繁に起こり代官の設置も行われるという一見すると矛盾した状況が展開された。

 領主は在来と新参が入り交じっていた。

 古くからの在来領主であるバシレイアのヘルワース家領は概ね権限を安堵された。ユカール家は初めとするシェイディン勢はそうもいかず、リカンタ等領地削減の憂き目にあった。

 サルジェンのトーラルサ家、ソロスゴルのマシュ家は苦戦の責は問われなかったが功績もまた無しと判断され領地の増減は無かった。盆地の要所ケファロニアはメール貴族のノゴール家に与えられた。

 トリッサのトリッソン家は戦争終盤の活躍で反乱参加への罪は帳消しとなり、領地安堵となった。トリッサでは"冥神(インフェリオ)"信仰が急激に拡大していたが、ランバルトは税を払いさえすれば宗教に口出しはしなかった。

 

 旧公都ウォルマー、ネクロホルド、リカンタには(コメス)が置かれた。これらの都市は主要拠点であり王都からの経路上に位置していた為、確保は必須だった

 また最前線でもある為、国境付近は軍政地域として留め置かれた。テュリオイ、アンドロスは防衛・進撃拠点として機能することになった。


挿絵(By みてみん)




 ◇ ◇



 スレイン地方はハルト地方に次いで伯管轄地の比率が高い地方となった。オーレンの統治は穏当で善政と呼ぶに問題なく、既にしてオーレンによって整備された統治体制を引き継いだ面も大きかった。

 ロディ、アルマ、アスコンカにはそれぞれ(コメス)が置かれ、広範な地域を管轄とした。

 ハンゴルマのハンゴルム家、セプティマナのレップス家が有力諸侯として生き残ったが、他の領主は伯区の一部となるに至った。


 またスレイン公はオーレン死後新たに任命される事はなく、長い歴史をそこに閉じた。


挿絵(By みてみん)



 ◇ ◇



 モア地方は最後まで反乱を続けた経緯から、いまだ戦火燻る厄介な土地であった。だがその点を除けば、未開拓の地は多いものの平地も多く地味は豊かで、港に使える入江や鉱物資源も恵まれる良質な土地だった。それら豊かな土地の生み出す瀝青、陶器、木材が特産物として知られていた。

 また南には接する様にアイセン島があり、モア地方とは地理だけでなく経済・政治的にも密接な関係にあった。アイセン島は産出物よりも海上交易の拠点として重要で、大西海・トバーク海域最大の要衝である。

 またモア南部とアイセン島は反乱勢力の中で最も執拗に抵抗を続けた地域であり、統治は一筋縄ではいかない事は明らかだった。今尚クィンティリスら反乱艦隊に押さえられた地域もあり、対処を講じる必要があった。


 ランバルトはアイセン島・モア南部を伯区にするのではなく、シュタイン家領とする事を決めた。西方の勢力が反乱に加担したのは亡きオーレンへの忠義からであり、特にアイセン人はその傾向が強かった。そこで親類筋であるコロッリオを領主として統治させる事で彼らの心理的な抵抗感の希薄化を狙ったのだ。結果は直ぐには出ないだろうが、コロッリオがアイセン島へ入った際に排除運動が起きなかった事は一つの指標となるだろう。


 オルドーナにはプリムス家が封じられた。プリムス家のエナンドルはレグニット貴族であるが、反乱参加の代償として元の領土を放棄しまだ統治の安定していないモアへ移ることを自発的に申し出た。どの道レグニットではこれ以上の伸長は難しく、それならば新天地へと考えたのだ。エナンドルにとっては反乱参加時点での報酬としてモア地方を望んでいた事からもある意味では上手く当初の構想を引き継いだとままも言えた。

 オルドーナは比較的開発の進んでいる地域で、交通の便も良いが同時に四方に開けていて、事あれば攻め寄せられる守りには弱い土地でもあった。エナンドルの信用度をあからさまに示していると言えた。


 唯一の在来自治領主のロイスタン家はセッシラ一帯を領地として安堵されたが、シュタイン家よりも正式に下位諸侯であると定められてしまった。


 主要都市を押さえるネダー伯、ボンベア伯、トレヴィネ伯は他地方のそれにも増して治安維持の任務が重要視された。

 特に山岳地帯へ逃げ込んだクロコンタス一党は予断ならない敵であり、警戒を厳にする必要があった。



挿絵(By みてみん)



 ◇ ◇



 コーア地方はフレオンが自発的に公位と領地を放棄した為、大幅な改変があっても比較的穏当に事は運んでいた。またフレオン統治時代に大きな力を持つ領主は解体されるか膝下にねじ伏せられており、王家の下に入っても支配は容易だった。

 旧コーア公領の中心部はオリュトス伯の管轄下に置かれ、ヴァロナのジンカイ家、ユールゲンのエスターリング家は独立領主となった。

 オーナンはトッド家のハルマートが領地として与えられ、北の蛮族の守りに配置された。ハルマートは大領の主、王家直臣(オプティマス)となり、コーア地方の主要人物へと成り上がった。


 グラスローを中心とするコーア東部はリンガル公領へと組み込まれたまま維持された。統治はリンガル公の自治権下にあり、王家の代官は置かれていなかった。

  


挿絵(By みてみん)



 ◇ ◇




 リンガル・メール地方は共に王国最大の貴族プロキオン家の統治下にあった。


 リンガル地方に於いては、公都ノホールドを中心とするリンガル公プロキオン家を宗主として多くの有力貴族が領地を繁栄させていた。リンガル第二の有力貴族ニュクサのクレア家、プロキオン家の譜代家臣コルティキアのニールトン家、プロキオン家の分家筋であるロクロイのプラー家、ザルシィのトリックス家、キルクスタのキルクストン家、新興貴族のポンポニア家などである。

 リンガルの臣民達は主君に対し極めて強い忠誠心と敬慕の情を抱いており、老若男女・身分に関わらず主ジュエスに尽くした。

 若い世代ではクレア家の新当主セルギリウスやニールトン家のコンスタンスは将軍として、トリックス家のセイオンや平民出身(ノヴィ・ホミネス)のトクタムは精鋭部隊長として、ポンポニア家のフェブリズは行政官としてその才覚を遺憾なく発揮した。

 年配の者たちも同じで、プラー家のフェイスは嘗ては反抗的な家臣であったが今ではジュエスの熱心な信奉者の一人であり、プロキオン家家宰であるバウフェン家のモーティスやニールトン家当主のコンスタンティウスなどの老臣は自身の子供よりもジュエスを愛した。

 注意しなければならないのはプロキオン家は飽くまで君主であり、忠義を尽くす臣下にその権利を擁護し恩賞を与えるべき存在であると言う点である。臣下も治められているのであり決して支配されているのではないのだ。

 その観点で見ると、リンガル地方のプロキオン家直轄領が意外にも少なく、反対に諸侯領が多い事に気づく。これは戦の恩賞として本土の土地を家臣に分与していたからである。


 とはいえプロキオン家は地域外領を獲得する方針もとっていた。実の所、ジュエスからしたら北の辺境などあっても嬉しくない土地であり、臣下に譲り渡す代わりに豊かな外領を独占する口実としていた。グラスロー一帯、放棄したハルト地方領、メール地方領は全てプロキオン家の領土となっている。

 また恩賞を財貨や物資など、必要経費や投資の必要としない形で貰い受けるようにもしていた。


 諸侯の土地は彼らの権利を擁護し自治を行わせていたが、プロキオン家の直轄領には伯・代官と同様の行政官を配置していた。諸侯の中には敬愛する君主を真似て代官を設置する者もいた。



挿絵(By みてみん)



 ◇ ◇



 メール地方は厳密には女公サーラの領土だが夫ジュエスを共同統治者としていた為、実質的にプロキオン家が統治者として君臨していた。またハルト地方の領地放棄の代償の一つとしてメール地方の空白地をプロキオン家は獲得しており、その点だけでもプロキオン家はメール地方に影響を及ぼすことが出来た。


 プロキオン家は公都グリンホードを引き続き中心地とし、後述するが放棄されたドウーロ、再建したバラスやオークニオンを支配した。バラス・オークニオン再建を進めたのは両地が戦略的要衝であることもあることながら、破壊したランバルトへの意趣返しの意図もあった。

 またジュエスはランバルトからメール地方で新規に拡大した土地を領有して良いとの許可を得ていた。つまりまだディリオン王国支配下にない広大なメール東部を切り取り次第に手中に収める事が許されたということである。メール地方は整備しさえすれば農作物・鉱物資源の豊富な土地で、辺境と言えど地味の豊かさは侮れなかった。


 メール諸侯はプロキオン家を事実上の宗主としていたが、酷薄な旧主ランバルトよりも息の詰まらない時を送ることが出来た。寛大な施政と有情な統治はメールに平和と安寧をもたらした。

 カルコン家はガッサを拠点とし、当主ネフノスはメール統治官としての経験・技術を生かしてジュエスの下でも同様にメール統治に尽力した。

 ザーレディン家やトッド家の様にメール地方外の領主へ任じられた者達は旧領土は放棄するか、分家を建てて先祖伝来の領土を委譲した。

 シュタイン家はドウーロを放棄――というよりコロッリオ自身が分家筋である――し、かの地はプロキオン家の領地となった。トッド家はハルマン家、ザーレディン家はマレザール家と、分家を立て、それぞれルーメンとマレピスの統治を委ねた。

 尚、反乱者となったスリスト家領、ガウェンド家領、アルソートン家領は没収され、全てプロキオン領へ編入された。


挿絵(By みてみん)







 征服者ランバルトには軍事力とは己の力の源であり、軍制は真っ先に整えねばならない最優先事項であった。王土から吸い上げられる税、王家独占の奴隷農場と鉱山の収益を財源としてランバルトはディリオン王国の軍隊を作り替えた。

 王国軍を束ねる総司令官(インペラトール)職は空位とし、国王ランバルト自身が掌握した。


 新生ディリオン王国軍は三つの要素からなる。王個人の兵たる"国王軍(ドミニオン)"、国家の正規兵"中央軍(スコラエ)"、そして従来式の召集兵"支援軍(アウクシリア)"である。


 ◇ ◇


 "国王軍(ドミニオン)"は正に(ドミヌス)の私兵で、王の権力を擁護し王の命にのみ従う軍事力として編成された。名の元は諸侯同盟戦争の際の王党派から来ている。"国王軍(ドミニオン)"も複数の部隊からなり、それだけでも文字通り一つの軍隊を構成していた。

 王の護衛として"近衛兵(プレトリア)"が編成された。ディリオン王国旧来のものである近衛兵(プレトリア)は戦争の中で消滅と再編を繰り返していたが、ランバルトも先の王都攻防戦での奮闘には敬意を払い再び編成したのだ。数は二十人程で、大半はランバルトの側近護衛兵から取り立てられた。


 即位以前からランバルト直下の部隊であった"親衛隊(ヒュパスピスタイ)"もそのまま編入され、更に忠実だったメール兵達も"親衛隊(ヒュパスピスタイ)"へと組み込まれた。

 古参の親衛隊員は新たに銀の薄板が張った大盾を備え、"銀盾隊(アルギュラスピデス)"と命名された。アルサ家の旗印である銀十字に因んだと同時にアルサ王朝のある種の象徴としても見なされた。一方、元メール重装歩兵(ホプリタイ)達は追比的に"青銅楯隊(カルカスピデス)"と呼称された。

 親衛隊(ヒュパスピスタイ)はこれまでと同様、大盾・長槍・鎧兜を備える重装歩兵として戦い、密集陣形を組み健脚を活かした突撃戦法を主とした。武装に関しては最高品質の武器が与えられ、高価で堅牢な小札鎧も配給されるなどした。中には最新型の組み上げ式板金鎧を与えられた兵もおり、彼らの優遇の程が伺えた。

 勿論、彼らには優遇に値するだけの価値があり、王国最強の歩兵部隊の名を欲しいままにしていた。ただ一方で命令さえあれば女子供の虐殺までこなす前親衛隊員からなる銀盾隊(アルギュラスピデス)と一般のメール兵からなる青銅楯隊(カルカスピデス)は決して理解しあっているとは言えなかった。


 歩兵は親衛隊(ヒュパスピスタイ)の天下であるがランバルトは精鋭の騎兵隊も編成し、"近衛騎兵隊(アゲマ)"と呼称した。"近衛騎兵隊(アゲマ)"は馬術に優れたメール軽騎兵(プロドロモイ)を中核に全土から選び抜いた選抜部隊で、騎馬突撃を主体とする重装騎兵として編兵されていた。

 優れた軍馬を与えられ、馬の機動力を活かすためにも親衛隊(ヒュパスピスタイ)よりは軽装であったものの、全身を鎖帷子や小札鎧で覆い、長槍・盾・剣で武装し時には投槍も装備した。馬も鎖帷子の鎧で一部覆っていた。全員が上級の騎士(エクイテス)と同程の良質な装備を持ち、練度はそれを優に上回っていた。

 トランクィルス海を越えた東方地域では完全装甲馬の装甲騎兵(カタフラクト)が既に用いられていたが、ディリオン王国では前述させた様に一部装甲化に留まった。これはディリオン王国で普及していた馬は東方の優良馬に比べてまだ小さめであり、完全装甲化の重量までは支え切れなかった事による。


 コルウス族の生き残り二百人も国王軍(ドミニオン)へと組み込まれていた。強力な決戦兵力であると同時に、何かと特殊なコルウス族は手元に置いておくのが最良と判断されていた。


 "国王軍(ドミニオン)"は最高級の練度と武具を備える精鋭集団であるが編成には莫大な費用と労力が掛かった。当然ながらその兵数は多くはなく、"銀盾隊(アルギュラスピデス)"2千人、"青銅楯隊(カルカスピデス)"3千人、"近衛騎兵隊(アゲマ)"2千騎、そして近衛兵(プレトリア)とコルウス族のみであった。


 国王軍(ドミニオン)の司令官にはヒュノー将軍が抜擢された。能力では申し分無く、ヒュノーも一介の軍人でいたがった事、ランバルトの側も政治的しがらみの無い人員を欲していた。

 親衛隊総隊長は引き続きアレサンドロが任命された。代わって銀盾隊隊長はゲルハルトが昇格し、青銅楯隊隊長にはメール人であるウルラフ家のウルヴィンが任じられた。

 近衛騎兵隊隊長には新たにハスタール家の家名を得たジャヴァルに決定された。またフレオンの子フライオルは近衛兵の一人に取り立てられている。



 ◇ ◇


 "中央軍(スコラエ)"は――実態は兎も角として――王の私兵や諸侯兵とは異なり王国の為に戦う正規兵団として編成された。内乱中にも編成された"中央軍(スコラエ)"を前身としていたが、名称は同じだが内実は異なる部分があった。

 以前は簡略化メール式重装歩兵として訓練・編成されていたが、新たな形態では軽歩兵・騎兵も組み込んで編成された。

 この決定にはランバルトの戦闘教義に変化があった事による。ランバルトはメール地方での戦闘経験から歩兵偏重であったが、内乱を戦い抜く中で騎兵の価値と言うものを目の当たりにした。"近衛騎兵隊(アゲマ)"編成を積極的に進めたのもこれを理由としていた。

 機動力を活用し縦横無尽に駆け回り、人馬一体の突撃を掛ける騎兵を"槌"とし、堅牢な陣形を作る歩兵を"鉄床"として軍団を編成するのが最も有効であると判断したのだ。そして騎兵を軍団の攻撃力として使える様になったことで歩兵隊は防御力・組織力重視に変質した。


 歩兵は防具が更に簡略化されて兜・革鎧を身に付け、小型の盾を持つだけとなった。代わりに距離の防壁として槍が長大化し、5メートルもの両手持ちの長槍を装備するようになった。彼らは"密集長槍兵(ファランギテス)"と呼ばれ、戦略面ではメール式兵の特徴である健脚と素早さを維持したが、戦術面では従来と同じく密集陣形を組むが突撃は主戦法から外され、陣形を崩さず敵を拘束し続ける事が任務となった。戦場に着くまでの素早さとは対照的に戦場では踏み止まって戦う兵へと変質した。

 戦術転換の副次効果として歩兵隊は以前よりも安価になり、密集長槍兵(ファランギテス)を揃えるのは容易になった。

 これら"密集長槍兵(ファランギテス)"の機動力不足を補い側背を守るため、"軽装散兵(プラエヴェントレス)"か編成された。「前衛」を意味する名を付けられた"軽装散兵(プラエヴェントレス)"は主力と共に戦列を構成するのではなく前後左右に広く展開して散兵線を形成し、統一した装備を与えられた弓兵や投槍兵(ペルタスタイ)からなった。投槍兵(ペルタスタイ)はフェルリアの戦いで猛威を振るったネアルコス式に訓練されており、小型の丸盾と数本の軽い投槍、そして特徴的な投槍器を備えていた。一部の軽装散兵(プラエヴェントレス)は新開発の小型化した弩を装備し、弩兵(マヌバリスタリィ)と呼ばれた。王都攻防戦やクッススの会戦で見せ付けられた射撃兵器の威力をより簡便に野戦で用いようとの試みであった。まだ少数で、重く嵩張るものの、一人の兵士で運用出来るようになった点は大きな進化であった。


 防御主体となった歩兵隊の代わりに攻撃力を担う様になったのが騎兵隊である。中央軍(スコラエ)の騎兵は重騎兵(トラキタイ)――古語で「装甲」を意味する――と呼ばれた。その名の通り、鎧兜を着込んだ重装騎兵として編成され、正面突撃や積極的な側背攻撃を任務としていた。

 馬は非装甲だが、兜、短い鎖帷子、大盾、突撃用の槍、近接戦闘に向いた騎兵用の長剣を装備した。遠距離武器は備えておらず、さながら重装歩兵(ホプリタイ)の様な一丸となっての突撃攻撃を行った。

 同じ重装騎兵でも近衛騎兵隊(アゲマ)とはやや編成目的は異なり、強力な騎兵戦力を欲して編成されたのが近衛騎兵隊(アゲマ)であり、攻撃を担う戦力として整備されたのが重騎兵(トラキタイ)であった。そして、この事はディリオン軍が諸兵科連合戦術や一層の組織戦闘を重視する様になったことを意味し、同時に大量動員・大量投入を目指すようになったことも意味していた。

 訓練途上の兵員を除いて、兵力として計上できるのはこの時点で密集長槍兵(ファランギテス)4万人、軽装散兵(プラエヴェントレス)1万人、重騎兵(トラキタイ)3千騎であった。


 中央軍(スコラエ)は志願制を採用しており、歩兵は多くが以前と同じく貧しい平民であった。騎兵隊は零細勇士(ミリテス)や領主の次男三男からなったが、これは騎兵はいざ編成するとなっても乗馬技能が必要であり、技能はあるが土地や財産が無いと言う彼らは動員母体としてうってつけであったからだ。

 中央軍(スコラエ)は王国各地に建設された駐屯基地を拠点として編成された。駐屯基地は何れも王の城塞(カステル・ドミヌス)と同じく大都市や重要拠点の傍に建設された大規模な砦で、城壁や塔に守られていた。これらは防衛機構の基幹としてだけでなく、(コメス)の権力背景や大領主への抑止としての機能も担っての措置であった。

 中央軍(スコラエ)には全部隊を統一する長官は置かれず、各部隊毎の指揮官のみが設置された。独立作戦や広域活動など統括指揮官が必要な場合はその都度に適宜司令官が任命されるが、軍事行動のみに専念させる為、基本的に(コメス)代官(トリブヌス)ら行政官と中央軍(スコラエ)指揮官は兼務することはなかった。

 またこれら指揮官達は、特に歩兵隊指揮官は中央軍(スコラエ)生え抜きの将校だけでなく外部の貴族たちも多く使われていた。兵としての戦闘力や小隊長程度なら兎も角大規模指揮に対応できるだけの事務能力やなどはそう簡単に与える事は出来ず、やはり相応の教育を受けた貴族ら上流階級に現状では頼らざるを得ないのが実情だった。また軍の組織化が進むと指揮系統の複雑化は避けては通れず、上級から下級まで多くの指揮官・士官が必要となり、一層貴族ら上流階級が求められる事になった。


 巨大な軍事組織となったディリオン軍は兵站制度も整えられた。諸侯同盟戦争中には亡き長老ハルマナスの達人業に依存していたが、彼の死後は組織として整備し始め、ブリアンの乱では既にその威力を発揮していた。

 ランバルト即位後は更に成長し、全土での大規模な兵力展開にも耐えられるだけの兵坦組織が存在した。駐屯基地は物資集積所としても機能し、兵站部には中央軍(スコラエ)所属の担当者だけではなく物資調達の役人も派遣され、より効率的・広範囲の兵坦組織の整備が進められていた。



 ◇ ◇


 

 ランバルトは本心では諸侯から軍事力を奪い王家で独占したいと考えていたが、現実的には不可能だとも理解していた。幾ら財政基盤があると言っても限界はあり、王国全土の治安維持と対外侵略を同時になすだけの正規軍団を編成する余裕は到底無かった。

 全ての任務に態々野戦特化の中央軍(スコラエ)を投入するのは余りにも費用対効果が悪く、不足分や補助部隊は諸侯の私兵や傭兵を用いらざるを得ない部分があった。これらは諸侯兵・諸都市兵・傭兵・外国人同盟軍の全てを総称して支援軍(アウクシリア)と呼ばれた。


 支援軍(アウクシリア)の任務は主に治安維持と中央軍(スコラエ)の補助である。平時には領主や(コメス)の下に動員され治安維持を担い、戦時に於いては輸送隊の護衛、陣地設営や整備、要塞守備、包囲部隊などあらゆる"裏方仕事"に投入された。肝心の野戦に於ては主力となる国王軍(ドミニオン)中央軍(スコラエ)の騎兵戦力や射撃戦力の増強に充てられた。


 騎士(エクイテス)勇士(ミリテス)は従来通り支援軍(アウクシリア)の中核として位置付けられ、民兵(ヌメルス)達を率いて参戦した。彼装備もこれまでと同じく全て自弁とされたが、役に立たない兵士の増加を嫌ったランバルトは持ち寄る武具には一定の基準を定めた。彼らは可能な限り騎兵として従軍するよう命じられ、打撃力の中心は正規の重騎兵(トラキタイ)が担う為に必ずしも重装騎兵であることは要求されず、武具や相応の馬が用意出来ないならば軽装騎兵としての従軍が求められた。徒歩の重装戦士としての勇士(ミリテス)は最早ランバルトの軍隊には不要だった。

 民兵(ヌメルス)密集長槍兵(ファランギテス)同様の槍歩兵団或いは十分に訓練された弓兵として整備するべしとされた。何れも装備は安価である一方で軍に組み込めばそれなりの効果が見込め、かつ槍歩兵や弓兵単体では武力としては寝返っても驚異にならないという考えもあった。当然だが槍兵団は中央軍(スコラエ)密集長槍兵(ファランギテス)より弱く、防御陣を形成するのみで、戦略的な機動力も持ち合わせてはいない。



 ◇ ◇



 本来ならば中央軍(スコラエ)支援軍(アウクシリア)に編入するべきなのだが、政治的事情から独立部隊として存在している軍があった。ジュエス麾下のプロキオン軍である。

 プロキオン家軍は再統一前からの独自性を維持し続けており、当主のリンガル公ジュエスを司令官として存在していた。またプロキオン家の軍勢にはリンガル兵だけでなく、新たに統治下に入ったメール人も組み込まれていた。

 プロキオン軍は新生ディリオン軍が諸兵科連合・組織連携化重視へと変移したのに対し、内乱中に培われた戦闘方を正統的に継承・進化させて採用した。突撃主体のメール式重装歩兵(ホプリタイ)や機動力に長けた重軽の騎兵、そして従来型の個人戦闘に対応した勇士(ミリテス)、精鋭と一般兵を組み合わせる戦法も同様である。


 内戦中に大きな活躍を見せたリンガル騎兵隊であるが飽くまでもこれらは臨時に集成した部隊であったのをジュエスは正規の部隊として編成した。選抜騎兵達はヘタイロイ、古語で「仲間」を意味する名で呼ばれた。

 美称をつけたのはただの見せ掛けではなく政治的意味があった。リンガルは決して強兵の地ではなく、これまでリンガル兵が精強さを保っていたのは偏に主君への狂信的なまでの忠誠心による。だが新たに加わったメール人もジュエスらプロキオン家に感謝はしているだろうが心酔とまではいかない。メール人らを組み込む為にも主君への親密さを強調し、連帯感を演出しようと図ったのだった。

 常備軍として編成された近衛騎兵隊(アゲマ)とは異なり、常備されたのは一部のみで残りは有事の際に集められた。常設部隊はジュエス直下の護衛部隊として編成されて装備品も全て支給され、主に平民や土地無し勇士(ミリテス)の志願兵から集められた。有事の際の動員者は貴族や騎士(エクイテス)からも多数選抜され、彼らは定められた装備を自弁で揃えた。

 選抜騎兵(ヘタイロイ)の装備は同戦術の先駆者らしく重装騎兵のそれであるが、経済力の差から近衛騎兵隊(アゲマ)よりは軽装であった。総数は常備・予備含め2千騎に達した。これだけの重装騎兵隊を整備しえたのはリンガル・メールと言う辺境であると言う点を考慮すれば驚異的とも言えた。

 選抜騎兵(ヘタイロイ)の指揮官にはトリックス家のセイオンが任命された。


 決戦兵力たる騎兵隊だけでなく、常に戦場の主力であり続けた歩兵隊も同様に正規部隊として整えられた。

 彼ら精鋭の選抜歩兵にもペゼタイロイ、即ち「歩兵仲間」を意味する美称が与えられた。選抜騎兵(ヘタイロイ)と同じく、メール人が重装歩兵戦術の本場であれば尚のこと、メール人兵士達取り込みは重要課題となる。

 メール式重装歩兵(ホプリタイ)の戦闘教義に忠実に長槍・大型の丸盾を主武器とし兜・鎖帷子・脛当てを身に帯びて、密集陣形による突撃戦術を採用していた。簡略化・諸兵科連合化を推し進めた中央軍(スコラエ)とは対称的である。

 "選抜歩兵(ペゼタイロイ)"も常備兵は一部で、有事の際に訓練を受けた歩兵を召集する――この時期はまだ内戦を勝ち抜いた精鋭が多くいた――体制を敷いた。また装備は全て支給され、平民の兵士が多い故から給料や軍役補償金も支払われた。

 選抜歩兵(ペゼタイロイ)は創立時点では1万人を数え、大部分は二度の内乱を経験した古参兵であった。

 平民出身(ノヴィ・ホミネス)のトクタムは常備選抜歩兵(ペゼタイロイ)部隊の隊長としての任を受けた。


 メール地方の軽騎兵(プロドロモイ)もまたアルサ本家に代わりプロキオン軍に組み込まれることとなった。多くは内戦中に徴収され他地域へ移ったため、新たに編成されたのは5百騎だけである。

 重装騎兵化して遊撃戦の任務を取り除いたランバルトとは異なり、ジュエスは軽騎兵(プロドロモイ)の高機動力自体を有用だと判断しており、遊撃・広範囲展開兵力として確保していた。


 プロキオン軍では基本的に勇士(ミリテス)も平民も関係なく志願兵として集めたが、制度としてよりも当主ジュエスの個人的な求心力によるところ大であった。感情的な面だけでなく実際的な面でも土地や報奨を出し惜しみせず、各家・各人の権利を守るので主君への忠義が自身の利益に直結するのだ。

 個人的求心力と法的制度にはそれぞれ利点があるが、どちらが有利となるかは今後の時代の流れ次第であった。


 諸侯・諸都市には従来通りの兵権は認められており、必要時には補助的軍勢として徴集された。基本的にはディリオン伝来の編成だが、ランバルトとは異なり特に規制はしなかったので個人的に重装歩兵(ホプリタイ)式の私兵を保有している貴族もいた。また特殊技能のある同盟軍や傭兵は軽歩兵・軽騎兵として雇われ、主力部隊の支援を担当した。


 ◇ ◇



 傭兵はディリオン王国では馴染みある存在で、戦争、護衛、警備、果ては暴力団同士の抗争や略奪の手伝いにさえ雇われた。これまで傭兵は貧民の数少ない受け皿であったが、今は治安の向上、中央軍(スコラエ)の存在、平民の生活安定、奴隷制度の一般化によって良くも悪くも傭兵のなり手が減少していた。とは言え、全く居なくなった訳ではなく、これまでに比べて少なくなっただけであり、依然として確固たる存在感を放つ存在ではあった。


 騎士(エクイテス)傭兵は当然だが非常に珍しい。そもそもの母体数も少なく、傭兵家業に身を投じなければならない程困窮していれば、既にして騎士(エクイテス)とは到底呼べない。では何を目的としていたかと言えば軍事的冒険、土地などのより価値ある報酬の為である。ただし表向きは同盟や義勇軍だとか呼ばれる事が殆どではあった。

 同じ貴族階級でも勇士(ミリテス)ともなるともっと差し迫った事情によった。下級勇士(ミリテス)などは財産と言えば武具と戦闘技術くらいしかなく、宮仕え先が見つかればよいが、駄目ならば生計を立てるには金銭と引き換えに雇われるしかなかった。

 平民の傭兵に関しては言わずもがなであろう。飢えて死ぬか、賊徒になって縛り首になるか、それとも戦場で機会を掴むか。その最後の選択肢を選ぶ者が少なくないのは当然である。


 傭兵は何も王国出身の兵だけではなく、海外出身の傭兵も数多くいた。傭兵志願の事情は海外でも何ら変わることはなく、彼らもまた富と栄光、或いは最後の手段として傭兵稼業に飛び込んだ。

 中でもダークス傭兵は最も高価で貴重であった。遥か東の諸島出身のダークス傭兵は高い士気と職業意識を持ち、勇士(ミリテス)制度が幅を利かせるディリオン王国でも費用に見合うだけの価値はあると知られ、状況が許せば諸侯は挙って雇い求めた。だが遠方出身の傭兵であり、間に挟まるラトリア国が殆どを雇い入れてしまう為、ディリオン王国までやってくるのは非常に稀だった。


 サイス傭兵は優れた騎兵と突撃力を誇る蛮族兵である。法や契約を軽視する文化があり、蛮族らしく略奪に走ったり不利になると忽ち逃げ出すなど兵としては扱い難かった。他の外国人傭兵と違いサイス人は度々ディリオン王国へ攻め込んでいたので雇い入れたとは言え国境を越えさせる事には抵抗感があったのか、ダークス傭兵とは別の意味で稀な存在であった。

 一方で個人的な誓約関係下ならば極めて強固で勇敢であるとも知られていたが、王国の歴史では特殊な例と言えるだろう。


 東方のルガ傭兵は軽歩兵や軽騎兵が主体で、散兵が必要な時は雇用された。シェル海とトランクィルス海に挟まれた高原地帯であるルガの民は頑健で足腰が強かった。あくまで軽装部隊なので警戒・偵察・斥候などの非戦闘任務が主体である。


 海外傭兵で数の上で最も多かったのがタンザ傭兵とエルドニア傭兵である。タンザとは一般に大陸南部を指すが、傭兵として雇われたのは主にペラール近辺の多少文明化された部族である。エルドニアはエルドン海とブラウ川の間を指し、フェルリアやメガリスに近い文化・風習を持つ。

 基本的に安価低質で、領民である民兵を死なせたくない時に用いられ、どれほど死んでも痛手にならない消耗品だった。軽装の槍兵か弓兵が主だが、エルドニア傭兵の中にはメガリス式の抜刀切込み兵もおりこちらは相応に兵として役立った。



 ◇ ◇


 海軍に関しては規模と基地が増加しただけで根本的な部分は変わっていない。主力はガレー軍船で、衝角・乗船戦術を戦法として採用した。暫く取り入れていた"鉤爪"は操船技術の向上から不要となり撤廃された。

 正規艦隊として大西海方面にストラスト艦隊150隻、トラヴォ艦隊80隻、シェル海方面にコライトン艦隊40隻が配置された。船舶数そのものも巨大だが、搭乗する水兵や漕ぎ手、陸戦要員は総数6万人に達し、人数だけなら新陸軍を上回ると言えた。

 海軍司令官としてザーレディン家のテレックが任命された。ランバルトの信用篤く、メガリス艦隊やアイセン船団を撃ち破った実績のある彼を登用されない理由は何処にもなかった。


 その他各警備艦隊、武装商船団、輸送船などが各地域に存在した。その中でも特筆に値するのはノホールドのプロキオン家艦隊10隻、アイリスのクレッグ家艦隊5隻、バシレイアのヘルワース家艦隊5隻である。何れも補助的な役割に留まるが、一隻だろうと軍船を保持しているというのは軍事的に決して無視しえるものではなかった。

 また内乱で猛威を振るったアイセン船団は新たな領主シュタイン家の傘下に入ったが、まだ体勢は立て直し切れておらず20隻程の軍船が所属しているだけであった。






 中央官制に於いては宰相プレフェクトゥス・スペリオルを頂点とした事は変わらないが、補佐する政務官を増やし役割を振り分けた。財務官(クアエストレス)法務官(ポテスタス)造営官(アエディリス)が新規に設置された。

 財務官(クアエストレス)は財政管理や徴税一般を担当し、法務官(ポテスタス)は代官の権限を超える重要な裁判や処刑を取り仕切った。造営官(アエディリス)は国土の測量、農地開拓、街道整備、鉱山開発、新都市建設や補修などに携わり、中央軍(スコラエ)の兵坦管理にも関わった。

 各政務官は複数おり、必要に応じて王都から地方へも出向した。例えば造営官(アエディリス)は22人が任命され、王都には4人、地方へは18人が任地として在していた。

 中央政務官と(コメス)は同格とされたが、より中央部との繋がりが強く権限が広範に渡る政務官の方が実質的には上位にあった。

 元々ランバルトの即位と共に政務の長である宰相プレフェクトゥス・スペリオルはピュリア家のフレオンが任じられたが、軍事の各々である総司令官(インペラトール)は空席のままとなり、軍はランバルト王が直下で掌握し続けた。


 政務官にしても代官にしても、軍指揮官にしても、拡大と整備のために兎に角も人材が必要だった。ランバルトは人材登用にも貪欲で、身分の上下も出身も問わなかった。問題とされたのはただ能力と服従心だけである。

 例として軍指揮官には親衛隊のアレサンドロやゲルハルトがいた。彼らは正真正銘の生まれ賎しき平民であり、忠誠心と軍事能力のみで評価されて幹部へと引き上げられた。政務官では地方豪族に過ぎない身分で宰相にまで登り詰めたフレオンが代表格だが、もう一人で例に平民出身(ノヴィ・ホミネス)のセバンティがいた。元々は成り上がりの下級勇士であるが内戦中にランバルトに見出だされて軍指揮官や要衝の代官に任じられ、時代がアルサ王朝へと移行すると首都圏長たる"ユニオン伯"へと抜擢された。


 ◇ ◇


 ランバルト治世下の経済政策で最も重要視されたのは税制の整備・統一である。ランバルトにとって経済とは、効率よく富を収集する手段に過ぎず、意識の根幹は徴税にあった。

 ディリオン王国ではそれぞれの領主毎に領内の税制が定められており、王家をは王家の、諸侯には諸侯の税法があった。その為、恣意的な課税や未払いが起きることも希ではなかったが、これを一律に定める事で財政や社会を安定させようと図った。王家領や代官区には真っ先に浸透させ、各自治領へも可能な限り統一した税制を採用するよう要求した。

 税は土地税・人頭税・関税からなり、都市や村落などの各共同体単位で徴収された。極めて単純化して言えば、平民は概ね収入の三分の一、自治領主は統治経費を勘案して五分の一が税として課せられた。但し全国規模での徴税はディリオン王国では未経験に近い政策であり、行政制度や税制自体の未熟さも合間って非効率・不適合な部分が存在し、また発展の余地が大きく残されていた。

 

 王家自体の財政改革として大規模奴隷農場(ラティフンディア)の建設、独占鉱山の開発があった。


 大規模奴隷農場(ラティフンディア)は云うまでも無いだろうが、奴隷を大々的に用いて経営される農場で、非常に安価に農産物を獲得できた。制度は王家の独占物とされ、同様の奴隷使用は厳しければ罰せられた。

 ランバルトはここで獲得した農産物は基本的に兵糧として集積し、市場には流さなかった為、安価な農産物の流入による一般農民の没落は招かずに済んだ。だが飢饉や民間の物資不足が生じた場合はその限りではなく、必要に応じて放出すると定められた。

 この奴隷農場で作られる作物は小麦や大麦だけでなく、"命の穀物"と呼ばれた燕麦、黒麦、蕎麦などの救荒作物が積極的に栽培された。味は劣るだろうが一般流通させる目的はなく、王国全土での展開も考慮し農作物としての耐久性と収穫の容易さを求めた結果である。そして飼料確保の利便性から国営の軍馬飼育も主に奴隷農場で行われることになった。


 ランバルトはメール地方で蓄えた技術を転用し、王国各地方で新規の鉱山開発を行った。それら鉱山で奴隷を大規模に使用し、鉱夫の損失を考慮しない開発で瞬く間に生産量を上げた。奴隷の大規模使用により事実上新規の鉱山は王家独占となり、重要な財源となった。

 レグニットのゲネヴ銀鉱山、モアのペネイア銅鉱山は特に重要な鉱山として知られ――同時に無数の鉱山奴隷を消費する死の山としても――、ディリオン王国の貨幣量の増加、引いては商業活動の発展にも大きく貢献することとなった。

 貨幣量の増加に平行して国内の貨幣制度統一も進められた。ランバルトは独裁的権勢を背景に基軸通貨となる金貨・銀貨鋳造権を(プリンケプス)から剥奪し、各貨幣の重量・交換比率も定めた。新たな制度では金貨一枚は七グラムの黄金から作られ、銀貨五十枚及び銅貨三百枚と定められた。貨幣質と交換率の安定化は経済活動の活発化に大きく寄与する事になる。

 余談だが当時の価値としては、銅貨二百枚で大人の一日分の食費を賄え、良質の騎兵用に武具や馬を揃えるのに一騎当たり金貨五十枚が必要になっていた。


 ランバルトは先述の貨幣制度の統一もそうだが、商業や交易も軽視しなかった。各地に街道を敷設して交通網を整備し、一定距離毎に宿場町を設営させた。伯や大韓には治安と共に街道の商人や旅人の安全を守るよう厳に命じ、物資の流通を安定させようと図った。ランバルトは無情な支配者だが愚かではなく、戦争は金になるが富を産むのは平和なのだと理解していた。海でも艦隊を巡回に広く展開することで海賊の跋扈を防ぎ、海上交易の発展を支援した。

 平和と安定、王の支配力の増加はディリオン王国の豊かさを確実に向上させた。商業や交易は活発になり、街道敷設など大規模な公共事業は下層民にも雇用を創出した。ランバルトが自由に扱える国庫の年収は盛期には金貨三万枚に達し、直轄地の増大もあるが単純比較でもブルメウス王時代の5倍以上となった。


 商業が発展し奴隷制が拡大したアルサ王朝ディリオン王国で今までは極少数だったある職業が隆盛を誇ることになった。奴隷商人である。

 奴隷商人から"商品"を買う者は多く、特に王家が最大の顧客だった。大規模奴隷農場(ラティフンディア)や鉱山で酷使する為に王国の奴隷消費は早く、忽ちに戦争捕虜や極貧者、犯罪人だけでは足りなくなっていた。奴隷商人達は海外の安価に人間が手に入る土地、主に南方のタンザやエルドニアから買い付けたり、現地へ出向いて人狩りしたりと、良く言えば情熱的に悪く言えば手あたり次第に奴隷を商品とした売買を行った。利に聡いトラヴォ市などは大々的な奴隷市場を開き、外国でもペラール市などは戦争状態はさておいて奴隷を売って巨利を得た。皮肉なことではあるが、これら奴隷商人達が開拓した流通路もまた多く出現した。

 勿論、奴隷商人は軽蔑され、決して尊敬を受けるような職ではなかった。だが金を稼ぐには手っ取り早く、国が最大の商売相手なので同時に安定もしていた以上、利益第一の者には魅力的な仕事だった。


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