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ディリオン群雄伝~王国の興亡~ (修正版)  作者: Rima
第一部 第三章『愛憎』
31/46

『誰が為の戦い・二 クラウリム方面 ~ミラッツォの会戦~』

 新暦666年7月、クラウリム方面での戦いは佳境を迎えようとしていた。


 城市バイロイトにはジュエス率いるミーリア派3万2千人が、対するブリアン派はオーレンら3万4千人が小都市ミラッツォに布陣し睨み合いを続けていた。


挿絵(By みてみん)


 その様な状況の中、ジュエスの下に更なる報せがもたらされた。ランバルトからの公的な伝令ではなく、彼個人の情報網から手に入れた情報である。その報せはジュエスに無理にでも次の行動に移させるに十分な力があった。




 ◆ ◆ ◆ 



【新暦666年7月 バイロイト リンガル公ジュエス】



 バイロイト。クラウリム地方東部、街道沿いにある中規模な都市でクラウリム地方の主要拠点の一つでもある。

 この地に進軍してからジュエスは邸宅の一つを接収し司令部として機能させていた。バイロイトでの駐留は既に二ヶ月に達しようとしている為に、執務室に使っている一画は積み上がった資料や報告書で雑然としている。軍隊の指揮というのは膨大な書類や命令書との戦いでもあるのだ。


 ジュエスは積み上がった書簡の山に埋もれながら執務卓の前に座り、つい先程届けられたばかりの新たな書簡に目を通していた。その内容は全く困ったものだった。


 ――テオバリドが寝返ったか……これは拙い――


 "テオバリド公離反せり"。

 端的にそう一言書かれているだけだが、その一言だけの書簡の意味は大きい。

 先ずもって一言だけだというのが拙い。余程緊急性のある事態だと言うことだ。詳細な情報はまだ伝わっていないが、恐らくは既に軍を率いて王都へ進軍している最中だと見て間違いないだろう。

 内容も拙い。テオバリドのライトリム軍はジュエスが今率いている主力軍を除けばランバルト麾下で最大の戦力を保有している。その大軍団か敵に回ったと言うだけでも問題だが、それ以上にランバルトの戦略が根本から崩れつつある事が問題だった。王都一帯の反乱軍をも引きずり出し南北から挟撃するのが基本戦略である。北の主力軍が足止めされ、南のテオバリド軍が寝返ったとなれば、元々からして博打染みた策ではあったが、どうやら失敗に限り無く近付きつつあるようだ。

 そして、この書簡だけが手元に届いていると言うのも拙かった。この情報は王都に残っているサーラから逐一届けられているもので、ランバルトからの正規の情報はまだ届いていないのだ。ランバルトが裏切りを信じていないのか或いは信じたがっていないのかは分からないが、何れにしても全体としては後手に回らざるを得なくなる。


 ――この知らせが誤報である可能性もあるが、ランバルトよりサーラを信用する。今、戦局は極めて我が方に不利だ――


 王都の守りは薄く、五千人の兵が詰めているだけだ。対する反乱軍は現在の情報から少なく見積もっても三万は下らないだろう。幾ら王都の守備兵力が精鋭揃いであり、かの大城壁を備えていると言っても劣勢である事実は変わらない。

 敵軍の多さを除けば、王都部隊が劣勢というのは初期の想定通りだが、今は動ける救援部隊がいないのだ。南のライトリム軍は寝返り、東のバレッタは封鎖されている。西にはセルギリウスの別動隊がいるが海の向こうだ。残る北の部隊である自軍はオーレン相手に完全に足止めを喰らっている。


 この状況、一体どうすれば良いのか。

 かつて諸侯同盟(アリストクラティオン)との戦いで追い詰められた時もそう問い掛けられた覚えがある。


 選択肢は二つ。裏切るか、戦うか。

 前は戦う方を選んだ。正解だったかどうかは今になっても確信は持てない。

 ただ、今回の場合はっきりしていることが一つある。


 ――裏切れば王都にいるサーラとジュラは殺されるだろう。ランバルトは裏切り者は許さない――


 戦いの前は戦場にはなっても王都の方が壁も厚く安全かと思っていたが、今にして思えば家族はリンガルへ移すべきだった。こうなった時に人質にされることが無くなる。


 ――実を言えば勝ち方は兎も角、ランバルトがまた勝つだろうと僕も疑っていなかった。いつの間にか随分と挟視野になっていたものだ。もっと広く事態を考慮してサーラとジュラの安全を考えるべきだった――


 だが、なってしまったからにはこの状況での動きを考えるしかなく、そうなると、選択肢はまたしても"戦う"他は無い。

 では、戦うならばどうするか。事態は既に余裕がないほどに切迫している。


 ――もし王都が落ちれば政治的にも軍事的にもランバルトは負ける。サーラ達も捕縛されるだろう。だから王都は絶対に守りきらねばならない――


 王都の死守は絶対条件だ。今ある情報だけでは彼我の戦力差がはっきりとは分からない以上、王都のランバルトがどの程度抵抗出来るのかも分からない。

 なれば、すぐにでも動かなくてはならない。

 王都を救うにはジュエスが援軍として向かうしかない。援軍を送るには二つ手段がある。膠着状態を利用してオーレンを足止めしながら別動隊を派遣するか、元の計画に沿ってオーレン軍を破って反転するか。

 どちらにも問題がある。前者には戦力の分散と言う危険性があり、後者では強引な決戦に持ち込まねばならない。

 暫し悩んだ後、ジュエスは結論を出した。


 ――オーレンを放置して王都に兵を回すのは我が陣営の劣勢を悟られる危険性が大きい。オーレンは無能ではない。機を見ればこちらを叩き潰すべく攻勢に出てくるだろう。持てる戦力を叩き付けて勝利をもぎ取るしかない――


 方針は決まった。後は具体的な方法だ。

 次の段階でもやはり問題があった。


 ――テオバリドも裏切った以上、他のメール人も怪しいと思わざるを得ない。特に指揮官のレイツはテオバリドと仲が深い。こいつらの対処も考えなくては――


 スリスト家のレイツはメール歩兵団の指揮官で、メール軍の若手士官として取り立てられてきた男だった。そして同年代のテオバリドとは友誼を結んでおり、彼らは功に逸る野心家としてとても良く似ていた。

 そのテオバリドが寝返ったのだ。レイツも寝返りに心惹かれていたとしても不思議では無い。

 ジュエスとしてはレイツが裏切り者だとしても構わなかった。問題は彼の指揮下のメール兵団だった。つまりメール兵団も裏切りに加わっているのか否かが問題なのだ。

 もし裏切りに加わっていると分かるのであれば、武装解除して拘束するという対策もある。ただその場合もメール兵団と衝突するだろうし、下手をすれば騒乱の最中をオーレンに打たれかねない。そうでなくとも我が軍に混乱は避けられず、成功しても劣勢の証明になってしまう。だが自陣の中に置いていくことも出来ない。内側から食い破られるのをみすみす放置するなど愚かな事だ。或いは一部にだけ裏切りの意志があるとしても、事情は変わらない。


 こうまで慎重に事を考えているのには他にも理由があった。それはレイツが裏切りの瞬間をまだ決めていないと言う確信があったからだ。

 テオバリドは最初の段階で反乱軍に与するべきであったし、レイツはオーレンと結託して反旗を翻すべきだった。だが、そうはなっていない。


 ――テオバリドはここまで離反の機を待っていたのだ。レイツもそうだろう。奴らは功績と利益を求めている。単に勝ち馬に乗るとか、勝利の切っ掛けになるとかだけでは満足せず、戦争を決定付けるような最高の功を得られる瞬間を待っている。テオバリドも最後の瞬間までこちらと反乱軍の双方を天秤に掛けていたのだろう。つまり、ここが決め所と確信されるまではメール人は本性を隠して命令を聞くだろう――


 レイツはまだランバルト陣営の劣勢を知らないか、或いは加えて自分が最高の戦功を上げられる瞬間を待っている筈だ。

 ならば、そうと知られる前にメール兵は何とかして戦場から遠くへ引き剥がすのが得策だ。或いは彼らの帰趨の判断材料になりうる。

 もしオーレンとレイツが手を組んでいるのなら、レイツは決戦に於いて遠ざけられるのを嫌がるだろう。そうでないのならレイツは命令に従うであろうし、精強なメール兵の不在はオーレンにとって有利な材料になるからより好戦的になる事も考えられ、強力な別働隊の活動は敵側のクラウリム諸侯の動揺を引き起こせる可能性がある。

 ただジュエスは"レイツは反乱側に加担する魂胆だが、オーレンとは接触していない"と考えている。それが最も整合性が取れるのだ。


 つまり、最も有効な方法は"テオバリドの離反が知られる前に攻勢に転じて劣勢を隠し、メール兵団を遠方に派遣して引き離しておきつつ、残りの軍勢を率いて素早くオーレンを討つ"だ。


 ――そうは言っても、はっきり言って賭けだ。賭けの上に賭けを重ねている。だが、これが採れる最善手だろう――


 そこまで考えてからジュエスは自分が姿勢も崩さずに思考に耽っていた事に気付いた。事態はそこまでの段階に達している。

 今や一刻の猶予もならない。決戦のときは迫っている。

 ジュエスは従卒を呼んで命令を下した。


「指揮官達を集めろ。軍議を開く。大至急だ」


 ◆ ◆ ◆ 




 ジュエスは自陣営が追いつめられつつ在ることを悟り、次なる手に打って出ざるを得なくなった。

 先ずは目前の敵オーレンを多少強引にでも決戦に持ち込んで早急に撃破する必要があった。そして決戦に向かうとしても幾つか手を打っておく必要があった。


 一つは麾下に配属されていたメール兵団の処遇である。ジュエスは、事実は兎も角、レイツらメール兵団もまた反乱側に与するだろうと疑っていて、来る決戦の際に戦場から引き離しておこうと考えた。

 ジュエスはメール兵団に敵軍の動揺を誘うとして反乱軍の後背へ展開するよう命じた。この際、メール兵団を複数に分散させて送り出し、軽騎兵(プロドロモイ)とコルウス族を附属して派遣した。


 もう一つはオーレンに決戦を受けさせるようにする誘導である。

 ブリアン派の戦略的にはわざわざ会戦を受けて立つ必要はない。

 こちらの仕掛けは左程難しくはなかった。ジュエス自らが出陣し、オーレンを目の前で挑発してやればよいのだ。元より個人的な怨恨で参戦しているオーレンは戦略的な必要性や意義など無視してでもジュエスを殺しに来るだろうと推察出来た。更に先のメール兵団の分離そのものも敵軍を引き摺り出す罠になり得た。



 ◇ ◇



 司令官ジュエスの命令を受けてレイツらメール歩兵、軽騎兵とコルウス族が別動隊として出撃した。彼らは精鋭の名に恥じぬ素早さで駆けて行った。


 これに焦ったのが"クラウリム公"ガーランドである。所領ウーリや手中に収めた公都クラインに攻撃の可能性があるというのだから彼は動揺した。

 ガーランドは自領を増やすためだけに参戦している。その領土が被害を受けては元も子もないと考えていた。

 ガーランドは迎撃を強行に主張した。これは悩ましい所で、手元の戦力が減るのも困るがオーレンはメール兵の蠢動を無視するのは危険極まりないとも分かっていた。

 結局、オーレンは要望を受け入れ、ガーランドはクラウリム兵1万を率いて迎撃に向かった。


 そしてブリアン派軍の動きを見たジュエスは最大の好機と判断し、自ら軍勢2万5千人を率いて出陣し、ブリアン派の本隊が居座る小都市ミラッツォへ向かった。

 対するオーレンも戦闘を即決断し、迫るジュエスらミーリア派軍の挑戦を受けたのだった。


 ◇ ◇


 遂に両軍はミラッツォ近郊で接敵した。戦場は起伏がちではあるが見通しの良い平野部で決戦の場として理想的であった。


 ミーリア派はジュエス麾下2万7000の兵が布陣し、その戦列は南北に縦列をなしていた。

 左翼からクラウリム兵3000人、ソーン家のカラミアらハルト兵1500人、シュタイン家のコロッリオとトッド家のハルマートが指揮する"中央軍(スコラエ)"15個方陣4700人、ジンカイ家のバルトン指揮下のコーア兵8000人、副将コンスタンスを初めとしてプラー家のフェイス・キルクストン家のダニーロ・平民出身(ノヴィ・ホミネス)のトクタムら率いるリンガル兵6600人が並んだ。

 更に戦列の後ろにはジュエス直卒の選抜リンガル騎兵1000騎、ヒュノー将軍とその手勢300人が控えていた。


 ブリアン派はオーレン麾下2万8000人が出陣していた。対面するミーリア派軍のと同様に戦列は南北に延びて構成されている。

 右翼からタトゥキア族の族長ケラティオマルスらサイス人傭兵3000人、ロイスタン家のフォレンらモア兵3000人、ハンゴルム家のガリマ・レップス家のヘシロウス・ノストロデス家のシーダールらスレイン兵1万5000人、そしてシュトラ家のクロコンタス麾下メール兵500人と新編成の重装歩兵(ホプリタイ)2000人が併せて9個方陣を構成し、やはり本陣としてオーレンが子飼いの側近メール兵100人とともに背後に待機していた。



挿絵(By みてみん)



 似通った布陣をさせた二人の狙いは明白だった。双方ともに最大の攻撃力を持つ部隊で敵の最強部隊を破り、直率の予備隊で止めを刺そうというのだ。どちらも公私共にこの場での決着を望んでいた。


 両司令官の執念と熱気は兵士達にも伝わっているだろうか。その答えは直にはっきりするだろう。戦いの始まりを告げる角笛が吹き鳴らされ、行進を導く鼓笛の音が響いた。兵士や軍馬の足音は戦場に満ち、その騒音すら掻き消さんばかりに士官が怒号を上げる。


 最大の激戦区となったのは云うまでもなく、両軍の精鋭達の戦う北方面である。

 オーレン配下の重装歩兵団は数で上回る筈のリンガル兵団に果敢に攻撃を掛けた。新編成の重装歩兵(ホプリタイ)の力は確かなものがあり、オーレンの手勢や協力者に等しい六百人のメール兵の破壊力の前にはさしものリンガル兵も必死の応戦を強いられていた。だが、メール兵もリンガル軍を貫ききることは出来ず、最初の衝突で食い込んだ後は熾烈な接近戦が展開された。



挿絵(By みてみん)



 この箇所での戦いこそが鍵であり、ここから戦局が動くと誰もが確信していた。しかし、波は反対から訪れた。


 北で激しい戦いが展開している間に南に於いて大きな動きがあった。

 南、ブリアン派軍左翼のサイス人傭兵団もまた戦闘開始の合図と共に敵戦列に向かって駆けた。400騎の騎兵を含むサイス人傭兵3000人は目の前のクラウリム兵部隊へ飛び掛かった。

 サイス人は突撃を主な戦法としており、蛮地で培われた屈強な体躯と猛々しさにものを言わせる彼らの突撃は勇名を馳せていた。またサイス地方は優れた騎兵の産地でも知られており、彼らの騎馬戦闘の技量はディリオン軍の勇士(ミリテス)を上回るとさえ言われていた。

 熱狂的な戦いの一方で彼らの攻撃は長持ちしない事で知られ、対するディリオン軍は戦力の質量共の継続的な投入を基本戦法によって局地的にはともかく最終的な優位を保ってこれまでの戦いに勝利してきていた。


 今回も普段通りに進めばサイス人兵に対する最終的な勝利を掴めただろうが、問題はこの場での戦闘は全体から見れば局地戦だということにあった。

 クラウリム兵は度重なる敗北と権力争いの渦で士気を低めており、更にこの時は精鋭と弱兵を混ぜるディリオン軍伝統の戦法が悪い方へと働いた。士気の低い兵が足を引っ張り、全体を混乱に陥らせた。立ち向かった勇士(ミリテス)や兵士も勢いに乗るサイス人騎兵との斬り合いに負け、サイス人の猛攻をクラウリム兵は支え切れなかった。


 クラウリム兵が敗走した為にミーリア派軍の一画が崩れた。サイス人を率いるケラティオマルスは手を緩めずに敵兵を追い、側面からミーリア派軍に圧力を掛けた。

 余波を受けたのは隣接するハルト兵である。目前のモア兵団と戦っている最中に突然の猛攻を受けたのだが、彼らはカラミアらソーン家兵を中心に抗戦した。カラミアは踏み止まって奮戦し、局地的に出現した三倍の兵力差の中でも良く戦った。

 彼らの奮戦は無意味には終わらなかった。事態を見たジュエスが右翼のリンガル兵団から援軍を送り込む時間を稼ぐことが出来たからだ。


 ジュエスはクラウリム兵の潰走に際してリンガル兵団からダニーロ率いる2000人を引き抜いて援軍として送り込んだ。対面しているメール兵団の動きは抑えられていた事と、切り札である手元の選抜騎兵を火消し部隊に使うのを嫌ったゆえの判断だった。

 別働隊を引き抜いてもリンガル兵団は崩れず、援軍として送られたリンガル兵はハルト兵と共同してサイス人・モア兵の攻勢を捌いていた。"中央軍"とコーア兵団も数で勝るスレイン軍に一歩も譲らず戦列を保っていた。

 まだ手元には無傷のリンガル選抜騎兵団がおり、敵陣には重装歩兵が百人ばかり控えているだけである。予想外の局地的敗北はあったが、ジュエスは自軍の勝利を見ていた。



挿絵(By みてみん)



 だがその時、オーレンの下に一人の伝令が辿り着いた。


 ◇ ◇


 ややあってから、オーレンは全面的な攻勢を命令した。それは膠着を何とか打破せんとする苦しみの足掻きのように見えた。ジュエスはこの攻勢を抑え込めば勝利だと考えた。攻勢で押し切られなけばブリアン派軍の行動は限界に達し、予備戦力の反撃で敵陣を崩壊させられるからである。

 ジュエスの考え通り、ミーリア派軍はブリアン派軍の攻勢に耐え、戦列は互いに組み付きその動きを抑え込んでいた。北方面、精鋭同士の戦場ではメール兵団の猛進を抑えた事で逆にリンガル兵団は食い込んだ敵を半包囲の態勢に在るようにさえ思われた。


 一方に傾きつつ在る事態が転回を見せたのは戦場の更に北に砂煙が現れた時だった。直ぐに人の群れが立てたものだと分かった。数は1000人程で何れもが長槍と大盾で武装しており、その隊列の動きを見れば彼らがメール人だと一目で分かった。彼らの健脚があれば、部隊をレイツが率いている姿も視界に入り込んでくるのにも時間は掛からなかった。


 ミーリア派軍は驚きに包まれながらも一抹の期待をメール人部隊に投げ掛けた。ジュエスは全てを棚上げして彼らが援軍として来たのだと信じたがった。

 事態がその期待にそぐうか否かは然程時を経ずに判明する。現れたメール兵達はその勢いのままにリンガル兵団の戦列へ突撃を掛けたのだ。



挿絵(By みてみん)



 ◇ ◇


 メール兵団の速さの前にはリンガル兵も十分な対応を練る前に戦いに引き込まれた。

 別の敵と対していたのであれば、戦列を組み直して迎撃の準備を整え、事態の悪化を最小限に抑える事が出来たかもしれない。しかし、現実は厳しかった。

 事前のオーレン軍の猛攻を抑えたことででリンガル兵団の陣形は半月様を呈していた。それは面前の敵には半包囲の態勢であったが、側面や後ろのからの敵には逆に自身が弱点を晒しているようなものであった。

 リンガル兵団は前と側背から、それもメール兵団の熾烈な攻撃を一身に受ける羽目になったしまった。


 メール兵団の攻撃は破壊的だった。長い過酷な戦争の中で鍛えられたメール重装歩兵(ホプリタイ)、歩兵隊長レイツ率いる部隊はその中でも特に経験と士気に優れた精鋭集団である。親衛隊(ヒュパスピスタイ)を除けば王国最強の部隊の一つと言えるだろう。その突撃力の凄まじさたるや、さしものリンガル兵といえども及ばない。

 1千人程の数であることは寧ろ統率力を高める上で有利に働き、彼らをより強固な鉄塊として纏めあげた。そして二転三転する戦場の混乱の中では一層の効果をもたらすのだ。



 新たな敵軍の出現と攻撃でミーリア派軍は窮地に陥っていた。逆転の一手を早急に打たねばならなかった。



 ◆ ◆ ◆ 



【新暦666年7月 ミラッツォ リンガル公ジュエス】 




「踏み止まれ! 陣形を崩すなっ!」

「やれっ、逃すな!」

「押し込めっ! 攻めろ!」


 怒号と剣戟の音。負傷者の悲鳴と生者の喘ぎ。

 大地を踏み締める足音、血溜まりに倒れ伏す湿音。

 戦場に満ちる音色はいつも同じだ。


 戦場の北部で展開される重装歩兵同士の戦いは地獄の有り様だ。

 リンガルとメールの精鋭達は剣槍を交わせ、盾をぶつけ合った。互いに退くことを知らぬ忠勇の士達は死ぬまで戦い続けるつもりかの如くで、激しい争いはいつ終わるとも知れなかったが、それでも一方の側が勝利に近付きつつあった。


 耳には戦いの喧騒ばかり届くが、心の耳を澄ませてみればそれだけではない嘆きの声も響いてくるだろう。特に指揮官の嘆きが。


 ――何て、何て事だ! このままでは負けてしまう!――


 ジュエスは馬上から戦況を見ながら思った。その表情には苦渋も露になり、馬をうろうろと歩かせる様は如何にも焦っていると言わんばかりであった。


 レイツらメール兵団の登場で戦況は敵軍に大きく傾いていた。

 リンガル兵団はコンスタンス達歴戦の士官の下でメール兵の猛攻を何とか耐えていたが、何時まで耐えられるかは分からなかった。リンガル勢が押される今、他の部隊も明らかな動揺が見て取れる。


 ――奴らが来るまでは勝っていたんだ。こうなる危険は解っていたから遠くへ追いやってから戦ったんだ。僕のやり方は間違っていなかった筈だ。こうなったのは僕の所為じゃない!――


 今更そんな事を考えても意味はない。間違っていようが、そうでなかろうが、事は行き着くところまで行き着いてしまったのだ。

 他に考えるべき事は山の様にある。


 ――レイツが見えた時点で騎兵を迎撃に向かわせれば良かった。そうすれば戦列は守れたんだ。いや、それではもしもの時の切り札がなくなってしまう。いや、いや、今がそのもしもの時ではないのか――


 だが、そう分かっていても思考の方向を引き戻せなかった。


 ――騎兵は強いが、メール人の鉄壁に突撃するのは兵科としての相性が悪い。無為に兵力を減らすだけだったろう。だからこれで良いんだ。それに騎兵を使ったら止めの一撃をくわえられなくなるではないか。しかし、もうこの状況で止めの一撃など放てるまで戦況を運べるのか? しかし、しかし、いや、いや、いや……――


 思考がぐるぐると回っている。頭に満ちる中だけでなく体の動きまで引き摺られ、ふと気付くと同じ場所をぐるぐると回っていた。


 ――何とかしなくてはならない。何とかしなくては! リンガル兵はもう少しは耐えられるかもしれないし、耐えられなくても死ぬまで戦うだろう。でも他の連中はそうではない。奴らと僕の見ている方向は違う。奴らは生きることしか見ていない。だから生きるためなら逃げるし命令も無視するんだ。畜生! せめて全てリンガル兵だったら! 手足の様に動かせたし、僕の思いや考えに従ったんだ。僕の為に戦ったんだ!――


 とりとめもない言い訳が頭に満ちている。まともな考えが湧いてこない。

 終いにはジュエスは天を仰ぎ見た。刻一刻と悪くなる戦況を直視していられなかったのだ。


 ――こんなことを考えている暇すらももうない。勝利への手段を考えなくてはならないのに。負けたらサーラもジュラも死ぬんだぞ――


 サーラやジュラ、愛する者達が手にかけられる姿は想像するだけでも苦痛だった。だがぞっとする様な感覚が気付けとなって、今だけはある意味で役に立った。

 鈍っていた頭の動きが少しばかり澄んでいく。


 ――何とかしろ!! オーレンと、奴の軍勢を倒す方法を考えるんだ!――


 その瞬間の事だ。

 ジュエスは自分の言葉に違和感を覚えた。


 ――そうだ。あれは"オーレン軍"ではない――


 最初はほんの小さな違和感だったが、決して消えず、次第に大きく、強くなっていった。


 ――あれはオーレンと、ブリアン派の兵士だ。オーレンと、兵士どもは同じ方向を見ている訳ではない。奴らの目的は別々なんだ。オーレンの目的は言うまでも無く僕を殺すこと。だがブリアン派軍の目的は勝利であって僕を殺すことではない。この二つは同じように見えるが、その実は限り無く異なる――


 思考の曇りが取れていく。勝利への道筋に手が届くかも知れないという希望がジュエスの心を熱くさせた。


 ――つまりオーレンの目的を上手く刺激すれば、オーレンだけを誘導することが出来る。オーレンと兵士を分離させられると言うことだ。勿論即逆転と言う訳にはいかないだろうが、それでも第一歩として十分過ぎる――


 そこまで考えてから漸く周りを見渡す余裕が出て来た。

 選りすぐりの精鋭騎兵隊。主君の狼狽や戦局の悪化を見ても少しも動揺を見せない。彼らは主の力と勝利を疑っていないのだ。これまでもそうであったし、今もそうであり、これからもそうだろう。


 ――今動かせる兵力は一千の我がリンガル騎兵。多くはないが強力だ。後はヒュノーの手勢だけ。こちらに関しては幾らヒュノー将軍とは言えどれ程の力になるかは分からない――


 少し離れた所にいるヒュノー将軍を見る。彼もまた表面上は動揺しているようには見えないが、本心はジュエスには分からない。


 ――何れにしてもこの兵達で打ってでる。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあるのだ――


 ジュエスはすっと姿勢を戻し、馬を兵の前に進めた。もう時間がない。


「忠猛なる我が精兵達よ!」

「応ッ!」


 騎兵達は主君の呼び掛けに力強く応えた。彼らの声には少しの迷いもない。どの様になってもジュエスが逃げずに戦いに赴くと確信しているのだ。


「そして勇敢なる王国の将士達よ!」

「はっ!」


 ヒュノー隊の返答はリンガル兵程では無いが精気に溢れているが、どちらかと言えば落ち着きの方が感じられる。歴戦の指揮官ヒュノーへの信頼感ゆえであろう。


 ジュエスは馬を歩かせつつ兵に向かって大声で語り掛けた。


「諸君、今は語るべき時ではない。今は行動の時だ!」

「応ッ!」

「今は敵の跳梁を呆然と見つめている時ではない。今は王国を不遜な反逆者の手から救う時だ!」

「応ッ!」


 ジュエスの声に兵士達が応える。戦場の喧騒の中でも掻き消えない程の猛々しさだ。

 腰に佩いた剣を引き抜く。太陽の輝きを反射して恐ろしい光を放つ。死をもたらす鋼の光だ。


「今こそが、その時なのだ!」

「 応ッ!!」


 ジュエスが剣を振り上げると同時に馬が後ろ脚で立ち上がる。さながら英雄の銅像の様だ。

 兵士達も続いて各々の武器を掲げる。


「行くぞ! 私……僕に続け!」


 そして馬首を廻らせ、敵陣に向かって駆けた。

 騎兵の足音や武器のがなりたてる響きがすぐ後ろに聞こえるので、兵が着いてくるか後ろを振り返って確認する必要もない。

 もうジュエスに迷いや焦りは無かった。


 ――全ては我が愛する者の為に!――


 ◆ ◆ ◆



 ブリアン派軍の優位が決定付けられようする中、ミーリア派軍は遂に逆転の一手を打ちに出た。

 司令官ジュエスは手元に残る最後の予備戦力であるリンガル選抜騎兵1000騎とヒュノー隊300名を率いてブリアン派の戦列へ突撃を掛けた。それも側面や背後に回り込んでではなく、真正面からである。標的となったのはブリアン派軍の中央に位置するスレイン軍だ。

 その突撃は猛烈な、まるで死に物狂いと言わんばかりの勢いで行われた。一か八かの突撃として士気を高めでもしているのか、ジュエスを筆頭にどの兵士もが雄叫びを上げ、角笛をや武器を鳴らしての大攻勢であった。


挿絵(By みてみん)


 この攻撃はブリアン派軍にとってはある意味で予想の範疇だった。ジュエス直卒のリンガル騎兵隊はミーリア派軍最強の戦力であり、切り札であった。敵軍の切り札が何時投入されるか気にしない者などいない。そしてその切り札がこの最終局面まで投入されなかったとなれば、残る展開などは限られる。

 戦場の全ての耳目を集める突撃だったが、玉砕に終わるだろうと多くの者は考えた。とくに待ち受けるブリアン派軍こそそう考えていた。幾ら精鋭の騎兵部隊と言えども、勝ちに乗り、待ち構える戦列への正面攻撃は不利を免れないと思われたからだ。

 だが彼らは優勢の驕りから敵手を甘く見ていたという事実を突き付けられる事になる。


 一つはこれがリンガル兵の攻撃だと言うことである。とみに知られている事だがリンガル兵は狂信的なまでの忠誠心を誇っている。それこそが彼らを彼ら足らしめ、その原動力となっている。崇拝する主が死ぬまで戦えと言えば本当に死ぬまで戦い、突撃を掛けろと言われれば力尽きるまで突撃するのだ。

 槍を構えた歩兵部隊に対してだろうが、降り注ぐ矢の雨にだろうが、同じ騎兵相手だろうが、リンガル騎兵隊は躊躇わなかった。


 もう一つはヒュノー隊の存在である。こちらに関してはブリアン派軍だけでなくミーリア派軍も同様であったが、ヒュノーの事は多くの者が枯れた老将だと思っていた。内戦の敗北とバレッタ統治の失敗で彼の才覚は尽き果て、最早注目に値する人物ではないと考えていた。しかし、いざ戦場に立った時その輝きはまだ衰えてはいないと示された。

 よくよく振り返ってみれば、ヒュノーの失敗は本来の領分ではない政治的・政略的失敗によるところが大きく、戦場に於いては寧ろ良将の煌めきを維持し続けていた。

 ヒュノーは豊富な戦闘経験に裏打ちされた老練さを駆使し、リンガル軍の突撃を十分に支援した。敵の動きを束縛して騎兵の蹂躙に晒させ、敵戦列の穴が埋まらないよう傷口を広げ、兵数以上の働きを見せた。ヒュノーの手勢は失脚と苦戦の中でも彼の元を離れなかった忠臣で占められていて、リンガル兵団程ではないにしてもその結束力は高かった。


 そして、幾つかの要因が交わった結果、驚くべき事にリンガル騎兵隊の突撃は敵戦列を突破した。突き抜けたのは200騎にも満たなかったが、それでもある程度の兵、戦力と呼ぶに値するだけの数が駆け抜けたのだった。残りの兵は突き抜ける事こそ出来なかったものの、戦列の中へ躍り込み、縦横無尽に暴れまわった。


 先陣を切っていたジュエスは突破に成功した集団におり、隊を指揮し続けた。彼は反転して敵軍を背後から攻めるのでも敵本陣を襲うのでもなく、そのまま前進させた。オーレンの居る敵本陣を挑発するように掠めながらの前進だった。


 この期に及んだジュエスの動きをオーレンが無視する筈もない。オーレンは逃がさんとばかりに側近部隊を引き連れて追撃した。彼にしては珍しく戦場で馬に乗りさえしても追い掛けた。

 オーレンの目的は第一に憎き仇をこの手で仕留める事にある。何としてでも追い付いて手に掛けようとするのは宜なることであった。

 だが、それは全くもって彼の、彼だけの理由であった。


 方向から見てオーレンは自軍の背後に向かって走った事になる。オーレンとしては敵手の悪足掻きを捩じ伏せるようとしたのだが、他の者からしたらどうであろうか。

 敵軍の最後の抵抗によって戦列が突き破られ、背後に展開されている。そして自軍司令官のオーレンが背後に向かって走り去ってしまったのだ。当人以外には逆転された挙げ句に真っ先に敗走した様にしか見えなかった。ましてや司令官自らの突撃であり一層の耳目を集めるには十分過ぎる状況だ。全兵士の衆目の中で逃げ出したに等しかったのだ。

古来より、戦場において大将の逃亡は即ち敗北を意味する。将が逃げた後までも兵たちが戦わねばならない謂われはないのだ。


 脇目も振らずに追い掛けるオーレンを尻目に、最初に敗走を始めたのは意外にもモア兵であった。オーレン個人への信頼が強かったモア兵は彼の"敗走"を見て、その心を砕かれてしまったのだ。

 モア兵敗走の余波は隣接するサイス人部隊、スレイン兵団と次々と伝わっていき、好機を逃さないミーリア派軍各部隊の反撃も加わり遂にはブリアン派軍は大潰走を来すに至った。

 北面のメール兵団と新編重装歩兵隊は混乱の中でも踏み止まったが、レイツ率いる増援メール人部隊が撤退を選択したことで彼らも抵抗の意欲が失われた。そして主君に追い付かんと力を振り絞って再反撃に出たリンガル兵団の猛攻を前に遂に崩れされた。


挿絵(By みてみん)


 自身の思惑が図に当たり、勝利を悟ったジュエスは足を止めて追撃するオーレンに対峙した。対するオーレンが事態に気付いた時には全てが手遅れであった。

 彼の後ろには雪崩を打って逃げ散るブリアン派軍と攻守入れ替わって追い掛けるミーリア派軍の姿があるばかりだった。



 ブリアン派軍崩壊の渦の中、オーレンはジュエスと対峙していた。側近のメール兵は精鋭中の精鋭だが数は百人程でしかない。背後から囲まれつつあるミーリア派本軍はおろか、目の前にいるジュエスとリンガル騎兵隊にすら劣る兵力だ。

 ブリアン派敗残兵の波が遠くなりミーリア派軍の追撃部隊が後を追う。オーレン達は数十倍の敵軍に完全に囲まれていたが、側近部隊はそれでも心は崩れずに防御陣形を維持していた。オーレンは包囲されるがままに佇んでこそいたが、彼の心が敗北によって折れしまっているかどうかはまだ誰にも分からなかった。



 ◆ ◆ ◆


【新暦666年7月 ミラッツォ リンガル公ジュエス】



 ――勝ったな――


 ジュエスは思った。

 馬上から眺める光景は先程とは全く違っていた。つい先頃まで、敗走寸前まで追い詰められていたのはジュエス達の方であり、オーレン達に勝利の高みから見下ろされていた。

 だが今や立場は真逆だ。崩壊して逃げ惑っているのは敵軍で、自分達はそれを悠然と見ているのだ。

 鎧兜は傷だらけで至る所返り血が付いており、剣も切り裂いてきた敵の血にまみれている。流石に疲労を感じるが、一か八かの突撃に成功し勝利を手にした高揚感はそれを遥かに上回る。


 ――敵は崩壊している。最早、軍としての体裁は成していない。まさしく潰走と言う奴だ――


 殆どの敵兵は敗走か降服を選んでいる様が見えたが、まだ百人程の一団が抵抗の意思を持ち続けている様子であった。

 大盾と長槍で武装した鋼鉄の兵士、メールの猛者達だ。彼らは 盾を揃えてこの状況で尚も隙の無い円陣を築いていた。そしてその中央に守られるように馬に跨がった将がいる。


 ――オーレン、後はお前だけだ――


 ジュエスは配下の騎兵部隊には攻撃を待機させた。メールの精兵に突撃するのは賢い選択肢ではない。少し待てば追撃してきた本隊と共にオーレン達を包囲出来るのだから焦る必要もなかった。

 そうこうしている内に予想通り、ミーリア派軍の本隊が到着し、オーレンらの円陣を数千人の兵士が何重にも取り囲んだ。


 メール兵は揺らがず、中央の将を守り続けている。その将、オーレンは剣を握り締め、天を仰ぎ見ていた。

 先程までのジュエスと全く同じだった。追い詰められ敗北の事実を突き付けられると他に何も出来なくなってしまうのだ。


 ――まだ終わってはいない――


 ジュエスはもう相手を甘く見はしなかった。オーレンはまだ剣を捨てていない。自分と同じだと言うなら、最後の賭けに出る筈だ。

 ある点で同じ想いを抱くオーレンに対して一つの確信を持っていた。


 ――"お前だけは死んでも殺す"……そう思っているだろうな。僕も同じだからその気持ちよく分かるよ――


 暫く宙を見つめていたオーレンは何かを決したように前、即ち今まで追跡していたジュエスの方を見据えた。その目には褪せる事の無い敵意に満ちていることは離れていてもはっきりと伝わって来る。


 ――ブリアン派軍との戦いには勝った。しかし、まだオーレンとの戦いは終わっていない――


 オーレンは転げるように馬から降り、盾の壁を築くメール兵を押し分けて円陣の外へ出た。そして部下の困惑も余所に握り締めた剣を振り回しながら大声で怒鳴った。


「ジュエス! 貴様に僅かばかりでも戦士としての勇気があるならば俺と一騎討ちをしろ! 男の意気地があるならば、一対一で俺と戦え!!」


 戦場全体に響き木霊するような絶叫だ。眼は血走り、顔は憎しみで蒼白になっている。獣の如き形相で叫んでいる。


「どうした! 掛かってこい、臆病者め!」


 挑発としては安過ぎるものだった。普通ならば圧倒的優勢となったこの状況で態々応える者などいる筈がない。矢で応じたとしても誰も非難しないだろう。

 しかし、ジュエスは受けた。

 自らも馬を降り、歩いてオーレンの方へ向かった。その姿を見た士官が慌てて制止しようとする。兵士にとっては指揮官が無用の危険を犯そうとしているのだから当然の行動だった。


「か、閣下!」

「構うな」


 ジュエスは制止を無視して歩を進めた。


 ――オーレンの全てを負かさねば。個人の戦いでも僕に勝てないと刻み込んでから冥界に送り込んでやる――


 実際問題として今更一騎討ちを受ける公的意義など無い。外敵との戦いならともかく所詮相手は反乱者にすぎないのだから尚更だ。全てはジュエスとオーレンの個人的な確執の賜物である。


 近付き始めるとオーレンは叫ぶのを止め、殺意に満ちた目で睨み付けてきた。剣を握り締める指が白くなっているのも見える。

 数メートルの距離で対峙した二人は文字通りの臨戦態勢を保っていた。まだ少し距離はあるが戦いが始まれば瞬時に詰められる程度でしかない。


「お前だけは……お前だけは絶対に仕留める。必ず殺してやる!」


 オーレンが言った。


「オーレン、あなたの事は大嫌いだし、あなた程合わない人もそういないと思う。ただ、今あなたが言ったことは奇遇だけど僕も思っていた事だ。必ず殺してやるってね」


 ジュエスは応えた。

 

 言い終わるや否や、二人とも剣と盾を構え直す。戦いの終幕に起こった司令官同士の一騎討ちと言う前代未聞の出来事に両陣営の兵士達は固唾を飲んで見守っている。


 先に動いたのはオーレンだった。老齢のずんぐりとした見た目からは想像出来ない様な素早さで距離を詰めると剣を降り下ろした。ジュエスは盾で剣を受け止め、ぞっとする武具と武具の衝突音が響く。

 オーレンはくるりと手首を返すと今度は下方向から剣戟を食らわせる。再び盾で防いだが、その後も猛攻は止まない。何度も何度も剣で盾を打ち据えられ、次第にジュエスの盾がへこみ、革と青銅の覆いが裂けて本体もひび割れていく。


 ――そろそろこちらの番だな――


 次の剣戟を受け止めた瞬間、ジュエスは盾を傾けてオーレンの剣先を滑らせた。そして相手が攻撃の勢いのまま態勢を崩した時を狙ってすれ違い様にオーレンの脚に斬り付けた。

 そしてオーレンの裂けた足から血が吹き出して彼は倒れ伏し――――とはならなかった。


 ジュエスの剣は何も切り裂くことはなく宙だけを掠めただけだった。オーレンが斬りつけられる瞬間、さっと脚を上げて刃を回避したのだ。その動きは流石歴戦の勇者と言うべき見事さであった。


 ――拙い、避けられた!――


 態勢を崩したのは今度はジュエスの番だった。ジュエスは咄嗟に剣を振り回し、敵の接近を妨害しようとした。オーレンは冷静に刃を剣で受け止めると無防備なジュエスの顔に拳を叩き込んだ。


「うぐっ」


 ジュエスは吹っ飛ばされ、その拍子に盾を取り落としてしまった。地面に倒れ込んだ後、直ぐに立ち上がるがその足取りはふらふらとしたものだった。

 殴られて口の中が切れて血の味が広がった。剣を構え直して凄んで見ても、力量の優劣ははっきりしていた。


「私の方が強い様だな。ならばこんな物も必要ない」


 オーレンは盾を投げ捨てた。ジュエスも盾を失っているが両者ではその意味合いが違う。

 オーレンの言う通りだった。剣技と言う点に関してはオーレンはジュエスを上回っていた。それはジュエスも認める所であり、戦う前から分かっていた。


「そうだな、確かにあんたの方が腕は上だよ」

「ならば私の勝ちだ。戦争は違ったが、私とお前の戦いは私の勝利だ」

「いいや。それは違う!」


 ――そう。だが勝敗は別だ。強い方が勝つのではない――


 相手の言葉を遮るように叫ぶとジュエスは足のふらつきを抑えてオーレンに斬り掛かった。猛烈な、自らの身を顧みない攻撃の連続だ。

 オーレンは盾が無い以上は剣で受けざるを得なかった。最初は突然の攻勢に面食らっていた様子だが忽ちの内に落ち着きを取り戻し、防ぎ捌き斬り返して来た。

 とは言うものの、捨て身の攻勢でもやはり彼我の力量差を埋めるには至らないようで、オーレンの反撃は時折ジュエスの肌に届き、流血を強いた。


 それから何十号打ち合っただろうか。オーレンが圧倒し、ジュエスが必死に食らい付く姿は概ね変わらなかった。

 両者の間には血、汗、砂塵が舞ったが、金属片までが飛び散る様になったのには当事者も含めて幾人が気付く事が出来ただろう。

 破壊は唐突に訪れた。

 オーレンが膂力にあかせて打ち込みジュエスもまた剣で打ち返すという何度も繰り返された場面がまた展開された瞬間の事だ。

 激しい打ち合いに耐えきれなくなった二人の剣は甲高い音と共に根元から折れたのだ。

 折れた刃が弾け飛んでいく。その光景を見たジュエスは雷に打たれたように、或いは全身がかっと熱くなるの感じた。


 ――これは、好機だ――


 そう思った後、全ての時の流れが遅く感じた。自分の動きも相手の動きもはっきりと分かる。弾け飛んだ剣先の軌跡までも認識出来た。これは神々の領域だろうかと不意に思う感覚的時間すらもあった。

 オーレンは折れた剣を捨てて後ろへ飛び退こうとしていた。武器が役に立たなくなった以上、他の武器を手に入れて態勢を建て直そうとするのは当たり前の反応と言えた。


 だがジュエスはそうはしなかった。

 ジュエスは折れた剣先を空中で掴んだ。時間が遅く流れているので刃が指に食い込む感覚もよく分かる。


 ――自分の身を案じているようでは、勝利などできない!――


 後ろへ下がるどころか、そのまま相手の懐目掛けて大きく踏み込んだ。

 そして刃をオーレンに突き刺した。

 オーレンは驚いたような、まだ事態をよく飲み込めていないような目をしていた。


 次第に時間の流れが元に戻っていく。ジュエスはその中でも刃を通して手に伝わるオーレンの鼓動が急速に弱く少なくなっていくのを感じた。

 時の流れがすっかり元に戻り、真っ赤な血に染まったオーレンはどうと地面に倒れた。もう彼は動かなかった。


 ――奴は死んだ。私の勝ちだ――


 ジュエスは勝利の喚声を挙げるべきと思ったが疲れて実行に移せなかった。

 だが勝利は完全にジュエスの手の中にあった。


 ◆ ◆ ◆



 オーレンの討死で漸く戦いは全て終わった。側近部隊は投降し、残りの敗兵達も追撃されて討ち取られるか捕虜となった。

 ミラッツォでの戦いは司令官同士の一騎討ちと言う劇的な形で幕を降ろし、ミーリア派の勝利となったが、その為に支払った代償は決して小さく無かった。


 ミーリア派軍は8200人の戦死傷者を出していた。

 どの部隊も被害を出していたが、打ち破られたクラウリム兵と激戦地にいたリンガル兵は特に大きな損害を受けていた。クラウリム兵は半数の1500人が戦闘不能となり、リンガル兵は選抜騎兵も含ると3000人近くを死傷者として損失し、指揮官の一人キルクストン家のダニーロも失っていた。


 一方の敗北したブリアン派軍は死傷者・捕虜含め損失は7800人に及んだ。大部分はスレイン兵とモア兵が敗走時に蒙ったもので、少なからぬ数が投降した捕虜であった。

 メール兵の損害は増援のレイツ隊を併せても300人に達さず、更に半数は降服したオーレンの側近部隊である。

 ただ最大の損害は兵よりも将であり、言うまでもないが司令官オーレンが討死している。


 ミーリア派は最終的な勝利こそ手にしていたが、それは全く危うい勝利であった。失った兵数ではブリアン派を上回り、後一歩というところで何とか踏み止まった様なものであった。



挿絵(By みてみん)



 ◇ ◇


 ミラッツォの会戦を征したジュエスであったがまだ勝利の余韻に浸っている時では無かった。クラウリム各地で続く戦闘やミラッツォの敗残兵狩りもそうだが、何と言っても今だ王都ユニオンは危機にあるのだ。

 ジュエスは今すぐにでもユニオンへ救援に向かいたがった。しかし激戦の直後で疲れ果てた兵を率いていっても助けにはならない。焦慮の中、ジュエスは最大限確保出来る回復の時間として二日間待った。

 その間も手に入れ得た王都の情報はランバルト達の苦境を伝えるものばかりであった。


 そして最早一刻の猶予もないと判断したジュエスは後事を副将のコンスタンスやハルト貴族のカラミアらに任せると、リンガル兵を中心に全軍から選抜した快速の騎兵二千騎を自ら率いて王都の救援へ向かった。

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