『梟雄の時代・一 ~クッススの会戦~ ~クラインの会戦~』
戦争は次なる局面へと進んでいた。
王都を囲んでいたブリアン派の軍勢は敗北と内紛の末に退いていった。
ハルト諸侯は殆どが降伏或いは制圧され、ハルト地方は一部を除いて再びミーリア派の手に戻った。
ブリアン派軍最大の有力者へと成り上がったテオバリドはフィステルスに陣を張り、軍の再編に着手した。
ライトリム各地から兵を再度集め、資金のある限り傭兵を雇い入れた。
更にレグニット地方の兵もブリアンの名の元に召集した。ガムローとエナンドルは命令に従い兵は送ったが、自身らはトラヴォ包囲陣に留まり出馬しなかった。
最終的にはライトリム兵を中心に4万2千人が集結することとなった。質はまちまちで、精鋭のメール兵もいれば、金で雇われただけの傭兵や民兵も含まれていた。
◇ ◇
ミラッツォと王都での戦いで辛うじて勝利を手にしたランバルトらミーリア派だったが、それも戦争の天秤を漸く並行に戻したに過ぎない。
テオバリドのライトリム軍は未だ健在で、レグニット・モア・フェルリア地方では敵方優勢である。クラウリム地方は過半が敵勢力下にあり、旧オーレン配下の北部軍は敗北したとは言え戦力を保持しメール兵の寝返りもあって決して弱体化してはいない。ライトリム・スレイン地方に至ってはブリアン派の手から寸土も奪還できてはいない。
新暦666年9月、ランバルトも軍の再編を行った。
先ずは何は無くとも兵力の補充が急務である。
リンガル地方からは訓練兵・守備隊など3千人を掻き集め、コーア地方からは2千人の兵士が動員された。
バレッタ地方からは兵3千人が召集され、ワーレン家のジャンがこれを率いることとなった。
更に降伏したハルト兵をランバルトは殺さず、そのまま幕下に再び加えていた。これまでのランバルトからすれば極めて寛大な処置と言えたが、それだけ戦力に余裕が無かった事を示している。
次の課題は兵力の再配置についてである。既存の兵をどの方面に担当させるか、集めた兵を何処へ送るか、そして誰が率いるのか、決定しなければならない事は山程あった。
だが各方面の司令官についてランバルトは全く予想外の人事を決定した。
◆ ◆ ◆
【新暦666年9月 王都ユニオン リンガル公ジュエス】
――ジュラの時は大丈夫だったじゃないか。今度も大丈夫さ。きっと――
思わず慌てて開けそうになるのをこらえてジュエスはゆっくりと扉を押した。
「僕だ。入るよ」
ジュエスが扉を開けると部屋の中央に置かれた寝台の上に妻サーラが寝そべっていた。傍らには医師や産婆、侍女達が何人も侍っている。
「ジュエス」
サーラの額には汗が浮かんでいた。腹は大きく膨らみ、臨月も間近であった。子を孕んでから九ヶ月、まだ少し早いとは言え今産まれても不思議ではない。
ジュエスはサーラの横に座り、彼女の手を握った。じっとりと汗ばんでいるが、自分の手と彼女の手のどちらが汗ばんでいるかは分からない。或いは二人ともかもしれない。
「大丈夫かい?」
「ええ。今は落ち着いているわ」
「君には無理させてしまった。ごめんよ。僕の所為だ」
「いいえ、貴方の責任ではないわよ。それにもう大丈夫だから、ね」
王都での戦いはやはり負担だったようで産気づくようになった。前の子の時、ジュラの時も同じ様に早い内から産気づき、冷や冷やしたものだった。出産自体は大きな問題無く経過したのは幸運だった。
もしもの為に王都で一番の医者や産婆達を囲い込んで付きっきりでサーラの看病をさせていた。
「閣下。奥方様は一先ずは落ち着いております。産気を抑える薬もありますが、時期も時期ですから使う必要はないかと考えております。下手に薬を使うと産まれた後に血が止まらなくなってしまいますから」
「分かった。ありがとう」
医者は一礼すると手を洗い、てきぱきと薬瓶や器具類を片付けていった。仕事を果たした満足感があるようだ。
――腕は良い筈なんだから、頼むぞ。もしサーラが死んだらお前の事は必ず殺すからな――
ジュエスは傍目に医者を見ながら思った。
開け放たれた窓から外を見る。
窓から外に覗ける街並みは未だに破壊の痕跡を色濃く留め、戦いから治りきっているとは到底言えない状態だった。
特に焼き払われた南側は崩れ落ちた建物の残骸で満ち、住まいを失いながらも土地を捨てられない市民達があずまやを作って住み着いていた。その光景を見ると焼け焦げた煙の匂いが残っている感覚すらする。
――サーラと産まれ来る赤子に良い光景だなどとは僅かも言えないな。風通しは悪くなるだろうが、そもそも通って良い風とも思えない――
ジュエスは窓に掛かる遮光布を閉め、再びサーラの傍らに座る。
「今日は軍議だったかしら」
「ん、うん、ああ……」
「お兄様とまた会うのでしょう」
「うん、まあ、そうなるだろうね」
ジュエスは口篭った。サーラには今は負担をかけたくない。軍議なり策謀なり、兎に角面倒事からは解放させたかった。子を産むという一大事に集中出来る環境を作りたかった。
ただ彼女の側がそれを許さなかった。
「皆、部屋から出てちょうだい。ジュエスと二人にして」
「サーラ」
「いいの。私がそうして欲しいのだから。貴方の苦痛は私の苦痛よ。言ったでしょう?」
サーラの言うままに医者や召使いたちは部屋の外へ出た。公妃の命は絶対だ。
彼女の想いはとても嬉しかったが、こんな状況でさえも彼女に負担を掛けねばならないという情けなさも感じていた。これでは守らねばならない相手を逆に苦しめている様なものだ。
サーラは部屋に二人きりになるのを待ってから再び話し出した。
「いい、ジュエス。フレオンを上手く利用して」
「フレオンか……どうしても? 君の事は信じているけど、彼奴のことは……」
「フレオンを信用なんてしなくていいの。彼奴には彼奴の行動理由があるはず。それを利用するのよ」
サーラの瞳には強い決意の炎が宿っている。こうなると説得は難しい。
彼女の話では、王都包囲中の軟禁の件でフレオンはランバルトの暴走を説得して収めたのだという。確かに話を聞く限りでは、フレオンの言葉でランバルトの行動に変化が見られている。
ランバルトを操れるなんて信じられないが、確かに奴なら何かしそうだという思いもある。
――だがブリアン派の連中だってそう考えていた筈だ。裏があるとわかっていた筈だ。だが利用していたつもりが結局はあの様だ――
恐れと言ってもいいかもしれないが、その思いを拭う事が出来ないでいた。そういう意味ではオーレンの様に実際に剣を交える方がまだましと言えたかもしれない。
今回、同じ陣営でフレオンの手練手管を見て改めてそう感じた。
「正直に言って僕にはフレオンを利用し切れるとは思えない。認めたくはないが、彼奴の策略の腕は一流だよ。気を付けていてもいつの間にか皆絡め取られている」
「そうね……でも貴方だけじゃないわ。残念だけど私もその事は認めざるを得ないわね」
「……君のフレオンに対する態度が変わったのも気になるな」
サーラは以前はフレオンを毛嫌いし、人間性は勿論のこと彼の才も能力も否定的に捉えていた。しかし今は違い、少なくともフレオンの才だけは肯定的に受け止めている。
自分以外の男の評価が上がることも嫌だが、自分がもっと上手くやっていればそもそもサーラをそこまでの状況に、つまりフレオン如き相手を頼らねばならない状況に追い詰めることもなかったと思うと一層悔しかった。
「やぁね、嫉妬してるの?」
「それはその……」
ジュエスは何とも答えにくく口篭って目を背けた。不意に彼女の掌が頬に添えられると、そっと口付けされた。
サーラの瞳が目の前にあり、吸い込まれそうな感覚を覚える。サーラは柔らかな声色で耳元に囁いた。
「言ったでしょ、利用してるだけだって。用が済めばフレオン何か塵捨て行きよ」
戦場では多くの活躍をしてきた一人の戦士だとジュエスは自分でも思うが、サーラの前だと甘えた若者に戻ってしまう。だがそれが心地よかった。
「大事なのは貴方とジュラ、そしてお腹の子だけよ」
「……うん」
互いに抱き、抱かれる。彼女達が失われる様な事があれば、一人ではもう生きていくことは出来ないだろうとジュエスは強く思う。
「それと、ちゃんとお兄様にも"宜しく"ね」
「ああ、それが一番大事だ」
「お兄様が誰をどう疑おうとそんなのはどうでもいいけれど、やられ放題なのは気に食わないわ。増して貴方やジュラにまで手を伸ばそうとするなんて、条約違反だわ」
発言の意図と意味に比して妙に子供っぽい言い方に思わずジュエスは吹き出しそうになった。
――それはまた、一体何て条約だい?――
「分かっているよ。もう君達をあんな恐ろしい目には合わせない。ランバルトも勝手気ままにはさせないさ」
「それでこそ、私のジュエスよ」
ジュエスが負担を掛けたくないと思いつつもサーラの元へやって来たのには、勿論安否が気掛かりだったというのは第一だが、少なからずランバルトやフレオンとの対峙に不安を覚えていたからだ。
強い意思があっても彼らと渡り合うのは容易ではない。反対側の立場になる可能性が高いならば尚更だ。故に、端的に言って勇気付けてもらいに来たのだった。
そしてその目的は大いに果たされた。
――やはりサーラは僕の女神だ――
「ありがとう。じゃあ行ってくるよ」
「ええ、行ってらっしゃい」
そう言ってサーラはもう一度ジュエスに口付けした。
◇ ◇
【同 宮殿、小議の間】
「揃ったな。では軍議を始める」
軍議の始まりは常通りだが、戦いの前までとは明らかに異なる様相を見せていた。これまではランバルトを最上座としながらも全員で議卓を囲み、総司令官ランバルトの左右にジュエスとフレオンが座るというのが通例だった。
ところが今はランバルトだけが扉正面の上座に位置し、対面に他の全員が横並びになっていた。公のジュエスやフレオンも同様の扱いで、階級や身分・派閥に関係無く並べている。
並んで座っているのは親衛隊長アレサンドロ、リンガル人のセルギリウスやセイオン、ローウェン家のフライスらバレッタ人、その他幾人かの忠実なハルト人貴族達だ。特に気にしていない様子の者もいれば、居心地悪そうに顔をしかめている者もいる。同じなのはただ黙っている事だけだ。
――それにしても随分と露骨だな。特定の人物を際立たせたくないという考えがはっきりしすぎているよ――
ただフレオンもまた同様の扱いをしているのは、ランバルトの逡巡やフレオンの限界を示しているのだろうか。当のフレオンは相も変わらず何を考えているのか良く分からない表情をしている。
「言うまでもない事だが戦いはまだ続いている。北のクラインには裏切り者共がまだ集っているし、南のライトリムには大軍が集結しつつある。我が軍もこれに対し、勝利を手にしなければならない」
二度敗北してもブリアン派の軍勢は未だ衰えず、脅威足るべき兵力を維持していた。限られた戦力・選択肢の中でこれらの強敵とまだ渡り合わねばならなかった。
ランバルトは青い瞳で諸将を睥睨しながら話を続ける。
「状況から見て優先度がより高いのは北部であると考える。よって北部軍は私自身が指揮を執る。親衛隊も投入する」
緊張は走るが場がざわつくことはない。ランバルトは本来戦場の人であり、前線での指揮で勲功を上げてきた男だ。寧ろ自ら出陣すること自体は彼らしい選択と言える。
だがランバルトが出陣するということは即ち王都が空白になるということだ。現在の戦況では大きな危険因子になりうる。その件は指摘せざるを得ない。
「王都を離れるのですか? 王都の守りが薄くなりますし、連中の行動が活性化する可能性がある。危険では?」
ジュエスは言った。勿論、危惧しているのは王都そのもの危険でもなければランバルトの身でもない。ジュエスにとってはユニオンが再び炎に巻かれても別に構わないし、ランバルトが追い詰められてもよいのだが、ただ出産を前にして動くことの出来ない妻達に戦禍が及ぶ事だけは避けたかった。
――それにランバルトがいない間、南のテオバリドと対峙することになるのは僕だろうしな。ある程度の戦力は貰わないと――
「南にも抑えの軍勢は送る。北の問題を対処するまではそいつらに対応させる」
「数はどの程度になりますか」
「一万五千程だ。拠点防衛に徹すれば守りきれるだろう」
「突破されたらどうします。何故その抑えの兵力だけで十分だと?」
「戦争とは全て不明瞭なものだからな。お前の懸念は分かるぞ、ジュエス。だが、これは決定であり、命令だ。意味は分かるな」
「意味は分かりますよ、意味はね。しかし、敵軍は四万は集めています。それに対して二万人では私でも守りきれるとの確約は……」
ジュエスの言葉を遮る様にランバルトはふっ、と鼻で笑った。短く刈った顎髭を擦りながらジュエスを見る。
「私も分からんことがある。何故お前が南部方面の具体的な方策について思い悩むのだ。私と共に北へ向かうというのに」
「私も?」
「そうだ。それが最も確実だからな。それに、元々お前は北部軍の司令官ではないか。今までの任地へ戻るだけの事ではないか」
ランバルトの瞳は冷たい。ジュエスは正面から受け止めたが、いざ敵意を受けるとなるとやや胆力を要した。
――やられたな。立身出世に拘りはないが、思ったよりもずっと警戒されている。これでは下手すれば使い潰されるかもしれんな――
返答を送らせ、僅かに思案する。了承の旨以外に返答は許されないのだが、分かりましたとただ言うだけなのも美味しくはない。
「宰相閣下、一つ宜しいか?」
そう思っていると、フレオンが言った。
「何だ」
「ジュエス公が北へ向かうならば、ではライトリム方面軍の司令官にはどなたがなられるのか?」
フレオンは平然とした表情を崩さない。ジュエスを利用する事を考えてはいたが、まだ彼の意図が読めない為にまだ見に徹していた。
「能力は諸将とも疑うべくもありませんが、司令官となるならそれなりの格と言うものが必要でしょう。まあ公と言っても私は適任ではないので省かれるのは分かっていますが」
地位だけならばもう一人の公であるフレオンが司令官となるのが順当だが、フレオンの軍才の平凡さは有名だった。形だけの司令官だとしても、下手に指揮官に任じても足を引っ張る結果にしかならないだろう。そうなるならば次席級から、能力と実績を見てセルギリウス辺りが任命されるだろうかと予想された。
「ライトリム方面はヒュノーを司令官とする」
だがランバルトの口からは思わぬ名が飛び出た。予想外の指名に場が一気にざわつく。
「ヒュノーを、彼を司令官に据えるのですか!?」
フライスが言った。かつて他のバレッタ貴族と共にヒュノーを切り捨てた彼としては今更復権を為されるのも具合が悪いのだろう。幾人かが同様に懸念を示した。
ランバルトはフライスも他の者の言葉も無視した。
――ヒュノーか。これは……上手い所を持ち出してきたな――
虚を突かれた思いは拭えないが、ジュエスはヒュノーの司令官職就任に否定的ではなかった。寧ろ現状では最善手の一つかも知れないと思った。
ヒュノーは諸侯同盟の反乱までは前クラウリム公ハウゼンと並んでディリオン王国で最も高名な将軍であった。内乱中の実績は良くは無かったが、それは軍事的能力の欠如よりも政治的能力の不足に依る。いざ戦うだけとなったらその軍才は遺憾なく発揮されていて、注視してみれば苦戦してはいてもほぼ全ての戦いで勝利している。そして実際に交渉してみた印象としてヒュノーはまた離反側に身を投じる事はないとも感じていた。
だからこそヒュノーには寛大な処置で済ませていたし、ヒュノーへの対応と判断についてランバルトも同意していた。
「私の命令だ。異論のある者はいまいな」
ランバルトは冷たい声で言った。威圧するように氷の様な瞳が出席者達を見回し、最後にジュエスを見据えた。
「……ヒュノー将軍ならば適任でしょう」
ジュエスは同意した。少なくとも不利にはならないと考えた。
ちらとフレオンを横目で見る。変わらず平然として何とも記憶に残らない表情のままだ。
――フレオンを利用しようとしたが、上手くいかなかったかな。利用する隙間が無かった印象もあるがな――
しかし、どこか粘つくような不快感もあった。いいように弄ばれたような感覚だ。
軍議がより具体的な戦力配置の話へと移っていく中、ジュエスは一瞬だけそんな感覚に捕らわれていた。
◇ ◇
軍議を終えて、退席したジュエスはセルギリウスと共に宮殿の廊下を歩いていた。セルギリウスはやや不満気であった。というのも、軍議の結果、セルギリウスは一隊を率いて司令官となるヒュノーの指揮下で出陣するよう命じられたからだ。
「私はジュエス様に司令官となって欲しいです。今の状況ならば貴方が適任なのに何故なのでしょうか」
「私が適任かどうかは分からんぞ。単に能力だけならお前だって司令官の任に耐えると私は思うよ」
「そんなことは! ……いえジュエス様に評価していただけるのはこの上ない事ですが、そういうことではなくて私はジュエス様にもっと相応しい地位を与えるべきだと思うのです。ランバルト公が初めて来た時のことだってそうですが……」
「セルギリウス」
ジュエスは威圧的に語気を強めた。昔話を持ち出された事に怒りを覚えたのではなく、宮中でランバルトの批判ととられかねない発言を不用意にされるのを避けたかった。
「はっ……差し出口が過ぎました。申し訳御座いません」
ジュエスの強まった語気を前に冷や汗を流しつつセルギリウスは謝罪する。冷静になればセルギリウスも発言の危うさは理解出来る。
「しかし、ヒュノー将軍を抜擢するとは予想しておりませんでした。もうヒュノー殿に再起の道は無いと思っておりました」
「まあ、政治指導者としてはな。彼の将才がまだ尽きていない事は身に沁みて知っていると思ったが、違うのか、セルギリウス?」
「いえ、まあ。ヒュノー将軍の勇名が虚構でないことは良く分かっています」
セルギリウスは先のバレッタ平定時にレイゲルト城塞を巡ってヒュノーと直接的に対峙した。セルギリウスはその力量を以てしても、兵力差や戦略的優位性があって尚、ヒュノーを撃ち破ることは叶わなかった。
ただ、その後のジュエスの説得という言葉の戦いでは降伏に至った事も忘れるべきではない。
「それにだ。地位や出世などどうでもよい。重要なのはそんな小事では無いとお前も分かっているだろう」
「はい。王都の奥方様と若様のお命こそ全てで御座います」
セルギリウスはその場に額づかんばかりの勢いで頭を下げた。こういう時、"飼い犬"達は話が早い。
「そうだ。その為にもヒュノーに協力しろ。いいな」
セルギリウスはもう一度深々と頭を下げた。セルギリウス達にはジュエスの命令は何よりも大切な啓示なのだ。こうしておけばヒュノーの足を引っ張って戦線を無為に危険に晒すこともない。
――まあ、先ずは勝たねばならないからな。差し当たって現状はこれで満足するしかない。負けたら元も子もない――
そして本格的に"譲り合わない"のは勝ってからでも遅くないだろう、とジュエスは思った。
◆ ◆ ◆
ランバルトは自ら北部方面の指揮を執り、リンガル公ジュエスを随伴させると決めた。ランバルトが出陣するにしても、ジュエスに別の方面を担当させるだろうと殆どの者が考えていただけに予想外の人事となった。
ランバルトは親衛隊やリンガル選抜騎兵らを伴い、北部軍はこれら増援を得て再び3万人近い兵力を有する事になった
そして南部方面には全く予想外に、ヒュノー将軍を任命した。
ヒュノー将軍は嘗ては王国で最も優れた武将の一人であったが、今や許された老反乱者に過ぎないと誰もが思っていた。司令官への抜擢は衝撃的な事件で、受け入れられたのは独裁者ランバルトの命令である事、ジュエスがこの人事に関しては積極的に賛成した事があった。
ヒュノーは当初任命を固辞したが主君の再起を信じる部下や家族の説得、実力を知るジュエスの意見もあり司令官職を受けいることを決めた。
南部方面は王都に各地から集結した軍勢を再編して投入する事になっていた。リンガル兵、バレッタ兵、コーア兵にハルト兵、そして北部から移動してきたヒュノーの手勢からなる1万7千人からなった。
ヒュノーの手勢は自分たちの事を"ブケラリィ"、即ち"乾パン部隊"・"冷飯喰らい"と皮肉げに自称していた。それもこれまでの認められない状況からの脱却を喜んで敢えての命名であった。
王都では2千人の守備隊とコーア公フレオンが治安維持を担った。パーレルらウッド家残党の籠る北東のウラタイアへの対処も任務である。
こうして曲がりなりにも再編を終えたランバルトらミーリア派軍は新たな行動を起こす準備を整え、次々と実行していったのであった。
◇ ◇ ◇
新暦666年11月、ランバルトとジュエスは北へ向かい、ヒュノーは軍勢を率いて南下した。
ヒュノーは更に大量の射撃兵器や攻城兵器も持って行った。弩砲でさえ50機を数えたが、これらを持ち運べるのもハルト地方の整備された街道あってこそである。
クッスス近くにヒュノーは陣を構えた。街道を塞ぐ様な形で防御陣地を築き、防柵で補強された土塁・塹壕を陣地の前面に張り巡らせ、輸送してきた射撃兵器を据え付けていた。陣地の両脇は森に守られていて、大軍の交通は容易ではなかった。
ミーリア派軍はこの地で敵を待ち受け進軍を防ぐ作戦を採用した。南のブリアン派軍は未だ大軍であるが防御戦ならば押さえ込む事が出来ると判断していた。
対するテオバリドは集結させた軍勢を率いて直ちに出撃する事を決めた。ランバルトの不在は狙うべき絶好の機会だ。
テオバリドは4万の兵を率いて北上、対陣した。だが野戦陣地と言えど作りは中々に強固で、テオバリドの足を止めるには十分だった。
無策な攻撃を避けて敵を引きずり出そうと考えたテオバリドは挑発行動を繰り返したが軽々しくは動かないミーリア派軍に寧ろテオバリドの方が痺れを切らしてしまった。ランバルト不在の王都という状況に余程焦っていたのだろうか、テオバリドほ迂回行動や別動隊展開などの搦め手を用いずに数を頼んでの正面からの攻撃を選んだ。
そしていざ決戦となればヒュノーも回避はしなかった。彼には策があった。
◇ ◇
ブリアン派軍はライトリム公テオバリドを司令官として総数4万2200人の兵が戦いに投入された。
右翼からネービアンらメール重装歩兵500人、新編成の重装歩兵1000人、ライトリム兵2万2000人、ウッド家兵・フィステルス市民兵を中心にパウルスやトラードらハルト兵4000人、レグニット兵1万5000人が戦列を組んだ。ライトリム兵は半数が集めたばかりの民兵や傭兵で、レグニット兵は対立する派閥同士の兵を併せており――何時も通りではあるが――連携を欠いた。テオバリドは統率し難い召集兵は勢いのままに突撃させるに任せ、最も信頼出来るメール兵と共に最右翼に位置して精鋭での突破を前線で指揮する事にした。
当のブリアン"王"は後方の人智に少数の護衛と共に残された。
対するミーリア派軍はヒュノー将軍麾下に1万7000人がおり、設営した防御陣地に沿って配置されていた。
先ず前面に盛り土を防柵・塹壕・射撃台で補強した防塁が走り、左端には防御塔が築かれた。前面防塁の背後に左翼からセルギリウスらリンガル兵2700人、ハルト兵8000人、フライスらバレッタ兵4000人が並び、その右側にはコーア兵1000人が薄く展開していた。
右翼のコーア兵の背後にはやや距離を置き、馬車を並べて壁を作っていた。馬車列の右端にも防御塔が築かれ、馬車列の壁は残りのコーア兵1000人が担当した。
防塁と馬車列には更に王都から運んだ大量の射撃兵器・攻城兵器が置かれて陣地を強化していたが、その配置は偏っていた。
右側面の森にはヒュノーの手勢である"ブケラリィ"200騎が伏せ、ヒュノーの長子ヒーニアスがこれを率いていた。ヒュノー自身は後方に位置して戦線全体を見渡し、指揮台の代わりにもなるもう一つの防御塔が傍らにあった。
全体から見るとミーリア派戦線の防御力は偏っており、前面防塁の右翼箇所が配置兵や射撃兵器の少なさから弱体であるように見受けられた。
テオバリド麾下のブリアン派軍は敵方の3倍近い兵力を保有していた。城攻めの原則から考えると強襲を選んだのは間違いとは必ずしも言えなかった。
ミーリア派軍陣地を攻めたブリアン派軍は陣地からの射撃に苦しめられながらも圧力を掛けた。ウッド家の兵はバレッタ兵と互角の戦いを繰り広げ、ライトリム兵は数を頼みに攻撃を続けた。テオバリドは麾下のメール兵で積極的に防御塔の奪取を狙い、リンガル兵との激しい攻防戦が展開された。
一度降った側である以上もう後がないと考えたのか、ミーリア派軍のハルト兵は降伏兵が多い割にはよく戦い防塁の助けもあって敵を防いだ。
最も勢いに乗って攻めたのはレグニット兵だった。目の前の敵部隊は弱体で守りも薄く見え、背後に並ぶ馬車列を輸送段列だと考えたレグニット兵は略奪の魅力に取り付かれて進んだ。攻められたコーア兵はあっさりと後退していった。
だが防塁を乗り越えたレグニット兵が遭遇したのは馬車列から浴びせ掛けられる猛烈な射撃攻撃だった。馬車列は補給部隊などではなく立派な防御壁で、ヒュノーはここに多くの射撃兵器を集中的に配置していた。弩砲や石弓から放たれる矢弾はレグニット兵を次々と打ち倒していった。
混乱したレグニット兵は逃げ惑うが、側面の防御塔からの攻撃、背後から何も知らずに押し寄せる友軍のせいで混乱は収まる気配もなかった。更に指揮台だと思われていた本陣の塔が移動して位置を変えレグニット兵の攻撃に加わった。王都包囲の攻城塔を改造したこの兵器は本来の野戦には全く役に立たないが今回の戦いの様な限定的な状況では効果があった。
レグニット兵は王都包囲に加わった事がなく、ここまで猛烈な射撃攻撃を受けた経験の無さも混乱に拍車を掛けた。
"深追いしたあげく防御陣地の奥に誘い込まれて射撃兵器の集中放火を浴びる"というのはヒュノーがかつてコントリア川の戦いでサレンにしてやられた策であった。更に短期間でこの策を整えるのは、街道が整備され兵器類を迅速に輸送出来るハルト地方ならではであった。
混乱するレグニット兵に止めを刺したのは伏兵として配置されていた"ブケラリィ"の突撃だった。士気高く経験豊富な戦闘部隊である"ブケラリィ"の攻撃は少数ながらもレグニット兵を懐走させるに足る威力があった。
レグニット兵は元々の連携の悪さもあって危機の中で踏み止まること無く敗走に転じた。
レグニット兵を敗走された"ブケラリィ"とコーア兵はその勢いのままブリアン派ハルト兵を攻撃した。ウッド家兵やフィステルス市民兵からなる軍勢は奮戦したが抵抗力が続いたのも支柱のパウルスが討ち死にするまでの間だった。
ハルト兵団の崩壊は隣接するライトリム兵団の潰走も招いた。寄せ集めの召集兵が過半を占めるライトリム兵も士気の崩壊に直面していた。
気付いたときにはブリアン派軍はメール兵と重装歩兵団を除いて敗走に追い込まれていた。
その事実を突き付けられたテオバリドは、全てを置いて逃げたした。まだ戦闘中のメール兵も敗走中の部隊も何もかも捨てて一目散に逃げた。もう勝てない以上、ランバルトの手に捉えられる前に一秒でも逃れるしか無いと考えたのだった。
こうなると進退極まるのが激戦地で戦い続けていたメール兵団と重装歩兵隊である。彼らも戦闘継続を断念し撤退に移った。逃亡したテオバリドに代わって指揮を取ることになったネービアンは兵団を纏め撤退していった。
諸将の中には徹底的に追撃するべきとの意見が出たがヒュノーは陣地の防御を優先した。現に深追いで被害を与える策を見たばかりで、追撃の結果今度は攻守逆転してやられる立場になっても不思議ではないと考えたのだ。更に南方面の守りはヒュノーの軍勢しかなく、万が一の王都防衛の為にも兵力を減らすわけにはいかないとも判断していた。セルギリウスがこれを支持した事で慎重策が採用されることとなった。
クッススの会戦は多くの者にとって予想外の快勝となった。ミーリア派軍の損害は負傷者含めても300人程で済み、対するブリアン派軍は3000人を失い、5000人が捕虜となった。
高級指揮官としてはブリアン派の支柱だったウッド家のパウルスが戦死した。
そして、この戦いは勝利の結果よりも、戦いがもたらした戦訓――野戦築城と射撃兵器の有効性――の方が後々影響を及ぼす事となった。
南部方面はクッススの勝利でミーリア派に大きく天秤が傾く事になった。王都への直接的な圧迫が取り除かれた事も極めて重要だった。戦争全体の勝敗に関しても天秤が傾いていくだろうこともまた疑い無かった。
◇ ◇ ◇
北部方面のブリアン派軍はミラッツォで大敗していたが、主将オーレンの死を除けばメール兵など主力部隊の被害は多くはなかった。それどころかレイツらの寝返りによって数を増してすらいて、3千人ものメール兵がブリアン派に加わった。
これらは歩兵総隊長レイツが指揮権を行使していたが、オーレン配下として反乱当初から戦っていたシュトラ家のクロコンタスはこれに反抗的だった。またクロコンタスは旧オーレン幕下のメール兵と新編重装歩兵を掌握していた為に一層反抗的だった。
再集結したブリアン派であるがその指揮は統一されてはいなかった。地位や格式の上では"クラウリム公"ガーランドが次の司令官に相応しいのだが、メール人のレイツはこれに難色を示した。
敵軍との睨み合いが続いている状態が悪く働き、結局、ブリアン派はガーランドらクラウリム勢、レイツら離叛メール兵団、クロコンタス一派、そして中立のモア・スレイン勢と複数の派閥に分かれて争う羽目になった。
◇ ◇
ミーリア派軍はミラッツォの会戦の後、再び拠点バイロイトまで後退していた。
ジュエス不在の間、本隊の指揮はリンガル兵長コンスタンスが代理として指名されていた。司令官代理コンスタンスは先ずは戦力再編の為、南部のダロス隊を呼び戻すこととした。
ダロスのいたゾリュ方面の戦況は明るいとはいえなかった。要衝ゾリュはブリアン派の手にあり、港町ログフォールも中立であるもののブリアン派に傾きつつあった。
バイロイトのミーリア派軍に合流したのはダロス隊だけではない。クラウリム地方後方へ送り込んだ別働隊も帰還してきていた。コルウス族、軽騎兵、そしてメール重装歩兵である。
コルウス族、軽騎兵らは略奪品と捕らえた離叛メール兵を携えて合流した。彼らの損失は殆ど無く、素早い襲撃で離叛メール兵も制圧されていたのだった。
そして、メール兵が戻ってきた。彼らは離叛者ではなく、戦いの発生を知りミーリア派として慌てて戻ってきたのだ。これらのメール兵は反乱を考えてはおらず、寧ろレイツら離叛者に忠義を欠くと怒ってすらいた。しかし、コンスタンスは帰還したメール兵を信用できなかった。合流したダロスも穏健的な意見を出しはしたが方向性は同じだった。
結局、寝返らなかった2千人のメール兵は虜囚という扱いは受けないものの、武装解除され軟禁されることとなった。
両陣営共に再編と小競り合いを続ける中、王都攻防戦の詳細と勝敗が伝えられた。そして二ヶ月ほどして精鋭の3千5百人を引き連れてランバルトが司令官ジュエスと共に北部戦線へと到着した。
北部方面軍は総司令官ランバルトの元、反撃に打って出る事となった。
◇ ◇
新暦666年11月、ランバルトは直ちに兵を率いて出陣した。数日でミラッツォを通過し、ブリアン派の前哨部隊を蹴散らして敵拠点の公都クライン目指して進軍を続けた。
ブリアン派は動揺した。幾らその名声に翳りが見えているとは言え、やはり征服者ランバルトの存在は心をざわめかせるに十分な存在であった。
籠城するか迎撃するかに於いても意見は割れたが最終的に双方妥協し、全体の司令官としてガーランドを認める代わりにレイツの主張する野戦を目的として出陣する事で意見は一致した。しかし、これは結局のところ現状維持であり、最終的な指揮統一はなされなかったと言える。
加えて南部のナンディロス隊に北上を命じたが、先んじて派遣されたメール兵百人のみは無事合流を果たしたのみに終わった。
◇ ◇
両軍は公都クラインから東に十数キロ程の地点で接敵した。戦場は丘陵で、鬱蒼とした木々の生い茂る丘を中央にして展開された。丘の北は比較的起伏が多く、南は広々とした平原が広がっていた。
ランバルトらミーリア派が警戒でもしたのかやや足を緩めたために、先に戦場に到着し軍を展開させたのはブリアン派軍であった。
ブリアン派軍は総勢3万3600人の軍勢を二つに分けて配置した。指揮系統の統一が難しいならばいっその事分けてしまおうと考えたのだ。
丘の北、起伏のある地区には健脚のメール兵やサイス兵を中心にした部隊が配置された。北から、即ち左翼から族長ケラティオマルス率いるサイス騎兵500騎、レイツ麾下メール重装歩兵3000人、クロコンタス麾下メール重装歩兵600人、旧オーレン編成の重装歩兵1500人が展開し、北部隊はメール歩兵総隊長レイツが指揮を執った。
丘の南は一応の全体司令官であったガーランドが指揮を執った。北からスレイン兵1万3000人、モア兵3000人、クラウリム兵1万人が配置された。
そして両者の中間の丘陵にはサイス人歩兵2000人で奪取してそのまま配置した。丘は森林に覆われており大規模な軍展開には向かず、と言って高所という要地を捨て置くわけにも行かず、軽快な活動が可能で森林での戦闘にも手慣れた蛮族のサイス人部隊が送り込まれたのだった。
やや遅れて戦場についたランバルトらミーリア派軍は慌てること無く軍を展開した。基本的にはブリアン派軍と同様の軍配置を採った。
丘の北部にはメール兵やリンガル兵ら精鋭部隊が配置された。北から、即ち右翼からジャヴァルらメール軽騎兵900騎、隊長アレサンドロら親衛隊1500人、副将コンスタンスらリンガル兵5200人が戦線を構築し、後詰としてジュエス麾下のリンガル選抜騎兵800騎が控えていた。総司令官ランバルトは親衛隊と共にあり、北側の指揮を主に執った。
丘の南には残りの兵力が展開し、ダロス将軍が指揮を執ることとなった。カラミアらハルト兵800人、バルトンらコーア兵7300人、コロッリオとハルマート麾下の"中央軍"3700人、クラウリム兵6500人が布陣した。
そして丘の麓にはコルウス族250人が待機していた。血気に逸る狂戦士達は戦場へ投入されるのを今か今かと待ち構えていた。
戦闘開始を告げる角笛が吹き鳴らされるや否や両軍は衝突した。
丘の北では両軍の精鋭部隊がぶつかりあった。
親衛隊、リンガル兵は対峙する敵軍の重装歩兵相手に激しく攻撃を掛け、連戦の中だと言うのに疲れを見せぬ勇猛さを発揮した。しかしそれは相手側から見ても同じであり、メール重装歩兵は数で勝る敵軍相手にも一歩も引かない戦いぶりを見せていた。レイツ麾下の離叛メール兵はランバルトの首を獲る事に熱中し、クロコンタスら古参反乱メール兵は見す見す死なせてしまったオーレンの仇討ちとして奮戦した。
重装歩兵陣の戦いは未だどちらに転ぶとも知れなかったが、その更に外側で行われた騎兵隊同士の戦いが問題であった。メール軽騎兵は快速を活かした遊撃戦が任務で、騎兵同士の正面対決は本領ではない。増してや相手は馬術に優れるサイス人騎兵で、彼らは接近戦にも備えた重装の騎兵であった。数で上回っていてもジャヴァルらメール軽騎兵は苦戦を免れなかった。
ランバルトはジュエスらリンガル騎兵隊にメール軽騎兵の援護を命じた
。リンガル騎兵隊の精強さは数多の戦いで証明されている通りである。そのリンガル騎兵隊を戦線突破の一打でも止めの一撃でもなく単なる火消し部隊として投入するのは、全く贅沢な使い方であり、指揮官のジュエスもそう感じていた。とは言え命令は命令であり、事実何らかの方策で側面の危機を救う必要はあったため、ジュエスは麾下の騎兵隊と共に突撃を掛けた。
リンガル騎兵隊が投入されると流石にサイス騎兵隊も劣勢となり、ジュエスはそのまま敵を追い込みブリアン派軍の側面から襲い掛からんとしていた。
しかし、ランバルトはジュエスに停止を命じた。リンガル騎兵隊も後退させ、メール軽騎兵をサイス騎兵の抑えにだけ残した。
メール兵の一部が増援に動きつつあり、騎兵と重装槍兵では兵科としての相性が悪く投入を続けるのは危険であるという事情もあったが、何よりもランバルトの心理的・政治的事情による命令であった。
丘の南でも戦いは起き、両陣営は多くがディリオン王国軍の伝統的な戦法で戦っていた。ブリアン派は兵力数は上であるものの今一士気が高まらず連携も欠いた。ミーリア派軍はブリアン派軍に比して意気軒昂で、ダロス将軍の堅実な指揮や中央軍の活躍もあって互角の戦いを演じていた。
戦線は膠着し数の押し合いになるかの様に見えたが、そうでは無いと理解出来ていたのは多くは無かった。そして激戦の中で高々二百人程の小集団が森林を掻き分け丘へ立ち入った事に注視出来た者がどれ程いたことだろうか。先に丘を取らせたのもランバルトの策略の一つであったが、最早その点まで気の回る者は居りもしなかった。
族長ロシャを筆頭にしたコルウス族が丘へ進軍し、地形を物ともしない機動力を存分に発揮した。森林の加護もあり、丘に配置されていた当のサイス人傭兵でさえも余りの速攻に襲い掛かられてから漸く気づいた程であった。
襲われた側のサイス人も勇猛で鳴る蛮族であるが、コルウス族の狂戦士の前では狩猟の獲物に過ぎなかった。次々と刈り取られていったサイス人傭兵は耐えきれず、遂に逃げ出した。
サイス人を追い散らしたコルウス族は方向を転じ、ブリアン派南部隊を側面から襲撃した。ミラッツォやユニオンなど大規模な戦闘への参戦が出来なかったロシャらコルウス族は大軍を目の前にして燃え立ち、これまでの鬱憤も晴らすかのごとくに暴れまわった。次の獲物となったスレイン軍は丘は制圧済みで味方の領域だと思っており、サイス人が裏切ったのだとさえ誤認したが先頭を駆ける巨人の鉄球が叩きつけられると全てを理解せざるを得なかった。奇襲の上に元々の士気の低さも相まって忽ちにスレイン軍は敗走へと転じた。
狂戦士の群れは勢いを一層増して隣接するモア軍に雪崩込んだ。モア軍はまだ頑健に抵抗したものの"虐殺の嵐"を"苛烈な猛攻撃"に押さえ込むに終わった。コルウス族の狂攻を撃退するにはとても足りず、潰走に至る他なかった。
コルウス族の攻撃に呼応してダロスは残る前面のクラウリム軍への攻勢を強め、ブリアン派のクラウリム軍からは敗走や降伏者が多発した。ガーランドは撤退を決断し、麾下のクラウリム兵だけを連れて戦場から離脱した。ガーランドはコルウス族とダロスの攻撃を受けながらも何千人かの兵士の離脱を成功させたが、これは彼の本来の能力の高さを示した事象であったろう。
丘の南ではブリアン派は無残な潰走を続けており、北側に影響を及ぼさないはずがなかった。
最初に動いたのはケラティオマルスらサイス人騎兵であった。彼らは丘から敗走する同胞の歩兵隊を見て既に撤退に心を傾けていたのだが、敗走する兵が後を絶たない事を見てとりあっさりと逃げ出した。
レイツも南側の友軍が壊滅した事は気付いており撤退を決断した。サイス騎兵の後退で側面からも攻撃が加わり、親衛隊やリンガル兵の攻撃も受けながらの撤退は至難の技だった。
しかし、この追撃の絶好の機会でありながら、ランバルトはジュエスはおろか左翼のリンガル兵団にさえ前進を停止するよう命令を下し、親衛隊と軽騎兵だけに追撃を許した。兎に角ジュエスらに功績を与えることを嫌がったのだ。無論、戦術的にこの命令は悪手である事は言うまでもなく、追撃の手が緩んだメール兵団は覚悟したよりも遥かに少ない損失での撤退に成功していた。
ブリアン派軍は全面的な敗走と撤退に至った。ミーリア派軍の追撃は激しく徹底していたが、意図的にリンガル兵団の動きが押し留められたために全力と言う訳ではなかった。
ミーリア派は500人の兵を失ったに留まった。殆どは丘の南で戦っていた部隊の被害であった。
ブリアン派の被害は大きく、全戦線を併せて5000人が戦死・戦傷によって戦闘力を失い、コルウス族の猛攻は依然健在であることを見せつけられた。だが実際に戦場で散った兵よりも投降による兵力減少の方が致命的で、7000人もが降伏・捕虜として手元から去った。メール兵の降伏は殆ど居らず戦闘での被害も小さく収まっていたとは言え、ブリアン派投入兵力の四割近くを喪失したのは致命的であった。
野戦で勝利したミーリア派軍は勢いに乗ってそのまま進軍を続けた。特に激しく追撃したコルウス族とメール軽騎兵は敵軍を追い回し、ブリアン派軍の撤退よりも早くクライン城に雪崩れ込み、これを陥落させた。
クライン城が陥落してしまったことでブリアン派軍残党は集合拠点を失い、各隊毎に方々へ逃げ延びる羽目に陥った。ガーランドは自領ウーリへ向けて後退し、レイツらメール兵団の大部分も後を追った。クロコンタスら旧オーレン配下部隊はスレイン方面へ向かい、スレイン兵やモア兵も故郷に向けて退いた。そしてケラティオマルスとサイス人は北の国境へ向かった。
ブリアン派の敗戦とクラインの陥落を知ったナンディロスは早々に投降を選んだ。
既に戦争を続ける意欲は無く、ガーランドはランバルトへの降伏を、レイツは国外への亡命を選択したのだった。
レイツはタトゥキア族とも合流し、海路からケラティオマルスらと共にサイスへ逃れた。ディリオン王国で這い上がれないのならば蛮族の地サイスで王者にならんと望んだのであった。
ガーランドはランバルトがライトリム方面への転進に既に思考を切り替えていたこともあり、比較的好条件での降伏に成功した。とは言え直後にクッススの勝利が北部にも伝えられ、間一髪の所だったとガーランドは大いに冷や汗をかいたのであった。
投降したガーランドもナンディロスも大幅な領地召し上げは行われたが改易・処刑もされず受け入れられた。ランバルトにしては何と寛大な事であろうかというところだが、まだ戦況が落ち着いていない為に北部だけでも平定を早期に進めるべく好条件を提示したのだった。
以前、ランバルトは降伏したハルト諸侯にはより過激な対応をしていた。王国の中枢ハルト地方には独立勢力を残したくないという政治的理由があったが、何よりも理性を上回る程に追い詰められた怒りと屈辱という感情的理由が大きい。人間は常に、何よりも感情を優先させるのだ。ランバルトという偉人でさえもその性からは逃れられなかった。
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