『誰が為の戦い・一』
ブリアン派・ミーリア派両陣営は覇権を求めて動き出した。両陣営それぞれの戦略と思惑に沿って軍が展開された。
新暦666年5月、先ずは北方面が大きな動きを見せた。クラウリム公都クラインにはダロス将軍らクラウリム軍1万8千が主力軍の到着を待っていた。
対するオーレンは堅実な攻略を目指して麾下4万人の軍勢を動かしていた。その行動にはガーランドの伝手を使っての敵陣への調略や動揺を誘う為の挑発も含まれていた。
公都クラインには"公"ハウルタスもまた在していた。
彼は若者らしい無鉄砲さに加えて偉大な叔父への憧憬から非常に激しやすく、万事に直情的だった。その短所とも長所とも言える性格から"熱烈公"の渾名が付けられる程であった。
これ迄はダロスが諌め落ち着かせてきたが、戦の空気にあてられたハウルタスの熱烈さは初陣で戦場の姿を知らない事も相まってあっという間に抑えが効かなくなっていった。
そこへ来ての敵対勢力からの挑発である。ハウルタスの心は容易に燃え上がり、仕掛けた側の期待すら上回った。燃えるハウルタスは勝手に出撃してしまった。野心的な家臣が煽り立て、後に続いたのが事態を一層悪化させた。
しかしハウルタスは既に散々に撃ち破られた。事態を知って駆けつけたダロスはハウルタスを逃がすと必死の防戦を展開した。
大きな被害を出しながらも何とかダロスは追撃の手を振り払ってクラインに辿り着いた。だが、残る兵力は8千人程まで落ち込んでおり、クライン城を現状で守りきるのは困難であった。
ダロスは残兵を取り纏め、公都クラインからの撤退を決断した。一時の敗北であっても、リンガル公ジュエス率いる主力軍と合流出来れば、まだ勝算は十分にあったからである。
クラウリム地方の要、公都クラインが早くもブリアン派の手によって陥落したのだった。
6月、リンガル公ジュエス率いるミーリア派軍主力はクラウリム東部の城市バイロイトにて逃げ落ちたクライン勢8千人と合流した。軍の再編と態勢の立て直しを行ったジュエスらはその後の動きを慎重なものとしていた。
政治的中心である公都クラインから"公"共々軍が落ち延びたというのは、どうにも敗北と劣勢を意識させずには置かなかったのだ。
事実、クラウリム中部の諸侯・諸都市はブリアン派へ次々と鞍替えを始めていた。南部諸勢力はクライン陥落後の帰趨をまだ明らかにしていなったが、それ自体が既にブリアン派への転向の可能性を示唆していた。
ジュエスは掛かる事態に対し幾つかの対応策を打った。
先ずは兵力の確保である。ブリアン派軍はクラウリム諸勢力の軍を吸収し、その兵力は5万人へと達しようとしていた。
対するジュエス麾下のミーリア派軍は半減したクライン勢を加えても4万人と大きく劣っていた。ジュエスはまだ待機状態にあったコーア兵残余の動員を行った。コーア兵6千人が集結し主力軍との合流の為に移動した。
また動揺するクラウリム諸勢力の離叛を防ぐ為に別動隊の派兵も実行された。まだ軍勢は健在であると知らしめると同時に離反に対する懐柔や威圧も兼ねており、これ以上の喪失を防ごうと図った。
目下の派兵先として重要なのは南部である。
南部は両陣営が接触する地域で、帰趨をはぐらかす様な動揺を見せていた。更に王都の在るハルト地方へ繋がる古来からの街道も走っており、下手をすれば王都まで一気に抜かれる恐れもあった。
南部へはダロス将軍を派遣させた。掌握には硬軟併せた政治力・現地情勢に通じた交渉術が必要で、要求を満たせる人材としてはダロスが一番であった。ダロスと共にクラウリム兵5千人が派遣された。
無論の事だが敵の側もまた事情は同じである。オーレンらもクラウリム南部への派兵を開始し!クラウリム貴族サンダー家のナンディロスをメール兵1百名を含む5千人が送り込まれることになった。
クラウリム南部の主要拠点は交通の結節点である城市ゾリュ、トバーク海に開ける港町ログフォールであり、争奪戦も両地を中心に展開された。
中心地ゾリュを巡り早速戦いが発生した。両派共に5千人規模の軍勢を率いており、ダロスもナンディロスも干戈を交える事に否やは無かった。
拮抗した戦場はメール兵によって動かされた。メール兵の突撃はミーリア派の戦列に穴を穿ち、ダロスは損害が増える前に撤退を選んだ。南部における初戦は再びミーリア派の敗北に終わり、中心地ゾリュはブリアン派が獲得した。
ジュエスは南部へ増援を送り込んだ。戦線の拡大と兵力の分散は懸念していたが、南部を敵の手に渡す訳にもいか無かった。
リンガル兵3百人を含む6千人が新たに派遣され、ダロスらクラウリム兵4千人と合流した。
ミーリア派の増援を察知したブリアン派からも増援が送り込まれ、徴集したゾリュ兵合わせ7千人が投入された。
援軍を得た両軍は時を経ずして再度の衝突へと至った。どちらも1万人とまたしても同規模の軍勢がぶつかった二度目のゾリュ攻防戦は展開は同様にはならなかった。
両軍の主戦列、特にメール兵とリンガル兵は互いに譲らず激しく戦った。とは言えどちらも撃ち破る迄には至らず、戦いは日が暮れるまで続いた。
結局勝敗は引き分けとなり、両者痛み分けでゾリュの戦いは膠着した。
膠着状態を前に両軍は戦場をゾリュから移す方針とした。もう一つの重要拠点、港町ログフォールへの進出を図ったのだった。
だが双方の奮闘も余所に、ログフォールはゾリュよりもその態度は固かった。一方の側に肩入れしようとはせず、状況の変化には今暫くの時間が必要であった。
7月、劣勢続きの戦況を建て直すべく、ジュエスは勝利を必要としていた。元々の戦略からも積極的に仕掛ける必要があった。
一方の優勢のブリアン派も積極的に動こうとしていた。オーレン軍の役目は陽動であって、必ずしも打ち倒す事までは要求されてはいなかったが、オーレンは己の執着心から戦いに向かった。
今度はブリアン派が先手を打った。メール貴族のシュトラ家のクロコンタスが4千人の兵がバイロイトへ向けて出撃し、3千人の別働隊が後背のサクラティアを狙って展開した。
ジュエスはバイロイトに迫る敵軍に対し5千人の軍勢を与えて送り出した。ジュエスはバイロイトへの攻撃を迂回のための陽動と考え、主力同士の戦いに備えてを戦力を温存しようと考えた。
それは決して悪い判断では無かったが今回は不運にも違った。オーレンはジュエスの判断を読み切り、先鋒隊に5百人のメール兵を含ませていたからだった。ジュエスがその事を知ったのは迎撃隊の敗報、更に後方へ迂回する敵別働隊の連絡を受けたのと同時だった。
ジュエスは崩れ掛かる戦線へ援軍を送り込んだ。前面まで迫る先鋒隊に対しては自ら精兵5千人を率いて駆け付けた。後方迂回の別働隊に対しては副将コンスタンスに5千人を預け撃退に向かわせた。送り込まれた兵はメール兵は寝返りを警戒して殆ど含まれていない。
ジュエス率いるリンガル兵の強さはやはり伊達では無く、ブリアン派の攻撃は頓挫させ、オーレンら本隊はミラッツォで停止した。
何とか念願の勝利を手に入れたがブリアン派の優勢は覆ってはおらず、依然として予断を許さなかった。
◇ ◇
新暦666年6月、遂に反乱軍がハルト地方で動いた。
ブリアン股肱の臣たるウッド家の決起は言うまでもなく、ハルト地方屈指の有力貴族マーサイド家、クッスス市域代官のメイルーン家、カルボニア市域代官のカルボン家、フィステルス市もブリアン派に与して、より小規模な勢力としてはティッタ城域代官のグラニア家、ヨーグ城塞のベック家なども土地の権利と治世への不信から決起軍に加わった。
反乱軍に加担しなかった領主・都市も当然いる。とはいえ積極的にミーリア派を表明したのはごく僅かで、ほぼ全てが単に現政権に従っただけだった。
数少ないがツール領主のアルソートン家、バーグホルド領主のソーン家、モロル市域代官のホラント家、港湾都市ストラストなどが代表的な従属勢力であったろうか。
◇ ◇
挙兵した反乱軍は王都を囲い込むように各地に集結した。
北東のウラタイアにはブリアン"王"、パウルスらが1万の兵を率いて立ち上がった。正統な王者の行進を演出しようと人員がかき集められたが、兵とはとても呼べない徴収者が多く含まれていた。
レウカスホルドにはマーサイド家軍を中心に3千人が集まり、クッススにはメイルーン家軍・フィステルス市軍など2千が集結した。
ティッタではグラニア家らの軍勢が、ガラップのヴェネター家から援軍を得て、総勢2千人の兵が挙兵した。
これらの部隊の目標は王都の攻略であり、道中の諸領を平定しながら四方からユニオンへ向かった。
カルボニアではカルボン家らの兵2千人が決起し、ストラストの動きを縛る為に西へ向かった。
ヨーグに5百の兵が詰め、街道を扼してミーリア派南北の連携を絶とうと図った。
また内通者である筈のフレオンらコーア勢の参加もブリアンは見込んでいた。
◇ ◇
対するランバルトらミーリア派の軍勢は敢えて兵力を少なくしていた。反乱軍の決起を促して引きずり出す為、自軍の強さに絶対の自信を持っていた為だ。
王都ユニオンには5千人の兵が駐留していた。隊長アレサンドロ率いる親衛隊、アルソートン家のネービアン率いるメール重装歩兵、トリックス家のセイオンらリンガル兵、"中央軍"、コーア公フレオンらコーア兵、ホラント家のトラードらハルト兵、少数の近衛兵である。数こそ少ないものの、屈指の精鋭部隊を集めてあり、その質は極めて高かった。
そして彼ら王都の精鋭を指揮するのは総司令官ランバルトその人であった。
ブリアン派と同様、ランバルトも各方面からの増援を戦略に組み込んでいた。
"自軍の強さと王都の城壁援軍の到着までを利用して耐える、と言うのがランバルトの基本構想で、ユニオンの大城壁ならば数倍の敵でも十分撃ち破りうる筈だった。
だが予想以上の反乱軍の規模、王都の反乱への対応、更に主力軍の苦戦から、ランバルトは戦略に修正を加える必要が出て来ていた。
一つは守勢に徹して王都を空けない事、もう一つが援軍の早期招集である。
王都の守りに専念するとは、つまりは他の土地は見捨てると言うことで、従属していたハルト系諸侯の敵意を呼び起こさないわけが無かった。
特にホラント家のトラードは怒りを露にし、彼らの態度にメール兵隊長のネービアンが反発した。両者の言動は忽ちに過激になり、遂には刃傷沙汰にすら発展しかけた。
結局、フレオンの取り成しで和解して戦争中の破局は回避したものの両者の怒りの溝は深かった。
南北の援軍で反乱軍を挟み撃ちとするのが元の戦略であったが、ランバルトは苦戦するジュエスら主力軍に見切りを付け、南方面、即ちテオバリド麾下のライトリム軍で反乱軍を撃滅しようと図った。
ランバルトはテオバリドに2万の兵を率いて北上するよう命じた。
命令を受けたテオバリドだったが、その動きは妙に遅かった。ランバルトは催促の使者を何度も送ったがテオバリドの動きは早まらなかった。
漸くテオバリドが動いた時には時節は6月を終え、7月に差し掛かっていた。
そこからのテオバリドの動きは速かった。出陣して北へ向かうと、整備された街道網を駆使しているとしても、2万人の軍勢を率いているにも関わらず、ハルト地方へ到達するのに二週間と掛からなかったのだ。
テオバリドの行動を見て、ここで疑問を抱かないのは愚か者だけである。怪しむべき点は無数にあった。
何故、命令以上の2万人もの軍を率いてきたのか。何故、敵が跋扈する土地で進軍が滞り無いのか。何故、そもそも出陣をあれ程に渋っていたのか。
その答えはたった一つしかなかった。
だがランバルトは王都の守りを固める他、何も反応しなかった。
緊張が宮廷に充満する中でもランバルトは沈黙を続け、貴重な時間は無為に過ぎた。
そして7月初頭、テオバリドがブリアンと合流して臣従を宣誓し、共に槍先を向けてきたとの報告を受けて、遂にランバルトはテオバリドの離反を布告した。
テオバリドの離反によってランバルトは追いつめられた。戦略的にも政治的にも、彼個人に於いても事態は容赦なく切迫させられ、勝利と支配に奢って無謀な策を企てた負債を今にも取り立てられようとしていた。
幾ら難攻不落の大城壁が有ろうとこの戦況では王都を守り切ることは難しく、当然ながら敗北は軍事面・政治面だけでなく、彼の生命そのものも含めた覇道全ての終わりを意味している。何としてでも勝利しなければならないランバルトの頼りは最早北で戦うジュエス軍だけだった。一度は見切りを付けたジュエス軍が来るのを待つしか無かった。
ブリアンの決起は多くの者が直ぐに鎮圧されるだろうと考えていたが、様々な思惑や偏見、偶然、そして当事者達の奮戦で予想外の展開も見せていた。両陣営ともに続く離叛に王土の混迷は極まっていく一方であった。
◆ ◆ ◆
【新暦666年7月 王都ユニオン、小議の間 コーア公フレオン】
「テオバリドが離叛した。奴と共に二万のライトリム兵もブリアンの側に寝返ったようだ」
ランバルトが告げた。小議の間に集った面々は何れも苦々しい表情をしている。表情こそ似たり寄ったりだが皆の感想はそれそれで異なっていた。
ある者は迫り来る反乱軍への危機感を、ある者は新たな離反者への怒りを、ある者は発言者に対する不満を、またある者は全く異なる考えを抱いていた。
――テオバリドの寝返りは"やはり"ではあっても"まさか"ではない。如何にも裏切りそうな野心家面しているではないか――
フレオンは自分を棚に上げて思った。
フレオンはテオバリドの反乱については情報は持っていなかった。戦略上今なお味方だと騙してつながりを保っているパウルスからも秘匿されていたようだった。だが断片的な情報からは推測はしていた。
――ランバルトにはそうではない様だが。彼は意外にも身内には甘いのだ――
ランバルトは裏切り者には厳しいが失敗者には意外と寛容だった。サフィウムの戦いで敗れたジュエスは今も重く用いているし、レグニット平定で失態を犯したテオバリドもこれまでは同様に重用していた。降伏してきた以前の敵対者も多くは許して幕下に加えている。
特に身内に対する失敗への寛大さはランバルトの性格からすれば"甘い"と評せる程だった。覇者ランバルトの希少な直しようのない人間的な綻びだ。
そして大いに関係することだが、もう一つの貴重な弱さが"野望への想い"だ。言うまでもないがランバルトは時代の覇者足るを望んでいる。それは彼にとって身を焦がす衝動で何よりも優先されるし、その為ならどんな冷酷で汚い手も採る。
一方で野望に対して、甚だ独り善がりで迷惑という形容詞は付くのだが、ある意味で清い想いも抱いている。それは"完璧に望みを達成したい"という想いだ。"どんな手を使ってでも勝利と栄光の中で時代の覇者になりたい"と想っているのだ。
――他の連中は兎も角として、重臣で子飼いのテオバリドが裏切ったと思いたくなかったのだろう。戦略の破綻だとか政治的な失策だとか以上に、彼なりに目を掛けて可愛がっていた子飼いに手を噛まれる程度の存在だと突きつけられるのが我慢ならず、時代の主導者に相応しくない負の出来事が起こったと言う事も認めたくなかったのだろうな――
その想いは野心というより恋という表現が近いかもしれないとフレオンは考え始めていた。だからこそ弱みと言える。
――好きな女に良いところだけ見せてモノにしたいと望んでいるのだ。どんな王も手に入れられない高嶺の花で競争率が激しいから尚更だ――
当のランバルトは傍目には普段の冷静さを維持しているように見えた。
「……それは承知しましたが、宰相閣下、かかる事態に如何に対処なさるお積もりなのです」
不満者の代表、ホラント家のトラードが言葉を投げつける。回りの幾つもの目がランバルトを見た。
予想できる事だが、多くは不満を抱いていた。それも已む無く、どういう訳かランバルトはテオバリドの反乱を見ても対応せず、布告すらしていなかったのだ。今更ランバルトの宣告を聞いても、そんな事は分かっているとしか思わないだろう。
――テオバリドは無能ではない。ランバルトが最も目を掛けていた若手将校だけあって力量は確かなものがある。現に失敗をはね除けて"公"に抜擢されているのだ。ライトリム軍と共に寝返ったのは、純軍事的には極めて不利だろうな――
「……」
ランバルトは答えない。トラードは一層辛辣に言葉をぶつける。
「今や王都の回りは敵だらけだ。ここまで事態を深刻化させたのは貴方でしょう、ランバルト公。テオバリドの離叛の報が届いてから何日も手を拱いて見ていただけでしたな」
「……」
「聞くところによれば、そもそものブリアン王子の決起を座視して止めなかったという噂も有りますぞ。事実ならば……」
「事実なら何だ? だからどうだというのだ?」
「それが事実ならば、貴方の力量には疑問を持たざるを得ないですな」
トラードは良くも悪くも恐れ知らずな所があり、ランバルトにすら噛み付く。勇気があるのか阿呆なのかはフレオンには分からなかった。
ランバルトの瞳がすっと冷えていく。噛みつかれたことよりも、自らの能力に難癖を付けられたことが怒りを呼んでいるようだった。
「貴様! まだランバルト公を侮辱するか!」
アルソートン家のネービアンが立ち上がって叫ぶ。今にも飛び掛からんとしている程激しているように見える。
「この間と言い今度と言い、許せん! どうせ貴様もブリアンに寝返る腹積もりなのだろう!」
「何を言うか!」
ネービアンとトラードはあっという間にぶつかり合い、両者とも額に青筋を浮かべた。やっと仲裁された過日の刃傷沙汰未遂がまた起きるかと、面々に緊張が走る。
――少し白々し過ぎはしないかね。このままだとネービアンはボロを出しそうだな。私が場を預かるしかないか――
「二人とも落ち着き給え。過去のことを蒸し返しても何も始まるまい。それに今更寝返った所であの傲慢なブリアンが赦しなど与えるとは思えん」
フレオンはランバルトの怒りが巻き起こる前に争いに介入した。先の争いでもフレオンが間に入って何とか治めていた。フレオンらを見る面々の目には怯えと卑屈さが微かに感じられる。
――それでもランバルトよりは寛大だろう、と言いたげだな。それだけでも諸君らには賭けるに値するのだろうかね――
「しかしフレオン公! 主君への侮辱を見過ごしては勇士としての矜持が廃ります!」
「フンッ! 勇士だと? 辺境の開拓民風情がよく言うわ!」
「トラード、貴様!」
「トラード、トラードと、私は王国建国以来の名家ホラントの当主だぞ! 貴様の様な成り上がりの田舎者とは格が違うのだ! トラード"殿"と呼ばぬか!」
フレオンの仲裁が入っても今度はネービアンもトラードも収まらなかった。二人とも猛り、罵声を飛び交わす。
「トラード殿もネービアン殿もいい加減にされよ。今は仲違いしている時ではない」
――少し熱が入りすぎているかな? いや、この猛りは他の者の理性も削ぐ。特にランバルトにはそうだろう――
「ですが……」「しかし……」
そしてフレオンの説得に二人が再び口答えしようとした瞬間。
「黙れ!」
「っ……」「う、むっ……」
暫く黙っていたランバルトが怒号を放った。
「ネービアン、貴様は私が良いと言うまで口を開くな! 愚か者が!」
「……」
「トラード、これからどうするか尋ねたな。教えてやろう。王都に篭もって敵を城壁で迎え撃ち、北の主力軍が反転し来援するまで待つのだ。貴様らがすべきことは城壁の死守だ。出来なければ死ね!」
「……」
「いいな! 異論のある者はいまいな!?」
凍りつくような冷たく、恐ろしい叫びだった。トラード、ネービアンは勿論だが当事者でない周囲の面々も圧倒するだけの力があった。誰もが不満を押し殺し、黙っている。
ただフレオンだけは平然としていた。
「ならば伝えるべきはもう無い。各々準備をしておけ! 行けッ!」
ランバルトに命じられ皆、席を立ち、ぞろぞろと小議の間から退室していった。トラードとネービアンも何とも言い難い複雑な表情をして立ち去った。
ただやはりフレオンだけは平然と座り続けていた。
暫くしてランバルトとフレオンだけが部屋には残った。
部屋の温度が一気に下がって行く感覚がある。ランバルトは凍える様な視線をフレオンに向けた。
「私は、行け、といった筈だぞ。何故行かぬ」
「まだお話があります」
「フレオン、お前は自分の事を特別な立場に在ると思い上がっているのか?」
「いえ。私の立場は特別ではありませんが、私がお伝えしたい話は特別だと思います」
「……」
フレオンに自信満々に告げられたランバルトは少し考え込んでいる様子だった。フレオンの情報は欲しいが受動的に情報を与えられるのは好ましくない、そう考えているようだ。
――だが、今のランバルトなら必ず受ける――
「話せ」
ややあってから、ランバルトは短く言った。
――ほらな。思った通りだ――
「はい。急ぎますが決断なされるまでは内密にしておいた方が良いと思いましたので……」
予想通り話を求めたランバルトに対しフレオンは話し始めた。普通なら少し勿体ぶるところだが、今のランバルト相手では逆効果になる。
「ジュエス公が反転するまでにどれ程時間が掛かるとお考えですか?」
「……書簡を至急送る。それから早急にオーレンを破り王都へ引き返させるから、長くて一ヶ月だろう」
答えながらランバルトは苛立つように指で机を叩く。
――まあオーレンを直ぐに撃破できるという見込みは今は置いておくとして、実際はそうはならない事情が色々あるのですよ――
「もう少しばかり早い到着になるかもしれません」
「……何故そう思う?」
机を叩く指が止まった。
「件のリンガル公ですが、王都にいる手の者から逐一情報を得ている様です。ご存知でしたか?」
「……いや。手の者、とは?」
「お分かりでしょう。ジュエス公が最も信じている人物です」
――ここは敢えてはっきりとは言わない。相手に色々と想像させることで余計な疑念も掻き立てさせる事が重要だ――
「サーラか……」
ランバルトは指で顎を撫ぜた。短く刈り揃えた金の髭も触れられる。
「だが、それに何か問題があるのか? 戦時に於いて情報は命だ。ジュエス程の聡さがあれば誰でもやるだろう」
何の問題があるのかとは、当然の疑問だ。だが後出しだろうと何だろうと、それを問題に仕立てあげるのが腕の見せ所だ。
「御尤もです。ですが、では何故私しかジュエス公がそう動いているとの情報を掴むことが出来なかったのでしょうか」
「……」
「それに、何故王都での詳しい情報を、彼自身の情報源から知る必要があるのです?」
――まあ、実際は私が情報が拡散しないように手を回して隠していたのだがな――
「閣下に直接状況を尋ねれば良いだけではありませんか?」
フレオンは言った。
聞いたランバルトの顎を撫ぜる力が無意識に強くなっていく。
「……私に知られたくない、隠れて行いたかった理由があると言うのか?」
「そうは申しません。しかし……」
――ここは少し口ごもった方が印象を深められる――
「しかし、やもすればですが、或いはジュエス公の反転は随分と遅いものになるかもしれません。もしくは一層の大軍と共に直ぐにやってくるかも……王都の中のリンガル人もそうですが」
事実がどうであるかは関係無い。この場の人間にとっての真実となるかどうかが大事なのだ。
少しの時間、場を沈黙が支配した。何か考え込んでいたランバルトが口を開く。
「……アレサンドロにサーラを連れて来させる。我が妹は安全な所へ匿うとしよう」
瞳の冷たさを一層強めてランバルトは言った。彼の中での真実が一つ新たに出来上がったのだ。
――こうして真実とは作られる。事実しか見ていない者には決して辿り着けない境地だな――
ここまではフレオンの計画通りに順調に進んでいる。ただ企てを成功させるにはもう少しばかり工夫が必要だ。
「その事ですが、閣下」
「今度は何だ?」
「私もアレサンドロ隊長に同行しましょう」
「お前がか。何故だ?」
ランバルトは訝しんだ顔で返事をした。
「確かにアレサンドロ隊長の忠勇は疑うべくもありません。特に斬り合いに及ぶならば、です。しかし、今回求められているのはサーラ姫の"安全の確保"とリンガル兵の掌握です」
王都包囲という目の前の出来事を解決するためにもリンガル兵の戦力は必要だった。要するに逆らわせず、蠢動させず、従わせる事が今回は肝要なのだ。
「アレサンドロ隊長は必要があればリンガル兵を斬るのに躊躇しないでしょう。サーラ姫が抵抗した場合も同じです。連れて来いと命じたならば、例え手足を切り落としてでも連れてくるでしょう」
――顔色一つ変えずに赤子の息の根を止められる奴だ。私だって直接手にかけるのには躊躇するというのに。主家の令嬢だろうと斬るのに戸惑いなど持たないだろう――
フレオンは続けた。
「もしサーラ姫が傷つけばリンガル兵は絶対に従いませんし、ジュエス公も間違いなく敵に回るでしょう。逆に言えばサーラ姫が承諾しさえすれば良いのです。ですから、ここは例え脅しながらでも言葉で説得すべきです。今、王都でその任に耐えるのは私だけであると思います」
――自身に突きつけられた見える刃以上に他者を従属させる力のある言葉というものがある。私はその使い方を知っている――
「……」
ランバルトは考えているようだった。
ジュエスに首輪をはめ直す必要はあるが、その為にフレオンを使用し続けて良いのか。一方が下がればもう一方が上になる。新たな危機を生み出すだけではないか。その点に思考を至らせているのだろう。
そして、策謀を弄ぶだけの自分より明確な武力を保有するジュエスの方が恐るるべきと彼は結論付けるだろう、とフレオンは確信していた。
――人は二つの選択肢を見せられるとどちらか選ばなければならないと感じる。例えランバルト程の強者でも、その本能には逆らえない――
再度時間が経ち、ランバルトは冷たい空色の瞳をフレオンに向けた。
「サーラは頑固だぞ。説き伏せられるのか?」
「どんな岩にも亀裂の一つや二つはあるものです」
フレオンは自信有りげに見えるよう、普段通りの平然とした口調で言った。
「ふん、良いだろう。任せよう」
金色の宰相の言葉を受けたフレオンは計画の成功に思わずほくそ笑みそうになった。一歩一歩、目的の達成に近づいている。其のことを実感せずにいられない。
――"舌の鋭さは刃の鋭さに勝る"とはよく言ったものだ。剣ではこんなにも上手くランバルトを操ることなど決して出来ない――
「お任せ下さい、閣下」
フレオンは平然と、自分でも驚く程に極めて平然と返答した。
◇ ◇
【同 プロキオン家の邸宅】
ランバルトの承諾を得たフレオンは隊長アレサンドロ、百人の親衛隊とともにプロキオン家の邸宅へ向かった。
彼らがいる宮殿地区は貴族や富裕層が住まう地区のため、道はよく整備され空いている。今も親衛隊の兵士が四人横並びになった歩いているが、それでもまだ道幅には余裕がある。
道は静まり返っており、市民の住居地区からの喧騒が聞こえてくるのみだ。元々閑静な地区ではあるが、数々の陰謀や動乱を経験してきた王都の貴族達は何かを察して館に引き篭もり一層静かであった。
フレオンは外長衣を纏っただけの普段と変わらぬ出で立ちだが、アレサンドロら親衛隊は完全武装で何時でも戦闘可能な状態を保っている。行軍隊形も一部の隙もなく、そのまま戦闘に突入できるだろう。
手勢のコーア兵をフレオンは連れて来ておらず、"中央軍"や他のメール兵、ハルト兵も加わっていない。親衛隊以外には直ぐ動かせる部隊がいなかったというのもあるが、フレオンには別の意図もあった。
――親衛隊だけ向かうことで、ランバルトが暴力を振るおうとしていると印象づけることが出来る。それに対抗する人物のことも――
フレオン達の目的地プロキオン家邸宅であるが、かの地域はジュエス公の飼い犬ことリンガル兵が熱心に警護している。
プロキオン家の邸宅に詰められているリンガル兵は五十人程度。残りは市内の各所に駐留している。
極めて忠実な彼らは主君とその家族を第一としており、危害を及ぼす者には決して容赦せず、文字通りに自らの命を掛けて守り抜く。
――もし戦闘になったら、いや勿論戦いにはさせないが万が一にそうなったら、メール親衛隊・リンガル兵どちらも死ぬまで殺しあうだろう。どちらも狂信的な忠誠心を保っているからな――
メール兵は個人戦には向かないが、精鋭中の精鋭である親衛隊はそうはいかない。ただそれでも、数で劣るリンガル兵は親衛隊に殲滅されるだろうが、親衛隊も半身を喪うだろうことは想像な難くない。
今、それが起こって貰っては困るのだ。
フレオン達"使節団"は程無くプロキオン家の邸宅へ到着した。
既にリンガルの若勇士、トリックス家のセイオンが数人の兵士とともに門の前に立ち塞がっていた。先刻、小議の間で合った時とは違い、全身に武具を帯びている。門の奥や邸宅の窓にも武装した人影が見える。
"使節団"の動きを聞いて警戒体勢に移ったのだろうが、リンガルの忠犬どもなら普段からこうでも不思議ではない、とフレオンは思った。
――臨戦体勢だな。こうまで皆が血に逸っていると、そうではない私が間違っているみたいに思えてくるよ――
セイオンが門の前に立ち塞がりながら話し掛けてきた。その手は既に剣の柄に置かれている。
「フレオン公。先刻も小議の間で会いましたな。どうなされましたか?」
「セイオン殿。いや何、火急の用事があってな」
「アレサンドロ殿に兵も連れておいでて、市内で暴動でも有りましたか」
セイオンは警戒心たっぷりの態度で言った。ジュエス以外のリンガル人は腹芸が苦手に過ぎるとフレオンは常々思っていた。
「いや。だがもし何か変化があったとしても、君達は我々よりも早く知っているのではないかな?」
「どういう意味でしょうか」
挑発するつもりはない。これは示威行動だ。生意気な小僧を押し退け、頭目を引っ張り出したかった。
「主へより早くより正確に情報を届けようとするとは、諸君らリンガル人の忠節には全く敬服しきりだ。それと、夫に常に忠実な奥方殿もな」
「お褒めの言葉と受け取っておきましょう」
「その通り、私は心から賞賛しているのだよ」
お互いに心にもない言葉を応酬させる。
「だが残念ながら出向いた用件は褒めることではないのだ。ランバルト閣下がサーラ姫とジュラ公子を宮殿へ招いておられる」
「ほう、それは大事ですな」
「そうとも。極めての大事だ」
フレオンはいつもの茫洋とした表情と態度を保ちながら、少しずつ門の方へ近付いた。
――勝ちの自信はあるが、この行動は賭けだ。交渉を有利にするには主導権が必要なのだ――
「王都も戦火が近い。血を分けた肉親であり、忠実な友の妻と子をより安全な場所へという閣下たってのご懇意だ」
「宰相閣下の御家族への情深さ、実に喜ばしい事だと思います。ですが、奥方様にはこの邸宅以上に安全な場所はありません。プロキオン家の邸宅は我らリンガルの兵が守備しておりますゆえ」
「宮殿の壁よりもかね?」
フレオンは少しずつ門とセイオンの方へ近寄っている。
フレオンは自身の特性を良く理解していた。
茫洋とした印象に残らない見てくれは殆どの場合他者の注意を引かない。近寄ったとしても、例えば話しながらであれば、中々に認識されないのだ。
事実セイオンはフレオンが近づいているというのに、剣の柄に置いた手の力を強めたりはしていない。
「勿論です。"人は城、人は壁、人は堀"という古い諺の通りです。我らは我らの命を以って奥方様と若様をお守り致しますので」
「ふうむ。いや、全く、君達の忠誠心は素晴らしい。これ程忠義に厚い者共がこの王土に幾らいるだろうか。だがね、セイオン殿。どうやら君は分かっていないようだ」
――本当は分かりきっていることだ――
「ランバルト閣下はお願いしているのではない。命令しているのだよ。そして、我々はそれをただ伝えに来たのではない」
気づけばフレオンはもう目の前だった。セイオンにとっては得体の知れない突然の接近に感じたろう。
「っ!……構え!」
セイオンはぎょっとした様に焦って命令を出した。予想外に接近されていた事に警戒心を押し隠せなくなり、軍人らしい突発的対応に出たのだろう。
セイオンを含め門前の勇士達は剣を抜き、窓辺の人影は弓に矢を番えているのが見えた。
「方陣、密集! 槍、構え!」
リンガル兵の動きを見たアレサンドロは素早く命令を下すと、親衛隊兵は一部の乱れもない方陣を組み立て、槍と盾の壁を形成した。
一触即発の危険な空気が満ちる。互いにじりじりとした敵意に身を焦がしている。何らかの切っ掛けがあればすぐにでも刃が交わされるだろう。
その時、邸宅の奥から一人の女が現れた。
完璧に均整と調和の取れたその女の美貌は子を宿して大きく膨らんだ腹をして尚、陰ることはない。
「待ちなさい」
輝く黄金の髪を靡かせながら彼女、サーラは言った。
――向こうから出てきたか。これで賭けは私の勝ち、主導権は貰ったな――
フレオンは内心ほくそ笑んだ。
「セイオン、客人を門前で立たせて押し問答とは貴人の行いではないわ」
「はっ。申し訳ございません、奥方様」
サーラにそう言われるや否やセイオンは剣を収め、部下にも同様に命じた。
ジュエスの妻と言う立場もあるだろうがそれだけではない。彼女の絶世の美貌と光り輝く様な立ち振舞いがあればこそだろう。さしものフレオンもサーラの美には目を引かれる程だ。
リンガル勢が武器を収めたことで親衛隊も一旦臨戦体勢を弱めた。一触即発の危険な空気は徐々に鳴りを潜め、再び話し合いの雰囲気が醸造されていた。
「サーラ姫。ご機嫌麗しゅう」
「フレオン公。陰険な貴方と話をするのは反吐が出そうだけれど、栄誉在る貴族としては用件のある客人を無碍にする事はできないわ。中へどうぞ。水くらいは出すかもしれないわ」
サーラは事も無げに毒の言葉を吐く。しかし美しさは不思議と損なうことはなく、寧ろ一層魅力的に感じる部分さえある。
―――美貌に反して何と攻撃的な物言いか。美しい花には棘があるとはよく言ったものだ――
「お出し下さるのなら、何であろうとありがたく頂きましょう。ではアレサンドロ隊長、兵を中へ」
「待ちなさい。私は話のある客人は受けると言ったのよ。猟犬共を入れていいとは言っていないわ」
はっきりとサーラは言い放つ。牙を剥く為だけのアレサンドロ等は相手にしないと言ったのだ。
フレオンはやれやれと言わんばかりに大袈裟にかぶりを振った。
「困りましたな。それでは我らの用件を達成するのが難しくなるやもしれません」
「あらそう。でも同情する義理はないわね。それでもやるというなら、あなた達はもう客人ではなくなるわよ」
彼女からは兄同様の鋭い冷気が放たれているよう感じられた。だが、やはりどこかに脆さと隙をフレオンは感じる。
――拒絶しているように見えるが、端々からサーラが話し合いを求めているのが分かるな。本領に引き込むことで主導権を取り返したいのだろう――
フレオンは少しばかり考えている態度を見せ、ふうむと鼻を鳴らした。
先程は最終的にサーラは自分から出て来た。あの時点で姿を現す事は、どの様な経過であれ即ち戦いの中断を意味する。そして、それを能動的に選んだと言うことはサーラが戦いを望まないことを意味している。
――但し、能動的に選んだのではなく、私によって能動的に選ばされたのだがね――
「まあ、宜しいでしょう。話などというものは人が二人いれば出来ますからな。それに身籠った御婦人を何時までも外に出したままというのも何とも具合が悪い」
「なら良いわ」
サーラは言った。彼女の瞳には勝利の驕りが宿り始めていだ。
――本領に引き入れると言うことは、裏を返せばそこまで踏み込まれることでもある。サーラ姫もまだまだ経験か足りないようだ――
フレオンはアレサンドロら親衛隊を待機させ、サーラに付いて門を潜った。
リンガル兵の敵意を一身に浴びているのが嫌でも分かった。
◇ ◇
邸宅に入って通されたのは執務室でも何でも無い、唯の客間だ。扉の外には剣を携えたリンガルの勇士が控えている。
フレオンはサーラと向い合って座っていた。身重で有るためにサーラはゆったりとした寝椅子に座り、薄く柔らかなラトリア布の羽織を掛けている。
「ところで、少し喉が渇きましたな。水は頂けませんか? 」
「駄目よ」
「葡萄酒でも構いませんが」
「駄目よ」
「そうですか。残念ですが、別にそれは宜しい」
素気なくサーラには一蹴された。
勿論本当に渇きを癒やそうとなどは思っていない。単なる話の切っ掛けだ。
「聞いて居られたと思いますが、宰相閣下はサーラ姫とジュラ公子をお守りしたいと仰せです。ついてはお二方には宮殿までお越し頂きたいのです」
「ふうん、お兄様がねえ。まあ、"守る"というのはある意味確かかもねしれないわ」
――その通り。一体誰の手から、何の為に守るかはまた別の話だ――
「それで? お招きを遠慮したらどうなるのかしら?」
「貴方は死にます」
「過激ね」
「閣下がアレサンドロをわざわざ遣わされた意味はお分かりですな」
"アレサンドロ"と敢えて敬称を付けなかった。そして、それを聞いたサーラの眉がぴくりと反応したのを見逃すフレオンではなかった。
「そうね。お兄様ならそうするでしょう。逆らう者は誰であろうと容赦しないもの」
「危険なのは貴方だけでは無い。この戦争中はともかく、後には確実にジュエス公も処刑されます。あるいはそうでなくとも、貴方が従順でないことはジュエス公への疑念を招くでしょう。一秒過ぎる毎にランバルト公の疑念は強まっていきますよ」
「そんなの絶対許さないわ。あの人を傷つけるような真似は例えお兄様だろうと、決して許さない」
サーラから一層強く冷たい刃が放たれている。敵意と憎しみの刃。冷たく且つ激情的なところはやはり兄ランバルトと良く似ている。
――彼女は自らの死は恐れないし、ジュエスの死には何よりも怒りで報いる。屈服させるには他のものが必要だ――
フレオンは平然とした態度を崩さず話を続けた。
「ところでセイオン殿はいつぞやに比べ随分活気づきましたな」
「それはそうだけれど、突然何かしら」
「いえね、彼を見て少し思い出したことがありましてな。セイオン殿は先年のメール地方の鎮圧で随分堪えていたようですね」
「……ええ」
「ランバルト殿のやり方には彼は付いて行けなかったそうですな。赤子までも殺すやり方には」
子供の話を出した瞬間、冷気の刃が脆くなった。
サーラは動揺を表に出さないようにしているが、僅かに恐れを感じ取れる。
「お兄様がジュラまで殺すと?」
「まあランバルト殿がするかどうかは分かりませんが、命じられればアレサンドロはやりますよ」
フレオンは言った。
相手の大事なものを壊すと脅すのは有効だが諸刃の剣だ。要求を押し通しやすくなる反面、相手に容易に一線を越えさせかねない危険も秘めている。
「サーラ姫。私は貴方がたを助けに来たのですよ。元々はランバルト公はアレサンドロだけを送ろうとしていました。無理を言って私も付いて来たのです」
「……」
「アレサンドロだけならもう斬り合いになっていますよ。そうでしょう?」
サーラは発言に慎重になっているようだった。実際に愛する子供を害される危険を直視させられると、流石に動揺せざるを得ないらしい。
――思ったより簡単に落ちそうだ。情愛深い人間は説得の方法が山程あってその面は楽だ――
「今ならまだランバルト公の無用の疑念を忠誠心を見せることで拭えます。私はランバルト公に、貴方方が従順で、逆らう気配などないと伝えられます」
「貴方の言葉に何の意味があるの? 貴方の助けをありがたがらねばならない理由は?」
「私は先程言いましたね。無理を言って付いて来たと。サーラ姫の知るランバルト公は無理を言った所で話を受け入れるような方でしたか?」
「……いいえ」
「そういうことです。無理を言って聴かせる事が出来るのですよ」
――前回は上手く言いくるめる事が出来たが、ランバルトがまた私の言葉に耳を傾けるかは分からない。だが、そんな事は重要ではない。今この場での真実こそが重要なのだ――
ランバルトを良く知りすぎる妹のサーラならば、寧ろこういう言い方のほうが心に深く突き刺すことが出来る。
「……」
サーラは考え込み、黙っていた。掛けた薄絹の布を握ったり、流れる金色の髪を梳いたり、腹の赤子を撫でたりしている。
――あとは答えを待つだけだ。催促はするべきではないな――
サーラは考え、フレオンは待った。
サーラは屈しそうになりながらも必死に気丈さを保とうとしている。その弱さと強さの混淆、無情な世界に耐える姿は正に神憑り的な美しさだった。見る者が見れば神話の一節として語られても不思議ではない。
――いや悪魔的というべきか。彼女の為に戦争が起きるのも宜なるかな――
そうフレオンは思った。
そして、たっぷり十数分は沈黙が続いたろうか。
「ところで、少し喉が渇きましたな。水は頂けませんか?」
フレオンは再び尋ねた。
「……水、いや葡萄酒をフレオン公に」
サーラはそう召使いに命じる。フレオンは受け入れられたのだ。
――私の勝ちだ――
◆ ◆ ◆
ランバルトはそれまで渋っていた北への救援を求める伝令を走らせた。周囲の敵軍に捕らえられないよう慎重かつ決死の伝令である。
ランバルトにとってはジュエスの功績を増加させてしまう事に繋がり、以前ならともかく現時点では可能なら避けたい事態であった。更にテオバリド同様、ジュエスが裏切らないという保証もまた無かった。だが作戦の失敗で窮地に陥った今、最早他に選択肢はなかった。
ランバルトはジュエスの離叛を防ぐために"家族を人質に取る"という古典的な策を講じた。ジュエスに対する場合、この策は大きな効果が上がることは予想された。但し、策の副作用には思いが至らなかったのはランバルトの人間性の限界であったろうか。
そしてプロキオン家の妻子、サーラとジュラを宮殿に一画に招致して"保護"した。その際、アレサンドロら親衛隊を派遣したというのだから、その真の目的が保護ではないことは一目瞭然であった。
来る戦を前にして"保護"したのはプロキオン家の妻子だけではない。王位僭称者が迫っている以上、当の玉座の主も敵の手に掛からないようにしなければならなかった。
◆ ◆ ◆
【新暦666年7月 宮殿の一室 女王ミーリア】
「こちらへ、陛下」
側に侍っていた兵士が言う。兜のせいで表情は見えないが、声の調子が慇懃なのが耳につく。
「……はい」
ミーリアは逆らうでもなく、ただ従った。
――何かに立ち向かう気力なんて、もう数年出ていないわ――
ミーリアは近衛兵とランバルト公の親衛隊に安全の為と謂われて連れて来られていた。
連れてこられたのは宮殿の上階。通じる階段は一つきりで鍵付き扉の側には衛兵が立つ。隔絶された部屋なので窓からの出入も不可能だ。
早い話が今王都を囲もうとしている弟一派に利用されないよう軟禁されるのだ。
――と言っても、普段も宮殿からは出ないのだから大した違いは無いし、王としての職務だって果たした事は無いのだけれど――
ただ、庭園――"あんなこと"があってもそれでも足を運んでしまう――に赴けなくなるのだけは残念ではあった。
厳重な封鎖を華美な装飾で誤魔化そうとしている軟禁部屋の中にはミーリアにとって最も会いたくない人物がいた。
「サーラさん……」
黄金の流れる髪、豊満でありながら締まりのよい肢体、完璧に均整の取れた顔。
男を狂わせ、女の嫉妬さえも霞めさせる美の女神の化身。
宰相の妹。
いまなおミーリアが心を離すことのできない男の妻。
アルサ家、いやプロキオン家のサーラがいた。
「ミーリア陛下……」
質素な長衣の上に柔らかな薄絹を掛けているだけの装いで、膝には彼女とその夫に良く似た幼児が頭を乗せて寝入っている。サーラの腹は大きく膨れ、愛の結晶がもう一人いるのだと一目で分かる。
扉が閉じ鍵が閉められる音が響き、二人の間には妙な沈黙が漂う。
「貴方もランバルト公に連れてこられたのですか」
何故かミーリアは自分から話し掛けた。
庭園での一件以来、ミーリアはまともにサーラと会う機会は持たない様にしていた。女王として公的な集会に出ねばならずサーラも出席していた時も言葉は交わさなかった。
ただ彼女と同じ部屋に入れられ対面を避けられない今、どういう訳かは自身でも分からないが自分から手を出そうとしたのだった。
「はい、陛下。兄、いえ宰相閣下の御用命で御座います」
「サーラさん。どうせ私達しかいないのです。そんな言い方でなくてもいいですよ。前の時もそうだったでしょう?」
「……」
――私、何言ってるの?――
少し訝しむような顔をしたあと、サーラはふっと小さく笑った。
「事態を悟って自棄になってるのかしら? まあ、貴方がそう言うのなら私は別に構わないけれど」
――自棄か。そうね、そうかもしれないわ――
「何故ランバルト公は貴方までを連れて来たのですか?」
「決まってるわ。私とこの子に人質の価値があるからよ」
「人質? でもジュ…リンガル公はブリアンと戦っている筈では?」
「今はまだね」
サーラは簡潔に言った。
「お兄様はそう思っているのよ。あいつも裏切りかねないってね」
メール公ランバルトとリンガル公ジュエス。
二人の協力こそが内戦を制し現政権を打ち立て得たのだとはミーリアも良く分かっている。
これまでは二人の道、二人の目指す先は同じだった。或いはジュエス公は譲ることが出来、同じ道でも大丈夫だった。
だが、今はもう違う。
どちらも決して譲れない道に立ってしまっている。後は限りなく寄せることしか出来ないのだろう。
「どんな男だってモノにしたいオンナの前では目が眩むものよ」
「……下品な言い方ですね」
「男の本能を表現するのにこれ以上綺麗には言えないわ」
――歴史を司る女神という奴かしらね。今更だけど、ランバルト公も不遜なものだわ――
ミーリアは水を二人分の器に注ぎ、片方をミーリアに手渡した。本当なら葡萄酒が良かったが、妊婦に酒はまずかろうと思った。
手渡されたサーラは少し驚いたようだ。
「女王自ら杯を注ぐなんて、誰かが見ていたら何て言われるか分かったものではありませんね……」
何となく口を言葉が突いた。不思議に嫌味でも何でもなく自然と出てきたのだ。
「ふふっ、そうね」
サーラは軽く笑うと杯に口を付けた。
「その子が貴方の御子ですか?」
「そうよ。お腹の子もね」
そして、サーラは膝の幼児の頭をいとおしげに撫でた。その顔は正しく母親のそれであり、ある種冷たい印象のあるサーラには今まで無かった彩りだった。
「ランバルト公はその子のことも脅してきたのですか?」
「ええ。その時はみな殺すと」
ランバルト公は赤子であろうと容赦しない。その事は知っていたが身内さえも許さないとは。これこそが覇者足るということなのだろうか。
サーラの瞳に皮肉げな表情が宿る。
「……お兄様は何かあったら私とジュラを殺すだろうけど、ミーリア様、貴方の事は殺さないわ」
「……」
「私達は人質として囲われているけれど、貴方は本当に守るためにここに連れてこられているわ。それは貴方自身が一番よく分かっているだろうけど」
「ええ……ランバルト公は私がいなくては彼の目的を達成出来ないもの」
ランバルト公の目的。彼の望みは単純だ。
「ランバルト公が勝っても負けても、私はもう女王ではなくなります」
――別にこんなもの要らない。そうこんなものは要らないの――
ミーリアは言った。
「ブリアンが勝てば、私は弟に王位を譲る事になります」
――王冠なんて必要であったことは一度もなかった。こんなもの要らなかった――
「ランバルト公が勝てば……その時にはもう遮る者はいません。彼は私を妻にして自ら玉座に座るでしょう」
――私はこんなもの要らないのに!――
その事はずっと前から分かっていた。弟のブリアンは必ずランバルトから権力を取り戻し王になろうとするだろうことも、ランバルトが自ら王位を取るべくあらゆる手段を講ずるだろうことも分かっていた。
そして、自分がただ最も屈辱的な形で翻弄されるしかないと言うことも。
自覚する度、ミーリアの心は一層重く、暗くなっていく。
「でももしかしたらそうそう上手くはいかないかも」
サーラは言った。
「それとファリア様はお元気? ここにもいらっしゃらないようだけど」
「いいえ。あの時以来、ずっと床に臥せっているわ」
「そうでしょう。正直、もっと貴方が弱ってると思ってたわ。見た目も若く整ったままだわ。ミーリア様、貴方は私の目から見ても御美しいわよ?」
――こういう事を迷いもなく言うところ。最悪だと思うわ――
「今も立ち向かってきたし、まだ華を咲かせているようね」
思わぬ言葉だった。慰めのつもりかとも思ったが、サーラはそんな人間ではない。
ミーリア自身には分からないが、サーラには別の何かが見えているのだろう。
そういう所も癇に障る。
ミーリアはサーラが嫌いだった。嫌悪し軽蔑し憎んでもいる。それは向こうも同じだろう。
ただ、ミーリアが生涯の中である意味で最も感情を剥き出しにしあってきた相手こそ、サーラでもあった。
――やっと分かった。何故サーラに自分から話し掛けたのか――
「今だからはっきり言います、サーラさん。私は貴方が大嫌いです」
「存じておりますわ」
サーラは口角を少し上げて事も無げに答えたが、どこか毅然とした印象も感じられた。
――これは遺言なんだわ。一人の人間としての、ミーリアとしての最後の言葉なのよ。これからは歴史の人形でしかなくなる女の……落ちる寸前まで咲かせた徒花よ――
そして水の入った器に口を付けた。
◆ ◆ ◆
ブリアン率いる反乱軍は王都の城壁直ぐ側まで近づいており、包囲・攻撃が早晩開始される事は疑い無かった。籠城するランバルト達ミーリア女王擁立派は数多の軋轢と衝突の中で敵軍の攻撃に対処しなければならなかった。




